第202話 回転しない寿司


夜、築地のお寿司屋さんに行く。もちろん、綾子さんとしずくもついて来た。


ヤスさんと呼ばれる初老の背広が先頭を歩き、その直ぐ後ろを俺と試合した厳つい若手のキャリアがついていく。折れた歯はちゃんと治ったようだ。しばらくすると、雑居の中にある小汚い店に入り、すぐさま二階に通される。


座席に座ると、ヤスさんが「いやいや。この度は済まなかった。ちょっと、怪異とやらを理解するには歳をとりすぎたのかもしらん」と言った。歳にせいにしたようだ。


「ヤスさん、千尋藻さんは俺より強くて頼りになるぜ、その隣は……げふんげふん」


小田原さんが余計なことを言いそうになってむせたようだ。


「まあ、とりあえず、皆さん好きなものを頼んでくださいや」と、ヤスさんが言った。


俺がメニューの冊子を見ると、「お酒はどうするね」と、ヤスさんが言った。


「俺はビンビール。しずくはどうする?」と、聞いた。ここには天下の警察官僚がいるのだ。しずくも飲んでもいいだろう。


先に綾子さんが、「私も最初はビールでいい」と言った。


しずくは、メニューをさらりと見て「乾坤一けんこんいち」と言った。


日本酒? そりゃ、俺では飲ませてあげられないけどさ……


ヤスさんがチラリと隣の厳つい人に目配せすると、彼は内線電話で注文を伝えていく。ちょっと古風なお店だが、この2階の宴席はこの部屋しかない。多分、機密性は高いのだろうと思う。


しばらく経つと、お酒と回転していない寿司が出てきた。


ここは二階の個室だから、それぞれ陶器のお皿に寿司が乗せられて出てくる。うまそうなマグロや江戸前のコハダなどが乗っている。そこにはエビカニイカタコがあまり入っていないが、とても美味そうだ。それから味噌汁な大きな汁椀でついて来た。お味噌の良い香りが食欲をそそる。お値段のことは気にしないことにした。


しかも、ちゃんとしずくにも一人前あるし。なかなかやるなヤスさん。


その後、軽く乾杯し、本題に入る。


「それでなぁ。俺ら、妖怪か幽霊か知らないが、負けてしまった。どうすればいい? このままいけば、俺達も死ぬな」と、ヤスさんが言った。


「その怪異、そんなに強いので?」と、言ってみる。


「強いというか、勝負にならん感じだな。詳しくは当事者では無いから分からねぇが、黒い子供みたいなヤツが出てきて瞬く間にやられたと聞いている」と、ヤスさん。


「それって、単に準備不足。個人的にはですが、本当に気を付けなければならないのは悪鬼で、そんな山の怪異はさっさと友好関係結んでおしまいにすべきだと思うんですよ。何が障害になっているんです?」


「あいつらは、最初に子供を出してきたらしい。催眠か何かで連れ去った女児がわらわらと出てきて、反撃も説得も出来ずにいたところに、その黒い何かが襲ってきたってことだ」


「ほう。だったら、興味を示していた女児は食っていなかったのか? いや、すでに死んでいるのかも。いずれにせよ、この件は事件を捜査、犯人を逮捕して裁判所に書類送検する役目の警察の仕事じゃないと思うんです。最低でも自衛隊。できれば魔道兵」


「はっきりものを言うな。だが、そうなんだろう。相手がヒトでは無い時点で、警察の出番はないと思う。だが、この国はまだその事が分かっていない。だから、次も警察メインで行くようだ。というか、自衛隊はどこも人手不足。ただでさえ周辺の国家がきな臭いんだ。国内のことは警察に任せたいんだろう。


「怪異事件は国内案件か。そうですか」と言って、マグロをパクリと食べる。とても美味い。


「仮にだが、貴方達にそこの討伐をお願いしたとして、その時はどういう対策を取るだろうか」と、ヤスさんが言った。


「討伐? 解決でなく討伐でいいんですね? それならば、私が出て行っておしまいです。開幕から廃神社に突撃して暴れておしまいですよ」と、言ってみる。


その怪異は、おそらく神社にいるから、そいつを倒せばおしまいのはずだ。


「討伐……そうか、今は戦術目標が明確でないのだな。捕らわれている女児を助けるのか、相手を倒すのか」


「さらに言えば、その怪異を今後味方にするのか、それとも滅するのかでも、手段は変るでしょう。というか、その怪異はヒトにとても興味を示しているヤツです。うまくすれば味方してくれるでしょう」と、言ってみる。かつて、しずくがそう言っていたことだ。そのしずく本人は黙って日本酒を嗜んでいる。


ヤスさんは、お酒を少し口につけ、「聞き方が悪かった。済まない。女児は全て助ける、なおかつ相手が今後日本政府に味方してくれるようにするにはどうしたらいいだろうか」と言った。


「流石に状況が分からないので作戦の立てようがありません。少なくとも、相手を圧倒する戦力が必要なんじゃありませんかね」と、答えておく。


ヤスさんは寿司を食いながら、「やはり問題は、戦力不足か」と言った。


「その戦力は、どうやったらいい?」と、隣の厳つい男が言った。


その隣の厳つい男は、出てきた寿司とお酒に全く手を付けていない。さっき俺に負けて、前歯を全部折られたからな。回復魔術で治ったとはいえ、気が気で無いのだろう。


「銃火器を使ったら女児に当たるから駄目というのなら、解決策はヒューマンウエポンである魔道兵でしょうね。祈祷の力はこれから手探りでしょうから。結局力が物を言う」と俺が言った。


厳つい男は、少しだけ嬉しそうな顔をし、「どうやったら魔道兵になれる?」と言った。


「……出撃はいつ?」と聞いてみる。


「翌朝だ」と返ってきた。


俺は、チラリとしずくの方を見る。あいつは、興味なさそうに綺麗な器を眺めながら、コハダを口に入れて日本酒を堪能している。


俺はため息をつきそうになりながら、「魔道兵とは、魔術を使う兵士です。魔術とは、魔術回路を体に刻み込むことで使えるようになりますね。防御系なら、そのためのオカルトグッズがここにあります」と言った。あえてオカルトという言葉を使ってみた。


それを聞いていたヤスさんが、「例えばですが、しずくさんなら、それはどうなさるので?」と言った。


この男は、しずくがただ者では無いことを知っているようだった。我が家のお隣さんには、ある程度しずくの情報は行っているはずだから、そこからの情報か?


しずくは、日本酒を口につけ、「魔道兵の話か? それなら、千尋藻の言う通り、魔術回路を使うのが手っ取り早いだろう。もう一つあるとすれば、それは契約の力だ」と言った。


「契約? それはどういったものだ?」と、厳つい方。


「神獣などの力を降ろす事が出来るのだ。いずれ、この国には沢山の怪異や神社仏閣に集まる気などが、国民の味方をしてくれることになるだろう。それらの力を個人が借りるんだ。お守りなどのアイテムではなくな。そのためには、地道に祈りを捧げるしかないだろう」と、神敵。


「あの、不躾かもしれませんが、明日から始まる奥多摩怪異討伐戦に間に合わせようとすれば、どういった手段があるのでしょうか」と、ヤスさんが言った。


神敵は目を細めながら俺の方を見る。


「え? 俺? 俺が参加するわけにも……まさか、俺が力だけを貸すってこと? でもどうやって。亡霊くんここには無いし」


俺がそう言うと、しずくは無言でリュックサックから今日購入したアレを取り出す。ヒマラヤ産のあれだ。


皆の視線がそれに集まる。


しずくは天然水晶をごとりとテーブルの上に置き、「これに刻み込めば、即席の契約装置が作れるだろう」と言った。こいつは、面倒見がいいから……




・・・・・


この厳つい兄ちゃんは、目久美めぐみという可愛い名字らしい。歳は30歳、まだ若いな。


先ほど、プロテクションについては、しずくが彼にインストールしてあげた。お値段は50万円にした。レベル1から3まで一気に入れたから、かなりの格安料金だ。まあ、これは販売促進も兼ねているから、別に格安でもいいだろう。


そして、契約である。今、しずくがこの寿司屋の個室で必死に水晶石をいじっている。魔術的な回路を刻んでいるらしい。


「契約内容はどうする? 考えておけ」と、しずくが作業をしながら言った。


「そうだよな。これは、慎重に考えないと搾取されるだけになってしまうからな。当然、それを防止するための内容にさせてもらう」


警察官の二人は黙って聞いている。


「パターンは、例えばエリオンケースとレミィケースがある。エリオンの方は、普段は契約内容の力をある程度自由に行使できるが、裏切ったら自動で死ぬというパターン。レミィは、普段は不死身性とか筋力とか、制限された力しか使えないが、いざとなったら契約者が体を操って力を発揮できるというパターンだな」


「あの、それって、契約解除は出来るんだろうか。さっきの魔術回路は入れ墨と一緒で一生ものなんだろう?」と、目久美氏が言った。


「その辺りも契約内容によるんじゃないのか? 普通は力を貸す方が有利な内容になると思うけど」


「だが……」


「途中で解除できる契約にすれば問題ない。だが、確かに、力を貸す方を有利にしなければ、それは貸主を危険にさらすことになる。それは、そうした方がいいだろう」と、しずく。


「俺も警察官の命を取ろうとは思わないし、今回は特別だ。レミィパターンで行こう。普段は見返り無しで身体能力が上がる程度の能力を与え、いざとなれば俺が彼に乗り移って体の主導権を握るという。もちろん、その報酬は現金だ」


「一応、それだと彼の私生活は全て千尋藻に覗かれてしまうということになる。それでもいいのか?」と、しずく。


目久美氏は、決意した顔で、「俺は良いぜ。おっさんに覗かれるのはちょっと嫌だけどな。死ぬよりマシだ」と言った。


「俺だっておっさんの私生活を覗くのは嫌だ。だけど、この怪異を倒す期間だけの我慢だ」と、返す。


しずくは、水晶をドンとテーブルの上に置き、「さて、契約内容を書き出せ」と言った。


目久美氏は、文字がびっしりと書かれているメモ帳をテーブルの上に置いて、何かを書き込んでいった。

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