第224話 夜戦と朝駆け
冷たい夜。俺とバターは、防塁の上から敵の陣地を見下ろしていた。
空には雲がかかっており、月も星も出ていない。
季節的に虫の鳴き声も殆どせず、少し風はあるが枯れ草の音がする程度ではない。
「夜戦には良い日だな」
「わん(そうだな)」
「目的は足止め。あいつらも、この島の国民なんだ。殺しすぎるな」
「わんわん(その感覚がよく分からねぇ。だが、分かった)」
さて、そろそろ攻撃開始なのだが、その前に、こいつらどうしよう。
俺の千里眼の一つには、座敷に集まる10人くらいの黒スーツやら上半身裸やら和服の老人やらが映っていた。
全員右手首と二の腕、それから腰辺りを極めているから、殆ど身動き取れないでいる。
こいつらは、企業舎弟を隠れ蓑に魔術購入を打診してきたアンダーグラウンドな人達だ。マル暴の知り合いに聞いた所、最近はそこまで凶暴では無く、逆に半グレや海外勢に押されてきているんだとか。
というか日本は、こういった人達も完全排除はしていない。排除不可能というか、必要悪とすら思っている。
さて、こういった人達をどうするべきか。なんやかやと裏社会の秩序はこういう人達で保たれている。だから、魔術サークルからパージしてしまうと、社会の秩序がマズいことになる可能性がある。
なので、しずくも魔術を売ることは否定しなかったのだが……
いきなり粗相をしやがるとは。桜にはインビジブルハンドを与えているし、あっちにはしずくもまつもたきもいるから、心配はしていなかったのだが。
それに、こんなこともあろうかと、まつが妖怪合コンを開いてくれたときに知り合ったおしんちゃんというハマグリの妖怪と目玉を一つ交換していたのだ。なので俺は、彼女の目を通して千里眼とインビジブルハンドを遠くはなれた彼女の元に送り届けることができる。これは同じ貝だから出来ることで、サイフォンやティラマトとは出来ないことだ。
こいつらの処遇は、まあ保留にしておこう。このまま数日放置だ。ただ、人外が一人ほどいる。こいつは少し厄介かもしれない。死なない程度に無力化しておこう。
彼の首と体をインビジブルハンドでホールドし、ぐるんと回す。
「あ」
「わう?」
「回転させる手を間違えた」
首を固定して、体の方を回してしまった。さぞかし不気味に映っただろう。ついでに体をぎゅっと握り絞めておいた。死にはしないだろう。妖怪だし。人々がそれを認識し、恐れている限り、彼らはそのように存在し続ける。それが妖怪だ。
「じゃあ、そろそろ行きますかね」
「ばう」
防塁の外、闇に紛れ、10人ほどのエリエール子爵軍の魔道歩兵がその時を待っている。元戦闘メイドも混じっている。今は目立たないような皮鎧に身を包んでいる。
俺は、防塁内部に用意していた1トンくらいの石を空中に持ち上げていく。100個くらいだ。
上空から見下ろす敵陣地は、僅かな明かりがあるばかりで、ほぼ監視を立てていない。完全にこちらを舐めきっていた。確かに、この要塞には、エアスランと直接戦争をしていない少数のノートゥン軍と、9割が怪我人のはずのエリエール子爵軍、そして奴隷指定されているこれまた怪我人ほぼ100パーセントのジュノンソー元公爵軍若しくは元シラサギ軍しかいないことになっている。
「喰らえ、マスドライバーキャノン」
「ばう?(なにそれ)」
構築中の敵陣地に、直径50センチ弱の岩が降り注ぐ。
