第45話 社会人と社会人 お待たせ

 ついに涼子ちゃんが大学を卒業する。就職先も決まった。案外と優柔不断だった涼子ちゃんの進路は二転三転したけど、結局は普通に企業に就職した。ただし、その業界に興味のない私でも名前を知っている程度には大企業だったけど。マジでこの子のスペック何なのって言いたい。

 そんな涼子ちゃんの卒業就職を控えた2月。少し早いけど、引っ越すことになった。私が就職と共に住んでいたマンションはあくまで仮で、二人暮らしにはすこし手狭だ。なので涼子ちゃんの職場と私のとの間に住むことに決めた。


 引っ越し作業が終わり、あとは適宜荷物を自分で整理していくだけだ。今日から、ここで二人だけの生活が始まるのだ。そう思うと、何だか無性にわくわくする。

 今までも涼子ちゃんは殆ど週末は泊まりに来ていて、半分同棲みたいな気分ではいたけど、でもやっぱり、実際に一緒に住むとなると、違うものだ。にやける。


「由美子さん、ご機嫌ですね」

「そりゃあそうよ。むしろ涼子ちゃんはご機嫌じゃないって言うの?」

「もちろん、最高の気分ですよ。でも、キスしてくれたらもっとご機嫌になりますよ?」

「涼子ちゃんって、ほんとにキスが好きね」

「いえいえ、由美子さんほどではありません」

「なんでよ」


 そんなボケいらないんだけど? もっと素直にいちゃつきましょうよ。


 マンションの一室でベッドとか大きな家具は全て配置済みだ。疲れたので、ソファに並んで座っている状況だ。涼子ちゃんが私の肩を掴んで抱き寄せてきたので、そっと身を寄せる。

 涼子ちゃんの成長は、さすがに高校を卒業する時には止まっていたけど、私より5センチ近く大きく成長している。すらっとスレンダーの綺麗な体だ。がたいがいい訳ではないけど、私よりどこも少しずつ大きくて、力強くて、凄く好き。


「由美子さん、そんな生意気なことを言うところも、可愛いですよ」

「涼子ちゃん、あなたの方が年下なのよ」

「ふふ。知ってます。年下に翻弄されてる由美子さん、可愛いですよ」

「すごい、めちゃくちゃなこと言っている気がするわ」


 翻弄されているのは否定できないけど、涼子ちゃんがしてるくせに、何を客観的に見て評価してる風の物言いしてるの?

 でも、正直に言って、そう言うなめたこと言われても、怒りとかはない。むしろ、あー、めっちゃくちゃ言ってくる。何なのこの子。めっちゃ好き。ってなる。


 涼子ちゃんはにこっと爽やかに微笑んで私にキスをする。


「いいじゃないですか。愛がありますから」

「確かにその通りね」


 頷いて、涼子ちゃんの肩に頭を乗せる。乗せると言っても、私の体も傾いているし、涼子ちゃんの肩の位置が少し高いので、斜めになっている感じだ。昔は、私の肩に頭をおく涼子ちゃんの頭にもたれていたのに。

 と考えていると、ふいに涼子ちゃんが私の頭に、さらに頭を乗せてきた。考えが読まれたかとドキリとする。


「なんか、こうしてると、ここまで来たかーって感じ、しません?」

「んー? どういうこと?」


 まだ全然整理終わってないけど?

 涼子ちゃんはぐりぐりと私の頭にこすりつけるようにしながら、あーと声を出す。


「だって、最初は由美子さん、私より背も高くて、肩に頭を預けた私に、由美子さんが頭をつけるのも結構無理な姿勢にならないと無理だったじゃないですか」

「そうだったかしら」

「そうですよ。でも、普通に頭をぶつけられるようになって、今では、私の方が大きくなってるんですよ。何というか、やっとかって感じです」

「やっとなの? つまりこうなる予定だったの?」

「まぁそうですね。最初から由美子さんは、愛でる対象だったので」

「言い方」


 まぁいい方はともかく。ようは涼子ちゃんも似たようなことを考えていたのだ。そして私にとって涼子ちゃんが年下の頼りない女の子じゃなかったように、涼子ちゃんにとっても私は年上の大きな存在ではなかったから、こうして自分の方が大きくなるのが理想通りということだろう。

