第238話 エピローグ


昼下がりのオフィス、パソコンをカチャカチャいじっていると、モニター越しに社員が出張から帰ってくるのが見えた。


「おしん、今日の外回りって最後だっけ」


居残り組のハマグリ妖怪おしんは、紙のメモ帳を見ながら「そうですね」と言った。


「今日飲み行くか? 法案通過したお祝い」


おしんはにこりと笑い、「私はいつでもオッケーです」と言った。


「今回のは基本法で、次は関連法案があるって、しずくさんが嘆いていたけどな」と、同じく居残り組のたきが口を挟む。たきは磯姫という妖怪だ。


「そうなんだろうけど。せっかく花の都大東京にいるんだ。楽しもうぜ」


俺達が駄弁っていると、ワークプレイスに外回り組が入ってくる。


「ただ今」


「お疲れ様」


「あ、多恵子さん、今日飲みだって」と、おしんが言った。


多恵子さんは、チラリと俺をみると、「ふうん」と言った。


あれは、いいんじゃない? という意味だ。なんやかやと付き合い長いからな。


千尋藻多恵子。


俺の嫁、桜の母親だ。事故に遭って異世界転移する前までは殆ど口をきかなかったはずなのだが、ここで仕事するようになって何故か少ししゃべるようになった。


思えば、俺が会社を辞めて独立したいと言った時にも、反対しなかった。俺が異世界騒動で手を離せなかったときも手伝ってくれたし、その時以来、こうして常勤してくれている。


「ふう。疲れたぞ。隙あらばセクハラしようとするやつが多くて困る」


そう言うのはスーツ姿のアリシアだ。最初はオフィスで事務員兼給仕係だったのだが、ポンコツ過ぎて外回りのボディガード役に任命した。アリシアは日本では珍しい銀髪で、美形でスタイルもいいから、きっと男達が寄ってくるのだろう。


そして、何故かアリシアと嫁は仲が良い。というか嫁は、しずくとも普通に接するし、アイリーンとも仲良しだ。


俺との関係を知ってもなお、いや、知っているからこその仲と言うべきか。不思議な感じがするが、嫁がいいならいいやと思うことにしている。


アリシアは帰ったその足で給湯室に行き、手を洗い始めた。完全に日本に馴染んでいる。


「まあ、今日、法案が一区切り付いただろ? しずくをねぎらおうと思って」


「綾子とまつは沖縄だから、アイリーンに声かけとこっか」と、多恵子さん。


「そだね。男女比率が変なことになるな。頼光さん呼ぼう」


小田原さんは、地下迷宮にどはまりしているし、ケイティはしずくの依頼でバルーンと一緒に海外出張中だ。その二人以外の男の知り合いは、妖怪くらいしかいない。アトラス大陸に行けば別だけど。


「そうと決まれば、何処にしようかな」


「赤城屋じゃないの?」と、おしん。


「たまには別のとこに」


俺は、インターネット用のパソコン机に座り直し、検索サイトに繋ぐ。


ちらりとネットニュースの文字が飛び込んでくる。


『魔術法、妖怪基本法、怪異対策基本法の成立 専門家の解説』


『ウルカーン、エアスラン、ノートゥン、ララヘイム4カ国がウルクシエル共和国樹立を検討。今後ティラネディーア、エルヴィン、タケノコも加わる予定』


『カルメン・ローパーがポロリ?』


『東京湾にクラーケン入港。ノートゥンの使者来日』


『K国議員団がアポ無し来日。ウルカーン大使館前で止められる デシウス・ローパー大使が皮肉』


『C国、アトラス大陸の一部領有を改めて主張。実行支配を強調。ティラネディーアは即座に否定。立ち去らない場合は制裁を検討か 関係筋の情報』


『エルヴィン国、R国に連れ去った国民の返還を要求。R国は連れ去りを認めず。逆にエルヴィン国の一部割譲を要求。軍艦への攻撃に対する保障として』


『日本は侵略を反省し、新大陸への領土的野心を捨てよ。過度な魔道技術の隠匿に懸念 C国外交部』


『ララヘイム使節団がアトラス大陸を出発 ハワイを経て横浜へ寄港』


『日本政府、ララヘイム国に飛行艇3隻を無償供与検討』


『タケノコのモンスター娘図鑑 日本妖怪との比較 妖怪専門家の意見』


『フランス産ワインが枯渇の危機? モンスター娘にがぶ飲みされる』


ううむ。カルメンのポロリが少し気になるが、どうせくだらない記事だろう。


他には、やっぱりC国とR国が揉めてるな。


日欧米はさっさと外交開始しているというのに、小さな村や未開の森の領有くらいで躓いているとは。


そのくせ、日本には魔道技術の開示を求めて来るという。何という面の皮の厚さ。


まあ、当面は無視で、ティラネディーアのC国の方は準備ができ次第潰すってティラマトが言っているし、エルヴィンのR国の方は、エルヴィンがウルクシエル共和国に加盟次第、ビフロンスが動くってことになっている。いや、水面下ではもう動いているかもしれない。あっちには軍師もカモメもいるし。


というか、。ティラやノートも起そうと思えば直ぐにでも目覚める。今頃、様々なプランが検討されていることだろう。


俺がインターネットでニュースを見始めると、他のメンバーも世間話を始める。


「おしん、妖怪基本法の関連法によ、刑法上の罰則規定を定める法律があるって知ってるか?」と、たきが言った。おしんはそんな法律のことは知るよしもなく、ぽやぁとしている。


「あ、アイリーン? 今日飲むって。学校早めに切り上げなよ。場所はあとでメール入れとくね」


嫁が学生に戻ったアイリーンに電話している。アイリーンは東京で学園生活を満喫しているのだ。


平和だなぁ。


異世界で戦争していたのが嘘のようだ。


カチン、とメール着信音が鳴る。頼光氏からだ。


『いいぞ。そのあとの百鬼夜行に顔を出せ』とある。飲みに誘ったメールの返信だ。


妖怪基本法が通ったから、グレーゾーンだった百鬼夜行が合法になる。さっそく届け出を出したのだろう。


俺は、『了解』と送り返した。これで同性ゲットだ。


「旦那、シフト割は今日中に頼むぜ。明日は俺と神社庁に出張だしよ。マルコとカシューは怪異対策でしばらく戻ってこねぇし」と、たきが言った。


俺は「了解」と返し、サクッと老舗居酒屋のフロアを貸し切り予約してイントラのパソコンに戻る。


さて、飲みの時間までに終わらせねば。



・・・・・


「かんぱーい!」「お疲れです!」「はい、乾杯!」


全員揃わぬうちから始めてしまった。しずくと俺がせっかちだからだ。


「法案成立お目でとしずく」


しずくは少しはにかんで、「言葉は受け取るが、私、政治家でも法律家でもないんだけどな」と言った。


「まあまあ、日本政府からこれだけ頼られるっていうのも、気分が良いだろ」


俺はそう言って、隣のしずくに瓶ビールを注いでやる。


しずくはグラスを持ち上げて、それを受ける。


「魔術の売れ行きもうはうはだし」と、たきが言った。


「しかし、アトラス大陸との取引が開始されれば、独占と言うわけにも行かなくなるだろう」と、アリシアが言った。こいつはぽんこつの癖にこういうことは何故か理解する。


「アトラス大陸の初代大統領はビフロンスだから」と、答えておいた。すなわち、裏では全部繋がっている。しばらくうちらの魔術独占体制は崩れない。


懸念があるとすれば、AIにより、うちらより高度な魔術を生み出されてしまうことなのだが、軍師の暗号化スキルなどを駆使してある程度の隠匿は図れると思われる。


コンコンと、ドアがノックされる。


そして、そこからゆっくりと、白系の服に身を包んだ女性が入って来た。


何を着ても似合う。いや、何を着ても高級品に見えてしまう。


「お待たせ。ちょっと友達とお話してて。あ、ビールは自分で頼んだ」と、アイリーンが言った。始祖鳥のロゴが入ったリュックを降ろし、空いている椅子に座る。あのリュックの中には、教材とノートPCが入っている。これまで数回盗まれかけたらしい。


