第198話 小田原亨の暗躍と滴教団の始動


時間は半日ほど遡り、おっさんが山登りに興じている頃、小田原亨おだわらとおるは旧知の伝手を使い、マル暴刑事と待ち合わせを行っていた。


渋谷のとある喫茶店の一番奥、スキンヘッドがブラックのアメリカンを嗜んでいると、カランと軽やかな鈴の音がして初老の男性と厳つい男性がつかつかと店の中に入って来た。


「ああ、ヤスさん、お久しぶりです」と、スキンヘッドが椅子から立ちあがってお辞儀をする。


「おお、トオル。元気そうだな。お前、バスに跳ねられたと聞いて心配したんだが、流石だな」と、ヤスさんと呼ばれた初老の男性が言った。


「いえ、その節は、あいつにも色々と気を使っていただいたようで」


「いやいや。お前は足を洗ってくれたんだ。何だって相談に乗るさ。今日はどうした? 快気の報告って分けでもないんだろ?」


厳つい二人は、スキンヘッドと同じテーブルに座り、それぞれアイリッシュとブレンドを注文する。


「今日の自分はお使いみたいなもんです。ちょっと、聞きたい事と、それから忠告を少し」と、スキンヘッド。


「忠告?」と、若い方の刑事が言った。言葉が気に入らなかったのか、いらつきを隠していない。


「まあまあ、お前がわざわざ伝えてくれるんだ。何でも言ってくれ」


小田原亨はコーヒーを口に付け、「最近、原因不明の失踪が増えてやしないかって思ってね」と言った。


若い方の刑事が露骨に顔をゆがめ、初老の刑事は澄ました顔をする。


「どうしてそう思う?」と、初老の刑事が問う。


小田原亨はコーヒーカップから顔を上げ、少しにやりと笑い、「俺の知り合いに霊能力者がいる。そいつから聞いてくるように頼まれたんだ」と言った。


「お前、俺達に向かって霊能力だと?」


若い刑事が凄みを利かせ、老齢の刑事がそれを諫める。


「トオル。お前は○○組では角の無い鬼と恐れられた武闘派だった。それがどうした。バスに跳ねられておかしくなったのか?」


小田原亨は両手を少し広げ、「おかしくなりそうだったが、何とか耐えた。自分なんかちっぽけなもんだ。それで、どうなんです?」と言って、老齢の刑事の目をじっと見つめる。


数秒の沈黙後、老齢の刑事は「何か知っているのか? 実は、1課と2課がかなりばたついている。マル暴にもそろそろ話が回って来るかもしれん」と言った。隣の若い刑事がぎょっとしている。警察内部の捜査状況を漏らすなんてあり得ないからだ。


スキンヘッドは、「それは、幼女の同時多発的行方不明だな?」と言った。


「貴様! どこでそれを!」


スキンヘッドはそれを無視し、「その共通点は、幼女がいなくなる前、おそらく、その家族が変な声を聞いている。そして新情報、彼らは、おかしくなる前、とある山に登っている」と言った。


「お前、何を知っている!?」


初老の刑事は、若い刑事を手で制し、小田原亨に次の説明を促す。


「だから霊能力者だよ。変な声を聞いた家族が、霊能力者に頼ったのさ。警察ではなくてな」


「ぐっ、だが、変な声が聞こえるという理由だけで、警察は出動できない」と、若い刑事。


「そこだよ。こういったことは、今後は自力で防がなければならない。何故ならば……怪異が日常になるからだ」


「どういう意味だトオル」


「ヤスさん、今回自分は、聞きたいことと、忠告があると言ったぜ? 次のは忠告だ。行方不明事件の方は、しばらく全国で多発するだろうが、いずれ収まるだろう。対策が可能だからだ。問題は、別のヤツだ」


刑事二人は、黙ってスキンヘッドを見つめる。


「俺達は、そいつのことを、『悪鬼』と呼んでいる。人の化け者だ」


「人の化け者だと?」


「そうだ。人とは全く見分けが付かない化け者だ。それが、この世にいるんだと」


「……一応、聞いておこうか」


「ヤスさん、何か知ってるな? まあいいや。これは忠告だからな。『悪鬼』は、人が成る。霊能力者的な言い方をすれば、人に悪しきモノが乗り移り、そして悪鬼になる。悪鬼になると破壊衝動が増幅して往々にして殺人を犯す」


刑事二人は黙ってコーヒーを口に付ける。


「いいか、良く聞いてくれ。『悪鬼』はうつるんだ。悪鬼を倒そうとすると、その人が悪鬼になる可能性がある。しかも、悪鬼を殺すと、呪いの力でそいつが死ぬ」


初老の刑事は、静かに「質問いいか」と言った。


「いいぜ」と、小田原亨が返す。


「その悪鬼、銃で殺したらだめなのか?」


「弓矢でもうつるという情報がある。おそらく銃でもだめだ。距離的な制約条件があるかどうかは知らない」と、応じる。


「悪鬼と、他の人間の違いはなんだ? それから、悪鬼になった人間を元に戻す方法は?」


「悪鬼と人間との違いは、悪しきモノが取り憑いているかどうかだ。実は、その判断はかなり難しい。しかも潜伏期間がある。悪鬼と接触して24時間は様子を見ないと、悪鬼になったかどうかは分からないようだ。悪鬼は意味不明な言動をしながら破壊行動を繰り返すから、その行動で見分けるしかない。それから悪鬼を人間に戻す方法は、無い。厳密に言うと、殺したら戻る」


「……それは厄介だな」と、初老の刑事が言った。


「ここだけの話だが、日本に出た悪鬼は、ひとまず。しばらく同じ所では発生しないらしいが、再び現われるのも時間の問題とのことだ」


「仮定の話だが、その悪鬼とやらに対抗するにはどうしたらいいだろう」と、初老の刑事。


「まずは、魔術、いや、霊的な防御が効果的だ。神社仏閣のお守りや祈祷が本当に効くそうだ。それでも、防げるのは悪鬼がうつる場合だけだそうで、悪鬼を殺した場合の死の呪いを防ぐのは現状ではかなり難しい」


「そうか。それなら、誰かが犠牲になるしかないのか?」


「いや、呪いで死ぬのは人だけだ。どうも遺伝子に作用するようだ。なので、例えば犬。警察犬が殺した場合は誰も死なない。もちろん、ライオンや熊でも同じだ。ひょっとすると、ドローンの全自動攻撃だったら、呪いの行き場がないかもしれない」


「それなら、警察犬を大量に準備すべきだな」


「そうだ。今のうちに大量にかき集めるんだ。それから、悪鬼がうつり難くくなるように、警察官全員お祓いに行くべきだ。というか、国民全員だな。これは怪異の方にも共通していてな。日本は神社仏閣が全国にあるから、ちゃんと準備すれば比較的大丈夫だと言っていたぜ?」


「それは文化庁の仕事だろうが、家族や身近な同僚には勧めておこう」


「ヤスさん、これから世界は大変になる。おそらく、怪異が現実になるんだ」


「国家権力を舐めるなよ? 必ず守ってやるさ」と、初老の刑事が言った。


「困ったら連絡をくれ。俺の仲間達は凄いんだ」


小田原亨がそう言うと、初老の刑事はアイリッシュコーヒーに口を付け、そしてゆっくりはっきりとしゃべり出す。


「これは独り言だが、C国の某都市が封鎖された。ゾンビウイルスではないかと噂されている。だが、政府は経済を優先させ、国境封鎖は遅れるだろう」


「ちっ、あそこは大革命で宗教をぶっ壊している。まずいな」と、スキンヘッドが呟く。


「忠告ありがとう」


初老の刑事は、二千円をテーブルに置き、席を立つ。


「ヤスさん、死ぬなよ。マズいことがあったら本当に連絡くれ」


初老の刑事は、それには何も応えず片手をさっと上げて去って行った。


その後、スキンヘッドが冷めたコーヒーを飲んでいると、メールの着信が入る。


『今日、家飲みするけど来ない? ケイティも来るよ』


そこには、間の抜けた文章が書かれていた。



◇◇◇


おっさんが綾子さんの誘惑を必死で耐えていた頃、しずくはお隣さんにお邪魔してシャワーを浴びた後、一家から拝まれながら、人を待っていた。


「おお、到着したようです。しずく様。是非、お会いになられてください」と、家の主人が言った。


そして、家に入ってくる三人家族と坊主が一人……


「ああ、事務次官、こんな所においで頂くなんて」と、家の主人。


「いや、いいんだ。きみの勇気ある行動のお陰で、私の娘は怪物に連れ去られずに済んだ。それで、滴様とは?」


事務次官と呼ばれた人物は、家に入るとキョロキョロととある人物を探す。


この家の主人は、「滴様、こちらが私の上司です。先日は山に一緒に登ったんです。そして、同じような声が聞こえて来た人なんです。滴様に貸していただいた腕輪を持て、こちらの上司のお宅に伺ったところ、実は娘さんが黒い何かに襲われているところで、ギリギリ間に合ったんです。腕輪でその黒いモノを叩きましたら、消えていなくなったんです」と言った。


