5
次の日、相手に見えるとわかったから、少しだけまともな格好をしてから、家を出た。カトウさんとの待ち合わせの公園は、僕の家から少しだけ遠いところにある。人があまり来ないとはいえ、昼間は本当に時々人が通ったりはするみたいで、少し早く来てしまった僕は、何人か近くの道路を通る人を見かけた。
「あ、シロヤマくん早かったんだね!お待たせ!」
「いえ、僕も来たばかりですよ。」
よく小説や漫画にあるような定型文を言った。
「あわそれ言ってみたかったやつだ!今度は早く来て言いたいな。」
「よくあるやつですもんね。僕も言うことになるとは思ってませんでした。」
「私もだよ。まさか言われることがあるなんてね!」
無邪気に笑う人だなと思った。お母さんは優しく微笑む人だったけど、カトウさんは子どものように無邪気だ。歳上だけど、歳上に感じない何かを持っている。
「今日も、お話しよっか!」
今日も同じように色々と質問された。親の話もしたりして、カトウさんが泣いてくれたりと、やっぱりこの人は子どものように無垢な人なんだなと思った。カトウさんと話していると心が洗われていく。暗くて何もやる気が出ない僕に明るい気持ちを取り戻させてくれる。空をまた眺めるようになったし、小さいものに興味を持つようになった。そして、一番大きかったのは、また料理を丁寧に作り始めたことかもしれない。あれ以来、食べられればいいくらいに適当にしか作ってこなかった。誰かと話すということは、ここまで人を変えるものなんだ。この病気になってから、人と関わることの大切さを何度も感じるようになった。
それからというとの、毎日のようにその公園で話すようになった。さすがに雨の日は会わないようにしていたけれど、それ以外の日は会っていた。毎日会ってもカトウさんが色々なことを話してくれて話題には困らない。僕は基本的には聞き役だ。だが、時々自分からカトウさんに質問することもあった。
「カトウさんって高校二年生ですよね。」
「そうだよ。どうして?」
「いや、大変だなと思って。」
その時は、とても悲しい気分になっていた。あれだけ暗くなっていたのに、カトウさんは明るく生きている。その強さが何故か悲しく思えた。
「そんなことないよ!友だちはいなかったけど、今は君がいる。君と話せるだけで私は幸せだし、奇跡が起きたようなものなんだから!」
救われているのは僕の方なのに。本当に……
「ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。」
僕は微笑んだ。本当にこぼれるような笑顔だったと思う。本当に嬉しくて、救われて僕は何も出来ていないのに幸せだと言ってくれる、その幸せで笑みがこぼれてきた。本当に最近は笑顔が増えてきたと自分でも思う。これもカトウさんのおかげだ。
「ねぇ、明日は少し出掛けない?」
「いいですよ。散歩ですね。」
「ふふっ。楽しみにしてる。」
僕も楽しみだ。人とどこかに行くなんて、どれくらいしていなかっただろう。といっても、お互いに透明であるから、行ける場所は限られているのだけど。
「お待たせいたしました。」
待ち合わせの五分前に来たら、カトウさんは先に来ていた。
「大丈夫、今来たところだから。」
言いたいと言っていた台詞に二人で笑いあった。前までは忘れていたようで、「来た来た!」なんて言ってただけだったが、今日は思い出したようだ。
「どこに行きますか?」
「えっとね、適当に歩く予定!」
カトウさんらしい答えだ。カトウさんの隣を歩いてブラブラと宛もなく歩いていく。人通りの少ないところを歩いて話していたのだが、カトウさんは人が来ても話そうとするから止めるのが大変だった。「人が来てますから。」と言っても、「大丈夫だよ!」なんて言うものだから、人がいるところでは話さないようにしましょうと改めて約束した。
そんなふうに話しながら歩いていると、この先動物園と書いた看板があった。
「動物園だって、行ってみない?」
「いや、お金払わないと入れませんよ。」
「え、私達透明だから気付かれないよ?」
「そういう問題じゃないですよ。お金を払わないと入ったらダメなんですよ。」
カトウさんはこう言ったことを平気で言ってしまう人だ。最初に感じた子どもっぽいというところは、こういう所も含まれているだろうなと思う。良くも悪くも純粋で、親以外の人と関わってこなかったからこそ、学べなかったであろう常識というものが抜けている。
少し残念そうな顔をしたカトウさんを連れて、その場を後にした。その後は特に何もなく普通に話して公園まで戻ってきた。
「今日は楽しかった?」
「楽しかったですよ。誰かとどこかに行くのは久しぶりだったので、本当によかったです。」
「よかった。私が動物園の看板を見かけた時、変なことを言ったみたいだったから心配だったんだけどよかった。」
気にしていたんだな。僕はそこまで気にしてはいなかったけど、最後まで気にしていたなら、少し悪いことをしたような気分になった。
「大丈夫、気にしてないですよ。」
