第218話 異世界の聖女
のどかな牧場風景の中、俺は「このギミック、そのままなんだ」と言った。
レミィの荷馬車は、当然元ホーク怪盗団の持ち物で、実は二重底になっており、そこに高さ40センチ弱の秘密のスペースがあった。俺達を襲撃した際には、その中に地底人が入っていた。普段は抜け荷とかで使うのだろう。
アイサは少し恥ずかしそうにしながら、「ちょっとタイミングが無くってさ。改修せずにそのまま使ってんのよね。このスペースに水やら飼葉を詰めれば無駄にはならないし」と言った。
「ひょっとして、ここに人を入れたら、検問抜けられる?」と言ってみる。
アイサは、「エルモア子爵旗を立てた輜重隊を検問する衛兵はいないよ。だけど、何が起こるか分からないし、ここにいたらより安全になるかな」と返す。
アイリーンは、ジュノンソー公爵の直系だ。ウルカーンが行方を捜している可能性が高い。それならば、保険でここに入っておくのもいいだろう。
俺は、彼女の方を振り向いて「アイリーン?」と言った。
アイリーンは無表情のまま、「いいですけど」と言った。何でいきなり敬語??
「と、とりあえず、掃除しようか。俺も一緒にいるから。もし見つかっても何とかするから」
俺は、適当に取り繕いながら、荷馬車の二重底の蓋を外し、中を確認しながらゴミやら飼葉のカスやらを掻き出していく。
アイリーンは、無言で俺の方に来て、作業を手伝った。相変らず目付きは悪かったが、どこか嬉しそうな感じがした。
俺とアイリーンで荷馬車の掃除をしていると、エルモア子爵家に行っていたガイが戻って来た。そして、「旦那、輜重隊にうちの荷馬車を押し込んできたぜ。夕方の便に同行出来る」と言った。流石はガイ。地元人のおっさんを雇っておいて良かった。こういう仕事もさっとこなしてくれる。
「了解。済まないな。この荷馬車、商売に使う予定だったのだろ?」
ガイはびっくりした顔をして、「何言ってまさ。この荷馬車もスレイプニールも旦那のものですぜ? さらに言えば、俺もアイサも旦那のパーティじゃないですか。俺ら、今まで旦那のお陰で食って来たんだ。何なりと言ってくださいよ」と言った。
隣にいたアイサは、「旦那最強だもん。サイフォンもビフロンスも旦那旦那っていっつも言ってる。私ら旦那の仲間で良かったよ。多分、旦那の側が一番安全だよ」と言った。
泣きそうになった。俺、今まで日本に帰っていて悪かったとすら思ってしまった。でも、これからはここと日本は一緒の世界だ。
俺は、「分かった」と言って、アイリーンの方を向いて頷く。アイリーンは素直にこの狭いスペースに潜り込んで行った。
・・・・
荷馬車がガタガタと揺れる。輜重隊に紛れて。
一応、狭い二重底の中から千里眼を出して、辺りを観察する。ウルカーンの城門は何事もなく通過した。エアスランの輜重隊潰し部隊も見当たらない。一応、この輜重隊にはエルモア子爵の騎士団と雇った冒険者らが護衛についている。
この輜重隊は午後の部だそうで、日が沈む前には聖女の防塁に到着する予定だ。
隣にはアイリーンがいるが、無言の時間が流れる。
一応、俺達はここにいないはずの人間だから、目立ったらまずい。だけど、ガタガタと音がするこの空間で多少の物音を立ててもどうということはない。とはいえ、セオリーは音を立ててはいけないわけで、お互い無言になってしまった。後一時間もすれば到着すると思うけど。
ふと、俺の手に、何かが触れる。アイリーンの手だ。直ぐに引っ込む。ひょっとして、気になっているのだろうか。彼女、孤独だっただろうしな。強靱な精神力で耐え抜いていただけで。
俺は、目を閉じて千里眼に集中した状態のまま、アイリーンの手を握ぎる。アイリーンは特に抵抗せず、それを受け入れる。そのまま体を少しだけこちらに寄せてきた。何となく目を開けると、アイリーンは目を閉じていた。俺が目を瞑っているから自分もそうしたのだろうか。
ぐっと来るものがあるが、皆が仕事をしている中で、彼女を襲うわけにもいかない。というか、俺はもはやがつがつしていない。性生活に不満がなかったからだと思う。そう思うと、しずくの存在は偉大だ。ぶっちゃけ、俺みたいなヤツが欲求不満全開で世の中をうろついていたら、そりゃ恐怖だろう。
そんなこんなで、アイリーンの手のぬくもりを感じながら、荷馬車はごとごとと要塞目指して進んでいく。というかあの防塁、立派な要塞になっている。土を築き木を構え、敵襲に備えるべく兵士が防塁の上に立っている。ちらほらと戦闘メイドもいる。懐かしい。そして、異国の兵士。おそらくノートゥン軍だろう。
俺は、千里眼でアリシアや弟子達を捜しながら、荷馬車が進んでいく様子を見守った。
・・・・
「旦那、到着しました。もう大丈夫でさ」
「分かった」
荷馬車の外からガイの声がする。
俺が目を開けてアイリーンの方を見ると、彼女も目を開けていた。
この荷馬車の二重底は、下から出られるようになっている。俺は、インビジブルハンドで蓋をずらし、先に地面に這い出る。
「アイリーン大丈夫か?」
「大丈夫、体は硬いけど」
アイリーンが必死に体をくねらせて出口から出る。
外は、もう日が暮れようとする時間帯だった。
空を見上げてストレッチをしていると、アイサが俺の所に来て、「旦那、その、聖女が……」と言った。
アイサの後ろにはノートゥンの騎士がいる。
「アイサありがと。会いに行くよ」と、答える。
「直ぐに来いって言ってるんだけど。その、聖女は……」