先日貸し出した腕輪が役に立っていたらしい。なお、貸し出していた腕輪は、すでに返却されていた。


事務次官と呼ばれた人物は、一瞬だけいぶかしんだが、堂々としている不思議な少女に向い、「おお、貴方が滴様か。この度は何とお礼を言っていいことやら、ほら、お前達もお礼を言いなさい」と言った。


彼の後ろには、自分の妻と娘が居た。すぐさまお礼を言う。


「ああ、山の怪異に魅入られた人達か。あそこの調査結果は先ほどレポートした通りだ」と、しずくが言った。スマホでさっと文章を書き、先にメールしておいたようだ。


「原因究明の調査ありがとうございます。この情報はすでに警察組織に流しました。的確に対処させましょう。あの山に登ったことが原因なら、他に目を付けられた女児がいるはずで、今も失踪が起きている可能性が高い」と、事務次官が言った。


しずくは、「ずいぶん貪欲なヤツに見えた。だが、まだ大した力は付けていないと思う」と言った。


事務次官は、彼の後ろにいる人物に目配せし、「この度は、私の知り合いの寺の僧侶に来ていただいているんです」と言った。


「○○不動尊の○○と申します。レポートはお読みいたしました。この度は、廃村にてうち捨てられた神社が原因だとか。いや、この度、こういった本来は力なきものが目覚め始めているとお伺いいたしました」と、後ろにいる坊主が言った。


「ほう。其方は、相当に徳を積んでいる僧侶だな」と、しずく。


その坊主は少しだけ青い顔をしながら、「私などまだまだです。しかし、実は数日前に、私にも神仏の声が聞こえるようになったのです。最初は悟りかと思ったのですが、どうもそうではなく、こう、私に力を貸していただくといいますか、私の呼びかけに対し、応えてくれるようになったのです」と、僧侶が言った。


「この世界は、魔術……いや、分かりやすく言うと、人々の祈りが力になるように書き換わりつつある。それはおそらく、其方の寺に集まる願いの力だろう」と、しずく。


僧侶はさらに顔を青くさせ、「は、はい。この度の事件に関しては、知り合いの神主と一緒に、その山に赴きたいと考えております」と言った。


「あの山の怪異は、貪欲に魔力を収集していたが、ちゃんと奉れば人々の助けになってくれることだろう。この国の神事は、どうもそのような懐の深さがある」と、しずく。


「はい。仏の教えでは羅刹も武神になり、神道では悪霊の類いも守り神になります。私達は、この力で以て、霊的にこの国を守って行きたいのです」と、僧侶。


「これからの国家運営において、お前達が言う霊的な力は重要な要素になるだろう。早急に防衛体制を構築せねば、国家がまずいことになるぞ」と、しずく。


「はい。不思議な声を聞ける僧侶や神主が次々と誕生しております。きっと我らが力になりましょう」と、僧侶。


しずくは、「それは良かった。では、私の出番はそろそろ終わりだな」と言って、席を立ち上がる。


その僧侶は、顔を上げることが出来ず、「し、失礼ですが、それで、貴方は、一体……」と、声を絞り出した。


しずくは、「私の事か? が、この度暇になった。なので、しばらく世俗を楽しむと決めている」と言った。


僧侶は血相を変えて、「そ、それならば、しばらくは日本のために力を尽くしていただくわけには」と言った。


「さて、それはどうするか。実際問題、法的な壁、経済的な壁があるだろう」


「滴様、その、私どもにご協力、いや、ご助言だけでもいいのです。実は、怪異と思われる事件の報告が急激に増えております。我々は、本当の霊能力者を求めています。私自身、心霊現象を目の当たりにするなんて思いもよりませんでした」と、事務次官。


しずくは、少しあきれた顔をしたが、「私は、法的には外国人にあたるだろう。私に頼るよりも、例えば、魔道兵を育てるべきだ。国防は、その国家の国民が担うべきなのだ」と言った。


「兵士ですか……今度、警察官僚と自衛隊幹部を連れて来ることをお約束します。いや、それとも神社庁でしょうか。それで、滴様、ぶしつけですが、その魔道兵に関して、ご助言を頂くわけには」と、事務次官。


「それって、私の時間がなくなるのでは?」


「その、お布施はちゃんといたします。宗教法人にすれば非課税です」


「うう~ん、どうすっかなぁ。生活費は欲しいがなぁ。宗教始めるつもりはないしなぁ」


「何卒!」


「一人じゃなぁ。私が怪異扱いされてもいかんし。まあ、あいつらと相談してみるか」と、しずく。


何かと頼み事に弱い神敵しずくは、本気で協力できることの検討を開始する。

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