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 体調はずっとよくなかった。でも、その時は突然にやってきた。いつものように、料理を作っているとお母さんが僕を呼んだ。その声はとてもかすれていて、気付けたのは奇跡だったと思う。

「どうしたのお母さん。」

「お父さんを呼んで……お母さんちょっと駄目かもしれない。」

 お母さんはこの時に死期を悟ったのかもしれない。すぐに電話をかけた。

「お父さん、お母さんが……お父さんを呼んでって。なんか体調が悪いみたいで。いつもみたいじゃなくて……」

 どうしていいかわからなくて、しどろもどろになりながら伝えると、『すぐに行くから待ってろ。』と言って電話は切れた。すぐに駆けつけたお父さんが、お母さんを見るとすぐに抱え急いで外に出ていく。

「お前は待ってろ。病院に連れて行くから。」

「わ、わかった。」

 僕は見ていることしかできなかった。気を紛らわせるために料理の続きを作ってみるがすぐに出来上がってしまい、結局ドキドキしながら連絡を待った。家の中をウロウロと歩いてみたりしていると、電話がかかってきた。

「もしもし!お母さんは!?」

 返答はすぐには返ってこない。嫌な予感がする。まさか……

『お母さんは、さっき亡くなった。』

 言葉を失った。理解したくなかった。お母さんが死んだなんて……

『ずっと、体調が悪かったところに、肺炎にもなっていたみたいで、今さっき病院に連れて行って容態が急変してな……すまない。もう手遅れだった。多分ずっと辛いのを隠していたんだと思う。一旦、家に帰るからご飯でも食べて待っていてくれ。』

 電話が切れて、静かな空間が広がる。言葉は出てこない。まだ頭が追いついていないみたいだ。ご飯なんて食べれる状態じゃない。お母さんが死んだ……お母さんが……

 今までのお母さんとの会話を思い出す。あの優しい笑顔を、優しい声を、優しい言葉を。僕は……透明なせいでお母さんの死に目にもあえなかった。見えているならついて行けた。タクシーでも救急車を呼んででもお母さんを病院に連れて行けた。僕が透明なせいでお母さんを死なせた……

 この時は涙も出なかった。実感出来なくて、無くなったという言葉を聞いただけだから、僕は呆然とすることしか出来なかった。実感を持ったのはお父さんが家に帰って来た時だった。玄関が開く音がしてすぐに向かおうとしたが、お父さん以外の足音が聞こえてすぐに隠れる。服を脱いでこっそりと覗くと人が一人入るような箱を抱えた人が入ってきてお父さんと話している。それを置くとすぐに帰っていった。

「タケル、居るんだろ。」

「あの人達は?」

「お母さんを運んでくれたんだ。」

 お母さんを……ということは、あれにはお母さんが入っているのか。

「こっちに来なさい。見れる時間は限られているからな。」

 見たくなかった。これを見てしまえば、いやでも実感してしまう。でも、見なければ後悔するだけだ。近付いて箱の中を覗くとお母さんが居る。優しい顔をしていたお母さんは、今にでも動きそうなのに、静かに寝ているだけで動くことはない。今までのことを思い出す。お母さんと料理を作ったこと、話せないし何も出来ないけど、二人で買い物に行ったこと。透明になる前、公園で一緒に遊んだこと。透明になって酷いことを言ってしまったこと。病院に行く前の辛そうな顔。涙が止まらなくなった。次々に零れ落ちていく。泣きじゃくる。小さな子どものように泣きじゃくった。止められなかった。そうすると、お父さんが抱き締めてくれた。透明な僕だけど、声がする位置でどこにいるのかわかったのだろう。久しぶりに、お父さんに抱き締められた。とても温かくてお父さんにしがみついて今までの涙を全てを流し切るように泣いた。多分、お父さんも泣いている。その姿を見せないように。

 その後のお父さんは忙しそうだった。色々なところに電話をかけている。僕は何も手伝うことはできずに、お母さんを眺めていた。こういう時に、自分の無力さが嫌になる。透明だから、何も出来ない。わかっていることではあるけれど、それが実感出来てしまい辛くなる。僕は葬儀には参加出来ない。一人で行くことは出来るが、ただ見ることしか出来ない。それでも、行かないという選択肢は僕にはなかったから、参加してお母さんの友人や僕のおばあちゃんとおじいちゃんの様子を見ていた。お母さんがどれだけ好かれていたかわかる場だった。来ている人の悲しみの表情を見て涙が出る。だから、外にいることが多かった。

 葬儀も火葬も終わり、久しぶりに家でゆっくりとする時間が出来て、お父さんと二人でご飯を食べた。僕がお母さんに教えてもらった料理を二人で食べる。

「これからも家に帰る頻度は変わらないと思う。苦労をかけるだろうけど、いるものがあれば買っていくからなんでも言ってくれ。」

「わかったよ。心配しなくても大丈夫だから。」

 僕はお父さんとの会話の仕方を忘れてしまったみたいだ。お母さんが居ないと会話が続かない。二人で黙々と料理を口に運ぶ。どれもお母さんの匂いのする料理で胸がいっぱいになる。食べ終えるとお父さんが、「俺が片付けるから」と食器を洗ってくれた。

