下 ハッピーエンド

続きになります

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「え、う、うそ……本気で……言ってるの?」


 ワタワタと震えながら洩れた声を出す彼女。


 泣いていた彼女は更に追い打ちをかける様にクシャと顔を歪ませて目に涙を溜める間も無く滝の様に涙を流す。


「いやだよぉ、思い出してよ〜」


 彼女は僕の腕に抱きついて涙を服で拭いてくる。

 別にこれ病院のものらしいから僕は気にしないんだけど…


「あの、一つ聞いてもいいかな?」


「ゔ、ぅん。なんでもぎいで」


 あまりにも覚えていないのがショックだったのか相当滅入ってしまっているようだ。

 それでも僕は彼女のことを思い出せない。元は仲が良かったりしたのだろうか……


「名前を教えてくれる、かな?」


「……え?な、まえ? ぁあそっか」


 今度は自分のハンカチをポケットから取り出し目から溢れ落ちる涙を拭き、近くのティッシュで鼻をかんでから深呼吸をした後、自己紹介を始めてくれた。


「わたしの名前は楓、指野 楓って言うの。昔はかえちゃんってよく呼んでてね……ってそれは昔のことだった……えっとね、最近は二人で居ることが多かったんだ。好きなことは有希、つまり君の側に居る事なんだ」


 涙を堪えて良く話してくれた。けど最後の発言がちょっと…


「あ、ありがとう……」

(ちょっとこの人怖いな……ヤンデレ?ってやつかな)


 なんとか話しを……というより一方的に楓さんが話しをしてくれた。


 するとナースコールで呼んだナースさんが病室にやって来て色々検査する事になった。

 寝ている間にも身体に負荷の掛からない検査を行なっていたらしいが、起きたということで僕の声も聴こえる形で検査を行う事になった。


 暫くして連絡を受けた母親らしき人が病室にやって来た。親子が揃ったと言う事で医者の方から説明を聞いた。面影はあるもののやはり思い出せなかった。


 どうやら僕は車と衝突した後地面に後頭部を強く打ち付けた衝撃で記憶喪失になっているらしい。

 その時に庇って楓さんを救ったのだという。


 大きな外傷は後頭部を打った時の脳震盪、肋を2本折り、膝を地面に強く打ち付けて後十字靭帯損傷の三つで、その他は軽い打撲や擦り傷だったらしい。




 しかし、庇って助けたとはいえ楓さんが号泣していたのは救われた身だからとはとても思えなかった。それ以上の何かがあると思った。もしかしたら本当に昔から一緒に過ごしていたのかもしれない。



 まだ楓さんとの関係が明確に分からないまま楓さんは帰ってしまったので次に来た時に色々聞いてみよう。


 母親と僕の2人で医師の説明を受けた後、母親は帰ってしまったのでその日の面会はこれで終わった。



 ——翌日


 目を覚ました僕は窓の外を見る。

 太陽が部屋を照らしていないのを見るにまだ時刻は早めなのだろう。


 記憶喪失になった今すべき事は何かと考えたが誰かから昔のことを聞くのが一番じゃなかろうか、母親も泣いていたし恐らく昔のことを覚えている僕でいた方が皆幸せになれるだろう。


 昼を過ぎて夕陽がまだ落ちきっていない黄昏時に病室に楓さんが訪れた。


 僕は朝考えていたことを思い出し、昔の記憶について深く聞くことにした。

 僕自身、僕の周りのことについて聞いたつもりだったのだが、話す内容は全て僕と楓さんの関係についてばかり……


 昨日楓さんとの関係性はどうだったのかを知りたいとは思っていたがここまで細かく説明されるとは思わなかった。


 髪を耳に掛けながらベッドに横たわっている僕に近づいて、スマホに入った写真を嬉々として見せてくる。嬉しそうな顔が可愛くて仕方がない。昨日の涙を流す姿よりよっぽど好きだった。


「やっぱり……記憶がある僕がいいのかな……記憶のない僕じゃいや…なのかな」


「何か言った?」


「ううん、なにも言ってないよ」


「そっか、何かあったら言ってね。早く思い出してほしいけど、無理はダメだから。今日はもう遅くなって来たし帰るね。じゃあまた……」


「う、うん。またね」


 楓さんは僕の返事を受けると病室を出て行った。


「早く思い出して欲しい……か」


 僕は楓さんが帰った後、仕事帰りの母親にアルバムとかホームビデオとかその他に僕が記憶を思い出せそうなものを用意して欲しいと頼んだ。


 母親は『わかった。でも無理はダメよ』と気を遣ってくれた。それでも記憶は思い出して欲しいのだろう。ぎこちない会話になった時はやはり顔が少し引き攣っていた。


 母親が今日は休みだからと次の日に記憶を思い出すのに使えそうなものを持って病室に来てくれた。有給でも使ってくれたのだろうか?それならば感謝するしかない。


 僕は面会と検査がある時以外はアルバムを見たり、周りに迷惑のかからない時間であればホームビデオを見て思い出す作業を行っていた。


 時折、誰かが面会に来た時にビデオを観ていることもあったが、思い出せたらいいねと一緒に観ることになったりもしていた。


 2ヶ月と数週間ほど経った頃、大分容態も回復して来た。

 退院は出来たものの通院は必要になるみたいだった。今は車椅子を使っていいという事なので母親に押してもらったり楓さんに押してもらったりして移動していた。


 ここまで面倒を掛けてしまっているし、記憶を思い出したことにして接すれば喜んでくれるかな……


 僕は寝て起きたら記憶を思い出したことにしよう。

 そう決意して記憶を失ってから初めて入った僕の部屋らしき部屋のベッドで寝た。

 知らない場所で寝るのはやはり難しかった。

 学校は家から近く、来週から松葉杖を使って登校しても良いらしい。


 僕は次の日の朝、元気に目を覚ました。

 そう記憶が戻っていたのだ!


