高校生編

第30話 由美子視点 涼子ちゃんの進路


「え? う、うそでしょ……?」


 カレンダーをみた私は、驚愕を隠せず、一人暮らしの部屋で馬鹿みたいに呟いていた。

 だって、こんなの驚くに決まっている。もう一か月も、涼子ちゃんに会ってない、なんて。そんなの、そんなの疲れるはずだ! 我が癒しの涼子ちゃんと触れ合っていないなんて!


 大学を卒業して、独り暮らしを始めて、就職した。念願の公務員として働き出した私は、疲れていた。正直に言って、働くことを舐めていた。公務員になれれば、将来安泰としか考えていなかった。九時五時で楽勝じゃんとか思ってた。

 しんどい。仕事を教えてはくれるけど、微妙にアナログで、その部分結構人によってやり方違うし、さっきの先輩と言ってる事違うってなる。なるけどいう訳にいかない。しかも当然だけど長く続ける人が多い分、人間関係が濃いし、気を使う。


 そしてへとへとの今、ふと気がつくと涼子ちゃんと一ヶ月もあっていなかったのだ。


 通りで、こんなにくたくたのはずだ。私には今すぐ、涼子ニウムが必要なのだ。すぐさま携帯電話を取り出し、涼子ちゃんへ連絡をすることに決めた。


 ……どう連絡しよう? と弱気な私の心が指をとめる。

 本気で仕事で摩耗して、心も疲れていたので、涼子ちゃんが健気に送ってくれていた挨拶も寝落ちとかで既読スルー状態になったのも少なくない。なのに都合がよくなったら会いたいなんて、怒るかしら? と少し不安になった。


「……えいっ」


 怒ったってかまうものか。会いたいんだから。愛してるんだから。しょうがない。

 開き直った私は、涼子ちゃんにお願いして、無事明日会う約束を交わすことに成功した。いぇーい。


 で、そんなこんなでようやく本日、私は涼子ちゃんと再会したのだった。めでたしめでたし。


「りょうこちゃーん! 第一部、完!」

「うわ、と。おはようございます。由美子さん」


 訪ねてきてくれた涼子ちゃんに抱き着き、中へ迎え入れる。ベッド脇のクッションに座らせて、膝枕をしてもらいながら、涼子ちゃんの近況を尋ねたのだけど、すぐにお仕事大変ですね。聞きますよ、とか優しいことを言われたので、ついつい愚痴ってしまった。


「うんうん、大変ですねぇ」


 なでなでされる。あー、癒されるぅ。これでまた、しばらくは頑張れる。もうちょっとしたら黄金週間が待っている。そしたら、こんな風に家でゴロゴロだけじゃなくて、ちゃんとデートしよう。

 それにしても、部屋にあがってからずっと、私への苦情とか全然ない。なんなの、この天使。まだ高校生なのに、仕事のことまで受け入れてくれるなんて。あー、もう一生この子と離れられない。仕事頑張ろう。


「涼子ちゃん……わかってくれてありがとう」

「いえいえ。でもあれですよ、あんまり大変なようなら、そんなに頑張らなくてもいいんですよ?」

「ん? どうして?」

「私は高校出たらもう働いてもかまいませんし、そうなったら家にいて、パートくらいしてくれれば、十分養えますし」

「……ん? え? ちょっと意味が分からないんだけど」


 高校出て働く? いやいや、そんな、何言ってるのか? この間、高校進学する時には、医者になろうかなとか言ってたじゃない。それだけ頭もいいし、めっちゃ凄いって内心尊敬してたのに。他にやりたいことがあるなら、医者になってほしいわけでもないけど、そんな簡単に働くとか、ちょっと、理解できない。


「医者になりたいんじゃないの?」

「なりたいって言うか、単にお金稼げそうだしなろうかなって思ってましたけど」

「あ、ま、まぁ、動機は人ぞれぞれよね。でも、じゃあ高卒で働くって言うのは?」


 思った以上に医者になりたい動機が俗物的だったけど、それは仕方ない。私だって、高尚な目的で公務員になったわけじゃない。真面目に職務を全うするなら、構わない。でも高卒で医者になれるわけがない。高卒では、医者と同じだけ稼ぐなんて簡単なことじゃないのは目に見えている。

