第8章 恋する桜の森の満開の下4

4.犬と桜

「今日は山本が欠席だな」

翌日。担任の石巻教諭の言葉に祐太郎は肩を落とした。もしかしたら、何事もなかったかのように、学校で再開して普通に話せるのではと思っていたからだ。

(山本さん・・・MIDだってバレちゃったから、もう学校には来ないのかな・・・ううん、僕には山本さんがMIDだなんて信じられないよ!そうだ・・・)

祐太郎にはある思いつきがあった。

「ヤナギさん、ヤナギさんは山本さんの事知ってたんじゃないの?」

「・・・そうだね。君達の本拠地で話をしようか」

その日、祐太郎はいてもたってもいられず、授業などまるで頭に入らなかった。給食の味もわからなかったし、掃除をしている間も心ここに在らずであった。

放課後になるや、ヤナギと学校を飛び出す。気が急いて思わず早歩きになるが、ヤナギを置いてきぼりにしてしまう。

「・・・この姿の時はただのインドア少女なんだから、もっと気遣ってくれよ・・・」

「ご、ごめんね」

そんな二人の目の前に、一台のステーションワゴンが停まった。

「ラボまでお連れします」

『魔特』の三本木隊員であった。祐太郎が博士に連絡を入れたので迎えに来てくれたのだ。

車という密室のおかげで、周りに気にせず、道すがら梢の話を聞くことができる。

「ねえっ!山本さんは悪いMIDなんかじゃないよね!?」

「・・・七芽氏、圧が強い・・・山本氏は、少なくとも須賀氏の味方だよ。わかるだろ?」

「えっ、じゃあやっぱり・・・」

「そう、須賀氏に迫る危険を、一人で退けたんだよ。昨日突如として開いた複数の『穴(ホール)』、そこから出てきた強力な来訪者達は、夜長姫のマーキングがついている須賀氏に向かって行った。それを同じ来訪者である山本氏が撃退した。これはそっちの言うところのビジターってことじゃないのかい」

「ホール・・・マーキング?」

「・・・そこはわからなくてもいいよ。ただ、山本氏の方も・・・あとは、本人に聞いた方がいいね」

祐太郎にはヤナギの話の内容は全ては理解できなかったが、山本が敵ではないとわかってほっと胸をなでおろした。



「だから二人きりで山本梢の自宅へ行かせろっていうのかい!承服いたしかねるねえ!」

武者小路邸。開口一番、博士に提案は断られてしまった。

「・・・山本梢は敵性MIDじゃない。七芽氏には友人として彼女の最後の言葉を聞く権利がある。山本氏の家を監視しているんなら徐々に彼女の理素反応が弱くなっているのには気づいているんだろう」

「え・・・最後ってどういう・・・」

「むう・・・」

「・・・それにそっちには貸しがあったはずだよ。いざとなればこっちがついているし・・・『変身(ザムザ)』!」

ヤナギが力のこめられた呪文を口にすると、身体がぐにゃぐにゃと変形し、金髪碧眼の鬼へと変態した。背筋も伸び体躯も立派になっている。

「これが半理素体のヤナギ君の姿かい!確かに強いプレッシャーを感じるねえ」

祐太郎は目の前でヤナギが変形したものだから驚いて尻もちをついてしまっていたが、我に返り博士に縋りついた。

「博士!お願いします!山本さんとはちゃんと話せてないし、こんな別れ方なんて嫌です!」

「わかった、わかったよ。今の僕たちにはヤナギ君を止める力も無いしね」

博士は降参と言わんばかりに両手を挙げてかぶりを振った。

「七芽氏は変身しなくていいから、急ごう。あ、運転手君送ってくれる?」



十数分後、再び三本木隊員の運転する車で、祐太郎とヤナギ(半理素体)は山本梢の住むアパートに着いた。

周囲には距離を置いて、『魔特』の隊員が監視を続けていた。

報告中の監視と三本木を置いて、二人は低い金属音の響く外階段を上り、梢の部屋の呼び鈴を鳴らした。

「ヤナギと七芽氏だ!山本氏、部屋に入れてくれ!」

間髪入れずにヤナギが部屋の中に向かって声をかける。

「・・・開いてるよ、入ってきてもらえる?」

意外にもあっさりと、入室の許可が出たので祐太郎は肩透かしを食らったような気がした。

(なんだ、もしかして深刻に考え過ぎてただけなのかな?)

