第197話 登山の打ち上げ


「ねえ、あれ、何だったの?」と、綾子さんが言った。俺の背中から。


彼女、本気で腰が抜けたようで、俺がおんぶしている。今回の山登り、ほとんどおんぶしている気がする。まあ、いいんだけど。


あの後、綾子さんが見たいと言うので場所を教えたのだ。おいでおいでする何かの場所を。すると、彼女にも見えたようで、その後異常に怖がってしまった。


「あれが何かは俺にも分からないけど、どう? しずくは何か分かった?」


しずくは、少し考え事をしながら、「アレは、目覚めたばかりの何か力あるものだな。貪欲に魔力を集めている。見たところ、誰もお参りしなくなった古い神社のようだった」と言った。本当に見てきたような言い方だが、おそらく、山ヒルの化身を使って見に行ったのだろう。


「ひっ、どういうこと? しずくちゃんって何者?」


「お隣さんや同僚からは、霊能力者だと言われたな」と、しずく。


「お隣さんって?」


「この山に登って、娘を嫁によこせみたいな声が聞こえてきた三人家族の人がいて。その悩み自体はほぼ解決したんだけど、調査に行こうという話で……」


「ひょっとして、今回って、登山と言いつつ心霊スポット巡りだったの?」と、綾子さん。俺を後ろからぎゅっと抱き締める。


「まあ、本当に登山が原因だという確証は無かったよ。でも、気になるじゃん? ビンゴだったみたいだけど」


「ほんと? 本気で言ってる? 山にぼろっぼろの誰もお参りしない神社があって、そこの神様が怒っているってこと? 生け贄じゃないけど生きた人間を欲しているってこと?」


「概ねそうだ。だが、怒っているわけではなく、空腹なだけのようだ。私が気になるのは、何故今そうした怪異が起きているのかと言うことだが……」と、しずく。長考に入ってしまった。


俺の背中では、綾子さんが怖いとか助けてとかぎゃーぎゃー喚いている。


「綾子さん、何か声が聞こえる? お嫁に欲しいとか」


「聞こえるわけ無いでしょ!」


「そ、そっか」


あの怪異、欲しているのは幼女だと思うんだよなぁ。もちろん、実際に何歳までとか、男性経験や出産の有無など、嫁に欲しい条件の線引きは分からないけど。でも、そのことを口にしたら本気で怒られそうだ。なので黙っておく。


「千尋藻、正式には小田原の調査を待ちたいが、悪鬼といい、今回といい、おそらく、この世界には、最近のかもしれない」と、しずく。


「それ、実は俺も思ってた。ついでに言うと、魔力が実装された影響で、各地の怪異や心霊的なものが現実になっているということなんだよな」


それはあの世界、神の箱庭、神の実験施設の成果がこの世界にフィードバックされたということなのだろうか。


「そうだ。これは悪いことだけではない。人々に奉られている神は、信者に味方するだろう。今回の山の怪異も、打ち消して良いか迷うところだな。見方によっては、人に執着しているヤツだ。ちゃんと奉れば味方になってくれるだろう。このことは、これから訪れる混乱に対し、きっと有効に働くと思われる」と、しずく。


「どういうこと? ねえ、どういうこと?」


背中の綾子さんが騒ぐ。少し気が散る。お尻でも撫でてやろうかと思いながら、俺達は山を下って行った。



・・・・・


今、俺の家の風呂場では、綾子さんがシャワーを浴びている。そして、ワンルームの部屋には俺一人。


結局、今回の打ち上げは俺の家ということになった。


ケイティは、シャワーを浴びに一旦自宅に戻り、その後、途中でお酒を買って俺の家に合流する。しずくは、お隣さんの家に行った。結果の報告と、今度は、お隣さんと一緒に山登りした職場の上司の人に会って欲しいと言われているんだとか。あいつが会うというのなら、俺からは止めはしないけど。


で、綾子さんは、最初は家に戻ろうとしていたが、リュックに着替えを入れてきていたらしく、怖いからと俺の家で汗を流して着替えることにした。俺に拒否権は無かった。


ガゴン 


綾子さんが浴槽エリアから出たようだ。その後、ガサゴソと用意していたタオルで体を拭いている。


「ねえ、ドライヤーってないの?」と、風呂場から声がした。


「ごめん。無い。タオルで拭くしかない」と、返す。


「まじで~ハンドタオルもう一つ出していい?」


まあ、仕方が無いか。


「洗濯機の上の棚にあるから」と返すと、戸棚を開ける音が聞こえる。そこには俺のパンツも格納されているが、仕方が無い。決してセクハラではない。


しばらく経つと、何事も無かったかのように、頭にタオルを巻いた綾子さんが風呂場から出てきた。綾子さんは、山登りの時には緑髪をポニーテールにしていたが、今は下ろしている。


「あ~さっぱりした。あんたは?」


「俺も浴びる。あいつら遅いな」


俺は、照れ隠ししつつ、綾子さんと入れ違いでシャワーを浴びることにした。



・・・・・


ぷしぃと、いい音がする。あいつら遅いので、買い置きの缶ビールで綾子さんと先に始めることにした。


俺達二人もいい大人、といっても綾子さんは30歳くらいなのだが、特にエロい展開にはならず、ケイティとしずくを待ちながら、駄弁る。


「あ~美味しい。でもこれって、奥さんに見られたら不倫だよね」と、綾子さん。


「不倫の境界によるんじゃない? うちの嫁はどうか知らんけど。他の年頃の女性が、風呂で汗流してその後ビールで乾杯してたらね。そう思う人もいるかもね」


「まあ、セック○しなかったら、不倫じゃないって私は思うから、これはセーフ」と、綾子さん。


「まあ、俺も今ので不倫と思われたら流石に心外かな。ところで、怖さは取れた?」


「そうね。山から下りて、ここに入ってシャワー浴びたらどうでもよくなった」と、綾子さん。


「それは良かった。家にはお守りも買ってあるから安全だし」


というか、しずくそのものが超強力なお守りというか。


なんて思っていると、俺のスマホがチカチカと光っている。シャワー中に着信があったな? これはメールだ。


俺はスマホを操作し、「ええつと、ケイティは後30分。しずくのやつは今から人と会うんだと。しばらく掛かるって」と言った。


綾子さんは、少し目を細めて「へぇ。30分は二人きりなんだ」と言った。この子、まさか俺と……嫁がいるの知っているのに。しずくみたいに価値観が日本人じゃないならまだしも。


でも、まあ、流石にここでそんな空気にはならないか。


「ねえ、あの子、しずくちゃんね、貴方とどういう関係?」と、綾子さんが言った。


「関係……どうしよう」


「どうしようって何よ。なんでケイティの関係者が貴方とあんなに仲がよくて、そしてお隣さんとも近所付き合いしてるのよ」


「お隣さんとは、霊能力者として。俺達との関係はちょっと説明がむずかしいかな。どうしよう」


「言いなさい! 奥さんにチクるよ」


「それは困る。あいつを説明しようと思うと、最初から説明しないといけない。せめて、三匹のおっさんが揃った時でいい?」


「もったい付けちゃって。この部屋、アンタ一人で使ってないってのは分かるのよ。特にあの折りたたみの脚立。背が小さい人がこの家に住んでる証拠。乾燥中の食器だって二人分だし」


「小田原さんも来るかな」


俺は、綾子さんの突っ込みをスルーし、何となく小田原さんにメールを送る。今日の顛末の話をしないといけないし。


綾子さんを登山に連れて行った時点で、こうなることは予測できた。でも、OKを出した。もう引き込んでしまうか。協力者を増やした方が何かと楽だ。


チン! とメール着信音が鳴る。小田原さんからの返信だ。直ぐにこちらに向かうらしい。伝えたいことがあるそうだ。


俺は、返信で『何かお酒のあて買って来て』と入れておいた。


「ねえ、何やってんの?」と、綾子さんがスマホ画面を覗くためにこちらににじり寄ってくる。


お風呂上がりの良い匂いがほわんとする。だが、ここで誘惑に負ける分けにもいかない。


「メール。小田原さんも来るってさ」


「あ、そう」


綾子さんは、どことなく不満な顔をした。



・・・・・


「やれやれお待たせしました」と、ケイティが言った。シャワーを浴びてさっぱりしている。


ようやくこいつが到着した。危うく綾子さんと良い感じになるところだった。


チン! と、小田原さんからもメールが入る。もうすぐ着くとの事だった。早いな。おそらくタクシーだろう。


さて、今日は三匹が集う。三人用のライングループに、『綾子さん、どうする?』と打った。


ケイティの返答は、『言うべきです。綾子さんを味方にするのです』とのこと。


小田原さんは、『言うべきだ。いずればれる。嘘はつかず、言うなら早いほうがいい』だった。


なので、言うことにする。本当は、嫁や子供が先かとも思ったが、嫁はメールにも電話にも反応してくれないし。今度でいいだろう。


「綾子さん、詳しくは小田原さんが来てから言うけどさ」


「なに? 白状する気になった?」と、綾子さん。少し興味を失いかけている気がする。


「うん。実は俺達、異世界に行ってたんだ」


「はい?」


綾子さんは、目をまん丸にした。


長い夜になりそうだった。

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