第31話 涼子視点 おや? 由美子さんの様子が?

 由美子さんと、正真正銘の恋人になった中一の春から、私は高校二年になり、4年もたつ。もはや私は、由美子さんのいなかった日々を思い出すことすら、困難だ。それくらい一緒にいたし、ずっと私の心の中心にいた。


 年を取り、背が伸びた。由美子お姉さんより、少しだけ、ほんの数ミリ高いくらいだ。まだ私の身長は止まっていないから、このままぐんぐん追い越せそうだ。追い越された瞬間の由美子さんの、悔しそうな、だけどそれと同時に何だか嬉しそうな、あの可愛い反応を思うだけで、いつでも笑顔になってしまう。

 いつだって、由美子さんを思えば、私は幸せな気持ちになる。由美子さんがいるなら、全てを失うことになっても構わない。もちろん嫌だけど、そうなってしまうとしても、全てと引き換えでも、由美子さんだけは、手放したくない。


 私も少しづつ、世間と言うものについて考えるようになった。大っぴらに、由美子さんとの関係を言いふらさない程度には、世間体を気にするようになった。将来を考えて、由美子さんと私の遺伝子を受け継がせた子孫を残せないことに、当たり前だけど、何だか何とも言えない気持ちになったりもした。両親にも、言えていないし、いつか言わないといけないのかと思うと、気が重くなる。

 だけど、例え日本国内において結婚ができないとしても、それでも私はやっぱり、由美子さんが好きだ。好きになってから、今までその気持ちは一度も減ったりしない。むしろどんどんと思いは膨らむばかりだ。由美子さん以外の人なんて考えられない。


 だからずっと一緒にいるつもりだ。だけど最近は少し、未来の映像がぼやけている。

 もちろん、由美子さんがいることだけは間違いないけど、どういった形にするか、曖昧だ。


 私の中では、海外へ籍をうつして、正式に婚姻したいと思っていた。もちろんその後は日本で生活してもいいけど、大っぴらにできるよう、向こうでの生活も視野にいれて、医者になろうかと思った。

 医者なら、日本で資格をとっていれば海外でも研修を受けて資格をとって働くことはできる。その研修も、無収入ではないみたいだし。そううまくいかなくても、資格さえとれれば、どこに言っても職に困ることはないだろう。


 でも、由美子さんは公務員になった。正直、受けるって聞いたときから、えって思ったけど、本当になるとは。

 多重国籍の公務員ってどうなのって思って調べたら、よくはないみたいだし、真面目な由美子さん的にはなしだろう。私もややこしい問題になったりして、変に由美子さんとの関係を知られたりしたくない。つまり由美子さんは、形式的な婚姻には全くこだわっていなかったのだ。


 由美子さんが必要ないと言うなら、別に私もこだわることはない。てなわけで、国外へ行くことは全くないのだ。じゃあ、医者になる必要なくない? って感じだ。

 何と言うか、医者って軽く決めたけど、結構大変な道な訳で、モチベーション下がってしまった今は、こう、やる気が……。

 ここは医者ではなく、もっと時間が自由になって、由美子さんといちゃいちゃできるものにしようかと考慮中だ。


「はぁ」


 そう言うことも、由美子さんに相談してみたいなって思うけど、就職したばかりでお疲れなのだ。今までは毎日、おはようとお休みの挨拶を欠かしたことはないのに、最近はスルーされ気味だ。

 仕方ないけど、もうすぐ一ヶ月になる。五月のゴールデンウィークはお休みだろうし、その時には話せるだろうけど、せっかくなら遠出とかもしたいのに、全然話せない。

 由美子さんと会いたいな。いや、贅沢は言わないから、せめてお話ししたい。


 ピコンッ


「んおっ」


 とか考える週末前夜、由美子さんからのお誘いがきた! ぃやったね!

 うわぁー、なんか、ほんとに嬉しい! 一ヶ月長かったー!


 ソッコー返信して、何がなんでも約束にこぎ着ける。これで、明日会える!


