第53話 十年目の結婚記念日とお花見
「見てください、由美子さん。桜ですよ」
「え、ああ。本当ね。もうそんなに咲いてたのね」
季節が春になっているのは薄々感じていた。だけど年度末の忙しさにすっかり季節感を忘れていた。
涼子ちゃんが社会人になり、結婚した。それからずっと一緒だった。喧嘩したこともあるけど、殆どは仲良くやってきた。涼子ちゃんといればいつも幸せで、足りないと感じたことはなかった。
今日は涼子ちゃんは仕事が休みと言うことで残業する私をわざわざ迎えにきてくれたのだ。そう言ういまだに過保護なとこ、すごく好きだしときめく。
もうアラフォーになろうというのに何を言ってるのかと言われるかもしれないけど、私はいまでもずっと、涼子ちゃんに恋をし続けている。
こうして涼子ちゃんと川辺を歩くと、いつもの味気ない帰宅じゃなくてなんだか夜の散歩と言う感じで楽しくなってくるのだから、私って本当に涼子ちゃんのこと大好きだなぁ。なんて自分でもちょっとおかしくなるくらいだ。
公園の横の街灯のあたりで立ち止まって、公園の柵からはみ出ている桜を見上げる。普段なら、桜だと気づいても立ち止まらないだろう。だけどこうして立ち止まって向き合ってちゃんと見ると、暗い夜空をバックに照らされながら咲く桜は、過去に何度も見ていてもまた、はっとするほど美しい。
「……ほんと、綺麗ね」
「ですねっ」
思わず見とれる私に、横から元気な声がかけられる。肩をふれさせて腕に抱き着かれる。横を見ると涼子ちゃんは週末なのに疲れを感じさせない顔で笑い、それから桜を見上げた。
「……」
いくら夜で人気もないとは言え、こんな公道で密着するのはいかがなものか。普段ならそう言ってすぐにやめさせただろう。だけどすぐ近くで桜を見上げる涼子ちゃんに、私は見とれて口に出せなかった。
改めて見て、涼子ちゃんは綺麗だ。三十を越えて、涼子ちゃんは益々美しくなった。年の差は感じなくなるどころか、年々感じてしまうほどだ。あと何年たてば気にならなくなるのかしら。
だけどそう感じるほどに、こんなに美しい彼女が私の前では愛らしく、いつまでも眩しいほどの可愛らしく傍にいてくれる。そう言う優越感のような心地よさも感じるのだ。
「あ、月も出てきましたね」
「そうね」
言われてもう一度上に目をやる。桜の向こうの雲が晴れ、月が出てきた。
何ということもない。私と涼子ちゃんは結婚してからも長い時が流れた。一緒に月を見たことだって何度もある。
だけど、そうできなかったこともあったのだ。涼子ちゃんが学生で一緒に住めない時。珍しい色の満月と言う建前で長電話をしながら一緒に夜を過ごしたことがあった。
あの頃は私もまだ幼くて、夜に涼子ちゃんの声が聞こえ、言葉を交わせる。それだけでドキドキして楽しかった。
「ふふ、綺麗ね」
それを思い出して、おままごとのような恋愛の可愛らしさにおかしくなる。
今はもう、それだけじゃ我慢できない。もう私と涼子ちゃんは結婚して十年になる。式の前だって同棲してたし、その前だって週末同棲していたけど。でも気持ちの上でちゃんと結婚してからだって十年なのだ。
もはや涼子ちゃんと一緒に居なかった頃を思い出すことすら難しいくらい時間が流れ、私は涼子ちゃんと一緒にいる幸せにつかりすぎた。だからもう、涼子ちゃんと離れたまま感じる幸せでは物足りなくなってしまった。
「? そうですね。ちょうど満月で、んっ」
「ふふ。びっくりした?」
「び、びっくりしました」
その衝動のままそっと涼子ちゃんの唇に口づけた。一瞬の戯れのようなものだ。今更照れるものではない。だけど普段なら外で私からなんて絶対しない。だからだろう。涼子ちゃんはすごく驚いた顔で、きょろきょろと周りを見回したりして、いつもと立場が逆みたいでおかしい。
でも、ちょっとくらいはいいじゃない? だって今日は、ちょうど十年になる、結婚記念日当日なのだから。
記念日と言っても平日だから普通に週末にお祝いすることにしてそれで毎年やってきているし、明日ちょっといいディナーを予約している。でも、十年だからって特別な用意はしていない。だって、涼子ちゃんから特に十年に関してなんにも言ってこないのに、この年になって私だけはしゃぐのってちょっと恥ずかしいし。
「えっと、どうしたんですか?」
「んーん。別に」
涼子ちゃんもやっぱり、私が十年だからって感傷的になった、何て風には思わないのかびっくりしたまま不思議そうに聞いてくる。でもわからなくてもいい。
一緒にいるのが当たり前ので、十年が特別じゃなくて、二十年だって三十年だって当たり前だって思ってくれるなら、それでいい。
「ただ、大好きだなって思っただけよ」
だから、伝える言葉はこれだけでいい。私のシンプルな言葉に、涼子ちゃんは目をぱちくりさせてからはにかむように微笑んだ。少女のように可愛らしい。
「由美子さん……あの、抱きしめてもいいですか?」
「だーめ。そろそろ帰るわよ」
「えー。あ、そうだ。折角ですし、もうちょっと夜桜を楽しみましょうよ。私、チューハイ買ってきますよ。ちょっと待っててください」
帰れば存分に抱き締めてもらって構わない。なので私としては早く帰りましょう、なんて言われるかと思ったのだけど。何故か涼子ちゃんは名残惜しいようで、慌てたようにそう言うと一度私の手をぎゅっと握ってから離すと、小走りで通りの端に見えるコンビニへ走り出した。
ほんとに元気ねぇ。でも六年前も涼子ちゃんに向かってそう思ってたから、これは年齢とかじゃなくて個人差ね。
少し肌寒いくらいだけど、まあ、明日もは二人とも休みだし、たまにはいいか。昼間に賑わっている中にわざわざお花見にくるのも億劫だし、普段は涼子ちゃんと一緒でもあまり外では飲まないようにしてるくらいだ。たまには外で飲むのもいいだろう。
「お待たせしましたっ」
「お疲れ様。走らなくてもいいのに」
「つい。由美子さんを一人にしてしまったことに遅れて気づいたので。すみませんでした」
「えぇ、一人って。大袈裟すぎるわよ」
迎えに来てくれたのはまあ、言ってもじゃれあいの一種かと思ってたらガチで心配もはいってたの? 私ってそんなに頼りないかしら。
「大げさじゃありません。ナンパでもされたらどうするんですか」
「ぶふっ。な、ナンパって」
思わず吹き出してしまった。ナンパって。もしかして涼子ちゃんの目には私って年をとってないまま映ってる? 出会ったままの女子高生なの?
笑っちゃう私に涼子ちゃんは不機嫌そうに眉をしかめ、じっと睨んでくる。
「ご、ごめんなさい、心配をかけたわね」
「いえ、私が離れたわけですから、謝ることありませんけど」
「まあ、もしナンパされても涼子ちゃんしか見えないから大丈夫よ」
ジト目になって真面目に言ってる涼子ちゃんには笑ってしまうけど、でも冗談じゃなくて心配してくれていたみたいなので笑うのは我慢する。
「そう言う問題では、まあ、いいです。あんまり時間かけても悪いですし。晩御飯も用意してますし、一缶だけ分けて、ちょっとだけ飲みましょうね」
「いいけど、さすがにここじゃね。公園に入るわよ」
元々見えていたのは公園の桜だ。端っこのが見えているだけなので、中に入ればもっと数があるだろう。そこまで行くと、夜桜を見ている他の人もいる。少し離れた川辺の柵にもたれるようにして一息つく。ここなら声が聞こえることもないし、姿だって影しか見えないだろう。
「じゃあ、お疲れ様です。由美子さん、どうぞ」
かしゅっと缶を開けて渡してくれた。たまに飲んでるレモンチューハイだ。
「ありがと、じゃあ遠慮なくいただきます。ん」
ちょっとキツめの炭酸がしゅわっと喉を通ると、思ってたより渇いていたのを自覚しながら、甘さが染みわたるように美味しくてつい一気に半分くらい飲んでしまった。
「っかー!」
「ふふっ。美味しいですか?」
「……うん」
本気でおじさんみたいな声をだしてしまった。恥ずかしい。まあ、仕方ない。
でもちょっと、すきっ腹だったので酔いが回ってくる感じがする。うーん、お腹も空いてきた気がする。残業すると空腹が一周回って感じなくなるのよね。
「はい、涼子ちゃんどうぞ」
「ありがとうございます。間接キスですね」
「はいはい」
涼子ちゃんは缶を受け取って口をつけた。私と違って一気ではなくお上品にちょっと飲んでる。うーん。可愛い。
「美味しいですね。由美子さんと飲むと、なおさら」
「はいはい、よかったわね」
なんだか涼子ちゃん、テンションが高いわね。
「由美子さん、今日で結婚して十周年ですね」
「ええ、そうね」
今日が当日なのはわかってる。二人でその話もしてる。でもなんだか改めて言うと言うことは、涼子ちゃんもちょっとは感慨深いと思ってるのかしら? ふとそう、期待が目を出す。
「その、明日、ディナーの予約してますし、それで十分って思うかもですけど……やっぱり十年って、大きいと思うんです。その、ずっと一緒にいてくれて、ありがとうございます」
「……うん。私も、十年はやっぱり大きな節目だと思ってるわよ。私こそ、ありがとう」
照れたようにしながらじっと私を見つめて、そう真摯に伝えてくれた涼子ちゃんに、私の胸がじんと温かくなる。
恥ずかしいからってなんでもないふりをしていたけど、でも、そうじゃなかった。もっとちゃんと最初から気持ちを伝えるべきだったわね。
そう反省しながら私も気持ちを伝える。すると涼子ちゃんは一瞬嬉しそうに微笑んでほっと表情を緩めてから、にーっといつもみたいに意地悪な顔になる。
「えー、ほんとですか?」
「な、なによその言い方。人が素直になったのに茶化すのは性格が悪いわよ」
「だってさっきまで、十年目だからっていつも通り仕事してたくせに。私はちゃんと休みをとったのに」
「えっ」
確かに今日休みって聞いたけど、涼子ちゃんの仕事は前からきっちりした休みじゃなくて平日の休みもあったし、たまたまだろうなと。それに繁忙期だから普通に、何もなしで休みとるなんて申し訳ないし。えっと、はい。
「ご、ごめんなさい。でも、だって、そんなこと言ってなかったじゃない」
「言わなくても、由美子さんはそう言う記念とか好きかなーって。でも、なーんにも言わないんですもん」
「う……その、ごめんなさい。でも別にないがしろにしてたわけじゃなくて、私だって十年だなって思ってたけど、涼子ちゃんが何も言わないのに私だけ特別みたいにはしゃぐのも恥ずかしいと言うか、えっと、やっぱりほら、忙しい時期だし」
本当に全く予想外と言うか、そもそも十年目だからわざわざ休みをとると言う発想がなかった。だって、仕事を休むのは別じゃない?
「ふふ。ごめんなさい。いじめ過ぎましたね。でもまあ、一か月前の時点で言わないのでないだろうってわかってました。由美子さんは真面目ですからね。でも、もし急に言われたらと思って、勝手に私が休みにしておいただけですから」
「りょ、涼子ちゃん……っ」
休む気はなかった。それとこれとは話が別だと思っていた。だけどその涼子ちゃんの言葉は、どうしようもなく魅力的で、私の胸をときめかせた。
涼子ちゃんは何も言わなかった。それは逆に、どうしようもないほど健気な涼子ちゃんの愛情そのものだった。
自分でも制御できないほど溢れてくる愛情に、私は我慢できずに涼子ちゃんに抱き着いた。涼子ちゃんは驚いたようにチューハイを持ってる右手をあげながら、花見客のいる方をちらりと見た。
「由美子さん……いいんですか?」
「いいのよ。だって、今日は特別な結婚記念日なんだから」
そうしてもう一度、軽く涼子ちゃんにキスをする。涼子ちゃんは私の言葉に、街頭から逆光になってもわかるくらい表情を明るくさせた。その笑顔の、綺麗なこと。何度見ても見惚れてしまう。
「そうですよね。由美子さんもそう思っててくれて、嬉しいです」
そしてちゅっと涼子ちゃんもキスを返してくれた。ささやかな口づけだけどドキドキとしていて、まるで少女の頃みたいなやりとりに、ときめきながらもちょっと笑ってしまう。
そうしてじっと涼子ちゃんに見とれる私に、涼子ちゃんはくすっと笑って私の背中に手を回した。
「明日もですけど、今日も、ちょっとくらい思い出に残る日にしたいなって思ってました。でも結局、由美子さんには敵いませんね」
「え、どうして?」
私こそ、涼子ちゃんの愛情に感服しちゃって、もうどうにかなっちゃいそうなくらい惚れ直して、絶対今夜のことを忘れそうにないくらいに思っているのに。私なんかしたっけ?
首を傾げる私に、涼子ちゃんはくすっと笑って、もう一度キスをしてから、チューハイの残りを飲み干した。
「だって、由美子さんたら今日に限って、外なのにキスしてくれるんですもん」
「うーん?」
まあ、そりゃあ普段は外でキスってしない。だってそんなの恥ずかしいし。でも例えば観覧車の中とか絶対誰もいない場所なら外でも普通に何回かしてきたでしょ。
今日だってまあ、普段ならあれだけど、言ってもそんなに人通りのない時間帯だし。……いやまあ、昼間めっちゃ人がいる場所だし、普通にすごい人通りのある公共の場だ。しないかも。
十年目って言うので私もテンション上がってたのかな。まあ疲れとかもあると思うけど。
「今日だけ、特別ね」
「はい。ふふ。じゃあ、そろそろ帰りましょうか。由美子さんが好きなお料理たくさん作ってますから」
気恥ずかしくなって体を離して今更そんな風に釘を刺してしまう私に、涼子ちゃんはそう言って私と腕をからめるように組んだ。そのさり気ない動作はいつも通りとても様になっていてきゅんとする。
でもちょっと悔しいから、平静を装って帰路に歩き出しながら相槌をうつ。
「そうなの? 嬉しい。最高の記念日ね」
「そう思ってもらえるなら頑張ったかいがありますね」
涼子ちゃんはそんな私の強がりもわかってるみたいに微笑んで、何でもないみたいに言う。私の為にたくさん気遣いして努力して、涼子ちゃんはいつも何でもないみたいに全力で私を愛してくれてるんだ。それを改めて実感して、またキスをしたくなるけど、今度は触れるだけじゃ我慢できなさそうだから、家に帰るまで我慢することにする。
「……ね、涼子ちゃん」
「何ですか?」
「今までありがとう。これからも、ずっと一緒にいましょうね」
「……はい。ずっと、一緒です」
それから家に帰って、涼子ちゃんの美味しい食事と綺麗な花束にケーキ、そして何より大好きな涼子ちゃんも存分に味わった。そして翌日には一日デートして、二日かけて一生忘れない十年目の特別で幸せな結婚記念日を過ごすのだった。
おしまい。
小学生が告白するところから始まる年の差百合 川木 @kspan
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