第116話 ネムとの特訓、そして面会へ


「にゃー」


ん? 早朝、どこからともなく猫の鳴き声がする。


今の俺は、暖まったギランを水ベッドの上に放置して、寝床から外に出た所だ。


「にゃー」


もう一度猫の声がする。意味は伝わってこないから、普通の猫の鳴き声の可能性が高いが……


俺の目の前を、エプロン無しのメイド服に身を包んだネムが通り過ぎる。メイド服というのは、エプロンを付けていなければ、単なる黒い服なのだ。


いや、よく見るとネムの手には……


「お、おいネム。それは何だ?」


「え? 猫だけど」と、ネムがさも当然のごとく返す。


ネムの右手には、猫が摘ままれていた。いわゆる猫掴みというやつで、猫の首根っこの皮を親指と人差し指で摘まんで持ちあげていた。猫という生き物は、そうやると本能的に大人しくなるのだ。


「いや、猫というのは分かるが、どうしたんだその猫」


「こいつは泥棒猫だよ。僕達の朝飯を狙っていたんだ」と、ネムが答えた。


「そうか。どこかに捨ててきなさい」


普通、ネムくらいの歳だと、猫は可愛がるもんだ。おっさんの偏見かもしれないけど。ネムはひねくれて育ったせいで、小動物に対する愛玩精神が欠落していしまっているようだ。まあ、人に懐く犬ならまだしも、猫だしな。別にいっか。


ネムは、「は~い。ジャームスくんに食べさせてこよ」と、元気な声で答えた。うんうん。ネムは15歳。元気なことはいいことだ。


ん? 少々不穏なキーワードが聞こえた気がする。


「おいネム。ジャームスくんとは誰だ?」


「え? アレだけど」


ネムが指し示すものは……キャラバンの化け蜘蛛だった。アレ、ジャームスっていうのか。つい先日、モンスター娘達のキャラバンにやってきた新しい化け蜘蛛のニックネームなんだろう。


まあ、ここはネズミもいないし、泥棒猫なら別にいっかと考えたが……


あの猫は、子猫という程では無いが、そこそこ小さい。小汚いのであまり可愛らしくはない。

一瞬、オッケーを出そうかとしたが、思いとどまる。


「あ~ネムよ。一応、止めておきな」


ネムは、可愛らしい目をくりくりさせながら、「え~。猫は、人間舐めるとまた来るよ?」と言った。


猫には、ちょっと、思い当たることがある。


なので、「まあ、いいじゃねぇか」と言っておく。


「別にいいけどさ、こんなのはどうでもよくて、あ、あのさあ、今日は僕に、稽古付けてよ」とネムが言った。


実は、アリシア達が防塁の防衛に出向いてから、俺の戦闘メイド達の訓練は中止になっている。当然、ネムの訓練も行われていない。もちろん、個人的には毎朝素振りや走り込みはやっているようだが。


「稽古はいいんだが、俺は剣を教えることはできないぞ」


ネムは俺を真っ直ぐ見据え、「それでもいいよ。基本は習ったんだ。素振りもやっているし、剣術自体は、輜重隊の仕事で防塁に行った時に、アリシアさんに少し見て貰っている。だけど、地稽古がしたいんだ」と言った。確かに、強くなろうと思ったら、誰かと戦ってみるのが一番いい。


ネムは、自分の茶色のくせっ毛をかき分ける。最近は栄養状態がいいからか、髪の毛もつやつやしている。

体付きも良くなってきている気がする。


努力しようとする少女は美しく見えるものだと思った。


「分かった分かった。今日これからならいいぞ。なんなら、真剣でもいい。まあ、真剣でやる場合、当て方が悪いと、剣が曲がってしまったりするがな」


「あ、あの、千尋藻は僕の剣戟くらいなら、受けても死なないんでしょ? エアスランの百人隊長のスキル『ブレイク』でようやく体に刺さったって」


実はスパルタカスとの戦いは、実名を伏せてネムに話してしまった。というか、この世界の娯楽は人の話なのだ。戦闘の様子を話してあげたら、とても喜ばれた。特に、スキル『ブレイク』で俺の体に剣が突き刺さった話をしたら、とても興味を示していた。


しかもその剣は、今はネムの手にあるのだ。


「ああ、お前くらいの剣戟ではびくともしないだろ。お前はもう分かっていると思うが、俺達の能力のことは他言無用。それでいいなら稽古くらいいいぞ。もちろん、その剣を使ってもいい。お前の剣筋なら、多分大丈夫だろう」


剣を変な風に扱うと、曲がったりしてしまう。だが、ネムは剣の筋がいいらしく、多分、大丈夫だと思う。


「うん。ありがとう。僕頑張るよ」


「じゃあ、俺は先に朝飯食う。お前はその猫を逃がしてやれ」


「分かったけど、何で? 猫なんて、うざいだけでしょ。いっつも御飯取ろうとするし」


「猫避けに水置いとけ。サイフォンに頼んでみな。そいつを逃がす理由だが……俺、猫の知り合いがいるんだ。まあ、今回は許してやってくれ」と、言ってみる。


猫の鳴き声を聞いて、とある知り合いを思い出した。あのデブ猫だ。パイパンを助けている神獣で、やつは俺に『困った時は猫に話かけろ』と言った。なので、何となく猫を殺めるのは止めておきたいと思った。


「猫の知り合い? 意味分かんないけど。千尋藻に逃がせと言われれば素直に逃がすよ」


ネムはそう言って、猫をぽいと投げる。猫は優雅に空中で体をひねり、綺麗に地面に着地する。そして、一目散に逃げていく。


「まあ、今は良いんだけどよ。いいかネム」


「何?」


「困った時……そうだな。例えば、俺達がいなくなって、お前がどうしようもなくなくなったと仮定しよう」


「はい。それで?」


「その時は、


「はい? どういう意味?」


「そのままの意味だ。ま、覚えておけ。俺の名前を言えば、何か御利益があるかもしれん」


ネムは頭の上に大きなハテナがあるかの如く、大きく首を傾けた。



・・・・


朝食後、ネムと地稽古を行う。宿泊地のオートキャンプ場みたいなところから少し離れ、人目が無い林の少し開けたところでネムと相対する。

ネムは真剣、俺は素手。しかも上半身裸だ。体に当たったら、服は切れてしまうからな。


相対するネムは、すでに剣は抜いており、構えをとり、軽くステップを踏んでいる。


「いいぞ」


俺がそう言うと、ネムは一気に距離を詰める。この辺はアリシア譲りだ。少し不用心だとは思うが、この思い切りの良さがアリシア流の強みではある。


それに対し、俺は。インビシブルハンドを飛び石状に出して、それを踏み台にしたのだ。


ネムが俺を見失う。


俺は小さめのインビシブルハンドで、ネムのお尻をつるりと触る。


ネムは、俺が後ろにいると思ったのか、剣を横凪で振りつつ、後ろを振り返る。


だが、残念。俺はまだ上空だ。


振り向いたネムの後ろに舞い降りる。


流石に気配を感じ取ったのか、直ぐに後ろを振り返り、今度は俺の腹に刺突を試みる。


俺は、それをインビシブルハンドで受ける。


本当は、避けられないこともないが、これはインビシブルハンドの練習でもあるのだ。


俺の千里眼とインビシブルハンドは、色んな使い方が出来る。一つは相手を掴んで握り潰すという使い方。だが、物を掴めるということは、色んな事に応用が効く。例えば、それを踏み台にして立体機動が行える。さらに、まだ研究中であるが、遠くに手紙を届けたり、相手にインビシブルハンドで刺激を与えることで、リアルタイムでコミュニケーションを取ることも出来る

それからインビシブルハンドで自分や他人を掴んで空を飛ぶことも出来るが、これは落とした時が大変なので、奥の手と考えている。インビシブルハンドは、認識しないと消えてなくなってしまうからだ。


そんなこんなで、ネムと俺の奇妙な地稽古は、ネムの息が上がるまで続けられた。



・・・・


お互い、タオルで汗を拭く。俺は、最初から上半身裸だから、処理が楽だ。気温もずいぶん低くなったからか、俺の体から湯気が立っている。


「ふう。面白かった。千尋藻もずいぶん、動きが良くなってる」と、ネムがタオルで服の中を拭きながら言った。かつての俺の動きは、早いだけで素人同然だったからな。


「本当は千里眼とも組み合わせたいんだが、まだまだ脳が追いついてこないな。まあ、気長に訓練するか」


「それでね、千尋藻、あの、僕ね、スキルの『剣術レベル1』が欲しいんだけど」と、ネムが言った。珍しくおねだりだ。


「アリシアはどう言っている?」と返す。


身体強化系のスキルは、基礎的な身体能力や体格が追いついていないと、体を壊す危険性があるらしい。

例えば、筋肉を発達させる魔術の場合、骨が未発達だと剥離骨折などを起す恐れがあるのだ。なので、いきなり高レベルのスキルをインストールしてはいけないと言われている。


「レベル1ならいいって。それから、『ブレイク』もいいかな」


「二つで百万くらいか? 買え買え。どんどん買え。スカウトレベル2もそろそろいいんじゃないか?」


金なら、多分、入るしな。


「いいの? 僕だけ、何だが申し分けなくて」


「これは投資だからいいんだ。金なら、心配するな」


「うん。分かった。今度ヒリュウと買いに行ってくる」


実は、サイフォンから、ナイル伯爵との面会結果の報告を受けている。そして、依頼内容とその報酬も。


依頼内容とは、ナイル伯爵の四男ハルキウ・ナイルと、伯爵の母、ファンデルメーヤ・ナイルの二名を、俺達の冒険者パーティに合流させ、東の港町、スイネルの水ギルドまで護送するというものだ。しかも、お忍びで。要は、彼女らを高位貴族としてではなく、市井しせいに紛れ込ませる形で護送する。先方は、扱いから何から他の冒険者と一緒でよいとさえ言っている。伯爵側からの護衛は付けない。

ただし、城門の関所では、ナイル伯爵が裏から手を回し、怪しまれずに出国できるようにはしてくれるらしい。


そして報酬は、支度金で現金一千五百万ストーン。成功報酬も現金一千五百万ストーン。さらに、『パラス・アクア』という国宝級の至宝を一定期間使用出来る権利を貰うらしい。さらに、他の水魔力用の魔道具を数点セットで、こちらは権利ではなく現物を貰えるらしいのだ。まだ、契約の細かい条件は整っていないが、俺がこの仕事を引き受けたら、概ねそんな感じの報酬が手に入る。


貴族との取引は現金のみにせよと、知り合いの貴族から聞いているが、支度金の一千五百万ストーンだけでも大変魅力的だ。


そもそも俺達は、スイネルに行こうとしていた。


水ギルドにはサイフォン達がお世話になっているし、彼らの願いなら、ある程度は仕方が無いかと思っている。同じ国内に移動するだけだし、今回は途中にバッタ男爵の荘園もあるしで、そんなに過酷な旅路ではないと思う。


ただ、問題は、俺達パーティーが、要人警護に関してはド素人だということ。だけど、今回は具体的に命を狙われているわけではなく、疎開するための護送であること。モンスター娘や炎の宝剣らのベテランとコンボイであること。いざ有事となれば、俺のインビシブルハンドバリアがあること、などから、別に達成不可能な依頼ではないと考えている。


ウルカーンは長らく賊の駆除に努力してきた国家であるため、大規模な盗賊はいないと聞く。


この事を仲間に相談したところ、判断は俺に一任されることになった。基本的に、この護送の仕事は受けてもいいと言われている。ジーク達のキャラバンは、面倒ごとはごめんだが、相手が貴族という立場では無く、平民として行動するのなら、別に拒否する理由はないとの事だった。まだ、例の法律は成立していないしな。


と、いうわけで、俺とナイル伯爵との面会は今日だったりする。


俺は、体を綺麗に拭いた後、いそいそとちょっとだけ綺麗な服を選んで着始めた。

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