 急激にドキドキしてきた。会えるんだ。


「はぁぁ、由美子さーん」


 馬鹿みたいに一人で名前を呼んでみる。脳裏に由美子さんが浮かんできて、わくわくする。

 何年も一緒にいても、全然色褪せない。久しぶりに会えるって言うだけで、たまらなく嬉しい。こんなにも好きなんだと、自分でも改めて実感して、ちょっと呆れるくらいだ。


 早くに寝て、待ちに待った約束当日!

 私は時間より早く行って、お疲れの由美子さんに気を使わせないよう、家の前で少し待機してから訪ねた。


「りょうこちゃーん! 第一部、完!」

「うわ、と」


 挨拶もそこそこに、抱きつかれた。至福か。ぎゅっと抱きしめ返すと、暖かくて、ほのかに甘いようなにおいがする。疲れているだろうに、お休みなのにちゃんと朝から起きてくれていたみたいで、寝起きの匂いではない。

 それはそれで好きだけど、これはこれで、胸が温かくなる。んだけど、なんですか、第一部って。どこで章替えしてるんですか。よっぽど疲れているんだろうから、突っ込みませんけど。


「おはようございます。由美子さん」


 挨拶をして、抱き合ったまま部屋の中に入る。前回訪問した時より、室内はやや乱雑になっていて、ローテーブルの回りに小物が散らばり、いくつかの服が椅子にかかった状態になっている。

 いつも部屋を綺麗にしていた涼子お姉さんなので、非常に珍しい。素を見せてくれた、と喜ぶ場面でもないし、心配だ。


 とりあえず促されるまま座ると、左足にテレビのリモコンが当たったので、そっとローテーブルに乗せておく。本当に、珍しい。とても心配だ。

 私のことなんか相談している場合じゃない。今日は由美子さんを癒すことだけ考えよう。私も働いたことはないから大変さはわからない。とにかく話を聞いて、吐きだしてもらおう。


 優しい由美子さんは、私のことばかり聞こうとしてくるので、遠慮せずに愚痴を言ってもらえるよう促していくと、やっぱり溜まっていたようで、人間関係がとか、色々と言ってくれた。うんうん。


「大変ですねぇ」

「涼子ちゃん……わかってくれてありがとう」


 私には何も偉そうなことは言えないので、そっと髪をなでて、そう肯定をする。由美子さんは、うん、と小さい声で頷いて、私の膝に右手を添えた。ちょっとくすぐったいけど、甘えられている感じがして、悪くない。由美子さん可愛い。

 少しでも支えられているなら、いいのだけど。早く、一人前になりたい。そして由美子さんを支えてあげられたら、そうしたら、由美子さんに無理何てさせないのに。大変なら、働かなくても、養いたい。


 と考えてから、あ、と思う。そうだ、就職と言う選択肢もあるのか、と気づいた。

 とは言え、親の方針的にも、大学には当然行くものと思われているし、自分もそう思っていたけど。でも由美子お姉さんが本気で限界なら、それすら投げ出してもいい。大学何て、働きだしてからでも行けるし。


「いえいえ。でもあれですよ、あんまり大変なようなら、そんなに頑張らなくてもいいんですよ?」

「ん? どうして?」

「私は高校出たらもう働いてもかまいませんし、そうなったら家にいて、パートくらいしてくれれば、十分養えますし」


 公務員ではなくても、二馬力なら十分に生活できる。幸いではないけど、子供ができないのだから、その分は計算しないし余裕はある。

 まぁ、そうはいっても、働きだしたばかりだから由美子さんも消耗しているだけで、実際に辞めたいなんてことはないだろうけど。そうなってもいいんだよって、口に出すことで少しでも心のゆとりにつなげてもらえたらなと思った。

 いつでもやめていいんだって言う気持ちでいれば、絶対この仕事を続けて行かなきゃって言う気持ちでいるより、上手くいくと思うから。


「……ん? え? ちょっと意味が分からないんだけど。医者になりたいんじゃないの?」

「なりたいって言うか、単にお金稼げそうだしなろうかなって思ってましたけど」

「あ、ま、まぁ、動機は人ぞれぞれよね。でも、じゃあ高卒で働くって言うのは?」


 さすがに、働きながら医者になるのは難易度が高そうだ。でも海外のことも特別裕福な生活も望まないなら、医者にこだわる必要はない。

 由美子さんは何だか困惑しているみたいな反応だけど、もしかして、本気で何が何でも医者になりたいんだって思っていると思われていた?

