第7話 真青

 昨日はルナさんに拉致されていたから大人しく部屋の全貌を確認することができなかった。だから部室に足を踏み入れたこの瞬間が新鮮に思えた。


 物が散乱していて狭く感じられる部室。細長いテーブルを囲むように置かれている2つのソファ。ヒビの入ったガラス棚に、私より年上そうな古いゲーム。それらがつながれたブラウン管テレビ。小さなアンプや弦が3本とれているベースなどいらなそうなものが散乱としていた。


 私は千鳥足で床を踏みながら、奥のソファに腰かけた。ナイヨさんは私から距離を取るようにもう片方のソファの最も離れた位置に座った。……。


「ナ、ナイヨさん。ちょっと離れすぎじゃ……」


「あ、ごめんなさい。人見知りなもので……」


 いや、どう見ても私を警戒している……。無理もないか、昨日ルナさんに虐められているナイヨさんを助けるどころか撮影していたわけだし……多分、私のことを怖がっているんだろう。


 まあ、今はそれでいいや。ちょっとずつ、お互いの距離を縮めることができればそれで……。


 …………………………。気まずい。ルナさん相手だともっと割って話せた気がするけど、初対面の人と話すのってこんなにも気を使うものだったっけ……。入室してもう5分ほど経つけどまだ一言も話してはいない。むしろ時間が経てば経つほど、どう切り出せばいいのかが分からなくなるし、今更話したってというネガティブな思考が浮かんでくる。


 特にやることもなく、携帯でSNSを開いてはホームに戻り、開いてはホームに戻りの作業に嫌気がさした私はナイヨさんの方をチラチラと盗み見するようになった。


 1人でも大丈夫な人なのかと思いきや、ナイヨさんも同じように携帯を見つつ、こちらの様子を伺っているっぽく見えた。


 同じ現状だと知ると、わたしは自ずと口を開いていた。


「ナイヨさんって……好きな……バンドとかあるんですか……?」


 やばっ、私あんまり詳しくないのに何で聞いたんだろ。軽音楽部に入ったのも男目当てなのに。


「マ、『マイネミ』とか……」


 うわ……案の定知らないバンドだ。名前を聞いたこともない。


「あー……い、いいですよね。マイネミ。」


 何で知らないくせに知ったかぶりかましてるんだろ。


「……手下Aちゃん。マイネミ……知らないんじゃないかな? ちょっと顔ひきつってたし」


「し、知ってますよ! マイネミくらい! リ、リードギターの音作りが好きで――」


「マイネミ、スリーピースバンドなんだけど……」


「…………」


「…………」


 …………。


「い! 今のはほんの冗談で! あ、あはは!」


「じゃ、じゃあ好きな曲は?」


「………………ゲ、ゲルニカとか?」


「何でピカソ?」


「スミマセン、シリマセン」


 引くに引けない状態だったが、流石の私も自白した。これ以上、嘘を貫くのは無理だ! 正直に謝ろう!


「すみません! 何故か咄嗟に見栄張っちゃって……私、入部志望したくせにロックバンドのこと……全然知らなくて……知ってるふりしなきゃ仲良くなれないかもと思って……本当にすみません!」


「わわっ! ぜ、全然大丈夫だよ! むしろ気を遣わせちゃってごめん! 私の方が先輩なんだから……ごめんね、気を配れなくって……。それに全然有名なバンドでもないから分からなくて当然だよ!」


 わぁ、なんて優しい人なんだろう。こんな聖人を私は昨日、汚していたのか……自分で自分がやるせなくなる。この罪はどれだけ謝罪しても拭い切れないだろうな。


「あ……ごめんなさい。敬語じゃなくて……」


「いえ、ナイヨさんの方が先輩なんだから良いじゃないですか。そっちの方が私も気兼ねないですし」


「そ、そう……かな?」


「そうです! ところで改めて訊くんですけど、マイネミってどんなバンドなんですか?」


「そうだねぇ……簡単に言えば恋愛ソングばっかり唄っているバンド……って感じかなぁ。ザ・ロックって言う風なものではないんだけど……女々しすぎてカッコ悪い彼氏がさ、泥臭くも全力で彼女を愛していたり、失恋したりっていう出来事を重ねていくことで募った感情が載った歌詞がさ、妙に共感出来て刺さるんだよねぇ……」


 ソファで体育座りしながら微笑んで、ナイヨさんはマイネミの魅力を語った。先ほどのおどおどしさはなく、心からナイヨさんがマイネミを好きなことは一目瞭然だった。


「まぁ……そのバンドも元元元元々カレの影響なんだけどね……なんだか痛いよね……前の彼氏が好きだったバンド未だに聴いているのって……」


「そんなことはないですよ!」


 私は声を大にして言った。自然とそう出てしまった。ナイヨさんは身体をびくりとし、瞼に涙を浮かべながら目をくりくりとして私を凝視していた。


「手下Aちゃん……?」


「あ……すみません。急に大声出しちゃって……。でも、ナイヨさんがマイネミ好きなことと元元元……もう略しますけど! 元カレさんは関係ないと思いますよ! だってきっかけがどうであれ、ナイヨさんが別れた今でもそのバンドの曲聴いているってすごいことじゃないですか! 元カレさんとの思い出を思い出したくもないはずなのにそこまでマイネミの音楽を聴き続けられるっていうのは純粋にそのバンドが好きだからできることじゃないですか! だから……! えっと、なんていうか……その……」


 言いたいことがうまく表現できなくて口篭もる。伝えたいことはもっとたくさんあるはずなのに……稚拙な自分の語彙力ではそれが言葉にできない。みっともなくもたついていたって埒が明かない! 自分が本当に伝えたいことは何なのか! それが簡単であったっていい、しょうもなくたっていい! それだけを伝えよう!


