3
いつもの公園に行くのが少しだけ憂鬱だった。彼は明日には元に戻っていると言っていたけど、もしこれで仲が悪くなってしまえば、私にはどうすることも出来ない。そんなのは嫌だった。でも、私にはどうすることも出来ない。かといって逃げ出してしまえば、話せなくなるという点では同じだ。行くのが怖い。でも、そんな不安も、彼は吹き飛ばしてくれた。
「お待たせ。今日も暑いね。」
本当に何事もなかったかのように話しかけてくれた。それが嬉しくて、でも苦しくて、彼の優しさに溺れてしまいそうだ。
「確かに暑い気がするね。透過症にはぬてから、暑さとか寒さとかあんまり感じないんだけど、今日は暑くさ感じる。」
「そうなんだ。寒さまで大丈夫なんて、どうなっているんだろうね。」
「この身体は身体で便利なんだよね。困るのは見えないことだけで。」
こんな普通の会話が出来る幸せ。これも、彼が優しいからだ。いつも気遣ってくれて、今だってあんな雰囲気にしたのは私なのに仲良く話してくれる。本当に感謝しかない。
私ももっと彼に想いをぶつけよう。なんでも話してくれるような仲になろう。そう決めた。
「シロヤマくん、今度の日曜遊ばない?昨日はあんな感じになっちゃったし。」
「いいよ。僕も誘おうと思ってたんだ。昨日は僕が悪かったしね。」
「よかった。断られるか不安だったんだ。」
「そんなわけないよ。」
優しく微笑んでくれる彼は、本当にいい人だと思う。こんなに優しい彼に友だちがいないなんて、周りにいる人たちは見る目がなさすぎる。
「よかったらなんだけど、僕の家に来てご飯食べない?」
「え……?」
家?大丈夫なのかな。親とか……私見えないのに。当然の提案に戸惑ってしまう。
「親は家にいないし、外でご飯を食べることは出来ないからさ。それに、僕料理人になりたかったから、料理を作るのは得意なんだ。この前のお詫びも兼ねてどうかな?」
「とても嬉しいよ!迷惑でなければ行きたいな。」
「じゃあ、今度の日曜だね。」
結局今日も、彼に助けられている気がする。自分から誘うことは出来たけど、私の感謝と償いのつもりが彼にご飯を作ってもらうことになってしまった。なにか私に出来ることはないかな。
少しだけ彼の優しさが痛かったけれど、今は楽しみな気持ちが大きくなっている。この前と同じように日曜を待ち遠しく思う。
その日から彼にできることを探した。彼が料理を作ってくれるなら、私は何をしよう。見えないから出来ることは少ない。だけど……私の得意なことをひとつ思い出した。これにしようと決め、早速準備にとりかかる。
その日から時間が経つのが早く感じていた。いつもの場所で彼と話して、家に帰れば作業をする。そしてなにより、楽しみで仕方がなくて、その日はすぐにやってきた。
今回も早く起きてしまった私は、彼にまたかわいいと言ってもらえるだろうかと考えながら、かわいい服を着ていた。鏡には、かわいい服が浮いているように映っている。そんなことをしていると、お母さんが部屋に入ってきた。
「一人で何してるの?」
「べ、別にいいじゃん。日曜くらいデート前の女の子の気分になっても!」
「ヒロコも女の子だね。」
そして、「ごゆっくり。」なんて言いながら出ていく。そのお母さんの姿はごどこか嬉しそうに見えた。私はすごく恥ずかしかったけど。
そろそろ準備をしようと服を脱ぐ。お母さんに「いってきます。」とだけ言って外に出た。いつも通りの風景が広がっているはずなのに、いつもより輝いて見える。これが俗に言う恋をすると世界が輝いて見えるというものなのかもしれない。私はきっと恋をしている。
早く出てしまったからゆっくり行こうと思っていたのに、スキップなんてしてしまい走っている子どもにぶつかりそうになってしまった。浮かれすぎだ。気を付けようと思いながら、スキップで公園まで向かう。
この前早く着きすぎてしまったのもあり、遅く出たつもりだったが結局三十分前に着いてしまった。シロヤマくんが先にいるかな、なんて思ったがまだ居ないようだ。だけど、直ぐに彼は現れた。
「今日も早かったね。次こそはと思ったんだけど。」
「少し遅めに出ようと思ったんだけど、早く出ちゃって。」
最近彼と話していると、自分が透明なことを忘れそうになる。目が合っていると思うことが増えたとかではなく、私に向けて話しかけてくれることが当然のようになってきたからだ。でも、彼といる時だけでも忘れられるのならいいことだと思う。自分なんて……と自身の存在を卑下するよりはいい。
「それじゃ、行こうか。でも、少し早いから遠回りしていこう。」
「うん。お腹空かせないとね。」
いつもの公演を出る時とは、逆に方向に進んでいくのは新鮮だ。この方向にはほぼ行ったことがない。でも、そんな見知らぬ道をシロヤマくんの後ろをついて歩く。それはデートのようで恥ずかしくなる。
周りから見えていたなら、カップルに見えてるのかな。そんなことを考えていた。
「ヤマグチさん?」
「え!?あ、はい!何か話しかけた?」
自分の思考に集中していて、話しかけられていることに気づかなかったようだ。
「こっち側には来たことあるのか聞こうと思ったんだけど、読んでも返事がないからはぐれたのかと思ったよ。」
「ごめんなさい。考え事をしてて聞こえてなかった……」
一人で変なことを考えるのはやめよう。恥ずかしくなるだけじゃなく、迷惑をかけてしまう。私は見えていないのだ。話しかけて、返答がなければ心配するのは当たり前だ。気をつけなくては。
「えっと、シロヤマくんはこの辺に住んでるの?」
話を聞き逃したのだから、挽回しようと自分から話を振ってみようと思ったのだが、当たり前のようなことを聞いてしまった。だけど、これが出てくる精一杯の話題だった。
「そうだよ。小学校に入る前くらいに、親の働いている病院が近くにあるこの辺に引っ越してきたんだ。」
「え、お医者さんなの?」
「父親がね。近くの大学病院で働いててさ。ほとんどこっちの家に帰ってこないんだけどね。」
「それは……寂しいね。」
「まぁ、そうだね。」
また彼の顔を曇らせてしまった。親のことも聞かれたくないことだったのかな。
「ヤマグチさんの親御さんは何してる人なの?」
「お母さんは、スーパーでパートしてて、お父さんは詳しくは知らないけど、スーツ着てるからサラリーマンなのかな。」
私の話を聞く彼の顔はいつものような優しい顔に戻っていて安心する。だけど、気を遣わせてしまったかなとは思う。私の家庭環境はごく普通と言われるようなものだろう。でも、彼はきっと違うのだと思う。最近見せる暗い顔。いつも笑顔を浮かべている彼は無理をしている時もあるのだと思う。だから、今みたいに気を遣うのではなく、私に話してほしいと思う。そんなことは口には出せないけど。でも、たとえ話してくれなかったとしても楽しませたい。私と居る時は安心してほしいから。夏の日差しに彼の輝いている笑顔を重ねながらそう思う。
その後、たわいもない会話をしながら歩いた。彼の家がどこにあるかはわからないけど、三十分くらい歩いたところで、「そろそろ着くよ。だいぶ遠回りしたけど、楽しかったからゆるしてくれるかな?」なんて笑うから、私はずっと散歩しててもいいなと思った。けど、彼の作るご飯も食べたいし、ずっと握りしめているこの手も疲れてきたところだからそうも言っていられない。
外観がとても立派な二階建ての家に到着して、さすがお医者さんだ……というなんとも小学生のようなことを思った。「入っていいよ。」と通してもらった玄関も広く綺麗で絵画が飾られている。自分の家と比べ、いい家だなと思うことかか出来ない自分の頭を残念に思う。
「ソファに座ってて。」
リビングに通されると彼はテレビをつけ台所へと向かった。
