『それで、連れ帰ってきたの? その猫を』


 イヤホン越しに聞こえてきた、聞き慣れている女子の声。

 その呆れたような物言いに、俺は思わず弁解を返してしまう。


「か、考え無しに連れてきたわけじゃねぇ からな」

『ふうん?』

「首輪も無いのに警戒心薄いし、店に入っちまうほど腹減ってそうだったし……。放っとけなくて、一時的に匿ってるだけだっての」

『でも、仮に捨て猫か野良猫だったとして、外の猫ちゃんって意外と不潔なのよ』

「そこも抜かりねぇよ。帰ってきてすぐ、シャワーを浴びせたから」


 コイツ、と言いながら、俺は既に膝上で丸くなっている小動物へ視線を送る。

 細くて小柄な、全身が真白い猫だ。

 全身、とは言うものの、耳と手の先、それから口鼻はほんのり桜色に染まっているし、瞳は濃い目の群青色をしている。いずれにしろ、剝製のような――誉め言葉のつもりだ――、どこか気高さを感じられる外見の雌猫めすねこだった。


 そんな彼女は数十分前、コンビニ入店後も不用心に、大胆に店内をうろついていた。

 店員も対処に困っていたし、周りに飼い主が控えていた様子もない。いずれそのままだと保健所送りか、カラスなんかの他の動物や、悪い人間の標的にもなりかねない……そう察した俺は、買い物を済ませてすぐ、攫うように家へ連れ帰ってきた。

 で、その際に汚れた自分の服を洗濯しつつ、風呂場でコイツの汚れを洗い流して。お互いメシを食ってから――俺は牛丼、コイツはツナ缶とミルクだ――ようやくひと段落したいま、こうして他人に助力を乞うているところなのだった。

 そう。考え無しに連れてきたわけじゃない、とは言ったものの、実のところ、今後についてはほぼノープランだ。そういう意味では、俺も「悪い大人」かもしれない……。


『意外とちゃんとしているのね』


 が、通話越しの女子からは、想定していたよりもポジティブな反応が返ってきた。

 意外と、って表現が、そこはかとなく気にはなるが。

 一体普段はどう思われてんだよ、俺……。


「流石の俺でも、そんぐらいの対処能力は持ち合わせてるっつーの」

『そうね。流石、百笑どうめきくんだわ。えらいえらい』

「これでも俺の方が年上なんだけどなあ――柚香ゆずか

『もちろん存じ上げているわ。その上で、十年以上この関係なんじゃない――ね、百笑くん?』


 と、おどけたように彼女、万由澄まゆずみ・柚香は笑声を返してくる。


 ――高校時代、同じ部活に在籍していた、一歳差の先輩と後輩。

 いまは住む場所も置かれた立場も違えど、当時から変わらず親交浅からぬ腐れ縁。

 それが、柚香と俺の関係性の全てだ。

 だからこういう、降って湧いたようなトピックの報連相には適任の相手でもあり。いつかのように、いつものように、俺は彼女にコールを送っていたというわけなのだった。


 ラブコール? そんなんじゃあない。

 ラフコール、くらいがいいとこだろ。


『……なんとなく、下らないことを考えていなかったかしら? いま』

「まさか。下らないことを考えてる暇も無いくらい、だよ」


 腐れ縁、怖ー。

 だが、幸いにも柚香の勘はそれ以上働かないでいてくれたらしい。


『ともかく、初期対応は及第点ってところだと思うけれど、問題はここからよね』

「それは、俺も、分かっちゃいるけど」


 一方で柚香は、俺の返答に容赦なく、現実を突き付けてくる。

 年下なのに、いまやすっかり馴染んでしまった、タメ口で。



『本当に? ――あと二週間で引越しなのに、その子、どうするつもりなのかしら』



「……分かってるって。ホントに」


 言い返しつつも、しかし俺は強く反論しきれない。

 実際、柚香の言う通りだ。

 俺の引越し日は再来週に迫っていた。つまり、その間にこの猫をどうするか、決断しなければいけないということでもある。

 元の飼い主がいると仮定し、手当たり次第に迷い猫の情報を調べるか。

 野良猫だと踏んで、動物病院かペットショップ、あるいは保健所に連絡するのか。

 はたまた、飼う覚悟を決めて、引越し先まで連れていくのか。

 また野良として逃がす、なんて無責任な選択肢は、採るつもりも無いが……。

 一方で俺は、進捗が大幅に遅れている荷詰め作業も進めなければならない。他のことに意識を割いている時間が、あまり無い状況でもあった。


『近くに誰かいないの? 一時的に預けられたり、いっそ引き取ってもらえたりするような知り合いは』

「残念ながら。大学の知り合いも辞める会社の関係者も、こんなことを頼めるほど信頼関係を築いちゃこなかったよ」

『それは……可哀想な話ね。……………………猫ちゃんが』

「なんか後付け感すごくなかったか、いまの主語」

『まっさかー。わたしは最初から、猫ちゃんのことしか考えていないわよー?』


 へえー。

 腐れ縁ってホント怖いなぁー。


『な、何にせよ。一度面倒を見始めた以上、責任は持たないといけないわ』


 柚香は咳払いをひとつしたのち、しかつめらしくそんな念押しをしてくる。


『SNS嫌いなあなたの代わりに、ネット上の猫探し情報はわたしがモニターしてあげるけれど……日々のお世話とその後の計画立ては、百笑くん自身がちゃんとしてあげて』

「手伝ってくれんのはありがとな。けど、こっちも大丈夫だって」


 俺はそう、敢えて軽い調子で言葉を返すことにした。

 見ず知らずの猫を拾ってきた俺も大概だが、柚香も柚香で世話焼きなことだ。


コイツのことも解決して、転居も滞りなく済ませて。未練なんか残さず、ちゃんとこの街から離れてやるよ」

『……未練、ねぇ』

「なんだよ」

『いーえ。ま、言質は取ったからね。せいぜい頑張って、百笑くん』

「言質って」


 小言のうるさい親かと思いきや、今度は束縛の強い恋人みたいなことまで言ってきやがる柚香ちゃんなのだった。……いやいや。

 だから、腐れ縁だって言ってんじゃねえか。



          *



 柚香との通話を終えたのち、改めて俺は「来訪者」に目を向ける。

 さっきまで、俺の膝上で早くもひと眠りしていやがった白猫。しかし少し前には部屋の中をうろつきだし、いまはいまで、あらかじめ床に放っておいた毛布の中で二度寝をかましている状態だった。


「ホント警戒心無いな、コイツ」


 脇腹のあたり、丸まっているちょうど真ん中あたりを、軽く撫でてみた。

 る、と口の奥で鳴き声を漏らした以外は、全く抵抗を見せてこない。

 ……こうなるとやっぱり、(元)飼い猫の線が濃厚になってくるな。

 だが、柚香にも話した通り、首輪やネームバンドの類は付けられていない。さっき帰ってくる途中、コンビニ周りの建物や電信柱をチェックしてみたものの、『猫を探しています』の張り紙が掲示されている様子はどこにもなかった。


「一体、どこから来た何者なんだ、お前は」


 イマドキは動物も人もインターネットで行方不明情報が拡散されるのだろうだが、そっちは俺が壊滅的に疎いため、先の通り柚香に頼るしかない。というか実際、そっちですぐに正体が分かるかもしれない。

だから俺もコイツを世話しつつ、本来やるべきことを粛々と進めた方が良いんだが、


「…………」


 その『やるべきこと』を再開しようと上げかけた腰を、もう一度下ろす。

 気になったことが、あったんだ。

 短ければ数日中。長くとも二週間で、ここでのコイツとの生活は終わるんだろうが――だとしても、その短い期間でだって、要らないことは無いだろう、と。


「どうすっかな……コイツの名前」


 そんなことを、気にかけ始めてしまっていた。

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