「……! わ、私は! 趣味ってなにひとつとして長続きしなかったから! ずっとひとつのバンドを追っているナイヨさんが……かっこいいなって……思いました……」


 本当に伝えたかった言葉はそれだったのか。吐いた今でもわからなかった。もっと知的で美的でかっこよくて名言のようなセリフを言いたかったのだろうけど……今の私にはこれが精一杯だった。


「あ、ありがとう手下Aちゃん……。な、なんだろ、あまり褒められた経験なんてなかったから……ドキドキしちゃってるんだけど……嬉しい」


 今までのナイヨさんの笑顔が愛想笑いだったのであれば、この笑顔は本音なのだろう。いつも泣き顔と困り顔しか拝見したことがなかったから、野原に咲く一輪の花のようなまぶしい彼女の笑顔に私は心を奪われそうになった。


 この人……こんなふうに笑うんだ。


 私の励ましで元気づけることができたと実感すると、体の奥が熱くなった。


「昨日の印象が強くって、変質者か何かだと勘違いしていたけど……手下Aちゃんって優しいんだね。良かった」


「だ、誰が変質者ですか! ま、まあ昨日のあれを見ていたらそう勘違いするのも無理はないでしょうけど……すみませんでした! もうあんなことしませんから!」


「うん! ルナさんからまた虐められるようなことがあった時、助けてくれるって約束したら許してあげる!」


「はい! 約束します!」


 ナイヨさんの微笑みに私は元気よく返事をした。そうだ、これからは私がルナさんの手からナイヨさんを守らないといけないんだ! ナイヨさんが被害にあっているところを見たって! 私は興奮したりしない!


「(ガチャ)お、ナイヨに手下Aじゃん」


「あ、ルナさんお疲れ様です……」


「お、お疲れ様です!」


 噂をすればなんとやらだ。部室のドアをノックすることなく、魔王ルナさんが部室に入ってきた。


「丁度よかった。ナイヨ、お前に用があったんだ」


「わ、私に……ですか? 一体、何の用が……」


「おう。今日は朝から講義に寝坊するわ、犬の糞を踏んづけるわ、トイレに入ったら紙が無いわで最悪な午前中だったんだ。だから、締め技させろ」


「えっ! そ、そんな殺生な……! い、嫌です! 勘弁してください……!」


「おお、またその嫌がる素振りがそそらしてくれるじゃねえか。まあ大人しくしてろよ、すぐ終わらせるから」


「嫌! 本当に嫌! まっ――ぐえ! ぐるじい……! て、手下Aちゃん……だづげで……!」


 た、大変だ! 早速、ルナさんの蛮行が始まった! 早くナイヨさんを助けないと! 苦しそうな……表情しているし……あれ、なんだろう。この胸の内からひしひしと出る感情は……ハァハァ……はっ! ダメだ、ナイヨさんの苦しんでる様子に興奮しちゃったら!


「ルナさん!」


「あ? なんだよ、手下A。今お楽しみ中なんだよ、おめえも混ざるか?」


「混ざるわけないじゃないですか! 私は! 私は……私は…………ハァハァ……このナイヨさんの表情を撮影したいから……ルナさんもっと表情を隠さずに絞めてくださいよ……ハァハァ……」


 私は携帯をナイヨさんの近くにかざした。ダメだ! って頭では分かっているのに……! 体がいう事聞かないし……ナイヨさんの表情観てると……なんだかムズムズして……気持ちい”い”♡


「や、やっぱり変態の子なんじゃない! もう嫌だぁ! ぐへっ!」


 結局、そのあとナイヨさんは泡を吹きながら気を失った。罪悪感から私は形容しがたい過度な興奮を覚えてしまっていた。


 嗚呼、お父さんお母さんナイヨさん、ごめんなさい。


 ―― ―― ―― ―― ―― ――

☆タエのそれなに初心者バンドメモ☆

『My Name is God』(マイネームイズゴッド)

 通称、『マイネミ』。新潟県出身三人で構成されたスリーピースバンド。ギターボーカルの『佐伯ともい』が書く切なかったり初々しかったりするラブソングが人気を博している。基本的には歌詞に出てくる主人公の自分が女の子に対して未練たらたらのまま、ねちっこくも一途という曲や馬の合わなくなった2人が別れてその焦燥感に駆られたりという曲が多い。

『真青』『ドリフみたいだ』『告発』『冬が過ぎてく』『インターアワー』『寒い癖』『命運』など人気な曲が多く、ファンとの間で曲の好みの差が激しいらしい。


「あ、手下Aちゃん。他にも『想人が出来たんだ』とか『19歳よ』とか『青信号で動くこと』とかもおすすめだよ」


「ちょ! ナイヨさん勝手にメモ見ないでくださいよ!」

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