第184話 暗い部屋で一人?
今、俺の前には、オレンジゴールドのナチュラルボブがいる。
こいつ、俺が単身赴任する前までは、日本人形のような黒髪ぱっつんだったのに。髪型と色を変えたようだ。
「……」
だが、何もしゃべろうとしない。相変わらずだ。俺が東京で必死で働き、そして死にかけたというのに、口を聞かないままだ。まあ、俺としても、異世界でハメを外していたんだから、罪悪感が無い訳では無い。
そんなナチュラルボブが、無言で俺に小さめの肩掛けポーチを渡してきた。
俺の普段使い用のバッグだ。
中身をざっと確認すると、財布にスマホに家の鍵にSuikaなどが入っていた。
目の前のナチュラルボブこそ、俺の嫁。まったくしゃべってくれない俺の嫁……
これまで、入院手続き、事故処理や保険屋との折衝とか色々とやってくれていたらしい。
済まんな、俺が復活してしまって……どうも、俺への慰謝料は莫大なものを提示されていたようだ。そりゃ、一家の大黒柱を寝たきりにさせたんだから。相手は都立の大会社、保険もかけて、資金力もあったのだろう。
だけど、復活してしまえば、それは1ヶ月ほどの病院代と僅かな慰謝料しか取れなくなるだろう。後遺症もまったくないのだから。というか、俺の体調は、ブラックで働く普通のおっさんだった頃より調子が良かったりする。とはいえ、体中に傷痕があるから、見た感じ痛々しくは見える。
さて、先ほど、会社の上長らが面会にやってきた。明日から仕事だそうだ。
何か嫌だ。今までチート能力冒険者やっていたのに、再びパソコンワークに戻れる気がしない。しばらく休んで子供らと一緒に過ごしたかったが、我が家の場合、俺が働かないと稼ぎがなくなる。まあ、彼らも、悪気があって会社に来いと言っているわけではない。仕事はちゃんとあるから安心しなさいと言っているつもりなのだろう。だけど、うちの会社は
そんなことを考えていると、控えめな声で「こんにちは~」と聞こえ、誰かが入ってくる。この部屋は相部屋だから、結構人の出入りが多い。
「あ、どうも」
入って来たのは綾子さんだった。今日はぴっちりとしたジーンズのズボンを履いている。一瞬、嫁にどう説明するか迷ったが、この二人、どうも知り合いのようだった。俺の意識が無いうちにそうなったのだろう。
「綾子さん、今日退院だから」と、嫁がしゃべった。
「聞いてる。良かったね。うち貧乏だから、大した退院祝い出せないけど」
「そんなのいいよ。またお店行くから」
ちょっと緊張してきた。俺、綾子さんには別に手を出していない。綾子さんに限らず、何もやましいことはしていない。異世界では遊びまくっていたが、それは異世界であって、この世界ではないからセーフだ。多分。だけど、どこでそれがばれるとも知れない。
俺は気が気でないまま、しばしこの不思議な女子トークを耐え忍んだ。
・・・・・
「じゃあ、退院です」と、看護師さんが言った。
何ともあっけない。まあ、この人達は忙しいからな。
だけど、俺達三人は、どうも本当に瀕死だったらしい。全身骨折に内臓ぐちゃぐちゃだったのだと。そこからよくぞ復活したものだ。そんな奇跡の復活を遂げたのだから、少しくらい何かあってもいいのではとも思ったが、そんなことはなく、普通に退院した。まあ、しばらく検査とかで通う事にはなるんだけど。
俺がぽやぁとしていると、嫁が「あの、今日は東京に泊って明日帰るから」と言った。嫁が俺に話しかけるのは、とても珍しい。今、家には子供を残している。直ぐに帰るのは仕方がないか。今回も、急遽飛んで来たらしいのだ。
「分かった。今日はどうする?」
嫁は顔を歪ませ、「何が?」と言った。
「いや、夜ごはんとか」
「食べますけど?」
「いや、一緒に」
「は? 何で一緒に食べないといけないわけ?」
思いっきり顔が歪んでいる。
「そうですか……」
こいつはこんなヤツだった。でも、久々に会話のキャッチボールしたな。
俺達は、病院を出た最初の道路で、別々の方向に歩き出した。
・・・・
電車に乗り継ぎ、久々のボロアパートに戻る。3階建て軽量鉄骨造の2階部屋だ。
階段を登り、入り口ドアまで歩いてその前に立つ。部屋番号を確認し、鍵を開けて玄関の中に入ると、センサーが反応して電気が付く。そこは、約一ヶ月前と同じだった。あの日、休日出勤した日のままの部屋。出かける前に部屋干ししておいた洗濯物もそのままだ。
俺は、さっと掃除機を掛ける。狭い家だから、数分で掛け終わる。ゴミ箱を確認すると、1ヶ月前のゴミがそのまま残っていた。冷蔵庫の中をチェックする。米と味噌と1本の缶ビールが入っていた。この米と味噌が、俺の生命線だ。