「おはよう、母さん」


「え?!」


「ゆ、有希……記憶戻ったのか?」


 母親は驚いたと思えばフルフル震えながら近づいて来た。

 父親がポカンと口を開け動けずにいた。


「本当だよ。でもまだ全部思い出したわけじゃないんだ。だから学校は言われてた通り来週からでもいいかな?」


「えぇ、勿論いいわよ。というかあれは膝と肋の話だから」


 この1週間で色々詰め込もう。


 夕方、学校が終わった楓さんが家を訪れた。


「有希! おばさんに聞いたけど本当に思い出したの?!」


 勢いよく部屋に入ってきた楓さんは僕の母親に聞いたのかテンションが上がっていた。


「じゃ、じゃあさこれ覚えてる? わたしと有希がペアで買ったんだけど」


 見たことのないアクセサリーを見せて来た。これは指輪?いつこんなものを買ったんだろう…


「あ、あぁこれね。あの時のだよね」


 誤魔化すことにした。


「うん。あの時……わたしたちが遂に付き合う様になった日に買ったもの……」


 あぁそうなんだ。付き合ってもいたんだ……


「そうそう、初デート……みたいな」


 賭けに出てみる。


「ねぇ、なんで嘘つくの?」


 ——ッ?!

 何か間違えたのか?初デートじゃなかったのか?

 くそ!賭けに失敗したか……


「わたしたちまだ付き合ってないんだよ……これはね小さい頃にバレンタインのチョコをわたしがあげたらホワイトデーに有希がお返しとしてくれたんだよ……ねぇまだ思い出してないんでしょ?どうして嘘なんか——」


 だってしょうがないじゃないか!!

 みんな僕が記憶を思い出した方が幸せになれるんだから!!!


「みんなが僕に記憶を思い出して欲しいってずっと願ってるからじゃないか!! 1人くらいは思い出さなくてもいいよって、よく頑張ってるって言ってくれてもいいじゃんか……なのに皆は早く思い出す必要はないとか、焦らなくてもいいとか、頑張ってねとか……もうイヤだよ、頑張った所でなにも実らなかった。偽った方が僕も楽になれたんだよ……」


「有希……」


「ごめん。もう今日は帰って欲しい……」


 つい、爆発してしまった。楓さんだけが悪いわけでもないのに……


「わ、わかった」


 部屋に入って来た時とは打って変わって明らかにテンションが下がっていた。底まで落ちていたかもしれない…


 僕は冷静になった時、病室で話しをしていた時に交換した連絡先を使って楓さんにメッセージを送った。


『さっきは……ごめんなさい。楓さんだけじゃなかったのに……もし、今日あんな態度をとってしまったことを嫌に思っていなければ、思い出さない自分でもいいと思ってくれるなら、友達から始めませんか?』


 数分してから返事が返ってきた。


『ごめんね、私こそ……記憶喪失になったことのないわたしがあんなにガツガツ記憶を思い出させようとして、わたしは1からでもいい、わたしはあなたのそばにいたい……だからこれからっていうか病院にいた時からかな? でも改めてこれからよろしくお願いします』


 確かに病院にいた時からかもしれない、記憶を思い出させようとはしていたが、その他のお喋りは楽しかったし、何より楓さんが笑う笑顔を見ていると癒された。


 事故から3ヶ月が経っても記憶は戻らなかった。

 それでも楓さんは献身的に接してくれる。松葉杖を使うこともなくなってきたのでその辺は問題ないが入院していた分の勉強を親身になって支えてくれた。

 母親や父親にも日頃の接し方に違和感を覚えたのかバレてしまったが、事故後よりは関係は良くなった。



 事故から4ヶ月が経った頃、記憶を取り戻した。


 事故現場を楓さんと通った時に事故の瞬間がフラッシュバックした。

 僕はその時、激しい眩暈に襲われた。近くに居るはずの楓さんの声が遠く感じる。


 僕は気を失っていた。


 目を覚ました時、僕の目の前には楓の顔があった。他に見えるのは青い空……太ももあたりには固い感触がある。

 起き上がるとそこは遊具のない広めの公園だった。良くジョギングで使われたりするような。


 僕は全てを思い出した。事故があった時のこと、僕が楓に拒絶されていたことも


「ねぇ、楓は僕のこと拒絶していたんじゃないの?」


「え?! 楓って……それより何言ってるの?」


「というか、楓、記憶あるの?思い出したの?」


「何言ってるの? 記憶がなかったのは有希じゃない」


「じゃあ、僕は成功したんだ。楓を救えたんだ」


 何か言った?


「僕、記憶なくしてたの?」


「そうだよ〜 やっと思い出せたんだね。頑張ったね、有希、頑張ったよ」


 涙をほろほろと流しながら起き上がった僕を抱きしめる。


「怪我をして、迷惑かけてごめんね」


「わたしを救ってくれたんだよ、そんなの迷惑にならないよ!」


「あのね、楓」


「何?有希」


「楓……大好きだよ! 今はまだ怪我は治ってないけど、楓といろんなところに行きたいな……だから僕と付き合ってください!」


「はい! わたしも大好きです。よろしくね!」


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