快活のアイサが何だか歯切れが悪い。
俺は、アイサの後ろにいる騎士に向けて、「アイリーンも連れて行っていいかな」と言った。
ノートゥンの騎士は、無言で否定せず、そして歩き出した。大丈夫ということなのだろう。
俺はアイリーンに目配せし、一緒に聖女のテントに行く。
ここにはエリエール子爵、バッタ男爵、ついでにトマト男爵もいるとサイフォンから聞いている。彼ら、ここでエアスランの猛攻を凌ぎ続けているようなのだ。今回の輜重隊も普通に到着したし。
さて、どうなるだろう。俺は、自分の使命を思い出す。
俺の使命は、この戦争を終了させることだ。通常時だったら、戦争も人類の成長には必要なものだとか屁理屈をこねて、あまり介入せずに異世界ライフを堪能していたことだろう。
だけど、世界が一つになってしまった。世界の国々が血なまぐさい歴史を持っていることは、義務教育で教わったことだ。世界史は、戦争の歴史……内戦、侵略、奴隷、そして宗教戦争。こんな海千山千の国々が、突如出現した陸地を見て何を思うだろうか。
魔術という新しい金のなる木を得るために、殺到するに違いない。そうなる前に、手を打ちたい。少なくとも、仲間は守りたい。
立派なテントに到着する。
「連れてきました」と、騎士が言うと、「入れろ」との回答が来る。あの声は聖女だ。
おばさん聖女。実は対面でちゃんと会うのは初めてだ。
俺達は、騎士が守るテントの入り口を潜る。
「本当に千尋藻だな。どうやってこの島まで来たのか知らないが……まあ、やることは分かっているようだな」
聖女がそんなことを言う。何か知っている? その聖女は、具合が悪そうにベッドに寝そべっていた。
「俺は、日本にいた。とある空間魔術使いに送ってもらったんだけど、途中でどうも何かに干渉されたみたいだ。ま、そうしたらこうなった」
俺は、アイリーンを見る。
「グリフォンの姫か。一体どうやってお前は……」
俺は、「この子は、神様からのプレゼント」と言って、抱き寄せる。アイリーンはぴくんと反応したが、黙って俺に身を委ねた。何故だか涙をほろほろと流す。
聖女は、「神様ねぇ。全く、この世は不思議なことが起こる」と言った。
「聖女。お前、日本では死んでいたらしいぞ。転生だったみたいだな」
「そうか。葬式はどうしたんだろうな。遺産相続も気になる。カミサマってヤツも、どうせ転生させるんなら、もっと若くて美人にしてくれたら良かったものを」
「ああそうだ。俺、今回日本から来たって言ったけど、異世界転移じゃ無いぜ。この島、どうも日本がある世界に転移したようだ。世界が一つになったんだ」
聖女は、少しだけ疲れた顔をして、「そうなんだろうな」と言った。
「知っていたのか。凄いな」
「クトパス様が興奮していたからな。ピンと来たよ」
「そっか。さすが聖女。日本はともかく、諸外国は強欲主義者が多い。俺、この島を守りたいって思ってんだけど」
「そうか。異世界に来る前は単なるおっさんだったお前が、力を得たらそんな尊大なことを言うようになったか」
聖女は皮肉を言ったつもりなんだろうが、どこか元気がない感じだ。
「内戦中の国なんて、思うつぼだろう。あっという間に属国化される。そうなる前に、戦争を終わらせたいと考えている」
「それに協力しろってか? 戦争終結は望むところだが、そのためには、エアスランのバカ軍師をぶん殴り、返す刀でウルカーンを潰す必要がある。他国がひれ伏すくらいの圧倒的軍事力でな。お前、戦争に加担する気があるのか?」
「おこがましいかも知れないけど、それしか無いと思っている。スイネルにいるサイフォンとビフロンスも使うことになると思うけど」
聖女は、少し間を置いて「ふん」と、鼻を鳴らす。どこかおかしい。俺の知る聖女は、もっと尊大で迫力のあるやつだった。それに、違和感がある。
「なあ、先輩、先輩ってこんなやつだったっけ。そもそもさ、聖女が何でここにいる? ノートゥンの聖女にウルカーンを守る義務は無いはずだ。ティラネディーアも軍を引いたって聞いた。ノートゥンも撤退していると思っていた。というか、ウルカーンは奴隷制復活させて街には奴隷市が立ち並んでいるぞ」
聖女は、奴隷制を採用しようとするウルカーンを心底軽蔑していたはずだ。
聖女は顔を歪ませ、「これは女の意地だ。ウルカーンは許せんし、王は絶対にぶん殴る。だが、エアスランも許せん。あいつら、神獣すらも出している。ここを出たら奴隷にされてしまうお荷物も抱えているしな」と言った。
「あの、この要塞には、ウルカーン人も多くいます。スイネル派と、そしてグリフォン旗も見えました」と、アイリーンが言った。
「そうだ。まったく迷惑な話だ。あいつら、全員ズタボロのくせに、戦う意思が消えていないんだ。だから……」
聖女はそう言って、自分の体に掛かっている毛布を払い除ける。
「聖女、おまえ」
こいつ、本当に聖女だった。
聖女が身に付けている衣類には、両足と左手の膨らみが無かった。いや、衣類で直接確認出来ないが、乳房やお腹の膨らみもおかしい。
聖女は、「魔術『欠損回復』は、自分の身を与えなければならない。さっきも言っただろう? これは、意地だ」と言った。
聖女は、大量の負傷者を回復させているのだろう。文字通り、自分の身を削って。
俺は、小さくなった聖女の体に釘付けになった。
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