財布の中を見る。千円札が二枚と小銭。今月は、あと何円使えるんだったか。仕送り用の通帳残高はまだ確認していない。今どうなっているんだろう。
でも、今日はちょっと飲むか。今の時間はまだ16時くらいだ。今から食事を準備して、晩ご飯にはちょうどいいくらいだ。このボロアパートの良いところは、結構閑静なのと、付近にスーパーがあることだ。チューハイと野菜でも仕入れてこよう。
俺は、とりあえず米を炊飯器にセットし、買い出しに出かけることにする。
家をガチャリと出ると、そこには家族連れがいた。小さな女の子と、そのご両親だ。全員見たことがある人達だ。その女の子は、俺を見て少しびっくりしたのか、両親の後ろに隠れてしまう。
「あ、こんにちは」
「こんにちは」
このアパートは、フロアの半分がワンルームで、残り半分が家族用の2LDKになっている。
俺もこの家族とは何回かすれ違って挨拶を交している。幸せそうな極普通の家族だ。ただ、奥さんの方がベランダでたばこを吸うので、ちょっと臭いのだが……
俺はそのままてくてくとスーパーまで歩き、缶チューハイと半額になっているきゅうりとレタス、それから奮発して30パーセント引きの豚バラの焼き串2本セットを買う。これに味噌を付けてつまみにするのだ。
今日は、これを食べながらパソコンを付けてみようと思う。ニュースをチェックするのと、それからブラウザゲームをログインしてみるか。ゲームの方は、もうついていけない状態になっているかもしれないが、1ヶ月くらいならまだ大丈夫な気もする。最近のゲームは復帰ユーザには結構優しいところがあるあら、何とかなるかもしれない。
俺は、買い物袋を下げて歩きながら、これからの生活のことを考える。だけどやっぱり、異世界の事も思い出す。この時間帯は、皆で御飯の準備をしていた。
夕ご飯の最後の方になると、今晩は誰と一緒に過ごすかという話になって……
あっという間の一ヶ月。結構充実していたのだ。
あの後、皆はどうなったのだろう。おそらく、サイフォンが隊の指揮を執って、スイネルに向けて出発していることだろう。あと2泊くらいで到着するはずの距離にいたから、順調にいけば今日か明日には付くはずだ。その後の事は準備していたから、きっとうまく行くはずだ。
スイネルに着いてしまえば味方してくれる貴族もいるらしいし、何とかなるだろう。
それに、俺達が居なくても、レミィやティラマトもいる。きっと何とかして乗り切るだろう。
それからモンスター娘達。皆悲しんでいるだうか。いきなり俺達三人が居なくなったのだ。ギランやナインあたりは泣いていそうだな……
あと気になるのは、エアスランとウルカーンの戦争の行方だ。ウルカーンがぽきっと負けて外交戦で変な貴族を一掃してという作戦……だけど、その戦争でどれだけウルカーンが傷つくか、だよなぁ。アイリーンのシラサギも無事かなぁ。
バッタ男爵のナナフシも巻き込まれるかもしれない。
あと数年経てば、ヒカリエが戦力になってくれるのだろうが……あいつはまだ若いから……
そんなこんなで我が家に辿り着く。
これから、またルーチンが始まる。気が滅入りそうになるが、俺はローンを抱えたサラリーマン。とりあえず仕事は続けるしかない。だが、異世界の件は綺麗さっぱり忘れる分けにはいかない。仕事をしながら、異世界について何かの手がかりを探していくつもりだ。もちろん、三匹のおっさんで。
がちゃりと鍵を回し、家に入る。ほわんとお米が炊ける良い匂いが漂ってくる。出かける前に炊飯器をセットしたからだ。異世界でも米食だったが、やはり日本の白米の方が香りがいい。俺は、買って来た食材を炊事場の作業台の上に置き、一旦パソコンの電源を入れるべく、ベッドがある部屋に行く。
そこに翻るは、黒い
その髪の毛の持ち主である小柄な人物が、俺のPCデスクに座っていた。
「お、おま……おまえ……は……」
「ああ、お帰り。くつろいでいるぞ」
「く、くつろぐ?」
「ああそうだ。お前は、私を受け入れただろうが。今回は、お前達をこの世界に戻したつもりが自分も来てしまったようだ」
「お、お前も一緒に来た?」
「そうだ。ところで、良い部屋だな」
「良い部屋?」
「そうだ千尋藻、世話になるぞ」
「世話? 何を……」
「美味そうな匂いがするな。米か? 自動で炊けるのか。便利だな」
「お前、俺の家……」
「ああ。私は小さい。この家だったら、私くらい入るだろう」
神敵は、そう言ってにこりと微笑んだ。
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