 一応、由美子さんが本気で限界だ、働きたくないと言うなら、一回高卒で働くのも本気だ。少しくらい遠回りになるくらい、由美子さんの為ならなんてことはない。そこはちゃんと、言っておかないと。


「お金稼ぎたかったのは、由美子さんをできるだけ楽に養ってあげたかったのと、あと、まぁ、色々ありましたけど。でもいまはもう、そんなに稼げなくても、程々でいいし、それならもう、由美子お姉さんが大変だって言うなら、高卒でも働けますし、一緒になって助けてあげたいですし」

「そう、なの。ふーん」

「あれ? なんか反応ちっちゃくないですか? 私結構、ガチ目のこといったと思うんですけど」


 別に感動してほしいとまでは言わないし、じゃあ辞ーめた! って軽く言われても困るけど。でも、そんな流されるのも、複雑だ。由美子さんの為ならできるけど、働きながら大学って思いつきだし詳しく知らないけど普通に大変そうだし、割と覚悟をもって言ったんだけど。


「そうね……まあ、そうねぇ。でも、今日はそういう気分じゃないの」


 めっちゃスルーしてくる。え、ええー? いくら疲れてるからって、言葉まで節約しなくても。脳みそ使いたくないにしても、どうせ節約するなら、好き好き愛してるって一生言ってくれてるだけでもいいのに。スルーって。


「えー、急に呼び出して、久しぶりなんですから、もっといちゃつきましょうよー」

「今してるでしょ。癒されてるから、黙ってて」

「あ、はい」


 ちょっと冷たい。逆切れ? と思ったけど、私が勝手に覚悟して勝手に重いこと言っただけだ。変に期待するのが間違っていたんだろう。お疲れなのだから、内容も頭をスルーしていてよくわかっていないのかもしれない。

 誤魔化すように、とりあえず由美子さんを改めて撫でておいた。


 しばらくそうしていると、由美子さんは、ん、と声を上げて、私の膝を撫でながら口を開く。


「ねぇ、涼子ちゃん」

「ん? なんですか?」

「うん、膝枕ありがとう、起きるわね」

「まだいいですよ? いえむしろ、可愛い由美子猫ちゃんをもっと可愛がりたいです」

「……」


 足がしびれるとか遠慮せず、もっとしてていいんですよ、って促したのに、由美子さんは起き上がった。と言うか私の言葉にノーリアクションなんだけど、そんなに? もしかして寒かった? ってちょっと不安にもなるから、何かしら反応欲しい。


「それはともかく、久しぶりだし、ちょっとお出掛けしましょうか」

「あれ、疲れてるから、家に来てって仰っていたのに」

「そうだけど、気が変わったのよ」


 そう言うと、由美子さんは着替えだした。元気が出たならいいのだけれど、ローテンションだし、本当に元気が出たのかな?

 無理してないならいいんだけど。と言うか、普通に着替えているけど、外出ちゃうのかー……はー、久しぶりに見るけど、綺麗な体してる。


「ゆーみこさん、そんなに急いでお外に行かなくても、もう少しゆっくりしませんか?」


 ズボンを脱いで、お外用のズボンをはこうと、無防備にお尻を向けてくる由美子さんに、膝立ちになって抱き着いてみる。お尻あったかい。


「ちょっと、やめてよ」

「そんなこと言って、こんなお尻向けて、誘ってるんじゃないですか?」

「蹴るわよ。ほら、後でキスしてあげるから離れる」


 言いながら、軽く右足の裏でお腹辺りを押される。全然その気はないみたいだ。無理できないので仕方ない。

 終わって部屋に戻ってきてからのお楽しみにしよう。


 黙って着替えを待ってる間、軽く物を整理して、用意ができた由美子さんがお礼をいって頬にキスをしてくれてから出発する。家を出たところで、由美子さんはいつも通り自然に手を握ってくれた。


 いつも外ではそうだけど、今日は何だかダウナー由美子さんなので、これもだるい感じで拒否られたら嫌だなと思ったので、それはなくて安心した。

 そうですよね。テンション低いだけで、最初から抱きしめてくれたし、ちょっと会ってないくらいで愛情下がらないし、むしろ言動に出さないだけで増えてるくらいですよね!


 街に出て、由美子さんの希望でとりあえず目についた喫茶店についた。小腹がすいたのかと思ったけど、ケーキはいらないらしい。あーんしたかったんだけど、仕方ない。

 私としては、久しぶりだから今までのデート以上にいちゃいちゃしたいんだけど、疲労を引きづっているのか、そういう気分ではないらしい。今ひとまず落ち着くまで、この距離感で付き合おう。


「……」


 由美子さんはぼんやりと、頬杖をついて窓越しに外を見ている。黙ってその横顔を見る。

 いつも由美子さんは、私に向かうと柔らかく微笑む。拗ねたり照れたり怒ったり、いろんな表情を見せてくれるし、どんな表情も大好きだけど、その笑顔が何より好きだ。

 課題をしている時とか、真面目な顔を見たことがないわけじゃないけれど、そうではなく私を前に一人で思い悩むみたいな顔は、初めて見た。


 何を考えているんだろう。ただ疲れているなら、それでもいい。でも何か、悩んでいるなら、話してほしい。さっきたくさん愚痴を言ってくれても、悩みを言ってはくれなかった。

 私が頼りないから、だろうか。だって、どんなに大人ぶって、頼ってと言ったって、私はいつまでたっても由美子さんより6歳年下なのは変わらない。働いてもいいと言ったって、まだ高校すら出ていない。こんなんじゃ、口だけでしかない。


 ああ、何で私さっき、あんなこと言っちゃったんだろう。そりゃ由美子さんの反応もたんぱくだよ。だって、卒業まで丸二年もあるのに、あんなこと言って、馬鹿みたいだ。

 そんなの余計に、将来見えてない、頼りないなって思われても、仕方ない。いやでも、それを言ったのは愚痴が一通り終わってからだ。その時点でまだ悩みを言われてなかったんだから、普段から頼りないと思われてるんだ。はぁ。


「最近はあれよね」

「え? なんですか?」

「制服自体が、ファッションとして流行ってるのよね」

「そうですね。私も着てきた方がよかったですか?」

「いいけど、涼子ちゃんも普段は着てるの?」

「そうですねぇ。放課後は着替えたりしてますね」

「……ふぅん」


 由美子さんがぽつぽつと口を開くので、私までテンション下がってしまったままだけど、返事をして会話を続ける。するとふいに


「……ふっ」


 と由美子さんは鼻で笑った。まるで馬鹿にするみたいに、嘲笑するように。ぞくり、とした。

 そんな、冷たい目を、初めて見た。怒りで一周回って冷静になっている時だって、その目は熱く煮えていたのに、今は全然違う。

 今の会話、おかしかった? どうでもいい話題だったハズだ。


「由美子さん?」

「ああ、ごめんなさい。その、思い出し笑いよ」


 恐る恐る名前を呼ぶと、そんな風に誤魔化された。嘘だ。思い出し笑いって言うのは、もっとこう、おかしくってしてしまうものだ。そんな表情でするものじゃない。


 私は由美子さんの今までと違う態度に戸惑いながら、どうすればいいのかわからなくて、結局キスもしないまま、すごすごと家に帰った。

 せめてゴールデンウィークについてくらい、話せばよかったと後悔しても、もう家だ。今更言えやしない。私はその日、久しぶりに少し泣いた。

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