第213話 エピローグその2 本来の地球


娘と水入らずの東京観光の後、居酒屋赤城に到着する。まあ、今日は殆ど移動だったから、本格的な観光は明日からだけど。


「いらっしゃい。あ、来たね。大将~、予約のお客さん」


綾子さんはそう言って、俺と娘を奥の半個室に通してくれる。


綾子さんは滴教団の経理係をやっていたが、趣味でここのバイトは続けていた。だが、滴教団には霞ヶ関の連中や銀行が入って来ており、いや、国策で出向させているというか、本気で入信している人達がいて、半分素人である綾子さんはあまりやることが無いということで、この度分離独立する宝石販売店の店員にジョブチェンジする。


「あらぁ。貝の旦那じゃん。どしたの若い子連れて」と、カウンターで一人酒していた女性が振り向いて言った。


「まつさんだ。飲んでたんだ」


「そうよん。わたし、たまにここで飲んでんの」


まつさんは、少し垂れ目の和風美人さん。お家は浅草寺の近くらしい。


ケイティがとこからともなく連れてきた女カッパだ。手元には食べかけのキュウリとお酒が入った徳利が置いてある。まつさんは、滴教団でお茶くみの仕事を始めている。本当はうちの宝石店に入れても良かったのだが、税金の問題があって、教団の方に入って貰った。


「ね、またあそこ行こうよ」と、まつさんが言った。まつさんが誘うところといったら、相場が決まっている。


「徹夜は疲れるから嫌だ」


「まったぁ。そっちの可愛い子連れてくればいいじゃん。空亡そらなきの朝まで付き合ってよ」


「桜が可愛いのは事実だが、まだ18歳なんだ。オールは無理だ」


「じゅうはち~? 生まれたばっかじゃん。旦那も悪い子」


「娘だ娘」


俺はそう言って、そそくさと予約テーブルに移動する。


名残惜しそうにこちらを見つめるまつを無視していると、桜が「一緒に飲めばいいじゃん」と言った。


こいつは……日本中に妖怪が出現しているという情報は、トップシークレットなのだ。今は内閣府の要請を受けて、ケイティが全国調査に出かけて行っている。


だから、ここはスルーが正解……


だが、まつは、「そうなんだ。じゃ」と言って、何のためらいもなく囓りかけのキュウリが乗ったお皿と徳利とおちょこを俺達の予約テーブルに移動させる。


「まじかよ」


「いいじゃん。お父さん、これも社会勉強でしょ」と、桜。


それを聞いたまつは、垂れ目を垂れ糸目にして、「やった。奢ってよ旦那。私、まだ現金あまり持ってなくて」と言って、俺の隣にどかりと座る。


「教団のつけにしとけ。アイツならいくらでも金持ってるだろ」と、言ってやる。まあ、最近は俺もお金は持っているんだけど。特に今日の費用なんかは交際費で落とせるし。


「しずくさんって、意外としっかりしてるのよ、良く言うと。悪くいうとケチ」と、まつ。


「え? まつさんだっけ。まつさんは、しずくって女の人知ってるの?」と、桜が食いついた。


これは分かっていたこと。桜は、しずくと俺の関係が気になっている。今回の東京旅行を承諾したのも、それを確かめる目的があるんだと思う。


だけど、こればかりは言いにくい。俺が異世界に行っていた話はしたけれど、話はまだしていないからだ。


俺としずくのちょっと複雑な関係を話すのは、その事を理解して貰ってからだと思っている。


「しずくさんなら知ってるけどね。私の雇い主だもん」と、まつが言った。


「雇い主? そっか」


桜はそう言って、次の質問をためらった。こいつはこいつなりに、真実を知るのが怖いのだろうと思う。


まあ、俺としては、時間を掛けながら理解を深めて行って貰えれば、それでよし。俺を恨んでもいいし、しずくや神様を恨むもよし。だが、こいつは俺の娘。いつか理解してくれる時がくるのではと思っている。