 動揺をかくしつつ、できるだけ優しく聞いてみる。本音では声を荒げそうなほどだけど、涼子ちゃんの膝に癒されて顔を合わせてないので、なんとか動揺は隠せている。


「お金稼ぎたかったのは、由美子さんをできるだけ楽に養ってあげたかったのと、あと、まぁ、色々ありましたけど。でもいまはもう、そんなに稼げなくても、程々でいいし、それならもう、由美子お姉さんが大変だって言うなら、高卒でも働けますし、一緒になって助けてあげたいですし」


 涼子ちゃんは何でもないみたいに、そう言った。

 え、ちょっと、待とうか。えっとね、はい。私の為に医者って言うのはいいです。嬉しいし。そんで、前に私が、細々とした生活でも真面目に生きていくのがいいよね、みたいなことを言ったことあるし、そういうとこから稼がなくてもいいやって思ったんだと思う。

 私だって、涼子ちゃんと暮らしていきたいってのを人生の第一目標にしているし、そこは大きな問題じゃない。


 でも、私が仕事疲れたー大変だーって言ったら、じゃあ高卒でいっかって、それは、違うんじゃない?

 そんな、いい加減過ぎるっていうか。え、だって、おかしいでしょ? え、だって、えぇ? ……なんか、ちょっと、言葉がでない。


「そう、なの。ふーん」

「あれ? なんか反応ちっちゃくないですか? 私結構、ガチ目のこといったと思うんですけど」

「そうね……まあ、そうねぇ。でも、今日はそういう気分じゃないの」


 高卒を駄目とは言わない。それこそ、本当にやりたいことがあって、例えば職人とかそう言うので早く始めたいって言うなら、今すぐ学校をやめるって言っても応援する。

 でも、そうじゃないじゃない? 私がちょっと愚痴ったら、じゃあ働くって、それはおかしい。自分の人生、なんだと思ってるの?


「えー、急に呼び出して、久しぶりなんですから、もっといちゃつきましょうよー」

「今してるでしょ。癒されてるから、黙ってて」

「あ、はい」


 しょうがないなーと言いながら、涼子ちゃんはよしよしとまた私の頭を撫でだす。


 正直に言って、気持ちいい。このまま時間が止まってほしい。永遠に涼子ちゃんといたい。

 だから私も、涼子ちゃんと一緒にいることを前提に、人生設計をたてている。


 安定して稼げる公務員になった。自分で家を買うときにローンを組むとしても、公務員は比較的楽だし、そう言うお金だけじゃなくて、色んなことを考えて選んだ道だ。

 だけどもちろん、涼子ちゃんのためだけじゃない。そんなこと考えられないけど、涼子ちゃんに捨てられて一人で生きるにしても、公務員はいい。地元で就職したのも、地元が好きって言うのもある。公務員の中でも役所を選んだのは、ちゃんと自分の意思があってだ。


 私の中のまんなかに、涼子ちゃんはいる。間違いない。だけど、涼子ちゃんしか考えてないわけじゃない。涼子ちゃん以外にも、ちゃんとある。

 でも今の涼子ちゃんの言葉では、全然そうは思えない。私のためだけに、人生の重要すぎる進学問題をあっさり蹴るなんて、考えられない。今まで何のために勉強してきたの?


 ……私は、涼子ちゃんより年上だ。だからこそ、彼女の世界が狭まらないよう、気を付けてきたつもりだ。寂しくても、友達づくりや部活動とか、学校生活をしっかり謳歌するように言ってきた。実際、私より友達が多いくらいだ。

 でも、それでも足りなかった? 私は、涼子ちゃんの人生を狭めてしまったのだろうか?


