第二章 過去1

 小さい時の記憶は、あまり残っていないものだと思う。でも、その頃の記憶は鮮明に残っていた。六歳になった頃、医者であるお父さんは、あまり家に帰ってこないから家にいる間はずっとくっついていた。優しいお父さんと、それを支えるお母さん。理想的な家族だったと思う。患者からも好かれていたお父さんは家に帰る時間は短かったけど、時間が少しでもあれば帰ってきてくれていた。

「僕ね。お父さんみたいな人になる!」

「お医者さんになるのかな?」

「うーん、お医者さんじゃなくてもお父さんみたいに、皆を笑顔にできる人になりたい!」

「そうか、お医者さんじゃなくても、笑顔には出来るもんな。これから、タケルの大切なものを探していかなきゃな。」

 大切なものを探す。小さなかった僕にはまだ難しいことを言っているなと思っていた。そんな二人をお母さんは優しい目をして見ていたのを覚えている。多分はっきりと覚えていられたのは、この時が一番幸せだったからかもしれない。そんな日常が変化し始めたのは僕が小学校に上がる前からだった。

 その時期、体調が悪くなった。僕自身あまり病気をしない子だったから、「お父さんが帰ってきたら見てもらいましょ。」お不安そうにしていた僕をお母さんがあやしてくれた。

 その日、偶然早く帰ってきたお父さんはすぐに診てくれた。

「まぁ、風邪だろうけど、そんなに熱も高くないし喉が腫れているわけでもないし、一応明日詳しく病院で診るから朝連れてきてくれ。」

「わかった。診てる間に買い物しておくから、少し待ってもらうかもしれないけど。」

「近くに公園もあるし大丈夫だろう。な、タケル。」

「うん!僕一人で待ってられるよ。」

 微笑ましいくらいに幸せな家庭だと思う。

 次の日、お父さんの働く病院に行くとすぐに診断を終えた。「何も問題はないな。」とお父さんは言い、僕は安心して近くの公園でお母さんを待っていた。小さい子どもというのは、何にでも興味を持つし、一人で遊んでいても退屈しないものだ。お母さんを待つ間も走り回ったり、アリの行列を眺めたりと色々なことをしていた。

「お待たせ。帰るよー。」

 声がした方を見ると、買い物袋をぶら下げたお母さんが立っている。

「お母さん!」

 すぐに駆け寄っていき手を繋ぐ。優しく微笑んでくれるお母さんが大好きだ。

「お父さんはなんて言ってた?」

「何も問題はないなって言ってたよ。ちょっと熱があるだけで今も遊べてたし!」

「そっか、よかったね。じゃあ、お昼ご飯はどっかで食べて帰ろっか。」

 そんな些細なことが幸せだった。あまりしない外食をすることになると、「作るのがめんどくさいわけじゃないからね。」と笑うお母さん。おどけて見せるお母さんの真似を僕はしていた。外食がこの日で最後になるなんて、その時の僕は思ってもいなかった。

 その次の日、また体調が悪くなって寝込んでいた。お父さんは長引いているだけだろうと言っていたけど、僕は不安でたまらなかった。お母さんは隣で手を握ってくれていたり、お粥を食べさせてくれたりしてくれていて、お母さんの「大丈夫だよ。」という言葉に少しだけ救われていた。

 そこから数日して体調が良くなった後、外に遊びに出て帰ってきた時に初めて異変に気付いた。

「お母さん!」

 シャワーを浴びた後、裸のままお母さんを呼ぶ。

「どうしたの?」

「僕の身体……透けてる。」

 よく見ないと分からないくらいではあるが、後ろの壁が薄らと見えているのだ。

 怖い……怖い怖い怖い。僕は死んでいるの?もう、生きてないの?涙がこぼれ落ちて嗚咽する。言葉なんて出てこない。

「大丈夫、大丈夫だからね。」

 お母さんは服を着せて、すぐに電話をかけていた。多分お父さんだろう。その電話をかけている時、僕は泣くことしか出来なかった。少しは落ち着いたかと思っていた。でも、まだ怖くて泣き続けていた。

「お父さんのとこで検査していいみたいだから行こうね。大丈夫だからね。」

 頷くとお母さんに手を引かれて病院へと向かう。

 夕方に帰ってきたのもあり、もうすぐ診察時間が終わるからゆっくり検査をしてくれるみたいだ。病院に着くと「待っててくださいね。」と受付のお姉さんに言われて待っていた。そうするとお父さんが急ぎ足で来た。

「透けているってどういうことなんだ。」

「服を脱いだ方がわかりやすいんだけど……」

「それじゃあ、こっちで。」

 問診室に着くと服を脱ぐ。お父さんにも透けているという言葉が理解出来たのだろう。言葉を失っている。

「詳しく検査してみよう。」

 その後、採血やレントゲンをとったり、他にも色々な検査をした。結果が出るまで時間がかかるみたいで、問診室で待っていた。

「お母さん、大丈夫かな……?」

「きっと大丈夫だよ。何かあってもお父さんが治してくれるよ。お父さん凄いんだから。」

「そうだよね。お父さん凄いもんね。」

 お父さんは凄い。だから大丈夫なんだ。そう信じることで少しだけだけど、元気が出た気がする。病は気からと言ってたのを聞いたことがある。だから、前向きになろうと思う。お母さんの方を見ると、いつもの笑顔ではなく少し顔が強ばっている。僕に大丈夫と言っててもお母さんが一番心配してくれているんだ。なんだか少しだけ嬉しくなって安心させるためにも手を握った。こっちを向いて笑うと握り返してくれる。少し顔が元に戻ったと思う。その顔の方が僕は好きだ。気を紛らわせるためにも楽しい話をしようと思った。

「よくなったらさ、動物園に三人で行きたいな。」

「動物園か、もうどれくらい行ってないかな。そうね。お父さんと三人で行かなきゃだね。」

「僕、ライオン見たいんだ!」

「カッコイイもんね。お母さんはパンダみたいなかわいいのが見たいな。」

「お母さんパンダに似てるよね!」

 やっと二人に笑顔が戻ったと思う。二人で笑いあっているとお父さんが入ってきた。

「何を楽しそうに話してたんだ?」

「お父さん!三人で動物園に行きたいなって話をしてたんだよ。」

「動物園かいいな。時間が出来たら行こうな。」

「結果はどうだったの?」

 さっきまでのお父さんの顔ではなく、お医者さんの顔になった。

「一応身体に異常はなかったんだけど、おかしいことには違いないから調べておくよ。」

「異常はなかったんだね。よかった……」

 お母さんが安心したのか今まで入っていた身体肩の力が抜けたみたいだった。僕も安心して涙が出てきてしまいそうだったけど我慢した。久しぶりに三人でご飯を食べる。お父さんは帰っては来るけど長く帰って来れなかったり、遅くなったりと一緒にご飯を食べることは少なかった。そんな珍しくて嬉しい食事は久しぶりでたくさん喋った。今までも、お喋りな方‪だとは思っているけど、今まで以上に話をして賑やかな食卓になった。そんなに幸せなことは、この時が最後だったように思う。

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