ドコドコと音を立て、木造は木っ端微塵、石積みも甘い所は崩れ落ちる。
流石の敵陣も、今ので蜂の巣を突いたようになる。
「出陣」
「きう?(俺って必要?)」
俺とバターは、防塁から地面に飛び降りた。
・・・・・
闇の中、バターに乗って荒野を駆ける。涼しくて気持ちいい。
全く反撃が無いまま、構築中の敵陣地に到着する。
その辺に落ちている石を拾い、適当にぐるぐると振り回してぶん投げる。作りかけの櫓が倒壊する。
するとようやく俺達の存在に気付いたのか、敵の怒声が響き渡り、エアスラン戦特有の雷魔術の音が聞こえ出す。
よしよし、釣られたな。
「バター、避けながら適当に遊撃するぞ」
こうなると、まるでサバゲーみたいだ。物陰からさっと出てきた敵にニードルガンを放つが、流石に距離があるため避けられる。その隙に敵があのうるさい雷魔術を放ってくるが、荒野を駆け巡るバターには当たらない。
その時、体が全能感に包まれる。
何これ。
何も怖くなく、疲れを知らず、そしてどんな攻撃にも耐えられるような……分かった、これはバフだ。チータラ将軍の防御バフの力だろう。どれだけの堅さがあるのか知らないが、ウルカーン軍は毎回この全能感で戦っていたのか。これ、何かしらヤバイ脳汁がどばどば出てるんじゃないだろうな。俺にも効くなんて思わなかった。
一瞬びりっとする。敵の雷魔術が当たってしまった。これでやられる気はしないが、結構不快な感覚だ。可能なら、不快な思いはしたくない。
お返しにハープーンをお見舞いするが、これはバリアで防がれる。相当な術者がいるようだ。というか戦い慣れている。あっという間に体勢を立て直し、物陰に隠れながら、俺に遠距離攻撃を仕掛けている。深追いはしてこない。
だが、注意は完全にこちら側に……
敵の背後から爆発音。これは雷ではない。ウルカーンお得意の炎系だ。
別働隊が狙うは食料庫。二万人分の胃袋を満たすためのもの。やつらがここに陣取ってから二ヶ月近く経つらしい。狩りもしていたようだが、流石にこの付近の獲物は刈り尽くしただろう。だからそこを焼き払うと、こいつらは飢える。
「さて。帰るか」
「ばう?(早いな)」
「ちょっと一眠りしたらまた来るから。朝御飯前くらいに」
「わうわう(性格悪いなお前)」
俺は、雷が吹き荒れる戦場を逃げ回りながら、適当な木の柱を引っこ抜いて敵陣に投げ、食料庫襲撃別働隊が撤退を始めた様子を確認した後、聖女の要塞に引き上げて行った。
今から仮眠でも取るか……
・・・・
毛布の中に潜り込み、気力を回復させていると、少しだけテントの外が騒がしくなる。
ちらりと肉眼を開けると、テント幕の隙間から日の光がさしている。時間は朝で、そして皆が活動始めたのかなと思い、毛布の中に入ったまま千里眼で外の様子を確認する。
おや、チータラ将軍だ。誰かとしゃべっている。相手は女性。肉付きが良い。形の良いおっぱいとお尻。このシルエットは、あれだ、パイパンだ。
オレンジ色の髪の毛を垂らし、身振り手振りでチータラ将軍と会話している。
どれ……インビジブルハンドを出す。お尻を撫でてやる。
「にゃー」
「どうしたの?」
パイパンが振り向いた。むむ。よく見ると、猫がいる。体長1メートルくらいのでぶ猫だ。
「にゃー(久しぶりだな。勇者よ)」
こいつ、インビジブルハンドが見えているし、その性能やその持ち主が俺なのも知っている?