「何か手伝うよ。」
「いや、ゆっくりしてて!この間のお詫びなんだから。」
そう言われても、友だちの家に来ることが初めてで緊張してしまいゆっくり出来ない。そわそわと周りを見渡していたが、リビングなのに変に小綺麗で生活感がない。他の人の家はこんな感じなのかなと思ったが、お父さんがあまり帰ってこないと言っていたのを思い出し、一人でいることが多いからなのだろうと思った。なんとなく寂しさを感じる。
テレビの音も耳を通り過ぎていくばかりで落ち着かず、時間が経つのが遅く感じる。彼が一人でこの家にいる時の感覚を垣間見た気がした。だから、少しでも楽しませようと思った時、台所からニンニクのいい香りが漂ってくる。
「いい匂い!」
「もうすぐ出来るよ。ある程度準備しておいてよかった。」
「とってもお腹すいてきちゃった。」
台所からから彼の声が飛んできて、それだけのことなのに嬉しくなるのは両親のことを思い出すからだろう。いつも二人は台所とリビングで仲良さそうに声を飛ばしあっている。そんな憧れていた空間に私がいる。料理をしている側と待っている側は、男女逆だとしても満足だった。こんな風になるなんて前の私に話しても信じないだろう。
いい匂いが部屋にたちこめると同時に緊張や不安は気持ちは消えていく。彼がテーブルに料理を持って来る。美味しそうなべペロンチーノやスープを見るとさらに幸せでいっぱいになっていく。
「美味しそう!」
「多分味の方もいいと思うけど、ヤマグチさんの口に合うかな。」
少し不安そうにしているが、これが美味しくないわけがない。匂いの時点で満足しそうなほどだ。よだれが出てくる。ここまでの料理が作れるようになるまで、どれくらいの時間をかけてきたのかはわからない。それでも、きっと誰かの為に必死に努力したんだろう。
だからこそ、こんな料理を作ってくれたからこそ、私も彼に何かしてあげたかった。料理を作ってくれると言ってくれた時から、なにかしたくて自分の出来ることを考えた。
「よし、食べようか。」
「ちょっと待って、渡したいものがあるの。」
「え?」
ずっと他の人から見えないように握りしめていたものを渡す。彼の顔が驚いたような、でもどこか怖がっているように見えた気がした。
「これは……?」
「こないだのお詫びと料理を作ってくれるお礼に作ってきたの。家にいることが多かったから、お母さんが小物作りを教えてくれて、何かプレゼントって思った時に買い物は出来ないから、これしかないって思ったんだけど、手作りだからしょぼいかもだけど。」
この言葉を聞いて、彼の顔は明るく輝いた。
「ありがとう。すごいね!クローバーのストラップか。本当にありがとう!」
本当に喜んでくれているみたいでこっちも嬉しくなる。だけど、プレゼントを見つめる彼の目が少し寂しそうに見えた。
「プレゼント嫌じゃなかった?」
聞くのに少し躊躇いもあったけど、喜んでくれているのか好みじゃなかったりしないだろうかと、不安になってしまい聞いてしまう。
「そんなことないよ。ただプレゼントは……亡くなった母親から貰って以来だから、懐かしくなっちゃって。」
「そうだったんだ……」
私の行動は、また裏目に出てしまったのだろうか。
「本当に気にしないで!これは嬉しくてだから!本当に!」
「本当?」
何度も聞いてしまう自分が嫌になる。自信がなく人と関わることのなかった私はこうしないと、不安でたまらなかった。彼を楽しませようと決めたのに。
「大丈夫だよ。だから、今度は僕のお詫びの方を楽しんでもらおうかな。」
そう言って彼はお皿を指さす。
「そうだね。せっかくの料理が冷めちゃうもんね!」
私も精一杯元気に言う。そうだ、私が不安そうな顔をひていれば彼も楽しむことは出来ないだろう。彼の笑顔を見るために私も笑うのだ。
「うん、食べよう!」
