第35話 由美子視点 電話

 未央さんは夕食前に帰って行った。久しぶりに余裕をもって、夕食をつくって、軽くお酒も飲んだ。一緒に買いものしていると、未央さんがこれ美味しいよーとか言うから買った。

 たまにしか飲んでなくて、ストックはなかったけどあると飲みたいものだ。なにしろ、涼子ちゃんがいないのだ。飲んでないと、辛いに決まっている。


「はー……つらっ」


 飲んでも辛いわ! 馬鹿か私は! もうやめたい。今すぐ涼子ちゃんに連絡したい。声が聴きたい。

 会いたいよぅ。涼子ちゃん早く、気づいて。私今死にそう。早く迎えに来て。美味しい料理作っているから。


「んっ……ぷはーっ」


 あー、美味しい。何だか気持ちよくなってきた。でも涼子ちゃん居ないから地獄だ。はー。


 ピピピピピー


「んー?」


 後片付けもせず、テレビをつけっぱなしで飲みながらだらだらしていると、携帯電話が音をたてた。転がるようにして手を伸ばして携帯電話をとると、涼子ちゃんからの着信で、すっと酔いがさめる音がした。


「……」


 出たい。いますぐ涼子ちゃんと話したい! と言う当然の欲求に抗い、なんとか出ないよう、スマホを置いて両手を胸の前で合わせた。携帯電話とかなにそれ、存在しません。


 ピピピピピー

 ピピピピピー


 やばい。全然諦めない。これは、これはさすがに、出てもいいわよね? それでちょっとだけ涼子ちゃん成分を補充しても、許されるわよね?


 私は久しぶりの涼子ちゃんとの会話に緊張しながら、そっと携帯電話を手に取り、ボタンを押した。


「はい」

「こんばんは、由美子さん」

「こんばんは。その、何か用?」


 いつも通りの涼子ちゃんの声に、泣きそうになりながら、でも今まで通り対応するわけにはいかなくて、それに無視してたのも気まずくて、そっけない声になってしまった。

 あー、涼子ちゃん声も可愛いよー!


「はい。お久しぶりですね。連絡も、見てくれてないみたいですし。大変ですか?」


 うぐ。責められていないのに、めっちゃ気まずい。ごめん。別に、見れないほどじゃないの。まして今日休みだし。うぅ。ごめなさい。


「そ、そうね。毎日、忙しくて。ごめんなさいね」


 うわぁぁ、涼子ちゃんに嘘をつくなんて……ごめんね。ちゃんと改めて恋人になるときに謝るから。


「へぇ。そうなんですか。ところで今日、由美子さんが知らない人と歩いているのを見たんですけど……あの人のこと好きなんですか?」

「は?」


 唐突な話題に頭がついていかなくて、間抜けな声を上げてしまった。

 いやでもだって、何、好きなのって。意味がわからない。今日見てたのはいいよ。わかった。そりゃ、そういう事もあるでしょう。でも、何? 好きなんですか?

 いやいや、何でそういうことになるの? 私キスシーン見られたわけじゃないし、手も繋いでない。何の後ろめたさもない、ごくごく普通の友達関係だ。


 なんでそうなるの?


 かっと、体が熱くなる。涼子ちゃんを避けてるのも、無視しているのも、私が悪いよ。でもさ、涼子ちゃんのためでもあるじゃない。いやもちろん伝えてないけど。

 でもなんで、すぐそんな話になるの? 私が涼子ちゃんどれだけ好きなのか、全然わかってなかったの? 別れようって決めたけど、だからって、他の人すぐ好きになるような人間だと思ってたの?


「……見てたんだ」


 冷静になりたくて、でもどうしようもなく体が熱くて、とりあえず答えようと口を開いたけど、どう答えればいいのか、わからなかった。


「そうね、そうよ。だったら、何よ! 他に好きな人ができたから別れましょう! 涼子ちゃんなんてもう知らない! 大嫌い! もう連絡してこないで!」

「なっ」


 気づいたら、怒鳴って電話を切っていた。途端に、涙が出てきた。


「うっ、うぅ」


 信じられない。好きなの何て、ひどい。そんなこと、恋人に聞く?

 でももっとひどいのは私だ。そうよってなんだ。未央さんのことなんて眼中にあるわけないのに。しかも大嫌いなんて。心にもないことを。

 何してるんだ、私。そりゃ別れようとしたけど、こんな別れ方は想定してない。これじゃあ、どうやって恋人になりなおすのよ。涼子ちゃんを傷つけて、むしがいいこと考えてるんじゃない。


「うわぁーっ」


 そもそも、無視する時点で、傷つくのに、私は馬鹿だ。もう無理。死にたい。

 涼子ちゃんに嫌われたー。あー、もう、嫌だ。私は何のために生きているんだろう。涼子ちゃんがいないとか、私は何のために公務員になったんだろう。それだけが全てではなくても、それは大きな要因ではあった。

 でも、だから、涼子ちゃんに私が今思っているような、こんなみじめで苦しい気持ちにならないように、私は、一回別れて考えてほしかっただけなのに。


 そんな考えが傲慢だったのか。いや、でも、そうすべきだった。間違ってないはずだ。私だけの盲目状態を看過していては、駄目だ。それは間違っていないはずだ。


 もちろん他にもっといい、誰も傷つかなくて時間もかからなくて、綺麗な方法もあったかもしれない。でも私には思いつかないし、できないんだ。それでも私だけがしなきゃいけないんだ。私にしか涼子ちゃんに自覚を促すことはできないんだ。

