第210話 化け者の優しさ


我が家に到着!


といっても千里眼で、だけど。


子供部屋に、息子がいる。宿題をやっているようだ。感心感心……頭を撫でたくなるが、ぐっと我慢する。


居間には、嫁がテレビの前で寝っ転がっていた。


テレビの画面にはこの街の惨状が写し出されており、スマホを握り絞めながらじっとテレビ画面を見つめている。


桜が家にいない。どうしよう。ひょっとして嫁のあれ、あれはあれで娘を心配しているのだろう。


俺は、急いで嫁に桜が何処にいるのかとショートメールを送る。ついでに桜にも居場所を送るか電話をするように送る。


場所さえ分かれば、千里眼とインビジブルハンドで助けに行ける。


というか、先に悪鬼を倒してしまった方が早い可能性もある。悪鬼の蔓延さえ防ぐ事が出来たら、家族の安全は問題ないはずだ。暴動の方は、いずれ沈静化するだろう。


俺は、千里眼を上空に上げ、騒動が起こっている場所に飛んで行くことにした。


上空から街を見下ろすと、火事が何カ所かで起こっている。火事の現場ではすでに消防や救急車が詰めており、慌ただしく火消しや怪我人の救護に当たっていた。


悪鬼と対峙している様子はない。さらに、サイレンが鳴る方に移動すると……いた。


天下の往来で、警察に囲まれながら、女性を犯している血まみれの中年男性がいた。無我夢中で車のボンネットに押さえつけた女性に対し、力任せに腰を振っている。


かわいそうに、その女性は、後ろから力任せに犯されながらも必死にお守りを握り締めていた。悪鬼がうつらないといいな。


周囲の警察官は、悪鬼になるのが怖いのか、また怪異討伐チームの到着を待っているのか、一定の距離を開けて拡声器で説得を試みている。


悪鬼が説得されるわけ無いだろう。俺は、少し大きめのインビジブルハンドを出して、女性の後ろにへばりついている悪鬼の首を、思いっきり捻り上げた。


「あ」


力加減をしくじり、首がぶちりとイッた。血しぶきが舞い上がる。この女性、トラウマとか大丈夫だろうか。


いやいやいや、俺のインビジブルハンドが、丸見えになっている。血塗られた左右の手が、宙に浮いているのが可視光線で分かる。片手は悪鬼の生首を掴んでいるから、さぞかし不気味だろう。


反省反省。


俺は、生首を丁寧に車のボンネットの上に置くと、インビジブルハンドを消して、再び次のポイントに飛んで行った。


次は商店街で騒動が起こっている。時計やら宝石店やらはすでに窓ガラスが割られ、今は電気屋さんやバッグ屋さんが狙われている。この辺は警察にお任せしたいが……


その中の一角で、目をギラギラさせながら、ふらふらと歩いている若い女性がいた。


この暴動の中で場違いだ。というか、パンプスを片方しか履いていない。


顔面をひっきりなしに痙攣させながら、アイツ殺すアイツ殺すアイツ殺すとぶつぶつと呟いている。


そして、バッグ店から出てきたどう見ても外国人の若い男性を見つけると、いきなり猛ダッシュする。


ふむ。ここにも悪鬼が。最初に入って来た悪鬼はC国からのクルーズ船だったはずだ。この女性と先ほどのおっさんは日本人っぽかったから、うつったのだろう。


なかなかの感染力だ。これはまずい。

急いで市内を封鎖し、24時間かけてしらみつぶしにしないと、日本中に広まってしまう。


俺の目の前では、強盗の男性を笑いながら引き摺り回している女性の悪鬼。


かわいそうだけど、この子も……大きめのインビジブルハンドを出して、体をぎゅっと。


そうすると、手のひらが血まみれになりこれまた不気味なオブジェが誕生した。まあ、ここはこれでおしまいかな。


さらに、港の方に飛ぶ。ここはちょっとまずい。


クルーズ船のターミナルを警察官が取り囲んでいるが、そこに警察官に取り押さえられている警察官がいる。あちゃあ、警察官にもお参りに行っていないヤツがいたのか。もしくは信仰心のないやつか、それとも運がなかった人なのか。


ここにいる警察官は、24時間は隔離措置にすべきだが、今はまだ悪鬼対策基本法が成立していないから、ちゃんとしてくれるのか心配だ。


この警察官、早くコロコロしないとみんなにうつすしどうしようと迷っていると、ターミナルの中も阿鼻叫喚だった。


男女が廊下の真ん中でセック○しながら噛みつき合っている。こいつらは、二人とも悪鬼だ。おそらく、男性の方が先に悪鬼になって、女性を犯している最中に女性の方も悪鬼になったのだろう。


さらには、5,6体転がっている死体をぐちゃぐちゃともて遊びながら、ニタニタと笑っている幼女。


待合所にある喫茶店に転がる大量の遺体。それらは、全て頭が潰されていた。武器や魔術も使っていないはずなのに、これはなかなかすさまじい。


救いなのは、ここは国際ターミナルビルという隔離された施設の中だということ。ここに娘が居ることは考え辛いし、普通の人はほぼ死滅し、悪鬼同士の殺し合いが始まっている。無尽蔵に悪鬼が増えることは無いだろう。とりえず、目に付く悪鬼をぎゅっとして、ここは警察に任せて後回しだ。


