第201話 夜の霞ヶ関


小田原さんに呼ばれた先は、なんと霞ヶ関だった。警察に呼ばれたはずなのに意外だ。何故ならば、霞ヶ関とは、一次官庁の庁舎が立ち並ぶ区画だからだ。


地下鉄の出口付近で小田原さんと待ち合わせ、そして一緒に建物の中に入る。


入り口で小田原さんが免許証を提示し、守衛さんにどこどこの誰々と伝えると、電話で確認を取って、その後ICチップ入りの通行証を渡された。なお、身分の証明はおとなだけで良かったようだ。


なので、しずくも同行する。しずくに関しては、身分証明を求められても困るので小田原さんに念を押したが、問題ないとの事だった。子供扱いだからだろうか。


堂々と建物の中に入り、そしてエレベーターで最上階まで行く。その後も小田原さんの先導で迷路の様な廊下を歩き、更に階段を上ると、屋上に出た。だがこの屋上、なんと武道場がある。


俺達は、小田原さんについて、その武道場に入っていく。


そこには、武道着を身に付けた数人と、背広を着た初老の男性の1人がいた。


「ヤスさん、連れてきたぜ」と、小田原さんが言った。


綾子さんがほっぺたを膨らませてふんぞり返っている。やるのかこのやろうって感じだ。


「すまんなとおる。我が儘言っている自覚はあるんだ」と、背広の男性が言った。初老にさしかかるお歳頃だと思うのだが、背筋がピンと伸びて、体感がしっかりしていそうだ。というか結構ごつい。


「いえいえ。別に逮捕される分けじゃないんですから」と、小田原さん。そして、俺の方を向いて「ごめん千尋藻さん。手加減してあげて。今晩奢るからさ」と言った。


俺はバッグ類を下ろしながら、「ここから銀座は近いぜ? いいの?」と、言ってみる。


小田原さんは、「ナンボでも奢る。というかさ、自分、あっちの世界でどれだけ千尋藻さんに世話になったことやら」と言った。元極道の人にそういう言い方をされると、何だか俺が極道な人の様に聞こえるんじゃ……


「それで、何を……」と、言いかけたところで、入り口付近に一つの武道着が畳んで置いてあるのに気付いた。これ、ちゃんと洗濯してあるんだよな……



・・・・・


彼らの目の前で、すぽぽんと着替える。


来ていた服は綾子さんが畳んでくれた。俺の異世界帰りのボディを見て、彼らの目付きが変る。あまり見ないで欲しい。努力してこうなったというよりかは、くじ引きに当たった感じだから。


そして身に付けた武道着は、柔道着だった。小田原さんの伝手だから空手着だと思ったんだけど。


俺が何となくアキレス腱伸ばしや腕のストレッチをしていると、向こうさんの一番厳つい人が立ち上がる。


「ちょっと大丈夫? リンチとかじゃないよね」と、綾子さん。


「いやいや。霞ヶ関柔道部の練習ですよ」と、初老の背広が笑顔で言った。


「ヤスさん、自分は死人が出ないかだけが心配なんですよね」と、小田原さん。


失敬な。感情のコントロールぐらいできるわ。


とはいえ、何の手土産もよこさず、いきなり練習試合とはなかなかムカつく。俺、こう見えても貴族の屋敷に出入りして剣を教えていたんだぞ? そこそこのお金を貰って。


綾子さんは顔をぷくっと膨らませ、「やっつけちゃって」と言った。しずくの方は無言で畳に正座している。


俺は、畳の上を歩いて行き、「柔道のルールでいいんだよな」と言った。


だが、俺の質問は無視され、「始め!」と、誰かが言った。


マジかよ。まあ、柔道でいいだろ。


俺は、そのまま引き手の間合いを計りつつ、じわじわと相手の周りを円を描く軌道で動く。


と、相手が一気にこちらに出てくる。


引き手を取るか取らないかで、スパン! と俺の左足のすねに足払いが入る。


いや、これは足払いとは言わない。ローキックだ。


相手の厳つい人は、鋭い目付きで俺を睨みながら、じりじりとこちらとの間合いを読みながら次の攻撃のタイミングを見計らっている。


俺が、試しに相手の間合いに入ってみると、すかさず相手からローキックが入る。


スパン! といい音がするがノーダメージだ。今のはけん制の意味のローキックだろう。だが、この感じだと、どうも俺の体は異世界のままの様な気がする。ハープーンや毒攻撃など、特殊攻撃が使えないだけで。


おそらく、異世界の深海にいる本体と切り離されているだけで、貝は貝なのだろうと思う。


俺が考え事をしていると、相手がセイヤ! と掛け声をあげる。


うるさいのでびっくりした。


目の前の男は、相変らず柔道ではなくキックボクシング張りの構えでローキックを放ってくる。これ、ひょっとして柔術ってやつ? 俺、そのスポーツ知らないんだけど。


どうしよう。俺が本気で殴ったり蹴ったりしたら、多分彼は死ぬ。


いや、本当に当て身ありの柔術か試して見よう。


俺は、柔道の試合でよく見かける引き手争いをしに相手の間合いに入る。すると、拳が顔面に飛んでくる。


ボクシングのパンチと言うよりかは、拳をねじ込んでくるような武術系の当て身だ。まあ、遅いので余裕で避ける。


俺は、一瞬頭がカッとなって殴り返そうと思うが、ぐっと我慢する。これは試合。しかも、勝とうが負けようが銀座が待っている。いや、本音としては銀座より築地あたりでお魚を食べたい。


「ハア!」


おや、緊張感の無いパンチが飛んできた。隙を見せていないのに強引に撃ち込んできた感じだ。


俺が反撃しないから舐められたかな?


俺がそのパンチを避けると、彼はそのまま俺の引き手を取りにきた。短気なヤツだ。ちょっとぶち噛ましてみよう。


「どっ、せい!」


俺のおでこに、みしりという感触が伝わる。


カウンター気味に頭突きを合わせてみたらクリーンヒット。もちろん手加減している。前歯は全部折れたと思うけど。


あの時、ホーク襲撃事件の時のムーの頭突き攻撃を思い出す。あれ、相手の首の骨が完全に伸びきっていたもんなぁ。それに比べれば、俺の頭突きなんてまだマシな方だろう。


「きさまぁ!」


おや、ギャラリィにいた若手が立ち上がる。激高しているようだ。


「ごめん、相撲すもうかと思ったよ」と、言っておく。だって、柔道とも柔術とも言われなかったんだもん。というか、相撲は頭突きがOKなのだが、これは多分凄いことだ。頭の質量で行う攻撃は、拳と比べるととんでもない威力になる。


その若手がこちらに近寄ってくる。


残念だけど、俺は改造人間なんだよね……


俺はそのまま近寄ってくる若手の引き手を握り絞め、そのまま斜め下に思いっきり引っ張る。


ずるんと相手の足が畳を滑る。俺は力任せに彼を放り投げる。まあ、受け身を取れば怪我はないだろ……


あ、いや、やばっ、投げ飛ばした先には綾子さん。


時すでに遅し、ごん! 鈍い音を立てたが、綾子さんは少し後ろによろけながらも普通に座っていた。


綾子さん、何故かドヤ顔だ。プロテクション、ちゃんと使えたのか? というかレベル1のはずなのに、なかなか丈夫なバリアだ。


その隣のしずくは、澄ました顔をして座っている。


まあ、何だ? つい先日まで、俺はひとごろしが身近な世界にいた。


何時の頃からか、俺はそれが出来るようになっていた。ジェイクを攻撃した時さえ、良心の呵責が来たのは戦闘後に僅かだった。


最初の殺しは悪鬼、次の殺しは全裸のアイリーンの頭を踏みつけていたナントカ将軍、その後は、いちいち覚えていないけど、沢山やった気がする。


ここで暴れてもいいが、それは皆に迷惑を掛けるだろうし、そもそも、俺をここに呼んだ理由は別にありそうだ。


俺は、感情をぐっと堪え、ひとまず、自分が来ている柔道着をビリビリに引きちぎってみた。




・・・・・


「あ~治るぜ問題ない。自分の魔術で大丈夫だ」と、小田原さんが言った。


俺の頭突き攻撃で顔面がマズイことになっているゴツいおっさんは、小田原さんが回復魔術を使って治療を施していた。そこに救急車を呼ぼうかと誰かに言われて先ほどのセリフが飛び出てきた。