 うーん。悪いことじゃないんだけど、当時高校生の私が、小学生の涼子ちゃんに手のひらで転がしたり包んだりする対象と思われていたというのは……でも、当時からころころされてたし、仕方ないか。


「はー、由美子さん」

「なに?」

「何だか、昔のこと思い出してしまいますね」

「そうねぇ。ここまで、色々あったものね」


 とても長かった。高校生の時に涼子ちゃんと出合い、そして今、10……え? じゅ、12年もたってる!? ……私、今年で28になるものね。そうか。そっかー……。

 しみじみすると、自分がアラサーと言う領域に来てしまった事実がのし掛かってきた。あ、アラサー……。涼子ちゃんは22。まぶしい。


「……涼子ちゃん、私のこと、捨てないでね」

「え? これから幸せな未来を思い描こうってところで、どうしてそんなネガティブな発想になるんですか?」

「だって、冷静に考えると、私、年を取ってしまったから」

「その言い方、いい加減やめましょうよ。私は由美子さんが好きなんです。年齢で好きになったわけじゃありません」

「わかってるわよ。わかっていても、くるのよ」

「全く、しょうがないですねぇ。夕食の時に渡そうと思ってたんですけど」

「ん?」


 なに? 渡すものって。引っ越し祝い? お揃いのお箸なら幼馴染の日影からもらっているって言ったから、お茶碗とか?

 首を傾げる私に応えず、涼子ちゃんはソファから立ち上がり、部屋の隅に置いている鞄をごそごそしだした。そしてラッピングされている可愛い箱を出してきた。


 まぁ可愛い。でも小さくない? お茶碗ではないわね。箸置きとか? 箸置きなんて使ったことないけど、逆に言えばダブらないからすぐ使えるけど。


 涼子ちゃんは微笑んで私の隣に戻ってきて、でも隣に座らず床に膝をついた。

 ええ? なにそのポーズ。大げさすぎる。昔から涼子ちゃんは、そう言うわざとらしさと言うか、そういう事するけど、地味に背筋がもぞもぞするのよね。まぁ、仕方ないから乗ってあげるか。


「まあ、涼子ちゃん、いったい何をくれるのかしら? 楽しみだわ」


 両手を軽くあげて驚いて見せると、涼子ちゃんはにやりと口の端をあげた。


「もちろん、私のお姫様にふさわしい品をご用意しましたよ」

「……わぁ、うふふ」


 お、お姫様……うーん。正直、若い頃はときめいていたけど、今の年でお姫様とか言われると、恥ずかしすぎて逆に馬鹿にされている気さえする。涼子ちゃんが本気なだけに言えないけど。

 ていうか、涼子ちゃんが王子様的に格好良くて、そのセリフ自体は似合っているのが、よりつらい。


 とりあえずスルーして、差し出されるまま涼子ちゃんから小箱を受け取り、包装をとく。


「ん? ……もしかして、アクセサリー?」


 中から出てきた箱は、どう見てもキッチン関係に見えない。独特の山なりの上質な入れ物は、指輪やイヤリングが入っているようにしか見えない。

 やばい。完全に引っ越しのお祝いだと思い込んで軽く受け取ってしまった。でも何でこのタイミングでプレゼント? 誕生日でもないし。2月……バレンタインデーにも早いし、あくまでチョコイベントにとどめている。


「はい。まぁ疑問はあるかもしれませんが、開けてください」

「は、はい」


 気持ちを切り替えて、期待で胸をふくらませて、ドキドキしながら箱を開けた。


「わ、あ……え、ほ、本当に? え? これ、買ったの?」

「はい。もちろんです」


 出てきたのは、どう見てもお小遣いとか軽いプレゼントではない、シンプルだけど大きな宝石が埋め込まれた、普段使える指輪だった。

 今までにも、アクセサリーをお互いに送りあったことはある。でも何だかんだ、指輪は避けていた。プロポーズを待っている、と言ったのが関係していないと言えば嘘だ。それにやっぱり、指輪は重要な意味を持つから、意識してしまうし、人にお揃いのをつけていたら簡単に邪推されてしまう。


 だけどいつかは、と思っていた。そのいつかが、今なの? でもそれって、つまり?


 突然すぎるプレゼントに、反応が追い付かずに涼子ちゃんを見つめる私に、涼子ちゃんは優しく微笑んで、そっと指輪を自分で取り出す。


「手、出してください」

「う、うん」


 言われて、殆ど無意識に左手を出した。涼子ちゃんは左手で私の手をとって、私の左手薬指に、そっと指輪をはめてくれた。


「ずっと待たせて、すみませんでした。私と結婚してください。家族になって、家庭をつくって、ずっと一緒にいてください」


 微笑む涼子ちゃんに、だけどその笑顔が、ゆがんで見えなくなった。涙が止まらない。


「もう、泣かないでください」

「む、無理、よぉ」


 嗚咽を漏らす私の背中を撫でながら、涼子ちゃんは私の隣に座りなおして、優しい声音で言葉を続ける。


「本当は、もっと格好つけて、ムードをつくってとか、働きだしたお金を貯めてからがいいかなとか、色々考えたんですけど、どれも結局は独りよがりかなって思いました。由美子さん、時々年齢のことすごく気にして、不安がってるみたいでしたから、早い方がいいかなって。少なくとも就職先も決定して、今なら恥ずかしくないぎりぎりかと思いまして。もちろん、制度的なこととか、親に挨拶とか、そういうのはおいおい話し合って決めていくわけですけど、気持ちだけは、覚悟だけは伝えたくて。例え、どんな形になっても構いません。私と、一緒になってください」

「……」


 涼子ちゃんが、何かを言ってくれているし、多分口調からして、すごく格好良くて素敵で感動することを言ってくれているんだと思う。だけど、もうすでに私の胸は喜びでいっぱいで、全然言葉が入ってこない。

 自分でも驚くくらい、涙はとまる気配もない。


 でもだって、しょうがないじゃない。

 涼子ちゃんとずっと一緒よ、なんて口では言っても、年齢を重ねるほど、焦りが出てくる。知人には普通に結婚する人もいれば、すでに子供がいる人だっている。誰かと共に歩んでいく、一番安定して安心した関係だ。もちろんそれだけが全てじゃない。でも少なくとも、簡単に別れられないというのは、ただの恋人とは全然違う。

 涼子ちゃんが年を重ねるほど魅力的になるのに対して、私は年を取るほど、涼子ちゃんが私に飽きてしまうんじゃないかって不安や焦燥が、ふとした時に行き先もないまま心を急き立てるのだ。


 涼子ちゃんが好きだと言ってくれて、信じてる。その感情を疑ったことはない。でもそれが永遠である保証はない。プロポーズしてなんて言って、冗談めかしていても、本気に他ならない。

 涼子ちゃんを縛り付けたいわけじゃない。男女で結婚しても離婚したり、何年付き合っても別れたりするのは、ごくありふれたことだ。片方がどんなに好きでも、相手が嫌なら関係を続けられない。

 そう理性では思っても、涼子ちゃんに永遠に自分のそばに居てほしいという欲求が、ほんの少しでも涼子ちゃんを束縛する約束が欲しいと望んでしまう。


 そんな私が、たった今、涼子ちゃんからも永遠を望まれたのだ。ただの口約束には変わらないかもしれない。でも結婚と言う具体性のある将来の話だ。全然、思いの込め方が違う。それだけの覚悟があるって、そう思って、誓う為に言葉にしてくれたんだ。

 これでどうして、泣かずにいられようか。嬉しくてたまらなくて、溢れる感情が涙となってこぼれ、思いの強さで体が震える。


「もう、由美子さん、聞いてます? 私結構、恥ずかしいことも真面目に言ったんですけど」

「う、うぅ、ご、ごめ、まっ、待って」

「はい、待ちます。落ち着くまで待ちますから、だからゆっくりでいいから、涙、とめてください。私、由美子さんの笑顔が見たいです」


 涼子ちゃんはそう言いながら、ずっと私の背中を撫でて、ぎゅっと抱きしめてくれた。

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