次は、怒声が響く古いマンションの廊下。全裸で水浸しのおばさんが奇声を発しながら歩いている。逃げ惑う人らはどうも日本人ではない。外国人が多いマンションなんだろう。


そして、あれも悪鬼だ。これは由々しき事態だ。


俺は、とりあえずそのおばさんをつまみ上げて外に放り投げた。ここは8階くらいだから、流石に死ぬだろう。


ううむ。これはマズい。外国のクルーズ船なんて入国させるからだ。というか、悪鬼対策先進国と言われる日本でこれなんだから、外国はもっとまずいだろう。


次に、娘の通う高校に飛ぶ。今日は土曜日なので、ほぼ誰もいない。部活動生らがちらほらと見えるが、特に混乱はみられない。俺は、少しだけほっとして、娘がよく行くというショッピングモールの方に飛んで行った。



◇◇◇


りぼんを付けた黒い騎士が、少年の悪鬼を引き摺り倒す。


そのまま馬乗りになり、そして、黒い騎士の頭部がぱくりと上下に割れる。


割れた中には、鋭い牙が生えていた。


「あ、ああ、あ、嫌……」


桜は、これから起こるであろう事態を想像し、腰が抜けてへたりこんだ。


公園の周囲では、他の住民たちが悲鳴を上げながら逃げ惑っている。


桜は、ひゅうひゅうとか細い息をする友人の顔を撫で、涙を流しながら黒い騎士から目を離せないでいた。


バチ! ブチンと、変な音がする。黒い騎士からではない。もっと近い場所からだ。


桜と黒い騎士の間の


そして、その裂け目から、信じられないものがするりと出てくるのが見えた。


美貌の少女。


背は小さいが、手足はすらりとしておりバランスがよい。頭には一つに束ねられた美しい髪がたなびいている。ただし、服はどこにでも売ってありそうなものを付けていたが、元の素材がいいからか、千尋藻桜には、それはこの世の物ではない何かに見えた。


その少女が、桜を見つめて口を開く。


「む、むむむ。お前は娘か。そうか。あいつが送ったのだったな」


千尋藻桜は絶句し、少女と黒い騎士とを交互に見つめる。


「人は、信じられないことが起こると、トラウマという病気になるらしい」


少女はそう言うと、ちらりと黒い騎士の方を向く。次の瞬間、黒い騎士は弾丸の様な勢いで、公園の外に飛んで行った。一緒に悪鬼も居なくなっているから、彼はきっと……


少女は、数秒間千尋藻桜を見つめ、「さて、アイツはどこで何をしていることやら」と言って、右手を何も無いはずの空間に差し込んだ。



◇◇◇


俺が空港のベンチに座り、バスを待っている間千里眼を使って悪鬼ハントを行っていると、何も無いはずの空間からにゅっと人の手が現われる。


はっきり言ってホラーだ。いや、俺のインビジブルハンドも十分ホラーだけど。


というか、この小さくて綺麗な手には見覚えがある。あいつの手だ。


だけど、こんなことが出来るなんて知らなかった。


その手は、まるで見えているかの如く、俺の襟元を掴んで、思いっきり引っ張った。


来いってことか? 乱暴なヤツだ。


俺は、手元に置いていたスーツケースを握り締め、引っ張られるがままに空間の割れ目に吸い込まれていった。



・・・・・


アレは……アレは、青い太陽だ。懐かしい。と、いうことは……何え事をする間もなく、直ぐに普通の空間に出る。


今、俺の目の前には、やっぱりしずくがいる。


しずくは、掴んでいた俺の襟から手を離し、目線で俺を誘導した。その先には、俺の娘、桜がいた。


「桜!? ここは、何処だ?」


しずくは少しあきれた顔をして、「まったくお前は。娘が悪鬼に襲われていた。間一髪だ」と言った。


一瞬頭が真っ白になったが、ここにこいつがいると言うことは、桜は大丈夫だということだ。


「まじか。大丈夫か桜。というか……」


桜は、地面にへたり込んでいた。その隣では、別の女学生が倒れている。


しずくは、「悪鬼にやられたか。回復魔術を使う。お前はをどうにかしろ」と言った。


怪我した桜のお友達は、なんとかなるか、だが、他の悪鬼?


しずくは、倒れた少女の前にしゃがみこみながら、「千尋藻、お前、そいつを殺せるか?」と言った。


そこには、鬼のような形相をした、娘と同じ高校の制服を着た女性が立っていた。


悪鬼。


おそらくは、桜の友達……


桜を助けるには、一刻も早く悪鬼を殺して人間に戻す必要がある。だが、ここで殺したら、娘が悲しむだろう。親子の縁が完全に破綻するかもしれない。


悪鬼になった時点で、この子はすでに死んでいる。理屈の上では理解できる。だが、綺麗な黒髪、綺麗な肌、この女の子だったものには、きっと愛する人がいたのだろう。両親、兄弟、あるいは恋人。俺は、何の恨みも無いこの子を殺せるだろうか。


これは、おそらくターニングポイント。俺が普通のサラリーマンに戻れるかどうかの……


しずくは、優しい顔をして、「やれやれ。お前は、私と一緒に行くにはまだまだだな」と言った。


しずくはそんなことを言うが、桜が悪鬼に襲われていたのであれば、その悪鬼は、誰が何処に連れて行ったというのか。おそらく、優しい誰かが見えないところに連れて行ったに違いない。


俺は、黙ってインビジブルハンドを発動させた。


見えないところで、優しく殺そう。


俺はため息をつき、「俺は人間だからな」と返した。

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