第9話 乳歯
「うーん」
「まだ気になるの?」
「そりゃそうですよ。まだって言うか、さっきじゃないですか」
涼子ちゃんは口の中に指を突っ込んで、顔をしかめている。これは別に指しゃぶりをしているわけではなく、歯の抜けた跡を気にしているのだ。
私が涼子ちゃんと出会い、好きになってから一年近くが経つ。だけどそれだけ経っても、涼子ちゃんはまだ小学生なのだ。まだ年齢も2桁になったばかりで、だから乳歯が残っていても不思議ではない。
「ね、もっかい見せてくれない?」
「えー。なんか、恥ずかしいんですけど」
呆れたように言いながら、涼子ちゃんはティッシュにくるんださっき抜けた歯をそっと渡してきた。一応一回洗っている。持って帰って屋根に投げるらしい。別にうちで投げてもいいんだけど、拒否された。
受け取って、中を広げてみる。綺麗に抜けた歯は、少しだけ先端が黄色がかっている。奥歯なので、上は平らで真ん中が少しくぼんでいる感じだ。根本はとがっていて、三股にわかれている。
これが、涼子ちゃんの口から出てきたのだ。そう思うと、何だか不思議な気がした。
あんなに格好良くて可愛くて、キスされるたびにどきどきしちゃう涼子ちゃんは、まだ本当に子供で、素敵な唇の奥に、子供の歯を残していたのだ。
何故だか、背筋がぞくぞくした。涼子ちゃんとはまだ恋人ではない。大人になるのを待っている状態だ。だけど、まるでとても背徳的な関係のようで、それを強く強調されているようで、何となく口の端が上がってしまうのを抑えられなくなった。
「……何で、歯を見て笑ってるんですか? 歯フェチなんですか?」
「いや、そんなことないわよ。ただ、可愛い歯だと思って」
いぶかしそうに見られた。誤魔化してみるけど、涼子ちゃんは疑念の目をとかない。するどいな。
「そうですか? まぁ、いいですけど。そろそろ返してくださいよ」
「そんなに恥ずかしいの?」
「そうですね。自分ではどうにもならない恥ずかしいところを見られていると言いますか、どうにも落ち着きません」
仕方ないので返す。できれば記念にもらいたいけど、この流れだと拒否されるだろうし、変に思われても嫌だ。
涼子ちゃんはそれをまたポケットに入れて、呆れたような顔のまま息をつく。
「由美子さんはとっくに全部永久歯なんですよね」
「そりゃ、そうよ。同級生の中では、親知らずが生えている人もいるわ」
「由美子さんはまだなんですか?」
「ええ。と言うか。生えてほしくないんだけど」
痛いらしいし。涼子ちゃんはへぇといい加減に相槌をうった。その唇を、なんとなく見つめていると、涼子ちゃんは気づいたようで、ニヤッと笑う。
「なんですか、由美子お姉さん? キスしてほしくなっちゃいました?」
「な、なんでよ。恋人でもないのに、そんなわけないじゃない」
「この際、なっちゃいますか」
「なりません」
「ちぇ。でも、何ですか? じっと見て。惚れました?」
「すでに好きだから、そう言うちゃちゃはやめて」
「う……わ、わかりました」
私の言葉に、涼子ちゃんは照れて少し頬を染めると、視線を泳がせた。あまりにさらっと言ってしまって、涼子ちゃんの反応に私まで照れてしまう。
ぐう。すでに両想いなのはわかっているし、今更なのに。期せずして不意打ちになったからか、涼子ちゃんの反応可愛すぎる。
「で、で。結局、何なんですか?」
仕切りなおすように、涼子ちゃんは、で、と連呼して平静を装って聞いてきた。まだちょっと赤いのが可愛い。
「あ、うん。触りたいなーと思って」
って、は。可愛いなーってぼーっとしてたら素直に答えてしまった。い、いやいや! 別に変な意味じゃないから!