底知れないやつだ。俺は、パイパンのお尻を撫でるのは諦めて、寝床にしていたテントから這い出した。
・・・・
「あ……」
パイパンと目が合った。思えば、俺は彼女とセック○した。その後、戦争のゴタゴタでお別れしたのだが、妙なところで再会するもんだ。
「久しぶり」
パイパンは顔を赤らめて、「ひ、久しぶり」と返した。
「元気だったか?」
「うん。妹達も助けられた」
「そうか、良かった」
「今ね、ヨシノにいるの」
「ゴンベエの実家? それなら安心だ」
「だから、あなたに会おうと思って」
「そうか。ウルカーンまで遠かっただろう」
「私も手伝っていい?」
この子、妙に会話がかみ合わない。だけど、遠路はるばる俺に会いに来てくれたのなら、ちょっと嬉しい。
なので、「手伝ってもいいけど、お前に戦争させるのも気が引ける。バターを使って何かやって貰おうかな」と言った。
この子はテイマーだ。バターの声も意味を解するだろう。彼女をバターと組ませるだけで、偵察、連絡、輸送何にでも活用できそうだ。
「にゃ~(今回は、私も手を貸そう。今日は挨拶だ)」
「お前、神獣だったっけ。何の力を使えるんだ?」
「にゃおん(私はアナグマとは対の獣。ウルカーンの軍隊が盤石になってからは、旅に出ていたが、この度国を憂い戻ることにした)」
「ふむ。アナグマと言えばチータラ将軍。それと対ということは……」
「にゃ~(私の名前はミケという。能力は、攻撃バッファーと言えば分かりやすいだろうか)」
なんと。そういえば、マツリか誰かからそういう伝説を聞いたような気もする。
「攻守の全体バフが強すぎるから、神敵に目を付けられる前に旅に出たという伝説を聞いたような気がする。ひょっとして、それ?」
でぶ猫は、目を丸くして「にゃー」と鳴いた。
「ほう。こりゃあ、ここにいる軍隊がウルカーンの本当の正規兵みたいなもんだな」
「にゃー(ビフロンスが王座に到着したら、その時はその通りになるだろう)」
でぶ猫はそう言って、ぷいと空を見上げる。
それに釣られてパイパンも空を見上げるもんだから、俺も何となく空を見る。
え? そこには小さな三角形。
戦闘機? いや、音がしない。まさか鳥か?
それはまさしく、空飛ぶ三角形だった。あれの高度はよく分からないが、かなりのスピードではないだろうか。
「にゃな(風竜だ)」
風竜?
「エアスランの神獣か。昨日の夜は出てこなかったが」
「にゃー(ヤツは鳥目だ。夜は目が見えない)」
「鳥かよ。竜じゃないのか。いや、竜も鳥も一緒なのか? 昨日の仕返しでもしに来たか」
「にゃう(あの高度からだったら、風魔術は届かんだろう。急降下に注意しておけ)」
空を見上げてでぶ猫と駄弁っていると、空の東の彼方より、これまたもの凄い速さで何かが飛来する。
一瞬UFOかと思ったが、こちらも翼があるような気がする。
「あれも魔獣?」
「にゃー(モンスター娘だろう)」
マジかよ。空飛ぶモンスター娘とは。
そして始まるドッグファイト。
大きく旋回する風竜、それに纏わり付く空飛ぶモンスター娘。
風竜の周りに発生する斬撃跡。その中をかいくぐるモンスター娘。
風竜は相当嫌がっているように見える。
「あ」
風竜が爆ぜた。何かの破片が上空で散開し、ひらひらと降ってくる。
風竜が出鱈目な方向に飛ぶが、小さなモンスター娘はそれにぴったりと食いついている。よく見ると、あのモンスター娘は、ホバリング、横スライド、バックなど多彩な動きをしている。対する風竜は直線的な動きしか出来ていない。
もう一発風竜が爆ぜる。時間差で爆発音が地上に響く。
明らかにスピードが落ちた風竜を、小さく見えるモンスター娘が元気に追いかける。勝負あったんじゃなかろうか。
「つ、強えぇえええ」
「千尋藻殿。今日は朝駆けするのではなかったのか?」と、空気になっていたチータラ将軍が言った。
そういえばそうだった。
俺は、空中戦見物を切り上げて、敵の朝食を邪魔してやろうと防塁側に歩いて行った。
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