第188話 出勤とおかえり


ガタタン・・・ガタタン・・・ガタタン・・・ガタタン・・・


昼下がり、一人、電車に揺られて会社に向かう。とても寂しい。


俺、異世界では一人になることは殆ど無かった。こっちに帰って来てからも、一人になったのは病院からアパートまでの移動だけで、それ以外は基本的に誰かと一緒にいた。


車窓から東京の街を眺める。これから俺はどうなるのだろう。またあの生活に戻るのか。でも、今は家に帰ったらあいつがいる。だけど、俺には嫁もいる。殆ど口を聞いてくれないけど。


どうしよう。


神敵には、俺の家庭を壊す意思は感じられない。だが、このままあいつとの性生活を続けていけば、いずれ必ず嫁とは破綻する。


神敵は、魔力が回復してしまえば、宿がなくてもどうとでも生活できると思う。そう考えれば、あいつはいずれ出て行くかもしれない。楽観的に考えれば、このままほったらかしでも、いずれ別居すれば問題ない気がしなくも無い。俺と神敵の関係は、永遠に休戦しているだけの存在になる。


だけど、あいつは異世界の生き証人で今の所唯一の手がかりだ。繋がりは持っておきたい。それから、俺がとんでもなく長寿である可能性も考えておかなければならない。俺、子供達より長生きなのかもしれない。そうなれば、やっぱり神敵とは仲良い関係を継続していきたい。そういえば、俺の肉体を食べたら長生きになるという説があったな……


まあ、この辺は今後の課題かな。それよりも、今は異世界のことをうじうじ考えてしまう。


あいつら、スイネルに着いた頃だと思う。それから手紙をスイネル領主に託し、ビフロンスの亡命とサイフォン達の身分を……


そしてモンスター娘らは本国に連絡を取り、魔王軍を派遣してもらうつもりだった。それが、今のエアスラン・ウルカーン戦争にどのような影響を及ぼすのか……


エリエール子爵達が造っている防塁も順調だろうか。エアスランの進軍はどうなっただろうか。それを迎え撃つアリシア達は無事だろうか。


電車の社内アナウンスが、俺の目的地を告げる。


俺は、しぶしぶ座席を立ち上がった。



・・・・・


「回復しました。今までご迷惑をおかけしました」


俺は、会社に着くなりとりあえず社長のところに挨拶に行く。うちは大きい会社では無いから、アポ無しでも普通に会うことができる。


社長は、「いやいやいや。君こそ災難だった。君の椅子はもちろん残っているから、これからばりばり頑張って欲しい」と言った。そして、「これは、私からのお祝い。少ないけど」と言って、『快気祝い』と書かれた封筒を手渡した。


「あ、はい。ありがとうございます」


貧乏な俺は、その封筒を普通に受け取った。こういったお金は別にやましいものではない。それが数百万とかなら問題だが。受け取った封筒の厚みからして、5万くらいだろう。それでも、とても助かる。今日はこれであいつと一杯やろう。


俺は、そのまま自席があるフロアに行く。


俺の席は、あの時のままだった。俺の筆記用具やメモ帳がキーボードの前に転がっている。まあ、入院していたの1ヶ月とちょっとだったからな。大した時間ではない。


俺は、パソコンを立ち上げる。時間が掛かっている。おそらく、アップデートとかが溜っているのだろう。というか、メールを見るのが怖い。


いやいやいや……ちょっと待てよ? 俺の職場は、いわゆる一人部署だ。誰とも組まずに一人で仕事をこなしていた。もちろん、協力会社を使うこともあるが、社内対応は基本一人だ。


俺の仕事、約1ヶ月間、ほったらかしってことないよな。


約30分ほどかけて、やっとパソコンが立ち上がる。そして、恐る恐るメールを開く。


未読のメールが千件以上……気が滅入る。7,8割はどうでもいいメールだと思うのだが、たまに重要なやつが混じっていたりするから困る。電子メールが普及しだして、便利になったようで、生産性が上がっているかと言われるとそれは微妙なところだと思う。余計な仕事が増えているからだ。


メールチェックを開始する。こ、これは……連絡くれとか、こういう検討してくれとかの依頼が延々と入っている。悪夢だ。誰も俺の仕事を引き継いでいない。こんな無責任なことってあるのだろうか。


しかも、新規の仕事が入っている。約二週間前に。ふざけんな。俺が意識不明の重体で入院しているときに、うちの営業は俺の名前で仕事を取って来ていたのだ。もちろん、担当者は俺。