「ねえ、旦那……最近、男日照りでさ。乾いてんの。潤してくれない?」と、まつが俺を見つめながら言った。


このエロカッパは、全く今の状況を理解していない。頭に冷酒ぶっかけてやろうかと思った。いや、ひょっとして、まつさんはまつさんなりに場の雰囲気を変えようとしてくれているのかもしれない。なお、どうも今頃の妖怪は、人間に擬態できるようで、まつさんの見た目にカッパ要素は無い。


ぎちっぎちっ、こたたた……


体が揺れる。一瞬酔ったかと思ったが、入り口の暖簾も揺れている。コレは違う。これは、地震?


「あらら。ナマズが相撲とっているのかしら」と、まつが言った。


「地震だろうけど。大した大きさではないかな」


俺はそう言って、スマホを取り出す。何となく娘もスマホをタップ。


『デロリロリロン、デロリロリロン、地震です。地震です。強い揺れに注意してください』


そのタイミングで、居酒屋中に不気味な音が鳴り響く。


『緊急地震速報です。地震です。強い揺れに注意してください』


「おう、どうしたらいい? 一応、テーブルの下に入る?」


俺がそう言うか言わないかで、建物がゆっさゆっさと揺れる。


俺が様子を見守っていると、俺達の頭上にインビジブルハンドが出現する。


これは、娘が操るインビジブルハンドだ。建物が潰れた時のための保険なのだろう。俺より適応能力がある。偉いな。


数秒待つ。揺れが収まる。まあ、そこまで大きい地震では無かったのだろう。


「ふう、江戸って昔っから多いからね。地震が」と、まつが言った。


「今も昔も東京はそうなんだな」と、返しておく。


スマホ画面に、今の地震情報が出る。千葉で震度5弱。『相模トラフ』という文字が見える。それは、東京の直ぐ近くの断層だ。


だが、『津波の心配なし』との説明があった。


「ま、たいしたことないみたいだな」


俺がそう言って、何事も無かったかのように飲みを再開する。


「でもさ、最近多いよね。地震」と、桜。


「そうだな。特に太平洋側。大きいのが来なきゃいいけど。津波とか怖いからな」


「あら、旦那が津波を怖がるのかい?」と、まつが言った。


「そりゃ怖いは怖い。関東圏は沿岸部に色々集中しているからな」と、応じる。


「論点ずらした。まあいいや。お代わりもらっていい?」と、まつ。完全に安いスナックのホステスさんと飲んでいるみたいだ。


まつに熱燗を頼んでやって、しばらくお刺身を摘まみながら駄弁っていると、綾子さんもお酒を持ってテーブルにやってくる。バイトが上がったのだろう。女子だらけになってしまった。


今、ケイティは全国の妖怪調査、小田原さんはしずく教団の仕事で全国を飛び回っている。先日までは北海道で、今は沖縄県に行っているはずだ。


「ええつとさあ、前々から言おうと思っていたことがあったんだけど。重要性低そうだったから後回しにしてた」と、綾子さんが言った。


「何? 改まって」


「桜ちゃんには、あなたが異世界に行って帰って来たことは言ったのよね」


「伝えてる」


俺がそう言うと、桜もこくんと頷く。


「何処まで異世界のこと詳しく話したのか知らないけど、異世界に『アイリーン』って人、いた?」と、綾子さん。


「ん? アイリーンは、ほらあれだ。ナナセ子爵だ。大物貴族の娘さん」


俺が綾子さんや娘に伝えている異世界話は、結構かいつまんでいる。もちろん、セック○した話は抜いているし、いちいち正確な名前を伝えていない。アイリーンという固有名詞は伝えていなかったと思う。


「確か、お父さんが助けてそのまま荘園に連れて行った人だっけ? どうせ美人だから助けたと思ってるけど」と、桜。辛辣な。でも、小汚いおっさんだったら助けに戻っていなかったのは事実。


