第183話 病院の三匹と、○○


椅子から転げ落ちた綾子さんは、まるで子供が泣くのを我慢しているような表情で、下唇をわななかせている。


ただ、綾子さん……スカートが捲れ、パンツが丸見えだ。色は黒だ。


さて、どうしよう。


俺は、胸側が観音開きになるシャツを着ている。何故か観音開き状態で。下は、パンツは付けておらず、だぼだぼのズボンのみを履いていた。


パイプベッドにテレビにカーテンに……枕元には、ナースコール用のボタンがある。


ここは、間違い無く病院で、そして日本だ。


あいつの言う通り、俺はこの世界に肉体があったのだ。そして、ここが日本の病院ということは、俺はあの日、バスに跳ねられて、そしてここに入院したということだろう。


それで、今はどういう状態なんだ? なんで綾子さんが? いや、俺は彼女の目の前でバスに跳ねられたから、お見舞いに来ていたんだと思う。というか、彼女が無事で良かったよ。


「あの、綾子さん? だよね。ここはどこで、どういう状態?」


俺がそう言うと、綾子さんは絶句したまま、ふらふらと立ち上がり、そしてナースコールのボタンを押した。


まあ、そうなるよね。その顔は、何故か少し赤かったけど。



・・・・


それから、検査されまくった。


採血にCTスキャンにカウンセリングに色々と。まるで動物園の見世物のように、色んなお医者さんらが俺を見に来た。


「いや、どこにも異常は見当たりません」と、病院の先生が言った。初老の先生だ。隣には美人の看護師さんがいる。ぴったりとしたナースパンツをはいており、お尻が良い感じだ。


しかし、異常が無くてよかった。貴方は人間ではありません貝です。と言われなくて本当に良かった。


「意識や記憶等にも異常は無いと」


「そうですね。流石にバスに跳ねられてからの記憶はありませんが」と、答える。


本当は不思議な世界に行った記憶があるのだが、そこはごまかす。言ったとしても、残念な生き物として見られるだけだろう。


先生の前で、上半身裸になり、傷跡などを診察される。


「貴方は、体中開放骨折を起し、内臓も脳も損傷を受けていた。特に心臓近くの傷がひどく、体を貫通していたんです」


確かに、俺の体は縫合の跡だらけだ。心臓付近と、両手両足や体中無数にある。


「そうなんですね」


俺としては、その時の記憶はないし、曖昧回答しか出来ない。


「この心臓の傷で、貴方は心肺停止していたんです。よく助かったものです」


俺は、レントゲン写真を見せられながら傷の説明を受けていく。


俺の胸には、確かに刺し傷がある。これはあれだ。最後にあいつに刺された場所と同じだ。


一体どういうことなのだろう。時間軸的にはバスに跳ねられたのが先のはずだ。


ビフロンスに与えた両手両足の傷跡も同じで、今の俺には、同じ場所に縫合の跡がある。これは現実世界の体の傷が先にでき、まるで因果のつじつまが合うように、その後に同じ箇所に傷を負ったのだろうか。


それともただの偶然か。


俺は、レントゲン写真に真っ黒に映る心臓の位置と、俺の傷痕を見比べる。これ、普通死んでる……


ふと気付くと、先生の隣にいる美人な看護師さんが、俺の体をまじまじと見つめている。


俺は、何となく看護師さんのおしりをつるんと撫でるイメージを造る。これはインビジブルハンドを操るイメージだ。だが、何も起きない。千里眼も作動しない。もちろん、水魔力も発動しないし、今は深海の静謐せいひつも感じない。


俺は、本当に普通の人間になったのだろうか。あの、一連の出来事は、幻だったのだろうか。いや、そういう分けはない。何故ならば、俺の体は……


異世界にいた時の俺の体とほぼ同じだ。傷痕の有無が異なる程度で、まるでヘラクレスと見紛うくらい筋骨隆々としている。日本の頃の俺は、もともとそこまで華奢な体ではなかったが、流石にこんなマッチョではなかった。貝の触手時代の体そのものだ。


「……と、言うわけでして、食事も食べれていますし、貴方の退院は明後日にしましょう」と、先生が言った。


しまった。話を聞いていなかった。というか、退院って明後日? 早いな。


「は、はい。退院ですね。分かりました」


「一応、検査の一部が上がっていないので、検診に……日にちは受付で……食事はしばらくは……」


というか、俺のスマホとか家の鍵とか持ち物とかはどうなっているのだろうか。ここの医療費とかどうなるのだろう。意識を取り戻してから、俺は面会謝絶状態で検査を受けまくっていたから、病院関係者としか話をしていない。綾子さんもどうしているのだろう。というか、嫁はどうしてる?


何が何だかよく分からないまま、俺は看護師さんに連れられて病室まで歩く。


「良かったですね。回復されて。貴方と一緒に事故に遭われた方も、意識を取り戻されて」と、看護師さんが言った。


「はい? 一緒の人って、ひょっとして、ケイティと小田原さん?」


「はい。本当は個人情報なのですが、お友達なんでしょう? 皆さんもご無事ですよ」


まじか。ちょっと、あいつらとコンタクトを取りたい。


「あの、私のスマホとか持ち物ってどうなっているんでしょう」


「え? ご家族の方が管理されていると思います。病院では……」


そりゃそうか。


「私の家族には、私の容態って伝わっていますか?」


「それは……ちょっと確認してみますね」


まあ、彼女らは、医療行為のお手伝いが仕事だろからなぁ……


俺は最後に、「あの、ケイティと小田原さんの病室を教えて貰えませんか?」と言った。



・・・・・


「やあ」


ベッドに座るはスキンヘッド。


その隣にはすらりとした女性が立っていた。きりっとしていて、元ヤンっぽい人だ。


同じ病院の個室だ。小田原さんのご家族は、寝たきりになった彼を個室に入れていたようだ。俺は相部屋だったけど。


「小田原さん、元気です?」


「ああ、元気だぜ?」


「ところで、体は光ります? それから、ウマはお好きです?」


「おほん。まあ、何だ? 積もる話は……」


どうやら、異世界帰りの小田原さんで間違いないようだ。


俺は、とりあえず病室にある丸椅子に腰掛ける。俺が小田原さんの側にいる女性をチラチラと気にすると、「ああ、こいつは、自分の元妻だ」と小田原さんが言った。


元妻ということは、離婚したのか。


「そうなんですね。あ、どうも千尋藻です」


その女性は、「はい。木ノ葉と申します」と返した。木ノ葉という名字らしい。


小田原さんは少しだけはにかんで、「自分、娘もいるんだぜ?」と言った。


その時、病室のドアがコンコンとノックされる。小田原さんが元妻に目配せし、彼女がドアを開く。そこには、ケイティが立っていた。俺達とお揃いの観音開きのシャツを身に付けている。こいつも元気そうだ。



・・・・・


その後、元妻さんに退室してもらい、おっさん三匹で異世界トークを行う。


「じゃあ、やっぱり神敵に負けたのか」と、小田原さん。


「負けたというか、もう完全に相手になっていなかった。最後のティラマト乱入は見た?」


「見たな。あのでっかいやつ。黒いのに集られて退場していたな」


「ひょっとして、二人ともあの空間にいた?」


「ええ。私も見ましたよ。青い太陽に超巨大なティラマトさんを」


「そっか。あの時、俺はあいつにこの世界に戻してやるとか言われて、そして胸をひと突きされたんだ。気付いたらこの病院。びっくりしたわ」


「そうですね。私達、死んでいなかったんですね」


「それなんだが、ちょっとこれを見てくれ」


小田原さんは、テレビの下にある引き出しから、がさごそととあるものを取り出した。


そして、ポンとそれを俺に投げる。


「え? 何これ」


俺はそれを両手でキャッチし、目の前に持ってくる。思った以上にずしりとした何か……


これは、まさか500円玉? だが、その硬貨は真っ二つに……いや、違うな。これは折りたたまれている。


「どしたの? これ」


ケイティが俺の手元を覗きこみ「まさか、折り曲げたのですか? 500円玉を」と言った。


「まさか。でも、かの空手家大山倍達は親指とひと指し指でこれを曲げたという伝説が……」


「お? 千尋藻さん空手バカ一代知ってる? その500円玉は、自分がさっき曲げたんだぜ」


「ん? それ、最初から出来た?」


「いやいやいや。若い頃に試したことはあるが、1ミリも曲がらんかった」


「ふむ。まさか、?」


「それは分からん。回復魔術は使えなかった」と、小田原さん。


「私も雷魔術と鑑定は使えなくなっていました。その他は、まだ試せていません」と、ケイティ。確かに、巨人化とマジカルTinPOはなかなか試せないだろう。


「俺もインビジブルハンドと千里眼、それから水魔術は使えない。だけど……」


俺は、小田原さんが二つに折ったコインを二本の指で摘まみ、本気で力を込める。


2つ折りの500円玉がさらにぐにゃりと変形し、4分の1サイズになる。変形したときの影響だろうか、金属がめちゃくちゃ熱くなっている。


「曲がったな」


これは、どういうことだろうか。やっぱり、俺の体は……


バチン


「あ。雷でましたね。さっきは駄目だったんですが」と、ケイティが言った。


「マジかよ。俺は……千里眼もインビジブルハンドも出ない。水も……出ないな」


「魔力回復が関係しているのか? この辺りは検証が必要だな」


「さて、どうすっか。俺、明後日に退院なんだよね」


「私は3日後と言われています。連絡を取り合いましょう。覚えていらっしゃいますか? あの宇宙空間みたいなところから、ここに戻ってくるまでの間、また何者かの意識が流れてきたことを」と、ケイティ。


「あ~あったな。例の如くメモし忘れた」


ケイティは、ふっと微笑み、ポケットからメモ帳を取り出した。


「さすがケイティ」


ケイティのメモを見る。


そのメモには、かなり短めの文章が書かれていた。


『実験を中断する』


「これは……」


「あの世界は、神の実験場だったと仮定すると、これが意味することは」と、ケイティ。


「あの世界が実験場だということは、俺も感じていた。それに、確かにそういう意思が流れ込んできた気がする」


「自分は、実験自体は成功だったという意思も受け取ったぜ?」と、小田原さん。


「その二つは両立する。実験は成功だったけど、中断するのか……」


俺は、それとは別に、誰かに対する感謝の意識を感じ取っていたが、それを言うのは後回しにした。


「さて、俺達の出来事は、まだ終わっていないような気がするな」


「そうです。魔術の検証の他に、あの世界と関わりがありそうな事を調べたいと思います」と、ケイティ。


「俺達の体はこの世界に残っていた。それならば、聖女やヒカリエはどうだろう」と、小田原さん。


「聖女は、確か楠木華子くすのきはなこさんでしたね。御年はおそらく50歳前後。ヒカリエは、荒木循あらきじゅんという15歳の男性でした。ただ、彼が言うには亡くなったとのことでしたが」


「聖女は転移でヒカリエは転生と思われるからな。ヒカリエの場合、本人が転生と勘違いしている可能性はある」


「よし。自分は自営業で少しフットワークが軽い。退院次第、尼崎に行ってみるか」と、小田原さん。


「では、私はヒカリエ嬢の方を調べてみます。彼は、都内に住んでいたと言っていました」と、ケイティ。


「では俺は……どうしよう」


「千尋藻さんは、ひとまず普通の生活に戻られて。定期的に連絡を取り合いましょう。というか、退院したら、退院祝いしましょうよ」


「いいね。あ、綾子さんがお見舞いに来てくれててさ。あのお店のバイトの綾子さん」


「おお、懐かしいぜ。じゃあ、そこで一杯やるか」


俺達は、再開を約束し、病室を後にした。



◇◇◇


三匹のおっさんが駄弁る病室の廊下、そこに、てくてくと歩く一人の人物があった。


その人物は、個室の扉の前に立ち、少しだけ逡巡する。


そうこうしているうちに、廊下に別の人物が現われ、その人物は姿を隠すようにその場を立ち去った。


頭頂部で束ねられた深い深い青色の髪が、フワリと揺れる。

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