「本当によかった。明日は行きたいところがあるから、会わなくても大丈夫?」
「大丈夫ですよ。」
行きたいところ?何かあるんだろうか。
今日は、そのまま帰ることになり帰りながら考え事をしていた。カトウさんはいい人だ。最後まであのことを気にしていたみたいだったし、常識がないだけなら教えればいい。だから、今度からは色々なことを教えていこう。お母さんが教えてくれていたように、僕がカトウさんに常識やしてはいけないことを教えていけばいいんだとそう思った。こんなことを考えるなんて、自分は変わったなとつくづく思う。
最近の僕は家のことをして、カトウさんに会いに行ってと忙しいといえば忙しい生活を送っていた。充実していたと言った方がいいかもしれない。だから、今日カトウさんと会っていない空いた時間が暇に感じる。特にすることもなくテレビを見たりしていたが、頭に入ってこなくてお父さんの部屋に入ってアルバムを見ていた。家族三人で写っている幸せそうな写真や、僕が遊んでいる様子なんかが写っている。どらも小さい頃の写真だ。仕方がないことだけど、大きくなった僕も見せたかった。僕自身もどうなっているかはわからないけれど、成長した僕と三人で写真を撮ることは夢だった。そんなことを考えて、アルバムをお父さんのクローゼットの中にしまおうとした時に、ある服が目に付いた。制服だ。お父さんが通っていたであろう高校の制服。この地域では一番頭がいいと有名な高校のもので、子どもの頃はこれを着て高校に通うんだなんて言っていた。「なら、残しておこうかな。」なんてお父さんが頭を撫でてくれたのが思い浮かぶ。この制服を着ることなんてないのだろう。来年には高校生だというのに治る兆しもない。わかってはいたことだけど、こういう風に一人で色々なことを考えていると実感してしまって嫌になる。
カトウさんに会いたいな。
そんなふうに思ってしまう。僕は今、久しぶりに心を通わせることができる存在が出来て、少し依存しているのかもしれない。話せる存在の大切さがわかってしまったから、頼りすぎてしまっている。でも、仕方のないことなのだろうと割り切ることにした。この時はあんなことが起きるなんて思ってもいなかった。
次の日、僕は会いたい気持ちが抑えきれず家をいつもより早く出た。昨日色々なことを考えてしまったせいだろう。広く澄み渡る空を見上げて期待に胸を躍らせる。今日はどんな話をしてくれるのだろうかと、昨日はどこかに行くと言っていた。その話でもしてくれるのだろ考えながら、足早に公園へと向かう。
公園にはもうカトウさんが居た。家を早く出たというのに、カトウさんはいつから居たんだろうか。
「お待たせしました。早かったですね。」
「うん。ちょっと早く会いたいなと思って!シロヤマくんが早く来るかはわからないのにね。」
少しもじもじしている。どうしたんだろうか、何かあったのだろうかと心配になる。
「これ、君にプレゼント。似合うと思って!」
突然差し出されたものは、クローバーのモチーフが付いたネックレスだった。カトウさんの持っていたものをプレゼントしてくれているのだろうかと思ったが、値札が付いているのが見えておかしいと思った。動物園にお金を払わずに入ろうとしていた時のことが思い浮かんで、まさかなと思ったけど、お母さんに買ってきてもらったという可能性もある。
「カトウさん、それ……」
「私が選んだんだよ。受け取って!」
なんとなくの感覚でしかないけれど、誰かと一緒に買いに行ったものではないような気がする。そうだとすれば、値札は外しているだろう。そして、透明な彼女がネックレスを買うのはおかしいとも感じるはずだ。
「それ、買ったんですか?」
「いや、似合うと思って持ってきたの。」
「家にあるやつをですか?」
信じたくなくて、可能性は低いとわかっていても、そう聞かずにはいられなかった。
「お店にあったやつだよ?」
駄目だった。やっぱりそうだった。悪い予感は当たる物だ。悪いことだと言ったはずなのに。許せなかった。なんでここまで許せないという気持ちになるのかはわからない。でも、この病気をそうやって使ってはいけないとお母さんの優しさが教えてくれていたから、この行為がすごく許せないものだと思うんだろう。
「なんで……」
そんなことするんですか。と言おうとしたが途中で言葉が出なくなる。
「なんでって、喜ぶと思って。」
無邪気に笑って言うカトウさんに怒りを覚えた。他人にこんな感情を抱いたのは初めてかもしれない。
「喜ぶわけないだろ!」
声を荒らげてしまった。そんな自分が恥ずかしく思えて、その場から逃げてしまう。走った。家まで必死になにも考えなくていいように走った。カトウさんは、それが悪いことだとわかっていないだけ、ただそれだけなのにわかっていても許されないと思ってしまう。あれくらいのネックレスなら、手に握りこんでしまえば、僕達にとって盗むのなんて容易いことだろう。でも、僕らはそんなことをしては絶対にいけない。普通の人でも、駄目なことだが透明になってしまった僕らはそれを利用してはいけない。透明になるという死にたくなるくらい辛い状態になっても、この病気を悪いことに利用しては駄目だ。でも、悪いと思っていないのなら、教えてあげればいいだけなのだろう。今回の失敗を活かして二度としなければいい。今日は酷い態度をとってしまったし、逃げてしまったけど、わかってもらう為に話さなければいけない。感情的に否定しているだけでは駄目なんだ。終わって気づく自分の未熟さが嫌になる。でも、せっかく現れてくれた話せる人、きっと純粋無垢なカトウさんなら絶対にしたら駄目なんだと教えればわかってくれるはずだ。明日、謝って話そう。ゆっくりと、わかってもらう為に話そう。もう一度、彼女と向き合うんだ。僕の作ったご飯を食べながら話をしてもいいかもしれないなと、少しは気分が楽になるようなことを考えた。
来てくれるかは分からなかったが、次の日僕はあの公園でカトウさんを待った。あれだけ酷い態度をとったのだから来てくれないかもしれない。でも、来てくれると信じて待つことにした。
「シロヤマくん……」
「カトウさん来てくれたんですね。」
「昨日はごめんね。」
反省しているみたいで安心した。悪いことだとわかってくれたんだ。
「いえ、僕の方こそすいませんでした。戸惑ってしまって。」
僕は言葉を続ける。
「でも、物を盗るのは悪いことですから……」
言っている途中でカトウさんが話し始める。話を聞いていなかったかのように。
「いいの。今日は違うのにしてみたの!」
昨日とは違うネックレスが差し出される。なんで……わかってくれたわけじゃなかったのか……
「なんで……」
その言葉しか出てこない。もう、何を言っても無駄なのかもしれない。
「気に入らなかったんでしょ?だから、今日は違うものにしたの。お金を払ってないけど、誰かの為にしてるんだから許してくれるよ?だからね。」
駄目だった。もう、カトウさんにはなにも見えていない。悲しそうな顔をしているけど、そんなのは関係ない。悲しんでいるから許されるというわけではない。彼女は僕の言葉が頭に入っていない。抜け落ちているようだ。僕が関わってしまったからカトウさんを変えてしまった。もう関わるのはやめよう。ちゃんと向き合うと決めたのに、それでも僕が原因で悪い方に変えてしまった事実は消えてはくれない。向き合ったところで、今の彼女には僕の言葉は届かない。盗むのが悪いとかそんなことを言っても、彼女は誰かの為にしたという免罪符を掲げ気にしてくれない。僕と仲良くしては駄目なんだ。僕が関わらなければ彼女は元の姿に戻ってくれるかもしれない。そう考えてしまう。
「すいません。もう関わらないでください。」
強い言い方だったかもしれない。でも、こうしなければ駄目だと思った。カトウさんの元の無邪気で良い人に戻すには僕がそばに居てはいけないんだ。強く拒絶しなければ彼女は僕を頼ってしまう。
カトウさんに背を向け歩き出すと涙がこぼれた。せっかく話せる人を見つけたのに、心を許せる人を見つけたのに。自分の無力さを恨んだ。自分が嫌になる。そこから、数日家から出なかった。帰っている途中に見上げた空が青くて、広くて、自分の無力さを笑っているかのようで外に出たくなかった。それに、外を歩いていればカトウさんと会ってしまうかもしれない。
やっぱり僕には生きている価値なんてないのかもしれない。そんなことを考え始めて嫌になる。結局逃げているだけじゃないか。話せばわかってくれるかもしれないのに、自分が向き合うのが怖くて、わかってくれなかった時のことを考えて怖くて怖くて、逃げているだけ。ご飯も食べずに自分の部屋から空を見る。今日も青い空だなと思いながら、初めて会った時のカトウさんを思い出す。空を見上げて悲しくなっているはずなのに、なぜだかカーテンを閉じる気にはならなくて暗くなるまでずっと空を眺め続けた。そんな日が二日続いた。あの日からは約一週間が経って僕は外に出ることにした。カトウさんに会ってしまうのが怖くて、向き合うのが怖くて外に出られなかったけど、この一週間カトウさんのことを思い出す日々が続いて、まだ向き合うのは怖いけれど偶然でいいから会えないかと思い、外に出る。あの公園に行く勇気は出ない。だから、出会う前のように宛もなく歩き回っているだけだが、それでも家に籠っていた時よりは気持ちが楽になっていく気がする。今なら彼女と向き合えるかもしれないななんて思ってしまうけど、そんな勇気なんて持っていない。
流石に一日目からカトウさんに会うなんてことはなかった。もしかしたら、カトウさんも家にいるのかもしれない。会うことを怖がっていた僕はそんなふうに出くわさなかったことに少しほっとしながら家に帰った。
次の日、また再会を果たしてしまう。向き合えるかもなんて強がっていただけの僕の前に、彼女は現れた。
ハッピーエンドを私は願う 髙木 春楡 @Tharunire
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