ぶち切れそうだ。だが、神敵は、時には俺も折れろと言った。怒りを数秒我慢すると、少し収まった。感情のコントロールは重要だ。


俺は、脳みそフル回転で、メールを打ちまくった。なお、バカ営業には『無理』とだけメールを送っておいた。


時間は18時、一応、定時を知らせるチャイムが鳴る。さて、帰るか。これまでの俺なら深夜残業しまくって何とか処理していただろう。


だが、俺、今日はあいつと飲むんだ。


メール対応の途中だったが、パソコンを消して席を立つ。かれこれ1ヶ月もほったらかしにできていた仕事だ。多少返事が遅れても問題ないだろう。というか、無理。


俺がそそくさと帰ろうとしていると、別のデスクに座っている男が、「おう、千尋藻。お前さ、仕事終わったのか?」と言った。こいつは俺より一つ年上のおっさんだが、入社は同期だ。


というかこいつら、俺がフロアに入ってきた時には何も言わなかったくせに、俺がノー残業で帰ると声をかけるとか……


俺は、「終わってないけど帰る」と言って、スタスタと通路を歩く。


「仕事溜っているんだろ? どうすんだ」


「時間を貰う交渉をする。じゃ」


こいつは、別に俺の仕事を手伝うわけでもないのに、何で俺の退社時間を気にするんだ?


この会社は、基本的に22時くらいまでは全員残業だ。それからは、上役から徐々に帰っていって、下っ端は最後に帰るのが習慣になっている。ちなみに、俺は下から二番目の下っ端だ。一番下っ端は2つ下の40歳独身だ。ここには若手がいないからな。ちなみに女性もいない。それなのに、一応女子トイレがあるむなしさよ。


異世界で、ネムやヒリュウなどの元気な子達と一緒に仕事をしていると、ここは本気でヤバイ職場に思えてくる。若手がいない会社は、いずれ絶対に衰退する。


本気で辞めることを考えるか。次の仕事、小田原さんとかに相談してみようかなぁ……でも、ローンと子供の学費が。その辺は銀行と相談かな……


まあ、帰ろう。俺は謎の管理職。どうせ残業代がつかないのだから。というか、正社員である俺は、なかなか首に出来ないはずだ。開き直ろう。


それよりも、今日はあいつと飲む。


俺は、いそいそと駅の方に歩き出した。



・・・・・


途中のスーパーで酎ハイ缶6本セットと焼酎一升パックを買い物籠に入れる。

食材の方は、偵察のため一周ぐるりと回る。野菜と肉団子と鳥の胸肉が半額になっている。今日は少し寒いので、鍋をすることにするか。


二人前1500円ほどで材料が揃う。うちには小型のIHヒーターもあるから、今のテーブルでテレビを見ながら鍋ができるのだ。そろそろこたつを出してもいいかもしれない。俺は、大きく膨れた買い物袋を下げて、我が家まで残り数分の道のりを歩いて行った。


鍵を開けて家に入ると、あいつがぱたぱたと部屋の奥から出てきた。


そして、「おかえり。米を炊いておくかどうか迷っていたぞ」と言った。


本当に新婚みたいだなとか思いながら、「今日は鍋にしよう。米は締めで雑炊にするか。1合ほど炊こう」と、返す。


「分かった。任せろ」


神敵は、冷蔵庫の中の米びつから1合だけ米を掬い、釜に入れて研いでいく。こいつは、どういうわけかこちらの世界の一般常識を知っている。深くは突っ込まないけど。背が低いので作業しにくそうだが、何やら黒いヤツが地面から出てきて踏み台にしている。


俺は、冷蔵庫にお酒を入れながら、「今日は鍋だから、米が炊き上がる前に食べ出そう」と言った。


神敵は、俺が買って来た食材を見ながら、「肉や野菜はすでに切ってあるのを買って来たのか。下ごしらえは何も要らないのか」と言った。


俺は、しゃがんでシンク下からIHヒーターを出しながら、「そうだな。そのまま鍋にぶち込んでおしまい。うち包丁ないし。そういえばポン酢が無いけど塩と味噌でどうにかなるだろう」と言った。


真横でしゃがんでいるから、目の高さが神敵のお尻くらいになる。こいつは今は伸縮性の生地のズボンを履いている。こうしてみると色気がなくもない。いや、まあ、昨晩から明け方まで、俺はこれに何度屈服したことか。今日も一つ屋根の下なんだから、するのだろうか。やっぱりするよなぁ。うん、したい。させてくれるだろうか。昨日は事故をきっかけに始まったけど、どうやって誘えばいいんだろうか。


「お前、目線が分かりやすいな」


「え? 目線?」


「したいのか?」


「そ、そうだな、しょうがないだろ」


「湯が沸くまでいいぞ。お前早いから何回かはいけるだろう」


俺は、そのまま神敵を押し倒そうとして、逆に押し倒された。

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