しかし足を踏み入れた途端、祐太郎は部屋中に伸びた植物のようなものに絶句した。床、壁、天井にいたるまでびっしりと木の根や枝のようなものが伸びている。

玄関に向かって伸びてきているように見えるのでその大元は当然部屋の奥だろうと推測される。

「なにこれ!山本さん大丈夫!?」

慌てて靴を脱いで、枝に足をとられながら、無作法を心の中で詫びながら部屋の奥に進む。

「山本さん・・・」

「やあ山本氏、元気かい」

「うーん、あとちょっとみたい」

ベッドの上に状態を起こした梢は痩せこけて、掛け布団の下からは無数の木の枝がひときわ密集して生えていた。

「なんで!?山本さん!僕たちと闘ったから?」

「違う、違うのななめ君、仕方がないの・・・」

「でも・・・」

「じゃあ、私のことを始めから話すから、聞いてくれる?ヤナギちゃんはそのためにななめ君を連れて来てくれたんでしょう?」

「そうだよ。君の口から、話してあげて欲しい」

「ありがとう。私はね、多分、昨日須賀ちゃんを襲おうとしてたやつらと同じところから来たの・・・この世界に来た時どんな姿かたちだったか、もうよく思い出せないけど・・・」

そう言って山本梢は、自分の正体について語り出した。

「ただはっきりとしているのは、この世界の理素があまりにも薄くて、そのままでは生きていけなかったってこと。

私たちは、この世界の生き物に擬態して、新しい環境に適応する必要があった。なけなしの理素を絞り出して使った魔法で、私は、たまたま出会った大型犬に擬態したの。

慣れない身体で消耗した私はやがて力尽きて、運よく人間に発見されて、保護犬になった。

私たちは、他の生き物に擬態して、命を長らえる種族だった。でも借り物の姿は、長くはもたない。本来の寿命の何分かの一の時間で、身体が崩壊してしまう。そうして崩壊してしまう前に、そばにいる生物にまた擬態して生きていくの」

梢の言葉が祐太郎にはにわかに信じられなかったが、彼女が嘘を言っているようには見えなかった。

よくよく見ると梢の身体にはところどころ亀裂が入っていて、今にも崩れそうなのだ。

「そこで初めて須賀ちゃんに出会ったんだ。子供の頃の。『おっきなゴールデンレトリバーが欲しい!』って保護犬の施設に見に来てて。私と目が合った途端『この子が好きだ』『この子と家族になる』って言ってくれた。

でも保護犬を引き取るには色々と条件がある。身分が証明できることは勿論、家族構成や住居。散歩がどれくらいしてやれるのかとか。当時の彼女の家や両親の仕事では、それが全てクリアできなかった。

でも彼女頑固だから、わんわん泣いて私から離れなくて。なんかごめんねって気持ちで見つめてたら彼女も『ごめんね。いつか迎えに来るから』って言ってくれた。

私はいつまでも待っていたかったけど意外と早く寿命が来ちゃって、気が付いたら人間の姿になってた。

人間の子供が一人でどうやって生きて行こうかと思ったけど、『アイツ』が力になってくれた。『アイツ』は私以外にも人間に擬態した『来訪者』や、人間型の『来訪者』を助けてるって言ってた。

私は一人暮らしを始めて、学校にも通い、そこで須賀ちゃんに再会した。すぐにでも押し倒して舐めまわしたかったけど、須賀ちゃんのおうちには既に新しい犬がいて、そもそも私はもうゴールデンレトリバーじゃなかった。

須賀ちゃんの親が転勤族だったけど仕事を変えて、広いおうちを買って、私を迎えに来てくれたけどそれは間に合わなかったんだ。

悔しかったさ・・・でも、人間になった以上は同じ言葉で話せるし机を並べて勉強もできるし、もしかしたらフリスビーを投げてくれたり顔を舐めまわしても怒られなかったりするような友達になれるかもしれない。

可能性はゼロじゃない。そう思えば毎日がバラ色で輝いて楽しくってしょうがなかった。須賀ちゃんの顔を見ただけで何度おしっこを漏らしそうになったかわからない。

楽しかった。幸せだった。でも、この身体にも限界が近づいてた・・・まさかの次は植物でしたー、なんて」

祐太郎は慌てて自分が枝を踏んでいないか足元を確認した。

「大丈夫、そっちに痛覚は無いから。

でも良かった、最後に須賀ちゃんを窮地から救うことができて」

「誰にも知られないうちにご苦労だったね。こっちは間に合わなくて申し訳なかったよ」

「私のアンテナは須賀ちゃんに全振りだったからね。助けを呼ぶ暇も無かったし。

しかもテンパって誤解してななめ君と闘っちゃったしねー」

「MIDや僕たちと闘ったせいで身体が崩壊しちゃったんじゃ・・・」

「それは違うよ。既に限界だったの」

「・・・最後にこっちがしてあげられることはあるかい?」

「最後に・・・ね。連れて行って欲しいところがあるんだ」

祐太郎は二人が『最後』という言葉を使った途端、涙を抑えきれなくなった。

「ねえ、なんとかならないの?ヤナギさんのすごい魔法で治せない?

博士に調べてもらえばなんとかなるかも!わからないけど!