「勉強はどう?」


「難しい。まずは言語の壁ね。でも、CADはそこそこ覚えた。確かにこれ、魔術刻印を造るのに便利ね」


「いずれ、あの大陸から沢山留学生が来ると思う。アイリーンはそのさきがけかな」


「どうせ若い子が来るんでしょ。私は一通り覚えたら仕事したいかな」


アイリーンのビールが届く。再び乾杯する。女子会話が弾み出す。


嫁も上機嫌でアイリーンとしゃべっている。不思議な感覚だ。どうも妖怪とか異世界人とか違和感なく入って行けてる気がする。


そろそろ男手が欲しいと思っていると、部屋の扉がすっと開いた。


ファー付きのコートと本革のズボンを着たイケオジ。泣く子も黙る源頼光さんだ。格好いい人なんだこれが。


最初に出会ったのはまつに誘われた妖怪合コンだ。大柄な茨木と一緒に来ていた。男が俺とケイティだけだったので、人数合せでまつが呼んだのだ。この人が妖怪だったのが少しびっくりしたんだが。あの時代は俗世と妖怪の世界が近かった時代。妖怪と縁の深かったこの人も妖怪になったのだろう。と、勝手に想像する。


頼光さんは「遅れて、済まないな」と、流暢に言った。まるで吟じているようだ。高そうなコートを脱いで俺の斜め前に座る。


「あ、頼光さん。日本酒?」と、嫁が言った。


「かたじけない。日本酒をいただけまいか」


絵になる男って、あれ? 何か違和感がある。


「頼光さん、刺身も残ってるよ」と、おしんが9割食い尽くしたお造りを頼光さんの前に差し出した。


「ありがとう。貝の娘よ。ふう。今日は暑いな」


頼光さんはそう言って、襟を引っ張り胸元に空気を送り込む。ちょっと違和感がある。


「あの、頼光さん、なにそれ」


「ん? これか?」


頼光さんはそう言って、自分のロケットおっぱいを揉む。よく見ると、腰つきも母性溢れている。革ズボンがまあるく膨れ上がっている。


「どしたの? 腫れた?」


「ああ、旦那、これはあれだ。妖怪蒔絵だ。今度懲罰にも使われるだろ?」と、たきが言った。


俺が分けわからずにいると、「知らないのか? 悪さをした妖怪は、実名と共に、人畜無害な設定と国指定の絵師が描いた絵姿を公開されることになったんだ」と、しずくが言った。


「なんで?」


「その通りに変化するからだ。例えば、犯罪を犯した鬼を愛らしい子犬の絵にしてテレビやインターネットなどに公開すると、人々がそれを見てそう認識してしまい、鬼本体がその子犬の絵姿に近づいてしまう。面白いことに、設定も近づくんだ。例えばご主人様大好きとかな」と、しずく。


「そう。それが妖怪。だから百鬼夜行が必要なんだよね」と、たきが言った。


「知らなかった。でも、頼光さん、何かやったの?」


「何も。おそらくだが、誰かが面白おかしく我をこのように描いたのだろう」と、頼光さんが言った。


「罪なこと。大変そうだけど、大丈夫?」


「大丈夫ではない。街を歩くときじろじろ見られ、肩は凝り、服代もバカにならぬ。私をこのように描いたものとは、今度よく話し合わねばならない」


頼光さんは綺麗な唇で日本酒をきゅっと飲むと、刺身を小さな口で上品に食べる。仕草も女性っぽくなっている気がする。誰か知らないが、罪深い事をする。


「どうでもいいことだが、茨木と酒呑は小娘になってしまった。まあ、あいつらは、かつて暴れていたやつらだからな。それを未然に防いだという意味ではいいのだが。何故我が母性あふれる女性なのだ。晴明のやつは狐みたいな優男から線の細いイケメン細マッチョになったし、がりがりだった山姥のせがれは徐々にマッチョになりつつある」