「すまんな。タケルの病気は絶対に治すから。」

「うん。」

 そんな返事しか出来ない。何と返せばいいのだろう。

 次の日の朝、お父さんは病院へ向かった。

「お母さんの代わりにこの家のことはよろしくな。それじゃあいってきます。」

「任せといて。いってらっしゃい。」

 今日から、お母さんの居ない一人の生活が始まる。することは変わらない。寝ていることの多かったお母さんの代わりにほとんど僕がしていたから。でも、話す相手の居ない家は広く感じて、とても寂しかった。

 勉強していても教えてくれる人は居ない。僕は空いている時間に外に出ることが増えていった。宛もなく歩くだけだが気を紛らわすことは出来た。もう、四月になり新入生らしい人が歩いているのを見ることが増えた。楽しそうに歩いているそんな人たちを見て、今日も一人歩く。誰とも関われないこんな状態で生きている意味はあるのだろうか。お母さんを悲しませないように生きてきた。それを失って僕はなんの為に生きているのかもわからなくなっている。下校している生徒が多くなる夕方、一人で歩いていると独りなんだという実感が強くなる。夕日の落ちる暗くなる前のその時間が嫌いになっていった。

 生きる意味を考える孤独な僕は唯一の生き甲斐が料理になっていった。簡単に作れるものから手の込んだ料理まで様々なものを作って食べるのが、全てを忘れられる時間だった。多分、料理の腕前はあがっていると思う。

「この料理、お母さんにも食べさせたかったな。」

 思わず溢れ出た。お母さんなら「すごい!お店に出てくる料理みたい!」なんて言って笑顔で食べてくれるんだろうな。あの笑顔が好きだったから、料理を作るのが好きになったんだよな。どうせなら色々な人に食べてもらいたい。治ったら料理人になってみんなを笑顔にさせたい。治ることがあれば……なんだけど。

 医学は進歩していっている。でも、認められてもいない病気を治す術なんて研究されていないだろう。お父さんはしているかもしれない。その友だちも。でも、それだけの力でどうにかなるものではないだろう。治ることなく十八歳までには死んでいく。一人誰にも看取られずに。そんな未来を想像すると本当に嫌になる。死んでも誰にも見つけてもらえないどころか、葬儀だってされない。今の僕ならお父さんの記憶に残るだけで終わってしまうのだろう。こんなことを考え出すと止まらなくなってしまう。ダメだ。マイナスな思考は止まらない。もしかすると、こうやってマイナスなことばかり考えてしまうから人知れず自殺している人も多いのかもしれないなと思った。今はまだ自殺したいなんて思わないけど、このまま一人で居続ければもしかしたら、そういう気持ちになるのだろうなと思う。


 夏になり、この頃はお父さんが帰ってくる回数はさらに減っていた。帰って来ても買ってきたものを置いてそのまま行ってしまうことが増えた。家に居たくないような感じだったが、お母さんを思い出すから辛いのだろうと思って納得していた。そんな時に一度ゆっくり帰ってきたことがあって、久しぶりに二人でご飯を食べることになった。

「料理を作るの上手くなったな。」

「料理を作るの楽しくて、手の込んだものも作るようになったんだ。」

「そうか。」

 前までの元気なお父さんはいなくて、厳格のある父という感じになっている。そんなお父さんの笑顔が見たくて

「治ったら、料理人になりたいな。食べた人をえがおにできるし。」

 そう言ったのに、お父さんは僕の顔がある方を向いて難しい顔をした。

「そんな意味のないことをしないで、勉強でもしろ。」

 低い声で厳しくそう言われた。まさかそんなことを言われると思ってなくて黙ってしまった。未来に向けて希望を持っているような姿を見せたら、喜んでくれると思ったのに、まさか怒られるなんて……ショックだった。生きている全てを否定されてしまったような気分になる。そのからは会話もせず、いや出来ずに二人とも黙っていた。食べ終わるとお父さんはすぐに家を出る準備をし始めた。

「俺は病院の近くに部屋を借りたから、あまり帰らなくなる。食べ物は届けるから。」

「わかった……」

 もう、家にはあまり帰らない。お母さんを思い出すからだけではないみたいだ。僕に会うのが嫌だというような感じがする。そして、発揮の意味ないことをしないでって言葉からもわかる。もう、僕を治すことは無理だとお父さんが思っていることが。諦められたんだ。本当に生きている意味がなくなってしまった。治らない、いつ死ぬかもわからない、更には十八歳までは生きられない。死んでいく意味はえない僕はなんなのだろう。

 生きていく意味はとっくに失っていた。でも、どこかに治るかもしれないという気持ちがあったのだろう。だから、今まで頑張ってこれた。お母さんがいなくても我慢できた。それと、もう無理だ。寂しさが込み上げてくる。涙が自然に流れ落ちる。一人で泣いた。一人で、静かな部屋で、治っ誰にも抱き締めてもらえず、ただただ泣き続けた。

 泣いても何も変わらなかった。寂しさが埋まるわけでもなく、誰かに慰めてもらえるわけでもない。ぽっかりと空いてしまったこの心が埋まることはない。でも、死ぬ理由もないから死のうとは思わなかった。そして、僕の何をするでもない時間が始まってしまった。何も考えずに外を歩き回って、朝まで帰らないこともあった。それを心配する人も今はもう居なくて、それが更に寂しさを増やす。そんなことしか出来ずに心を失っていったような気がする。

 何に対してもやる気が起きずに、ただただ生きているだけの生活を続けて秋になった。毎日よ同じような生活を続けていると時間が経つのが早く感じるが、意味のないものでしかない。その生活に変化が起きたのは、いつも通りに過ごしていた時だった。下校する生徒を見ながら、人とぶつからないように間をぬけながら歩いていると、視界に僕のことを見ながら人の間を走ってきている人がいて、気のせいだろうと思ったけれど、確かにこっちを見ている。邪魔にならないところに止まっていると一直線にその女の人は僕のところに来た。高校生だろうか。僕よりは歳上に見えるが大人っぽくはない。

「あの、こっちではなしませんか。」

 僕にだけ聞こえるくらいの小さな声でそう言われた。でも、透明な僕がどうして見えているのだろうか、わかるのだろうかと考えていると、返事をする前に手をとられ走り出した。すぐに裏路地に入ると近くにあった公園まで、そのまま引っ張られた。その公園は寂れていて、人が来ている様子があまりない場所だった。家の近くにあるあの公園みたいだ。

「私、カトウっていうの。えっと、新手のナンパとかじゃなくてね。ただ気になって、同じなんじゃないかなって、思ってね。」

 カトウと言ったこの女の人は、言い訳をしているかのように焦りながら話している。同じ……?もしかして透過症のことを言ってるのだろうか。

「どうも、シロヤマって言います。同じかもって言うのは?」

「私、透過症っていう病気でね、他の人には見えないの。でも、あなたの歩く姿が周りの目を気にせずに、でも他の人にぶつからないように歩いていたから、もしかしたら同じ人ならって思って話しかけたの。」

「でも、カトウさんは、服を着て……」

「シロヤマくんも着ているように見えるよ?」

「え……?」

 どういうことだ?服を着ているように見える?それに同じ透過症同士なら見えるってことなのか……?

「僕は、どんな服を着てますか?」

「えっと、白無地のTシャツに黒いジャージのズボンを履いているように見えるよ!」

 家を出る前に着ていた服だ。服を脱ぐ前の姿です見えてるってことなのかな。

「カトウさんは家を出る前、キャラクターの描いているTシャツに白いスカート姿でしたか?」

「え、そうだよ!かわいいクマのTシャツに、この前お母さんが買ってきてくれた白いスカートを履いてたよ。もしかひたら、その格好に見えてるの?」

「はい、そうです。」

「前に着てた服が見えてるんだね。すごい!」

 明るい女の人だな。透明で誰からも見えない状態だったはずなのに明るい。とても僕には真似が出来ない。

「私は、十七歳で、高校二年生の歳なんだけど、シロヤマくんは?」

「僕は、十五歳で、中学三年生です。」

「やっぱり、歳下なんだね。今日はなんであんなとこを歩いてたの?」

「いつも散歩をしてて、偶然あそこを歩いてました。」

「そうなんだ!私と一緒だね。」

 さっき話し始めたばかりだけど、ぐいぐいと質問をしてくる人だ。透明だから人との距離感が掴めていないのかなと思ったが、その遠慮しない感じが今は楽でよかった。その後もどんどん質問してきて、僕はそれに答えるだけのような感じになっていた。カトウさんもやはり僕と同じく小学校に上がる前に発症していて、今まで自分のことを見えている人に出会ったことは初めてみたいだった。久しぶりに人とちゃんと話して盛り上がってしまい、いつの間にかあたりは暗くなっていて、僕は家に人がいないからいいが、カトウさんは違うだろう。

「カトウさん、そろそろ帰らないと心配されるんじゃないですか?」

「あ、本当だね。いつの間にか暗くなっちゃってる!帰ろっか。」

 明るく「ばいばい!」と言ってカトウさんは帰っていった。多分普通の生活をしていたら、人気が出ているような人だろう。美人だし明るくて人を笑顔にする力を持っていると思う。話していて楽しかった。お母さん以外できちんと話をしたのは久しぶりで緊張していたけど、カトウさんがあんな感じだから、すぐに普通に話せるようになった。また明日も会う約束をしたから、楽しみだなと思いながら家に帰った。久しぶりに明日が楽しみだという感覚を持った気がする。それもそうだ、惰性的に生きてきて、誰とも関わっていなかったのだから。

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