綾子さんは、少し言葉を選びながらゆっくりと、「やっぱり、ナナセ子爵がアイリーンなのね。ええとね、うまく言えないんだけど、私、アイリーンって人が出てくる小説読んだことあんのよ」と言った。


「どういうこと? アイリーンさんならそれほど珍しくないし、そんな小説沢山あるんじゃ?」


「いや、それだけじゃなくて、千尋藻さんとケイティさんと小田原さんも出てくんのよね」と、綾子さん。


「は? それって何時の話?」


「貴方達が意識不明の重体中のこと」


「マジかよ。俺達三人の名前が出てきているってことなら、関係者が描いたのか? いやしかし、アイリーンが出てくる? そんな偶然あるのか?」


「ストーリーもまんまそれなのよ。あなたが話してくれた通り。それで、貴方達に見せようと思って、検索してみたけど、全く出てこなくて」


不思議だ。三人の名前だけなら、病院関係者や都営バス事故を知っている人らなら入手可能だ。自作小説のネタに使ったというのは考えられなくもない。だが、アイリーンの名前が出てきて、いや、そもそもストーリーがまんまそれ?


考えられることはただ一つ。


「そっか。聖女の仮説に関係あるのかも」


「聖女の? ああ、異世界に呼ばれる人は、サブカル好きってやつ?」と、綾子さん。


「そう。そして、なら、そういう小説をこの世界に流して、異世界転移の候補者を探していた可能性はある。小説はそれだけ?」


「その小説読む前につまらないの読んだけど。何だか優秀な少年が追放されて、速攻で成り上がるやつ。そんな優秀なスキルもってるんなら、成り上がるのは当たり前って思った。というか追放される理由が納得いかないし、ヒロインが理由もなく次々に現われてモテモテになるし」


「つまらないから読むのを止めたと。いや、追放に関して疑問を持ったということが重要なのかな。それ、俺が思うに神様が異世界転移者の候補を探していたんだと思う。多分そうだ」


綾子さんは、ジト目になりながら、「まじ? やっぱり、私あの時事故に巻き込まれていたら一緒に異世界行けたんじゃ……」と言った。その可能性はあるが、それで恨み言を言うのは止めて欲しい。

「まあまあ。だけど、アイリーンとは途中で別れて、俺らはウルカーンに行ったから」と言った。


「ううん。それなんだけど、私、その小説も数時間で読むの止めちゃって、途中知らないのよね」と、綾子さん。


「途中を知らない。そっか。俺としては神様が何処までウォッチしていたのか気になったけど。いや、そもそも異世界とここの時間軸は同じなのか? 俺じゃ理解できない世界だ」


この手のことを深く考えると気が狂いそうになるので、あまり考えないようにしている。考えるだけ無駄だ。


「でも、最後だけ読んだ。確かに『最終話』ってなってた」


「マジかよ。最終話? アイリーンが出てくる小説の最終話? どの辺の話なんだろうか。戦争の行方とか?」


俺が異世界にいた頃は、まだ戦争中だった。


「いや、戦争の行方は描かれていなかったか、読み飛ばした。その、最終話の内容はね、ちょっと言いにくい。うん」と、綾子さん。


「私は気にしないでよ。もう大体のことは大丈夫だと思う」と、桜。


「そ、それがね、ちょっとエッチな話になるんだけど、彼女、性奴隷になるのよね。要は、色んな人に無理矢理犯されちゃうような奴隷になるわけ」と、綾子さん。


アイリーンが性奴隷?