ほら、このMPアロマオイル『ラベンダー』でひび割れもくっつくかも・・・保湿もしてくれるし、鎮痛効果もあるんだよ!」

涙と鼻水を流しながら、祐太郎はみっともなく取り乱し、ヤナギの腕に縋って揺さぶる。

ヤナギは無言でティッシュを差し出し、梢は困ったように微笑むばかりだった。

「ありがとう・・・でももう限界なの・・・」

「うう・・・ううう~~・・・」

「七芽氏・・・」

「ありがとう。ありがとうねななめ君。ヤナギちゃんも気遣ってくれて・・・」

祐太郎がひとしきり泣き止んだあと、夜が更けるまで三人はおしゃべりをした。



『魔特』にお願いをして目的地の人払いや交通規制をしてもらい、三人は動き出した。

まず植物へと変化しつつある梢の下半身を、部屋から引き剝がす必要があった。

ヤナギと三本木隊員が協力して梢の本来の足があった長さよりも長めに梢を切り取った。

「ふぐぅ・・・っ!!」

「身体から離れた枝に痛覚は無い」とは言ったが、身体と一体化している組織を傷つけるのは負担がかかるようだった。

普通だったらタオルなどを噛んで苦痛を耐えるところを、なぜか梢は犬用の骨型おやつを噛みしめて耐えていた。正体をバラしてからはなりふり構わないようであった。

祐太郎は梢の手を握りながら、ずいぶんと青白くなってしまった顔を見守ることしかできなかった。

ようやくベッドから梢の身体を引きはがす頃には、梢の身体は脂汗でびっしょりになっていた。祐太郎は梢の背からベッドに伸びたツルを、なるべく痛くないようにとそっと引き抜いた。

そうして、ヤナギが抱きかかえて梢を運び、三本木の運転する車で桜並木へと向かった。

祐太郎と梢で行ったあの桜並木である。

時間も時間なのでひっそりとして、人払いもきいている。

花は既に散っているので少し寂しい桜並木。

その桜並木のちょうど真ん中あたり、ひときわ立派な桜の木の根元に、梢をもたれかけさせた。

「山本さん・・・ごめんね、僕何もできなくて・・・」

「そんなことはないよ、あのままだったら部屋で動けないまままさに植物人間!都市伝説になっちゃうとこだったよ。

本当にありがとう。ぶっとばしちゃったヒーローさんには謝っておいて。

人間同士では相思相愛ラブラブとはいかなかったけど、せめて、須賀ちゃんの好きな桜になって、愛されたいな。

二人ともいつでも遊びに来てね。毎年きれいな、花を咲かせるから。

あと、アイツには気をつけて。アイツは人間が魔法を使うことを――」

「山本さん!」

「山本氏・・・」

梢の身体は淡く光り、やがて地に溶けていった。

そして地面が隆起したかと思うと一本の木が生え、早回しの映像を見ているようなスピードでむくむくと成長し、やがて隣の立派な木と同じ高さにまでなった。高さだけでなく、枝ぶりや葉の量、全てが同じであった。

後に、「双子桜」「夫婦桜」などと呼ばれていっそう町の人に愛されるスポットとなるのだった。




祐太郎が武者小路邸に戻り、博士に報告を済ませて自宅に帰る頃には、既に夜が白みかけていた。

三本木隊員が運転する車を見送り、家に入ろうとした時、急に大型犬に引っ張られた須賀栞が現れた。

「あれ、ななめ君?ここななめ君のおうち?」

「うん、こんな時間にお散歩?」

「そうなの、いつもこんなこと無いんだけど、どうしても散歩に行きたがっちゃって」

「もし良かったら・・・一緒に行ってもいい?」

「うん。でもななめ君こそこんな時間に大丈夫?心細かったから嬉しいけど・・・」

「うん!ちょうど、ウォーキングかジョギングしようと思ってたから!」

そうして二人は深夜と早朝の狭間の散歩を始めた。栞の愛犬「ピロ」の気分次第で、時には小走りになりながら。

「いつもはどこまで行くの?」

「うん、いつもは公園に行って、川沿い走って帰ってくるかな。今日はそこまでは行かないつもりだけど」

その時、祐太郎はピロにじっと見つめられていることに気が付いた。

「!・・・それじゃあさ」



「なにこれ、凄い!ここだけ満開!」

「うわあ・・・」

二人と一頭は、公園に続く桜並木に来ていた。祐太郎がこのコースを提案したのだ。梢の桜の木のところまで、栞を連れてきたくて。

それは、見る人によっては異常現象とも思われたかもしれないし奇跡ともとれたかもしれない。

他の木が既に花を散らせた後なのに、一本だけが、満開で咲き誇っている。

まだ闇が残る空の下、ざあざあと枝を揺らして花びらを舞わせる梢の桜。その幻想的な光景に二人は見とれていた。

「あれ、ななめ君泣いてるの?」

「違うよ!これは花びらが目に入って・・・須賀さんこそ涙出てるよ?」

「うん・・・キレイすぎて、素敵すぎて・・・不思議だね。ありがとう、ピロとななめ君のおかげだね」

そう言って栞は満開の花をつけた桜の幹に抱き着いた。

一陣の風が吹き栞と祐太郎の衣服をはためかせ、ひときわ高く、花びらが舞い上がったようだった。





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