「すまなかったなとおる。彼らは、どうも本物だな」と、初老の男性が言った。


小田原さんは、しずくをちらりと見てから「いやいやヤスさん。実力はほぼ見せていませんぜ?」と言った。


ヤスさんと飛ばれた男性は、「そうなんだろう。まるでレベルが違うようだな」と返した。


小田原さんは厳つい人に回復魔術を掛けながら、「今後、この世界の強さには、いつもの鍛錬や近代兵器の質にプラスして、魔術というものも加わるだろう。悪鬼戦や怪異戦においては、魔術は必須だろうと思う」と言った。


俺は、もとの服に着替えながら、「小田原さん、とりあえず、事情をよろしく。なるはやで」と言った。今はもう夜だ。これから築地か銀座に繰り出すのだ。人の金で。


「ああ、ヤスさん、自分からいいよな。ここは霞ヶ関の武道場。今伸びてる彼は、マル暴のキャリアだ」と、小田原さん。


ヤスさんと呼ばれた人は笑顔になって、「ふふ、少し違う。こいつは、入署は警察官僚だったはずなのに、マル風がやりたいと言って、こっちに入って来た変り者だ」と言った。


「マル風? マル暴ではなくて?」と、俺が突っ込む。


「そうだ。マル風なら、タダでエロい事が出来ると思ったらしい。だが、マル暴に配属されて、何やら正義感に目覚めたらしくてな」


「へぇ」


「そんなことより、これはどういうこと? 一方的に千尋藻さん攻撃されただけじゃない」と、綾子さん。無敵だな綾子さん。この人ら、国家権力の権化だぜ?


「いやいや悪かった。寿司と酒は奢るよ」と、背広のおっさん。なかなか話が分かる。だが、奢るのではなく、お金だけ出して帰ってくれたら嬉しいのだが。


「いえいえ。ところで、なんでこんなことを? 理由があるんでしょ?」


俺がそう言うと、小田原さんの回復魔術を受けている厳ついおっちゃんが渋い顔をした。どうやら意識が戻ったらしい。


「これは、ココだけの話にして欲しい」と、背広のヤスさん。そして、「例のな、第一次作戦は失敗したらしいんだ」と言った。


何だって? 今回の話は、その山の怪異を仲間にするか否かの話だと思っていた。失敗ってことはおそらく人死にが出たのだろう。まだメディアではやっていないから、おそらく極秘作戦だったに違いない。


「山に向かっていた警察官と、お坊さんやら神主さんやら神社庁の職員やらは、為す術もなく潰走かいそうしたよ」と、ヤスさん。


何故、武装警察か自衛隊を連れて行かない……怪異は、別に魔術でないと倒せないわけではないのだ。


「実はな、奥多摩だけじゃないんだ。怪異の報告があるのは。今回は、全国に先駆けた初の怪異戦だったんだ。なのでこれ以上、奥多摩の怪異に負けるわけにはいかない。それで、次はマル暴などにも応援の相談が来ているんだ。今度、あの山のリベンジには俺らが呼ばれているということだ」と、ヤスさん。


「メディアに流れないけど」と言ってみる。


「ま、流せないだろうな。怪異の存在すら説明できないんだ。それでどうして犠牲者が出たって言える?」と、背広のおっさん。


「そんなこと俺らが知ったことではないな」と返す。


俺に頭突きを喰らったおっさんが、「だから、俺らは、何かヒントを掴もうと」と言った。何だか身勝手だ。


プライドが高くて頭を下げることが出来ないのだろう。俺としては、自分の家族が無事で、一番危険な悪鬼が蔓延しているという事態でないのなら、どうでもいい気がする。その怪異に思う存分暴れてもらって、危機感を煽った方が世のため人のためになる気すらする。


なので、「ま、その辺の都合はどうでもいい。これからどうする? 小田原さん」と言った。


小田原さんは、回復魔術の手を止めて、「今日の詫びに何でも奢るぜ。銀座行くか?」と言った。


「築地の一番高い店がいい」と、言ってみる。


「共食いか? 好きだねぇ」と、小田原さん。


俺は、わざと獰猛な笑みをつくり、「ニンゲンだって、牛や豚を食うだろ?」と返した。

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