「ち、違うわよ。変なアレじゃなくて、その、歯が抜けた跡って、どんな感じなのかと思って」
「十分変なことだと思いますけど……触ってみます?」
けしてエロティックな意味ではない、と弁解したのだけど、苦笑するみたいに微笑んだ涼子ちゃんは、それから視線を一度そらしてから、はにかむように私にそう提案した。
実際にそうするとは考えてなかったので、ちょっとドキッとした。提案した涼子ちゃんの顔が、エロいせいだ。
「い、いいの?」
「もちろんです。だって私達は、特別な関係じゃないですか」
「そ、それもそうね」
「あれ? これは否定しないんですか?」
「え、だって恋人ではないけど、両想いなんだから、特別な関係ではあるでしょ?」
「……まぁ、とにかく、由美子お姉さんなので、いいですよ」
本当に許可された。う、なんか、いいのかしら? いや別に、そんな、ねぇ? 傷口が気になるくらいなら、普通のハズ。
そっと手を伸ばして、涼子ちゃんの頬に触れる。左手で顔を固定して、右手で顎を軽く抑えると涼子ちゃんは素直に口を開けた。
「……」
ど、ドキドキしてきた。口の中って、なんかエロくない? ていうか真正面から大口開けている顔でも可愛いって天使か。ちょっと顔赤いし、なんか変な空気感じるのは私だけじゃないと思う。それに距離も結構近いし。意識するよ、そりゃ。
でもここまで来たら、今更引く方が変なので、思い切って右手の人差し指を伸ばして、そっと、中へ差し込む。
中はむっとするほど暖かくて、鼻息が手の甲にあたる。異常な空気感に、妙に興奮しているのを隠しながら、そのままゆっくり指をすすめる。
「っ」
指先が、固いものに触れた。右の奥歯なのだけど、そんなに間隔も狭くないので歯に指先がどうしても当たる。
そっと手前の歯を撫でてみると、真ん中に溝が通っているような形で、両端は思っていた以上にとがっている気がする。
涼子ちゃんの呼吸が激しくなってきた。苦しいのかな? 口の中を覗きこんでいたので、手を止めて涼子ちゃんの顔色を窺う。
「涼子ちゃん大丈夫? 苦しい?」
「は、はいひょうふへふ」
「そう? じゃあもうちょっと待ってね」
「はひ」
改めて覗きこみ、奥へ、歯が抜けた場所へ指をつける。押し込むようにすると、くにっとした柔らかいものがあった。思っていた以上に、ぽっかりと空いたような感じがする。
す、すごい。人間の体って、自然にこんな穴があくのね。それで血も止まっているなんて。なんか、すごい。さっきまでのエロとは違って、なんかすごい、感動する!
「凄いわ、人間の神秘ね。はぁ、あ、ありがとう、涼子ちゃん、もういいわ」
「あ、はい。えと、その」
手を離して、興奮を抑えつつお礼を言うと、涼子ちゃんは疲れたのか赤らんだ顔のまま、何だか曖昧な返事をした。
何だか珍しくもじもじしてるけど、何かしら? トイレ?
「どうしたの? 何かあるなら、遠慮なく言っていいのよ?」
なんたって私たち、人体の神秘に触れた関係なんだから。
「あの、次は私の番、かなー、と」
「え?」
番って、え? 私の口の中に指を突っ込みたいって?
「却下」
「ええ? 遠慮なくって」
「遠慮はしなくていいけど、何でもOKするとは言ってないわ」
「ええー? それはそうですけど。でも由美子お姉さんはしたのに」
「私は、涼子ちゃんの歯が抜けたからよ。私は何もないのにそんなこと、破廉恥だわ」
「えぇー? え、えええぇー」
「長いわよ」
どれだけ驚いてるのよ? そんな驚かなくてもいいのに。普通でしょ。どうして何の理由もなく人の口に指を突っ込めると思ってるの?
例え恋人だとしても、意味もなく指を突っ込む関係とか、普通じゃないでしょ。
「むぅ。じゃあ、由美子お姉さんの歯が抜けたときは、私の気がすむまで触らせてください」
「いや、永久歯なんだけど」
「親知らずは抜く人がいるって聞きました。それともなんですか? 人にはしといて、自分はNGなんですか? 大御所ですか?」
「わ、わかったわよ。抜いたらね」
「はい! 約束ですよ」
何だか妙な約束をされてしまった。でも仮に将来抜くとしても、今は親知らずのおの字もないくらい生えてないし、その頃には忘れてるでしょ。
「て言うか、大御所ってなによ」
「NGの多い大御所芸能人的なイメージです」
「やめてよ。若手にしてよ」
涼子ちゃんとの年齢差を気にしてるのに、そう言う年重ねてますみたいなのに例えるのやめてよ。ただのツッコミでもなんか嫌だわ。
「若手でNGだらけとか、めっちゃなめてますよね」
「うるさい。そんなこと言うと、しばらくキスさせないからね」
「しばらくしたら、私にさせるつもりの由美子お姉さんが、好きですよ」
「う」
にやにやして言われた。こ、こいつ。ほんとに人のことなめすぎでしょ! そりゃキスされたいけど!
「ふふ。怒らないでください。あー、由美子お姉さんとキスしたいなー」
「……好きにしたら」
「はい! 好きにします」
涼子ちゃんはそっと私に体を寄せてきて、しょうがないので、私は目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます