番外編3
第40話 疑似新婚生活
「ーっ」
ぼんやり目を開けて、反射のようにでてきた欠伸を普通にしようとして、視界の中に見えた由美子さんの姿に、ぱっと口を押さえて噛み殺した。
そうだ。週末だった。
由美子さんとのちょっとしたすれ違いを経て、毎週末はお泊まりをして、疑似新婚家庭を始めて一ヶ月足らず。この生活にも馴れてきたけど、寝起きだとこうしてはっとすることが、まだある。
「……」
由美子さんを起こさないように、そっと布団を動かして体を起こす。そして由美子さんを見る。
もう何年も、由美子さんのことを誰より傍で見てきた。その顔つきも表情も、高校生から大人になるまでのその微妙な変化をつぶさに見守ってきた。目を閉じていても、そのすべてを鮮明に思い浮かべられる。
だけどこうして、眠っている姿を見るのは、まだ日常とは言えない。見ているだけで、何となく嬉しくなる。
人間は慣れる生き物だ。由美子さんと出会って、傍にいるだけでは満足できなくなり、キスだけでは物足りなくなり、当然のように抱き合ったりするようになった。だけど、由美子さんのことを好きな気持ちだけは、慣れてなくなったりはしない。
慣れて由美子さんへの遠慮がなくなったり、おざなりになることもあっただろう。だけど、好意だけは、目減りしない。むしろこうして、のんびりとした気持ちで由美子さんを見ると、ああ好きだなーって、改めて感じる。
だからたぶん、毎日寝顔を見るようになっても、きっとまた別のタイミングで、こうして好きだなーって感じるようになるんだろうなって、自然と思えた。
「ふふ、と」
思わず笑ってしまった。慌てて口を抑える。そしてそっとベッドから出て、着替えて顔を洗い、朝の用事を済ませていく。
まずは洗濯物だ。洗濯機は夜に回しておいたので、籠へとり出してベランダで干す。食料含めた消耗品のチェックをして、週末のうちに買っておかないといけないものをリスト化する。同時にそろそろ使っておかないといけない食品を書きだし、メニュー候補を書き込む。
それが終わったら、後で掃除機をかけるとして、埃が立たない程度に片付けやクロスかけをして埃取りをしておく。一通りしてから、朝ご飯の用意をしていく。
どうしても多少の音はしてしまうので、これで起きてくることがあるけど、どうやら今日はまだのようだ。熱々を食べてもらいたいので、後は器によそうだけ、と言うところまでして由美子さんのところへ向かう。
こうして朝を起こすのも、まさに新婚、みたいでわくわくしながらそっとベッド脇にしゃがんで声をかける。
「ゆーみーこーさん、朝ですよー」
「んー、はい、わかってる、はい」
「んー、わかってないですねー」
「ちょっと待って、わかってるからぁ」
半分起きている気もするけど、寝ぼけているようにも見える。どっちでもいいけど、ちょっと悪戯心がわいてきたので、そっと耳元に顔を寄せる。
「由美子さーん、起きないと、キスしますよ」
「……」
囁く声で言うと、反応はない。
ふむ。やっぱり起きてるな。しかし素直なことだ。こう言うところ、ほんと好き。なので宣言通りキスをする。
「ん」
「……おはよう、涼子ちゃん」
軽くキスすると、由美子さんはゆっくりと目を半分開けて、眠そうに微笑んだ。
「おはようございます、由美子さん。相変わらず可愛いお寝坊さんなお姫様ですね」
「……朝から、頭悪そうなこと言わないでよ」
「えー、いいじゃないですかぁ」
そんな、直球で言われると確かに、脳みそお花畑な発言だったかもしれないけど。でも由美子さんがこういうの好きっぽいんだよねぇ。口で言う割ににやけているし。
とにかく、由美子さんを起こす。寝起きが悪いと言うほどでもないけど、由美子さんはいつも寝起きは少しだらだらしてしまう方なので、背中に手を添えて起こしたりして、ちょっとお世話するのが楽しい。
お着換えを済ませた由美子さんが、顔を洗っている間に、すぐ食べれるように食事を並べて、飲み物をそそぐ。
由美子さんの為に、少しずつお料理の練習をしている私だけど、朝なのでそんなに張り切る必要はない。ご飯にお味噌汁、卵焼きともやし炒めだ。遅い時間なので、お昼に差支えないよう少なめにしている。
「んー、いい匂い。いつもありがとう、涼子ちゃん」
「いえいえ」
由美子さんはお味噌汁が好きなので、それだけで喜んでくれる。自分一人だと面倒で汁物はあまり作らないらしい。
「いただきます」
「どうぞ。私もいただきまーす」
ご飯を食べて、片付けたら掃除機をかける。その間に由美子さんはお風呂とか水回りの掃除をしている。
全部終わったら、テレビをつけて二人並んで座ってゆっくりする。
「この時間って、いっつもろくなテレビないのよね」
「そうですねぇ。午後からなら、再放送でそこそこ面白いのありますけど」
午前中はアニメか、真面目なニュース系番組ばかりだ。そうでなければ、あまり興味のないタイプのお笑いと言うより人情系のバラエティだ。私は流し見くらいしてもいいけど、由美子さんが特に興味がない。
「再放送じゃない。本放送全部見てるからいいわ。最近の再放送って、期間短すぎじゃない?」
「ん? 期間って?」
「え、あー、何ていうか、放送してから1年以上経ってたら、前の忘れてるから楽しめるのに、数か月前だとあー、見たことあるってなるじゃない」
「ああ、なるほど、って言いたいですけど、そんな毎回チェックしてるんですか?」
「バラエティ番組を録画して欠かさず見るのが、私の数少ない娯楽よ」
「胸を張って微妙に悲しいこと言わないでください」
別に悪いことじゃないけど、前の由美子さんは、色々と手を出したりしていた。でも仕事で疲れるようになったからか、最近はテレビばかり見ているようだ。
「べ、別に悲しくないわよ普通でしょ、テレビっ子なの」
「テレビっ子って、昭和じゃないですか」
「昭和じゃないわよ、平成生まれです」
「いや発言が昭和って意味で、別に由美子さんが昭和生まれって言う意味ではないです。あと別に年齢を揶揄しているわけでもないんで、過敏に反応しないでください」
由美子さんはぐぬぬとでも言いそうに口元を曲げた。由美子さんは大学出たばかりで、世間的に見て全然若いだろう。私が言ってもあれだろうけど、普通にまだまだお嬢さんのはずだ。
でも私が年下だからか、いやに自分が年上のように感じているみたいに思うことがある。私の恋人として紹介したって、普通に友達は受け入れるくらいの年の差だと思っている。いまどき、一回り違うくらいでも珍しくないのに。
「はぁ……涼子ちゃんといると、ほんと、自分が年取ったなと思うわ」
「凄いこと言いますね」
どの辺り年取ってるですか。いやそりゃ、年齢自体は確実に重ねているわけだけど。でもいい意味での成長のみで、そんな老化みたいないい方したら、もっと年上の人に怒られますよ。
「だってそうだものー、うー。涼子ちゃんと同い年に生まれたかったぁ」
「私は年上な由美子さん好きですよ」
「えー? 年上っぽさ、ある?」
「ありますよ。美人で可愛くて、最高です」
「私が高校生の時と、同じこと言っているから却下」
「おや」
そうだったか。でも確かに、あの時からそんなに大きく印象変わっていない。今も大人っぽくて格好良くて仕事や勉強ができて、美人で優しくて、でも変に気弱で思い込み激しかったりして、不安定で、そういうところが可愛い。
でもそうか、仮にあの頃の、高校生の由美子さんが目の前にいるとして……わ、悪くないけど。
「じゃあ今度一回、同い年になってみます?」
「は? どういうこと?」
「制服着てくださいよ」
「……馬鹿なの?」
「本気です。由美子さんの制服、とってますから」
「は?」
ゴミを見る目で見られた。なかなかどうして、悪くない。それはともかく。
由美子さんの高校時代の制服は、ちゃんと当時に回収している。まだ中学生だったけど、いずれ同じ高校に入るかも知れないからって言ったら普通にもらえた。同じ高校に行ってないので突っ込まれるかと思ったけど、忘れていたみたいでスルーされてた。
そう、そしてそれが今、伏線回収されるときがきたのだ!
「この年で着るわけないでしょ」
「またまた、卒業してからも着てくれたじゃないですか」
「日常的にしてたみたいに言わないで。涼子ちゃんが制服デートを忘れてたとか言うから、まだ大学行く前だし、一回だけ着ただけじゃない」
「ええもちろん、覚えてますよ」
ついこないだまで着ていた制服なのに、高校の卒業式を終えたと言うだけで、制服を着るのに恥じらっていた由美子さんはとても可愛かった。
制服を回収したのは、ただ単に、誰かの手に渡ったり捨てられるのはあまりに勿体なく感じたからだ。だって制服姿は滅多に見られるものじゃなかった。帰り道を一緒に帰るときしか見られない。だけどすごく似合っていて素敵だったし、思い出もあるから、残したかった。それだけだ。
だけど着てくれるなら、こんなに残した甲斐があることは他にない。最高すぎる。
「でも一回でも着たんですから、もう一回くらいいいじゃないですか」
「嫌よ」
「何も外に行こうと言うんじゃなく、もちろんこの部屋だけですよ」
「嫌だって。あのね、私がいくつだと思ってるのよ。22よ? コスプレじゃない」
眉をしかめて嫌そうに言われるけど、こうも嫌がられると、なおさら着せたくなっちゃうなー。
「背も変わらないし、着れますよ」
「着れる着れないじゃなくて、嫌なの」
まあ、今問答しても仕方ない。手元にはないんだから。次回持ってきて、話をしよう。と言うことで今は諦めたふりをしておこう。
「わかりましたよ。今日のところは諦めておきます」
「ずっと諦めなさい。もう、下らないこと言ってないで、そろそろ買い物にでも行きましょうか」
「はーい」
今の由美子さんが制服を着たらどうなるのか。想像するだけでわくわくした。
私は下心を隠して、素直にそう答えた。
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