第10話 相合傘(室内)
いつものように今日も涼子ちゃんとお部屋で恋人前デートだ。涼子ちゃんはこの部屋に来てから、だけど時々窓の外を気にしている。無理もない。今日は一日降水確率50%で、お昼からずっと今にも降りそうな曇り空だ。
「天気、夜まで持つといいわね」
「ん? ああ、私としては、今日だけは降ってもらってもいい、むしろ降ってほしい気分なんですよ」
「え? どうして?」
「ふふふ。じゃーん」
涼子ちゃんは鞄から擬音を言いながら、折り畳み傘を取り出した。無邪気で可愛い。
涼子ちゃんはそのまま傘を広げだした。白地に小さな色とりどりのハートがちりばめられていて可愛い。小学生っぽくはない、普通に私が使っても恥ずかしくないし、むしろ使いたい柄だ。こういう時、折に触れてはっとする。
最初のあの小学生丸出しの格好、何だったの。ねぇ。今更聞けないけど、わざとだったのかしら。だとしてもがっつりハマってしまっているし、今更どうしようもないのだけど。
「これ、新しい傘買ったんです。今日デビューの予定だったんで、楽しみにしていたんですけど」
「なるほどねー、可愛い柄ね」
「でしょう? これで由美子さんと相合傘がしたくて」
「いや、折り畳み傘とか小さいじゃない」
濡れるわよ。相合傘自体は心動かなくもないけど、わざわざ濡れるようなことはしたくない。と言うかここ自宅だし、雨降っているのに意味なく出かけないし。
「それがいいんじゃないですかー、って、あれ? 雨降ってます?」
「お。ほんとですね。やった。じゃ、行きましょうか」
「いや、行かないわよ」
そのテンションでニコニコ笑顔で言われたら、何でも流されると思わないでほしい。私の意思は固いのだ。
「えー、いいじゃないですか。同じ傘に入って身を寄せて、傘に隠れてそっとキスするんです」
「……」
いやだからね、そう言う、ありがちすぎる相合傘イベント、嫌いじゃないわよ? むしろ大好きだし、想像するだけでちょっときゅんとするし。
でも、だからって外に出るとか馬鹿みたいだし、そもそも、私たちの身長差でキスするとか丸見えだし無理に隠しても不自然すぎるし。ていうかまだ恋人じゃないからキスしないし。
他ならぬ大好きな涼子ちゃんがどうしてもしたいと言うから、キスさせてあげているだけで、恋人でもない相手に自分からキスするなんて。
「ねぇ、聞こえてます? どきどきしてやりたくなってきてるんじゃないんですか?」
「ば、馬鹿。大人をからかうんじゃないわよ」
「えー? またそんな、心にもないことを言って」
「そんなこと……いや、ホントにどういうことよ」
大人をからかうんじゃないわよ、が心にもないことって、からかってほしいと思っているってこと? それとも私が自分のこと大人って思ってないってこと?
「とにかく、仮に外に出て相合傘しても、おチビさんな涼子ちゃんじゃ、私にキス何てできないでしょ」
「む。すぐに伸びます」
「今日中には無理でしょ」
「そうですけど、いいじゃないですか。かがんでくれたら」
「お尻が濡れるでしょ。隠れられないし、とにかく却下」
これは譲る気はない。私の固い意志を感じ取ったのか、涼子ちゃんはむーっと不機嫌アピールしていたけど、諦めて肩を落とす。
「あーあ、残念です」
「そ、そんなに落ち込まなくても」
「落ち込みますよ。由美子お姉さんは、私と相合傘なんてしたくないんですね」
「そ、そんなこと言ってないわよ」
「本当ですか?」
涼子ちゃんは疑わしそうに私を見てくる。半目で、拗ねたように少し唇を尖らせている。
ううん、そんな顔しないでよ。わざとやってて、私を相合傘させようとしているんだろうとわかっていても、のってあげたくなるじゃない。しょうがないわね。
私はため息を軽くついて、微笑みながら妥協してあげることにする。
「ええ。その証拠に……今ここでしてあげるわ」
「やった、って、ここで?」
「ええ、ここで。ちょうど傘も広げたままだし」
想定外だったらしく、喜んでからきょとんとする涼子ちゃんに、やってやったとにんまり笑う。そんな私に、涼子ちゃんは胡乱げな目を向けてくる。
「えぇ……本気ですか?」
「本気よ。ここなら濡れないし。さ、傘を広げなさい。傘を忘れて困ってあげるから」
「しかもストーリー仕立てっ。ま、いいですけど」
妥協した感、イラっとするなぁ。まぁ、イラ可愛いから許すけど。
涼子ちゃんは気を取り直したように、わざとらしくニコっときらっと笑ってから、広げたままの傘をそっと肩にかけた。
「おやっ、そこにいるのは由美子お姉さんではありませんか。もしかして傘がない、傘がない? 何というタイミング。わたくしめが、お迎えに上がりましたよ、姫」
「どういう設定で迎えに来てるの? たまたまなの? 迎えにきたの?」
「迎えにきて、だと傘が一本しかないことがおかしいですからね」
「ああ、確かに? いやでも、涼子ちゃんなら仕込みでわざとそうするでしょ。全然おかしくないけど」
「うーん、そう言われると。まぁとにかく、いいじゃないですか。さ、傘にお入り」
「そうね」
お入りって、私は犬か猫かってくらいの軽い言い方するわね、とは思ったけど、これからいちゃいちゃを始める前にこれ以上ケチをつけるのもあれなので、隣に座りなおしてそっと体を寄せる。
「ありがとう、涼子ちゃん、迎えに来てくれて」
「どういたしまして。同じ傘に入っていると、雨音で、何だか世界からここだけ切り離されたみたいですね」
お、おお。えっと、すごいわね、この子。ノリノリにもほどがあるというか、なんでそんなに実際に相合傘している体でそこまで設定つくれるわね。想像力が凄いというか、なんというか。とにかく合わせなきゃ。
「そうね。二人だけ、ね」
「はい……由美子お姉さん、もっと、近寄らないと、濡れちゃいますよ」
「っ。そ、そう、ね」
くすっと、まるでからかうように微笑んで、耳元でささやかれた私は、動揺しつつも身をかがめて、さらに涼子ちゃんとの距離を減らす。
肩がくっついて、少し動くと頭までぶつかりそうだ。それでも小さな折り畳み傘の中に入るにはぎりぎりだ。こ、こんな体勢を外でしようとしてたの? そんなことできるわけがない。
涼子ちゃんとは恋人ではなくても、両想いで、大好きな相手で、だから、彼女からの愛情表現を拒んだりしない。恋人ではないし、本当はいけないし、恋人でもないと思うと余計にふしだらで禁忌的な感覚に、恐ろしさすら感じることもある。
だけど、だからこそ余計に、彼女と触れ合い、その思いをぶつけられることは、どきどきするし、駄目だと思っても感情が求めてしまうのを止めることはできない。
「涼子ちゃん……」
こんなに近くで、見つめあって、傘をしているからか、いつもより息がこもっているような気がする熱い空気の中で、思いが高まらないはずがない。
涼子ちゃんとキスをしたい。触れてほしい。そんな欲望が、声にならずに体に積もる。
「はい。由美子お姉さん、キス、したいです」
「……特別、だからね」
「大丈夫です。だって、傘で、誰にも、見えませんから」
「……そうね」
私は目を閉じて、涼子ちゃんの思いを受け入れた。
何度も、雨が上がるまで、馬鹿みたいに相合傘をして、傘に隠れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます