第119話 ハルキウ・ナイルの企み
ハルキウ・ナイルは、呆然としながら馬車にゆられてゆられていた。侍女のイタセンパラと一緒に。
彼は、つい先ほどまで有頂天だった。短期留学中、ライバルだったスルスト殿下に剣術と魔術の模擬戦で勝利し、座学でも優秀な成績を収め、これまでの人生で一番輝いた瞬間だった。
この呼び出しも、ひょっとして自分に許嫁が出来たのかと思っていた。心の中では、密かに思いを寄せているカルメンとの板挟みになっていた。そして、今、目の前にいる侍女のイタセンパラをいつお手つきにしようかとも考えていた。
だが、蓋を開けてみたら、田舎の町立学校への転校。しかも、移動中は平民扱いで
ハルキウ少年は、平民を見下すような人物ではなかったが、少年なりに自分は特別な階級の人間であることは理解していた。なので、自分の親や祖母が、ララヘイムの貴族令嬢に譲歩しているような姿をみるのも忍びなかったし、ましてやその下男にまで
少年の頭の中を、先ほどまでの出来事がぐるぐると回る。
転校も平民扱いも嫌だけど、貴族である父親に反抗するのもためらわれる。
そうこうしているうちに、王立学園に着いてしまう。ほんの三十分前に自分がいた所だ。
というか、ここに戻りたいとは言ったけど、忘れ物をしたというのは嘘だ。単に時間を稼ぎたかっただけだ。厳密には、教科書や自分の剣などは学園の寮に置いているから、あながち忘れ物というのも嘘ではないのだが……
ハルキウ・ナイルは、侍女のイタセンパラと一緒に、廊下を歩く。自分が親の言いなりになって転校すれば、一時的とはいえ、彼女とは離ればなれになってしまう。
「ねえ、イタセンパラ」
イタセンパラは、「はい。何でございましょう」と答える。
「私は、スイネルに転校になるかもしれない」
イタセンパラは、「はい。ハルキウ様がお部屋に入られていらっしゃる際に、私も概ねの説明は受けました」と、答える。
「そ、そうなのか? お前はどう思ったのだ? 私と離れ離れになるのだぞ?」
「離れ離れとおっしゃいましても……せいぜい一ヶ月くらいでしょう」
「だけど……わたしは!」
「きゃ! ハルキウ様、何を!?」
ハルキウ・ナイルは、年上であるイタセンパラの腰に手を回し、顔を近づける。自分の身長は175センチ近くあり、目の前の女性は160センチ弱だから、上から見下ろす感じになる。
「キミを、お手つきにする。いいね?」
ハルキウ少年は冷静を装おっているが、吐息は荒く、男根は勃起していた。
「い、いけません。このような大切な時期に、女にうつつを抜かしていては……」
イタセンパラは全力で顔を背けるが、鍛え上げられたハルキウの抱擁は抜け出せずにいる。
ハルキウ・ナイルは、彼女の言うことを謙遜と感じ、余計に可愛く感じる。
そして、イタセンパラの唇に、自分の口を重ねる。
数秒の時が流れ、ハルキウはゆっくりと顔を遠ざける。すると、イタセンパラは涙を流し、何かぼそぼそと呟いている。
ハルキウは、それは感極まったのだと感じ、安心させるようににんまりと微笑んだ。
・・・・
どこか上機嫌のハルキウ少年と、顔が青ざめている侍女が学生寮に入る。
すると、「あ、ハル。どうなさったの? もう戻ってきましたの?」と、声が掛かる。女子生徒の声だ。
ハルキウ少年は、「おお、カルメン。会いたかったぜ。ちょっと相談したいことがあって」と言った。
つい先ほど、親から『絶対言うな』と言われている言葉は、都合良く解釈され、信頼出来る仲間であれば話してもオッケーというものに変換されていた。先ほど、お気に入りの侍女とファーストキスをしてしまった興奮から、頭の中が想像たくましくなっていた。
そして、先ほどの出来事を、カルメン・ローパーに話をしてしまう。
・・・・
「ちょっと、それはどういうことですの? ハルにララヘイム人の血が流れているからって、差別していいわけではありません。そんなの、お父様に頼んでおきますわ!」と、カルメンが言った。
彼らは、今学生寮の共用スペースの端っこのテーブルで駄弁っていた。カルメンとハルキウが椅子に座り、その傍らにそれそれの侍女が控えていた。
「だろ? ありえないよな。それで、俺はスイネルに転校になるんだぜ? しかも平民として」
厳密にいうと、『平民として』なのは移動の最中だけなのだが、被害者具合を強調したいハルキウ少年は、そのくらいの言い回しは自然と口を突いて出た。
「それはひどいですわ。いくら安全かもしれないっていっても、侍女も付けないんでしょ? あり得ないですわ。そうね、みんなに相談しましょうよ。スルスト殿下とダルシィムにも」と、カルメンが言った。
「そうだな。でも、直ぐに戻らないといけない。だけど、戻るとそのまま連れて行かれるんだ」
「急ぎますわ」
ハルキウとカルメンは、侍女も総動員して、仲間を集めることにした。
・・・・
数分後、集まったメンバーに事情が説明され、色んな意見が飛び交う。
なお、ここにいるメンバーは、全てウルカーン王立魔道学園の同学年の生徒と侍女であり、つい先ほどまで一緒に短期留学に出ていたメンバーである。
戦争が始まっていることは知っていたが、それはどこか別世界の出来事のように感じていた。
ウルカーンの王子であるスルスト殿下は呼べなかったが、ここには5人の生徒とその従者達が集まっていた。
「そうですか。ハル様、お
「ありがとう。俺はスイネルに行く気はない。行かなくて良い方法を考えてくれ」と、ハルが言った。
だが、「ハル……ここは、ナイル伯爵のおっしゃることを聞いておけ」と、一風変わった男性が言った。
彼は、スキンヘッド、糸目、そして顔面に入れ墨が入った若い男性だ。普段は無口なので、起きているか眠っているかすらよく分からない人物だ。
「ダルシィム。だが、俺は平民になるんだぞ?」と、ハルが言った。
「それもまた修行」と、ダルシィム。右手を自分の顔の前に立て、まるで念仏でも唱えるかのような仕草をした。宗教的儀式だろうか。彼の手足は細く、とてもスレンダーな男性だ。彼には侍女がおらず、ただ一人で他の貴族達と向き合っていた。
「ダルシィムはいいですわ。ノートゥンに帰れば安全ですもの。でもね、ハルは戦争の影響で身に危険が及ぶ可能性があるの。しかも、平民になって、急にスイネルに行くなんて。そんなことより、この学園にいた方が安全ですわ」と、カルメンが言った。
「ハルの家族は、ハルを愛している。その家族がそういう判断をしたのであれば、これが最善なのだ」と、ダルシィムが言った。
「だって、でも、ハルが平民の生活をしますのよ? 侍女だって連れて行けないの」と、カルメンが食い下がる。
ダルシィムは、「それも定め。いや、将来貴族になる者として、きっと良い経験になることだろう」と言った。相変らず目を開けているかどうか分からない。
「そんな。ハルを助けてあげましょうよ」と、カルメンが言った。この少女は、どうもハルキウ・ナイルの事となると、盲目的に熱心になるようであった。
「そうだ。僕たちでハル様を助けよう」と、別の男子学生が言った。
「うん。私達でも、何か出来るはずだわ」と、別の女子学生が言った。
「……せめて、スルスト殿下が来られるまで待つべきだ」と、ダルシィムが言った。
「殿下は、王室にお呼ばれ中で、しばらく学園には来ないそうよ」と、誰かが言った。
「今は、ハル様を助け出すために皆で知恵を絞ろう」
少年達は、お互い意見を言い合い、それをカルメンが纏めていく。
意見出しは、時間にして十五分程度だった。より簡潔で、より分かりやすい策のみが述べられ、そして採用されていった。
・・・・
「じゃあ、その冒険者に力尽くで挑みましょう。決闘を申し込むのよ。こちらが当然勝つでしょうから、そうしたら、その方達は力不足ということになって、ハルを輸送する任務は首になるはずです。いいですね?」と、カルメンが言った。
「私は反対する。力尽くとは具体的にどういうことなのか。そもそも、伯爵に護衛を任されるような冒険者は侮れない。彼らは、一騎当千だからこそ成り立つ職業なのだ」と、ダルシィムが言った。
「おいおいダルシィム。皆で決めた事を否定するのか? だいたい、力尽くといっても、相手を殺しはしない。打ち負かして身の程を判らせるだけだ。ここにいるのは学園序列の上位者達だ。その仲間達で力を合わせれば、絶対に負けはしない」と、ハルキウ・ナイルが言った。
ダルシィムは、「いや、まだ方針は決まっていない。私が反対しているからな」と言った。
カルメンは怖い顔をして、「ダルシィム。私とハルは伯爵です。あなたは、いくら『契約者』の一人で聖女のお気に入りだといっても、ノートゥンの平民。あなたでも、これ以上言うと追放しますわよ?」と言った。
きっぱりとした物言いのカルメンとハルキウを目の前にして、その他の学生達はうっとりとしている。最早、何を言っても無駄だった。
ダルシィムは、「追放されてはたまらないな。分かったから、私も付いて行かせてくれ」と言った。ダルシィムは糸目で表情が解り辛いが、怒っているわけでも無理をしているわけでもなく、ただカルメンとハルキウの方針に従った。
ハルキウは、「いいぜ。それじゃ、俺は荷物を持って家に帰る。後の事はよろしく頼む」と言って、席を立つ。
後に残された学生達は、ハルキウ・ナイル奪還計画の具体策を立て始めた。
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