「がっつり調教されたって描かれてあったと思う」と、綾子さん。


「そ、それは、少なくとも俺がいた時はそんなことは無いはずだ。でも、連絡取っていなかったから、否定も出来ないけど。しかし、あの時はウルカーンは負けてなかったから、大物貴族の娘が奴隷になるなんて……」


「あのさお父さん、それって、世界の敵が関係しているんじゃない? あったよね、確か『奴隷』ってやつ」と、桜。


「そっか。俺がいたときは『追放』ばっかり頭が行っていたけど、『奴隷』もあったな」


「ねえ、どう思う?」と、綾子さん。


「ちょっと、整理が付いていない。そもそも時間軸がおかしい気がする。いや、異世界とこちらの時間の流れ方が違うと言えばそれまでだけど」と、返す。


「あのさ、そんな検証は無駄無駄。今を感じていればいいじゃん」と、まつ。こいつの気楽さが、本音の所ではありがたい。


「そうだな」


そう言って、目の前のお酒の入ったグラスを握る。


アルコールを入れつつ考え事をしようと思っていると、何だか心の奥底がもぞもぞする。何だコレ。いや、この感覚は初めてではない。


この感覚は確か……契約の魔術。そうだ、契約の魔術で相手がこちらに語りかけてくる時の感覚だ。電話で例えるとコールが掛かっているような感じだろうか。


そして、この感じはサイフォンだ。なつかしい。サイフォンの存在を感じられる。これに答えると、サイフォンと意識が繋がるはずだ。というかこれは、ティラマトも感じる。おそらく、二人同時にコールしてきているのだろう。


それから、何故か契約魔術的な繋がりが無いはずのレミィとビフロンスも感じる。俺の体を分け与えているからだろう。


これは、こんなことって……だけど、これは、考えられるのはただ一つ……いやこのことはうすうす分かっていた。本体が異世界に置き去りになっていた俺の能力が戻ってきた理由は一つしかないからだ。


俺が考え事をしていると、居酒屋内の空間がぱりんと割れて、中からするっとあいつが出てくる。


椅子に座っている俺達と同じくらいの身長の……


そして、俺に「おい、気付いているか」と言った。


「ああ、


俺がそう言うと、しずくはにこりと笑った。


これは由々しき事態だ。あの世界が、おそらくこの世界と合わさったのだ。彼女らが、この世界にやってきた。


「これが本来の地球の姿だったのかもしれないな」と、しずくが言った。


「あの世界の問題と、これから起きるこの世界の問題、それを考えると……」


あの世界は内戦中だ。一方のこの世界は、魔道技術を欲している。この世界の近代兵器は、魔道兵に比べると小回りは利かないが、かなりの脅威だ。下手するとあっという間に街が落とされる。また、どこかの国か貴族が、こちらの国と変な条約を結んでしまうかもしれない。そうなると面倒になる。


逆にあの世界の超強力な魔道兵が逆侵攻してしまうかもしれない。そうなると、こちらの国と戦争になる。そうなると、こちらの世界の思うつぼかも……


「私が思うに」と、しずくが俺を見る。そして、「お前をあの大陸に送るのが一番手っ取り早い。私では、おそらく駄目だ」と言った。


「そう、なんだろうな。お前が言うのなら」


あの膠着した陰謀渦巻く国際情勢。そこに、俺というチートが参加したらどうなるだろう。局地戦で多くの人が死ぬだろうか。しかし、この世界の海外勢が介入してくる前に、戦争を終わらせることができたら……


逆に、しずくが介入したら、おそらく力でねじ伏せることになってしまい、今の禍根を残るかもしれない。文明の発展には、残念ながら戦争けじめが必要な時もあると思うのだ。


「私が送ろう」と、しずく。まるで、遠足にでも送り出すような軽さだ。しずくは、ちらりと娘の方を見たような気がする。


どうしよう。娘の進路相談やコミュケーションも大事だが、きっと分かってくれる。俺の娘なんだから。俺がしばらくいなくなっても、何とかするだろう。ここには、綾子さんやしずくがいる。まつもお節介だから。


なので俺は、静かに頷いた。




#筆者注


3章完了 次話より4章です。

そろそろ、1日1話の公開ペースが執筆ペースに追いついてきました。ま、何とかなるか。1日1話ペースから遅れる可能性があります。その時は、筆者注入れます。

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