第219話 化け貝になったおっさんとクラーケンの巫女
外とは対照的に、聖女の天幕は薄暗かった。
俺は、聖女の体を見つめたまま、「クトパスの権能があれば、自分の欠損も治るだろうに。何故だ。魔力不足か?」と言った。
「そうだ。魔力が足りない。クトパス様も相当に魔力をくださったが、それでも足りないんだ」
俺の本体が備蓄している魔力を与えれば、どうとでもなるはずだ。ただし、魔力には属性があるからその辺りはどうなるか分からない。
「俺のじゃ駄目なのか? 水だけど」
聖女は、ベッドの上でニヤリを笑い、「お前に協力して欲しいことがある」と言った。
嫌な予感がするが、何となく分かっている。俺が魔道具を使って水魔力を与えても、効率が悪いはずだ。聖女、いや、雌クラーケンのクトパスが望んでいることは……
「俺を食べたいのか?」
俺がそう言うと、隣のアイリーンがぴくりとした。化け者同士の会話に引いているのだろう。
「そうだ。気付いているのだろう? お前の近くに、クトパス様がいることを」
確かに、深海にいる俺の本体は、クラーケンにストーキングされている。
「あれ、クトパスだったのか。そのまんまタコなんだな」
「お前の存在が分かってからのクトパス様は、仲良くなろうとしていたみたいだぞ? だが、いつも逃げられるとおっしゃっていた。まあ、少しだけ食べられてくれや」と聖女。
「マジかよ」はっきり言って嫌だ。だが……「いや、でも、ううん……ちょっとだけ、ちょっとだけなら。水管の先っぽなら、直ぐに再生するはずだ」
聖女は目玉をぎょろりと動かし、「よし、言ったな。クトパス様が、大興奮していらしゃる」と言った。
その瞬間だった。
俺の上にいた大きな岩だったものが、するっと動いて降りてくる。
静謐の深海をゆっくりと。
巨大な化けダコ、アレがクラーケンのクトパスなんだろう。まったく、暇なやつだ。俺なんかにまとわりついて。
クトパスは、砂の中にいる俺の巨大な本体を探すために、自分の触手で海底の泥を巻き上げ、そして貝の表面を探し当てると、吸盤で俺を吸い寄せて、触手全体を貝全体に巻き付ける。
俺は、毒の銛をブチ刺したくなる感情をぐっと堪え、水管を出したままにして耐える。
「ふう……」
俺が、目を閉じて食べられる覚悟をしていると、聖女が「なあ、化け者の世界は楽しいか?」と言った。
「化け者イコールどうかと言われたらよく分からないけど、同志や戦友がいるから、まあまあ楽しいぞ?」と、答える。ついでに言えば、長寿同士の理解ある恋人がいればより楽しい。
聖女は目を閉じて、安らかな顔で「そうか。ならば、俺も化け者になろう。お前がいれば、長寿になっても楽しめるだろう」と言った。
いやいやいや。何を言っている? おばちゃん聖女と腐れ縁とかちょっと嫌なのだが。
がぶり。
一瞬の隙を突いて、クトパスに水管を根元まで囓られた。先っぽだけだと言ったのに。俺は、一瞬で貝柱に力を入れて貝を閉じる。
だが、この雌クラーケン、なかなか離してくれない。静謐の深海でもの凄い濁りが舞い上がる。
「あの、離してもらっていい?」
「興奮していらっしゃるだけだ。というかな千尋藻、お前、一体どれだけ魔力蓄えてんだ。これは……」
聖女の体と四肢がびくんびくんと大きく動く。クトパスを通して、何かしら聖女に影響を及ぼしているのだろう。
もこもこと胴体、左腕、両足が動く。とてもヒトの動きではない。
「うがあああ、ぐうう、こ、これは、お前、ああああ」
もこもことした動きの中、聖女が着ている服が少しだけ捲れる。
俺は、とりあえずにこりと笑い、「化け者の世界にようこそ」と、言っておいた。
・・・・・
「お、おあああああ。おい、準備しろ……怪我人を、怪我人を!」
のたうち回る聖女、心配そうに体を支えるノートゥン騎士。
そして、何も出来ずにただポケェとするしかない俺とアイリーン。
「お前、今から?」
「急げ、グリフォンは蘇る。必ずだ」
聖女はそう言って、アイリーンを睨み付ける。
アイリーンは聖女を見下ろしながら、少しだけ体を硬直させる。
聖女の言葉の意味、それを理解しているのだろう。
アイリーンは顔を強ばらせながら、「私に、指揮を執れと?」と言った。
「ダイバは死んだ。公爵は首をはねられた。お前の兄や従姉妹は皆奴隷だ。他に誰がいる?」
「ダイバが死んだ?」
普段、怒っているような目付きの悪いアイリーンの顔が、怯えたようになる。
「ジュノンソーの英雄ダイバは、お前と主人を助けられなかったことを悔いて、自害した。両手両足の怪我さえ無ければ、単騎でもウルカーンに向かっただろうがな」
「うそ。あの伝説が死んだ」
「そうだ。だが、まだグリフォンは死んじゃいない。あいつの魂は、まだ生きている。だから私を、あそこに連れて行け」
俺は、インビジブルハンドを展開させる。
「この要塞のトップは、ずっしりと構えておけばいい」
聖女が横たわるベッドを聖女毎浮き上がらせ、「何処に連れて行けばいいんだ?」と言った。
聖女付きのノートゥン騎士は、少し顔を歪ませたが、俺を一瞥すると無言で天幕の外に出て行った。
そして……
「お前は、まさか千尋藻!?」
おびただしいテント群から飛び出してきた人物、それはトマト男爵だった。その周囲には、数名の白服メイド達がいる。戦場の天使、看護師部隊だろう。
「怪我人は何処だ?」
トマト男爵は、俺の後ろにいる聖女をチラリと見て、テントの方に目線を移す。このテントが全部怪我人だと?
俺は、聖女を信じ、テントの方に歩む。
聖女は、ベッドの上から「幕を全て剥がせ! 今から、回復魔術の深淵を見せてやる」と叫ぶ。
ノートゥンの騎士数名が、テント側面に張られた幕を取り外していく。
そこは、この世の地獄。おびただしい数の怪我人。怪我人の殆どは、碌な治療が施されていないように見えた。そもそも、相当数はすでに死んでいるだろう。
むせ返るような血と臓物と糞尿の臭い。戦場と同じ臭いがここにあった。
「待たせたな。心が死んでいないヤツは、ここまで来い」
聖女がそう叫ぶと、目をぎらぎらとさせた戦士達が、ベッドからわらわらと這い出てきた。
そこからの風景は、ちょと目を背けてしまうものだった。
聖女の奥義、欠損回復。一見、奇跡のようなその魔術は、果たして本当に患者の救済のためなのか。
俺は、がたがたと震えるアイリーンを抱き寄せて、聖女の所業を見届けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます