第118話 ハルキウ少年の憂鬱

ハルキウ・ナイルを乗せた荷馬車が、貴族街にあるとある屋敷の前に駐まる。


その送迎用の馬車から、まずは、彼の付き人が降り立つ。その後、ハルキウ少年がのそりと荷馬車から降りてくる。前髪ぱっつんのナイル伯爵家が四男坊だ。


ウルカーン王立魔道学園は、一人一名までの付き人なら認められていた。もちろん、食費や寮費は全て手出しだ。なので、貴族の中でもお金持ちしか付き人はいない。


ナイル伯爵令息のハルキウ少年には、美しい女性の付き人が随伴していた。彼が五歳くらいから、ずっと一緒に行動している女性だ。五歳ほど年上で、確か騎士爵の娘だったとハルキウ少年は記憶している。ハルキウ少年としては、いつか自分も立派な貴族になって、彼女をお手つきにして自分の子を産んで欲しいとさえ考えていた。


彼女は美しく育ち、剣の腕も一流で魔術もそこそこ使えるし、第二夫人にするには最適であった。もちろん、今回の短期留学にもずっと一緒について来てもらっていた。


ハルキウ少年は、美人の付き人を従え、つかつかと、勝手知ったる我が家の廊下を歩いて行く。


すると、屋敷の奥から、「ぼっちゃん。こちらですよ」と声を掛けられる。彼は、この屋敷の執事だ。


「ああ、じいか。今回は一体何なのだ?」


「さて。この老いぼれは、何も聞かされておらぬのですよ。ですが、客人がいらっしゃるようですよ」と、じいが言った。


「ほう。私との面会なのかな?」


「ファンデルメーヤ様もいらっしゃっています」と、じい。


「おばあさまが?」


ハルキウ少年は少しだけ驚き、じいはそれを首肯する。


「まさか、私に許嫁とかかな。ううん。せっかくカルメンといい関係なのに」


カルメンとは、カルメン・ローパーという貴族の娘だ。彼女の父親であるローパー伯爵は、この国の宰相を務める法衣貴族で、自分の領地や荘園は持たないが、王宮でかなりの権力を握っていた。


宰相という立場は、この国全体のまつりごとを司る実務系のトップであり、当のローパー伯爵は根回しもうまく仕事も出来たことから、他の大物貴族達からも一目置かれる存在であった。


しかも、ローパー伯爵は、自分の私服を肥やすことに無頓着で、基本的に国全体の利益を追求する人物であり、自分勝手な伝統的な領地貴族達から疎まれつつも、国内には、一定の支持層がいた。その支持層こそが、エリエール子爵をはじめとする新興貴族達である。数代前より、商売や荘園経営で儲けた財で、貴族にまでのし上がった者達である。


こうした新興貴族達の勃興の理由には、この国の国王が、実は口うるさい宰相を重宝し、また信頼していたという事情もある。この宰相、いちいち反対意見を述べるが、自分の蓄財はそこそこに、政治はちゃんと王国第一なのである。


だが、ウルカーン王国を伝統的に支えてきた昔からの貴族と、それ以外のいわゆる成金的な貴族とは、年々溝が深まっていた。この国では、この伝統貴族を国王派、成金貴族のことを宰相派と呼ばれていた。


しかし、この国はこの相反する二つの勢力を内包することで、自浄作用や自己努力、そして研鑽けんさんが生まれ、絶対王政の国家において、意外と健全な国家運営をするに至っていた。


しかしながら、五年前と今回の戦争で、国内政治の意見が決定的に分れ、その奇跡的なバランスがどうもおかしくなってきていた。


ハルキウ少年は、そんな複雑な国内情勢は分からなかったが、自分の親がカルメン・ローパーの父親と同じ宰相派であることは知っていたし、自分がローパー伯爵の娘と仲が良いことは光栄に思っていた。


そして、国王派は政敵だとはいっても、王族自身は実は中立で、第五王子のスルスト・ウルカーンとは、大の親友であった。


話を戻すと、ハルキウ少年は、学園では王子のスルスト、ガールフレンドのカルメン、さらにはノートゥンからの留学生であるダルシィム、さらには彼らの取り巻きである子爵や男爵令息令嬢と共に、学園で青春を送っているのだ。


「まあ、まずは、伯爵にお会いください」


じいは、優しい顔をしてハルキウ少年にそう言った。



・・・・


ハルキウ少年が「失礼します」と言って部屋に入ると、そこには、とても清楚で美しい女性がいた。


茶と水色のローブを身に纏い、水色ストレートの髪、青くて優しそうな瞳、同級生の小娘カルメンには皆無の胸部の膨らみと女性らしい腰つき。


ハルキウ少年は、その女性に一瞬で見とれてしまった。


「おお、ハルキウ。短期留学の帰宅からいきなり呼び出して済まなかったな」と、ハルキウの父親であるナイル伯爵が口を開く。


「い、いえ、その、それで、これは何用でありましょうか」


それにはナイル伯爵の横に居たファンデルメーヤが、「ハルキウ。私達は、この方達のお世話になります」と答えた。


「お、おばあさま。ご機嫌麗しゅう。その、お世話になるとは……」


「ハルキウ。よく聞くのだ。お前は、ここから東にある港街スイネルの、町立学校に転校することになった。今日より、この人達と行動を共にするのだ。そして、無事にスイネルに辿り着いてくれ」と、ナイル伯爵が言った。


ハルキウ・ナイルは頭が真っ白になった。いきなり何を言われているのか理解できなかった。


「ハルキウ坊や。あなたは賢い子。よくお聞き。この国は、危険になるかもしれない。だからお前は、安全なスイネルに私と一緒に行くの」と、ファンデルメーヤが言った。


「あの、危険とは、まさか戦争でしょうか。エアスランのやつらがここに? それならば、男子が逃げるわけには参りません!」


「いえいえハルキウや。そうではないのです。そうでは……」


ファンデルメーヤは、自分の純粋な孫に、この国の差別的な法律の話をするのをためらった。何故ならば、ハルキウの親友にこの国の王族がいることを知っているから。


その様子を見ていたナイル伯爵が、「ハルキウよ。お前には、ララヘイムの血が流れている。そして、此度の戦争では、ララヘイムがウルカーンの敵になっている。その意味は解るな?」と言った。


「え? それは?」


ハルキウ少年は、幼少の頃よりウルカーン人として育った。自分の母親も、そして祖母も、自分のことをララヘイム人ではなく、ウルカーン貴族の一人として育てた。それが今更ララヘイムの血などと言われてもピンとこなかった。


「まだ分からぬか。私達は、この国から排除される可能性がある。だから、お前を安全なスイネルに向かわせる」


「そ、そんな……」


「ここにいらっしゃる方は、ララヘイム国、オリフィス辺境伯のご令嬢だ。そのお隣が、冒険者の千尋藻殿だ。。安心しなさい」と、ナイル伯爵が言った。


「あのオリフィス伯の!? いや、それでは魔道学園は……」


ナイル伯爵は優しく微笑み、「スイネルの町立学校も、近年ではかなりレベルが高くなっている。そこで勉学に励むのだ」と言った。


その時、部屋にもう一人居た異邦人が口を開く。


その異邦人は、「あの、ナイル伯爵。我々が彼を連れて行く条件は、ちゃんとお伝えください」と言った。


ハルキウ少年は、はっとしてその声の主に振り返る。


そこには、黒髪鳶色の瞳、身長は自分と同じかそれより低い170センチくらい。だけど、体付きはがっちりしているようだった。


ただ、ハルキウ少年にとって、彼の服装は変だった。丈夫そうな皮のブーツに質素なズボンとシャツしか身に付けていない。いや、武器類は屋敷の入り口で預かられているだろうが、それにしても質素な男であった。


ハルキウ少年は、彼のことは、オリフィス辺境伯令嬢の下男か何かだと整理した。


「そうだったな、千尋藻殿。ハルキウ。お前は、移動中は市井しせいに紛れるのだ。すなわち、平民として振る舞いなさい」と、ナイル伯爵が言った。


「そうですよハルキウ。あなたは、移動中の約一週間。平民として過ごすのです。もちろん、私も一緒です」と、ファンデルメーヤが言った。


「そ、そんな……平民だなんて。イタセンパラは? それならば、イタセンパラはどうなるのです?」


「イタセンパラ? ああ、お前に付けていた侍女か。彼女は、しばらくの間実家にかえすことになるだろう。大丈夫だ。彼女のミスなどで、返すわけではないことは、ちゃんと説明しておく」


ナイル伯爵は、侍女を気遣う自分の息子を見て、優しく微笑む。なんという優しい子供だと。


「あたなが望むなら、イタセンパラは、少し休暇を取らせた後、ちゃんとスイネルに届けるわ」と、ファンデルメーヤがフォローする。


「それでは、今から私達のキャンプに」と、オリフィス辺境伯の令嬢が言った。


「ああ、そうだな。急いだ方がいい。秘密が漏れないために、このまま合流だ。出発の日時は全てお任せする。こういったことは、決めておかない方がいい。だが、なるべく早くにお願いする」と、ナイル伯爵が言った。


そして、オリフィス辺境伯令嬢と隣の変なおっさんが、出口に向けて歩き出した。解散モードだ。


ハルキウ少年は、学園を思い出し、「い、嫌だ。嫌……です」と、絞り出すように言った。


オリフィス辺境伯令嬢と変なおっさんが、少しだけ厳しい顔をした。


「申し分けありません。サイフォン殿、千尋藻殿、少し待ってくださらぬか……ハルキウよ。どうしたのだ? 嫌とは、どういうことだ?」と、ナイル伯爵が言った。


「そ、その、私は学園に、忘れ物、そうです、大事なものを置いて来ているのです」と、ハルキウ少年が言った。


「そうか。忘れ物か、それでは、イタセンパラに取ってこさせよう」と、ナイル伯爵。


「その、私は、友に別れも告げて来ておりません」と、ハルキウ少年。


この時代、親の言うことは絶対であった。その中でも、このナイル伯爵は、子供の言うことにも耳を傾けるような理解力の持ち主であった。だが、今回は事態が事態であるが故に、子供の意見を聞く前に、転校させる意思は固めていた。だが、その優しさ故……


「サイフォン殿、そして千尋藻殿、一時間だけ待って貰えまいか」


ナイル伯爵は、息子に猶予期間を与えることにした。


一時間ならばと、二人の冒険者はここで待つことにした。


ナイル伯爵は厳しい顔つきで、「よいかハルキウ。」と言った。


「分かりました」と、ハルキウ少年が答え、一同、少しだけ緊張ムードが解ける。


「よいお茶を持ってこさせよう。お待たせする間、旅のお話でもお聞かせ願いないか」と、ナイル伯爵が言った。


・・・・


ハルキウ・ナイルが立ち去った部屋、四人の話声が聞こえる。


「お待たせしてしまって申し分け無いわね」と、ファンデルメーヤ。青く美しい髪を後頭部で束ね、優雅に椅子に掛けている。


「いえ。それよりも、よくうちらなんかを信用しますよね。他にいないんですか? 頼める所」と、おっさん。


「うふふ。さて、種明かし。私のスキル、私がここに嫁ぐ時に持たされたスキルはね。『鑑定レベル8』というのよ。その私が判断したの。良い買い物だったと思っているわ」


おっさんが少しだけ目を丸くして、「え? それは、何処まで見えるんです?」と言った。


「うふふ秘密」


「それにしても、ずいぶんおぼっちゃまでしたが、大丈夫ですか?」と、サイフォンが言った。


「大丈夫よ。私の孫ですもの」


「いや、付き人無しなんでしょう?」とサイフォン。


「あの年で付き人なんて連れていたら、絶対目立つでしょう。これも社会勉強よ。なので、私にも見張りとか騎乗護衛とかさせてね。私、これでも乗馬できるのよ。それから迷宮探索もしたいわ」


「お母様。旅行ではないのですから」


「それから攻撃魔術を思いっっきりぶっ放したい!」


夢見る中年女性が目を輝かせる。


「あの、少しだけいいですか?」と、下男みたいなおっさんが言った。


「なあに?」と、ファンデルメーヤ。心はすでに、冒険者だ。


「少しサービスです。私は、離れた所から他人とコミュニケーションを取ることが出来ます。もし、秘密にできるのであれば、その準備を致しましょう」と、おっさんが言った。


その言葉を聞いたナイル伯爵は絶句し、ファンデルメーヤは不適に笑った。

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