「ねぇ、涼子ちゃん」

「ん? なんですか?」

「うん、膝枕ありがとう、起きるわね」

「まだいいですよ? いえむしろ、可愛い由美子猫ちゃんをもっと可愛がりたいです」

「……」


 猫ちゃんとか言われた。照れる。恥ずかしい、と共に、やっぱり私の態度がよくなかったのかな、と思う。

 私が、それこそ猫のように、涼子ちゃんに甘えてきたから。だから涼子ちゃんは私が心配で、私のことばかり考えてきたのかも知れない。


「それはともかく、久しぶりだし、ちょっとお出掛けしましょうか」

「あれ、疲れてるから、家に来てって仰っていたのに」

「そうだけど、気が変わったのよ」


 涼子ちゃんに癒されて、少しは動く気が出てきた。何も考えずに涼子ちゃんを呼んだけど、部屋は少し散らかっているし、よく見ると掃除も手抜きだ。

 それに、このままここにいると、ベッドに移行してしまいそうだ。そうなると、きっと何も考えられなくなる。


 涼子ちゃんのことだけは、他の何より考えたい。外の空気をすって、冷静に考えよう。


 着替えて外に出る。途中、涼子ちゃんがちょっかいをかけてきたけど、キス一つで黙らせておく。

 こう言うところはまだまだ子供っぽい。そこが堪らなく可愛いのだけど、今日はなんだか、同時に少しの罪悪感さえある。


 涼子ちゃんと手を繋いで、何となく近所のモールまで出たけど、特に行きたいところがあるわけではない。


「喫茶店に入っていい?」

「どうぞどうぞ。食べたいケーキがあるんですか?」

「いえ、今日はいいわ」


 食べ物があると、あーんとかしたくなる。邪念を払うため、飲み物だけを頼む。


「……」


 ちらりと見ると、窓の外にはたくさんの人が歩いている。当たり前だけど。その中に、休日だと言うのに、ちらほら制服姿が目につく。女子高生だ。


「最近はあれよね」

「え? なんですか?」

「制服自体が、ファッションとして流行ってるのよね」

「そうですね。私も着てきた方がよかったですか?」

「いいけど、涼子ちゃんも普段は着てるの?」

「そうですねぇ。放課後は着替えたりしてますね」

「……ふぅん」


 あれ、ちょっとよくわからなかった。放課後ってすでに制服着てたんじゃないの? なんでそこから着替える必要があるのかな?

 まあ、いいけど。


 と言うか、私と会うときは止めてるのか。……やっぱり、私が年上だから、よね? 年上だから、合わせようとしてるのよね。

 ……そうよね、当たり前だわ。考えないように、してたのかしら。現実逃避だ。彼女が大人ぶるなんて、今更だ。


 自分より私の方に、あわせようとしてくれていたんだ。私はそれに、ずっと甘えていた。そのくせ、大人として気遣っていたつもりなんだから、笑える。


「……ふっ」


 自分で、頭がいい何て思わない。涼子ちゃんと同レベルで喧嘩してきたのだ。精神年齢はきっと、いやむしろ、涼子ちゃんより低いかもしれしれない。それでも、それなりに年を重ねて、生きてきたつもりだ。

 だけど、私はいったい何をしてきたんだろう。涼子ちゃんをこんな風に、私しか見ないように、私だけを優先してしまうように、そんな風に生きるよう、仕向けるつもりなんてなかったのに。


「由美子さん?」

「ああ、ごめんなさい。その、思い出し笑いよ」


 漏れてしまった自嘲に、そう誤魔化した。


 どうすればいいのか。年上の恋人と言う立場として、どうすべきか。

 別れるべきかも知れない。だけど、そんなのは絶対に嫌だ。涼子ちゃん無しで、どうやって生きて行けばいいのか、私はもうわからない。涼子ちゃんのいない人生設計何て考えたこともないし、考えられない。


 だからそれ以外で、どうやって彼女に、自分自身の人生と言うものを、真面目に考えてもらうか、私はそれを考えていたけど、結局その日は、わからなかった。

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