 なら、これしかないじゃない。わかってる。結局それだって、同じ一回別れるでももっとうまく立ち直れたはずだ。なのにどうしてこうなったんだ。


 でも、さっき怒って大嫌いって言わなくても……でも否定して、大好きよって言ったら、全然別れられない。涼子ちゃんは高校二年生だ。遅くても秋までには成功しないと、進路を考えて遅いってなったら、どうしようもない。今のこの涼子ちゃんの貴重な時間だけはもう二度と、取り返しがつかないんだから。

 じゃあ最初の黙ってフェードアウトは無理だ。あの人は好きな人じゃないって言っても、でも涼子ちゃんのことも好きじゃないって言うしかなくなる。ああなった以上、言葉で言うことを避けられなかった。


「うううぅぅぅ」


 もう、駄目だ。私のやり方も悪かっただろうけど、運とかめぐりあわせとか、そう言うのも悪かった。どうしようもない。

 そもそも、付き合ったのが、間違いだったのだろうか。私は、涼子ちゃんは私の運命の人だと思っていた。今回は性別一緒だけど、もう前世も来世も異性でも同性でもずっと一緒にいるような、そんな相手で、絶対一緒にいることが絶対正義な相手だと信じていた。


 でも、そうじゃなかったのだろうか。何があってもまた戻れる相手だと思っていたから、本当に嫌だけど、一回別れようかって思ったけど、こんな風にしたら、無理でしょう。さすがに。もう死んで来世で涼子ちゃんと出会うまでスキップしたい。


「うっ、うっ、うっ」


 もう、もうほんと、ヤダ。本気で死ぬ気はないし、多分明日も明後日も生きてるけど、気持ちはもう死んだ。だって涼子ちゃんがいない日々とか、もう地獄じゃん。死んでるも同然よ。


「っ、はあぁ、はあぁ」


 涙があふれて仕方ないけど、泣きすぎて呼吸が苦しくなってきたから、胸を抑えて呼吸を整える。本当に死にそうになっていた。

 そうして呼吸を整えると、涙はまだ出ているけど、少し冷静になってきた。ベッドに縋りつくようにして泣いていたので、涙でめっちゃ濡れている。化粧は帰ってすぐ落とす派なのが幸いだ。


「はぁ……ん」


 とりあえず、残っていたお酒を飲み干す。美味しい。悲しい。苦しい。自己嫌悪。


「……もっと、飲も」


 飲んで寝てしまおう。あ、お風呂入らないと。そう言えば、スイッチはいれていたっけ? うーん。あんまり飲んでからお風呂って入ったら危ないし、とりあえず入ろうかな。


 とりあえず立ち上がって、お風呂へ向かう。廊下の照明スイッチの隣にあるお風呂のリモコンを見ると、ONにはなっているし、沸かしている。OKだ。じゃあ入るか。


 ガチャガチャン!


「わぁ!?」


 脱衣所のドアを開けた瞬間、玄関側から激しい音がして、思わず奇声をあげてドアにもたれかかるようにしながら、玄関ドアを見る。ドアが開こうとしてチェーンに引っかかった音だ。玄関の鍵、閉め忘れていたのか!? ていうか誰!?


「由美子さん!」

「え、りょ、涼子ちゃん?」


 怒鳴られるように呼ばれて、私は自分の目をこすってみるけど、相変わらずドアを開けようとしてチェーン越しに見えるのは涼子ちゃんだ。

 信じられなくてふらふらと、壁伝いにそっと近寄る。


「由美子さん、開けてくだ、え? あの、泣いて、ます?」

「えっ、あ、やだっ。な、何で来たのよっ」


 言われてはっとする。号泣したままで、どんなに不細工な顔だろう。涙だってろくに拭ってない。涼子ちゃんが目の前にいることが嬉しすぎて、思考が飛んでた! ていうか普通に会話しちゃダメじゃん!


「話したいんです」

「私には、話すことなんてないし、帰ってよ!」

「大きな声を出さないでください。近所に聞こえますよ。いいんですか? 入れてくれないなら、このままここで私も騒ぎますよ」

「……」


 う、こ、こいつ。逆手にとって脅してくる。未成年だからって調子に乗って。ていうか、本当に、どうしよう。だって、でも、え? どうすべき? でも真剣な顔だし、別に私は別れること自体が目的なわけじゃなくて、涼子ちゃんによく考えてもらうのが目的だし。

 え、でも、私、ぐちゃぐちゃだし、お酒飲んでるし、お風呂もはいってないし。


「い、いれてもいいけど、お風呂、はいるところだから、待ってて」

「わかりました」

「顔、恥ずかしいから、ドア閉めて、私が解除してから、ちょっと待ってから、入ってきて」

「わかりました。急にきてすみません」

「……ううん。来てくれて、嬉しい」


 本当に、嬉しい。だって、あんなにひどいことを、一方的に言ったのに、会いに来てくれたんだ。まだ私のことを嫌いにならずに、話をしに来てくれたんだ。

 もちろん可能性として、いい話じゃない可能性もなくはないけど、でも、嬉しい。


 私は酔いをさまして、酷い顔を整えようと、チェーンを外してそそくさとお風呂に入った。

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