「妖怪って、不思議だなぁ」


「ところで千尋藻、いつC国を追い出すんだ? 最近よく聞かれるんだ」と、しずくが言った。


「準備中だって。ティラマトが妹連れて地上に出たから、そっちは心配してない。今、レミィを引っ付けて様子を見てる」


「ほう。R国の方は?」


「こっちの方が難しい。彼ら、C国と違ってころころしちゃったから。ホルマリン漬けも10体分ほどあるし。証拠写真もあるよ」


「ウルカーンの王族は?」


「王妃と王女がお船に乗ったね。ビフさんはどうでもいいって言ってるけど、いや、いずれ向こうから返してくるっていう意味かな。泣きながら」


「ほう。やるのか? ばれると、それはそれで批判されるぞ?」


「そこなんだよね。日本に飛び火しそうだしね。多分、何の要求も宣言も無しにいきなりやると思う」


ウルという亜神は植物の総意と呼ばれる。他の亜神も、土やら海やらの微生物の群体が起源だ。やろうと思えば、任意の土地の植物を枯らすことができる。微生物はもっとおそろしい事が出来る。例えば、地下に眠る化石燃料を変質させるとか。


急激に変える必要は無い。穀物の収穫量が徐々に減る。原油が変質してプラントが壊れる。

これを繰り返すだけで、現代国家といえども滅びる。


ビフロンスを怒らせたら、そうなるのだ。だけど、ビフロンスは慈愛の人だ。滅多なことでは怒らない。自分を追放した件すら怒っていなかったのだから。


しずくは、日本酒をちびりと飲んで、「そうか」とだけ返した。



・・・・


「では、百鬼夜行だ」と、巨乳になった頼光さんが言った。街の明かりが一気にトーンダウンした気がする。


東京が一番きれいだったとき、きっとこんな風だったのではなかろうか。


今日は、なんと嫁が一緒だ。アイリーンは明日学校だからと帰った。しずくとアリシアも仕事を理由に帰っていった。


「全国から集まってる?」


見知らぬ妖怪が多い。妖怪基本法成立最初の百鬼夜行だから、皆張り切っているのだろう。ここは東京だから、認知される度合いも半端ではない。


油すましがじっとこちらを見つめている。油すましは初めて見た。癒やされる。


何時のまにか俺と嫁の間にぬらりひょんがいる。このぬらりひょんは女性だ。和装美人だ。


嫁の足元で、猫がじゃれついている。すねこすりだろう。


ビルの隙間から、自動販売機の後ろから、自動車の下から色んな妖怪が蠢き出す。


楽しくなってきた。


「旦那、私ら水辺のやつらと隅田川の方に行くよ」


たきがそう言って、おしんと一緒に別方向に歩いて行った。


「皇居方面でいい?」


今日は頼光さんを誘った手前、俺はそっちに付いていくのが義理なのだ。


「はいはい」と、嫁が応じる。


付喪神系の妖怪が、演奏を始める。琵琶に三味線だけかと思いきや、ギターやピアノもいる。


そして、一斉に歩き出す。


「あのさ」


俺は、何となく隣の嫁に話掛けた。嫁は無言だが、ちゃんと聞いていると思う。


「嫁、増えたんだけど、どう?」


嫁はふんふんと頷いて、「色々、試せばいんじゃないっすか?」と言った。


嫁の心は秋の空。


「多恵子さん、妖怪じゃないよね」


「妖怪はアンタっしょ」


こんな理解力があるやつは、妖怪か化け者しかいないと思っていた。なお、俺は妖怪ではないはずだ。今の所。


空に、妖怪が舞う。空を飛ぶ系の妖怪は、どいつもヒラヒラと舞うようなやつらばかりだ。


「元気だなぁ」


「今起きて来たんでしょ」と、嫁が応じる。


「妖怪が元気だと、日本も元気だ」


例えば、世界の敵。追放とか婚約破棄とかのあいつらだ。


そんなヤツラが攻めて来ても、妖怪が元気なら、日本は大丈夫な気がする。


嫁と、皇居方面に歩く。


江戸城跡地に櫓が建っている。天守閣復興プロジェクトで建設中なのだ。


夜のお堀の中は、とても風情があった。


色とりどりの妖怪達が飛び回り、元気に行進する。


頼光さんが、誰かと談笑しながら歩いている。あれって、将門公だよな。一緒に仲良く百鬼夜行しているようだ。


「この世に神はいなくても、何とかなるさ」


嫁は、ふんふんと頷いた。




#本編完了? 次回、もうひとつのエピローグ お楽しみに

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