彼にはやっぱり笑顔が似合う。だから、この顔をずっと見ていたいのだ。
「いただきます。」
二人声を合わせ笑顔で食べ始める。暑いのが苦手な私にはちょうどいい温かさになっているペペロンチーノを口に運ぶ。匂いからわかっていたが、やはり美味しい。にんにくの風味がほどよく、ひとくちふたくちと口に運んでしまう。
「美味しい!本当に美味しいよ!今まで食べたどの料理より美味しいって言える!」
「そんなに?嬉しいな。」
「テレビに出てるお店の料理みたいだし、最後の晩餐はこれがいい!」
本当に美味しくて、テンションが上がってしまう。でも、こんなに料理が上手くて好きなのに、「シェフになりたかった」なんて言い方をしたんだろう。聞いてみてもいいのかな。そんな考えも彼にはお見通しだったのか、彼が話し出した。
「前に言ったけど、僕はシェフになりたかったんだ。こんな風に料理を食べた人を喜ばせたくて。でも、父親がそんな意味のないことしないで、勉強しろって言ってさ。唯一応援してくれてた母親も中学に上がってすぐに死んでしまって、もう諦めてるんだ。」
「そうなんだ。無責任なことは言えないけど、自分の夢を叶えられるなら、諦めない方がいいよ。」
こんなに美味しい料理が作れて、それを夢にしていても親から反対されれば、叶えるのは難しいのかもしれない。でも、私はこの身体だから夢を持っても叶えることは無理だ。諦めてほしくない。夢を叶えてほしい。これは、私のわがままだ。こんなことを言えるのも、自分からはほど遠い悩みだからなのかもしれない。他の人には違う壁がある。そんな当たり前のことを今思い出した。
「ごちそうさまでした。」
いただきますと同じように二人で揃えて挨拶をした。あまりの美味しさにすぐに全ての料理を食べてしまった。私は準備してくれたお礼にと食器を洗うことにした。その様子は彼なら見れば、お皿が勝手に動いているように見えるのだろう。だが、私がそこに居るのがわかっているからか、驚いている様子はない。そんな私の存在を当然のように扱ってくれるのが嬉しい。
片付けが終わる頃には、昼の二時を過ぎていた。話しながらだったのもあり、少し時間がかかってしまったようだ。
「そろそろ帰る?」
一息ついていると彼がそう言った。
「そうだね。少しゆっくりしたし、そろそろ帰ろうかな。」
「いつもの公園まで送っていくよ。」
「ありがとう。」
公園へと向かい始めると、彼との距離が来る時より物理的に近い気がして嬉しくなる。とはいえ、私のことが見えていないのだから、私が近づいているのかただの気のせいなのだが、今日遊んだことで心の距離が近付いたような気分になった。
「また、こうやって遊ぼうよ。今度は少し遠くに行ってみるのもありかな。歩いて行ける距離だけど。」
「そうだね。遊びたいな!思い出に残るようなところがいいな。」
「それなら、僕の好きな場所があるんだ。次はそこに行こう。」
「楽しみにしてるね。」
なんだかこんな会話をしていると普通のカップルのようだ。この感じが心地よくて幸せを感じる。もっと彼のことを知りたい。でも、だからこそ、私の話もしなきゃいけない。今度、その彼の好きな場所に行った時にでも話そう。私がどう思って生きてきたかも全部。
「着いたね。」
「うん。楽しかった。ありがとう。」
「僕こそありがとう。プレゼント大切にするよ。」
「それじゃ、また明日。」
「うん、また明日。」
幸せだった一日が終わる。家に帰っても余韻が抜けない。彼と話していた時間を思い出してニヤニヤしてしまう。彼と話していると、本当に普通の人のような感じがして楽しい。これからも、もっと仲良くなっていくのだろう。
彼にとってもかけがえのない存在になりたい。そうやって、私は彼とのハッピーエンドを願った。
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