第115話 ナイル伯爵とサイフォンの面会
今、ウルカーンは秋の季節であり、もうすぐ冬がやってくる。
ここの冬は
この世界の暖の取り方は、普通に薪ストーブなどが大活躍しているが、お金持ちの家では魔道具によるヒーターも普及している。特に火魔術士の多いウルカーンでは、そういった魔道ヒーターがそれなりに普及していた。
ここの家にある暖房器具は、立派な火の魔道具で、今はちろちろと熱を発する程度に押えられていたが、部屋全体がぽかぽかと心地よい程度に暖められていた。
ここはナイル伯爵家のサロン室。装飾が施された丸テーブルには、二人の人物が座っていた。
その部屋のドアから、こんこんというノックの音がしたため、ナイル伯爵は「入れ」と言った。
扉から現われたのはナイル伯爵家の侍女で、「伯爵。サイフォン殿がいらっしゃいました。今、玄関にいらっしゃいます」と言った。
「分かった。お通ししろ」と、ナイル伯爵が答える。
「いよいよね。受けてくれるかしら」と、同じ部屋にいた妙齢の女性が言った。美しい水色の髪であるが、若干毛量は衰えている。しかし、手や顔のしわはあれど、彼女の体格はすらりとして背筋も伸びており、とても健康的な印象を受ける。
「それは分かりませぬよ母上。今の彼女は旅人の身。冒険者の所に身を寄せているのですから」と、ナイル伯爵が言った。
「それはそうね。でも、あなたのこの案、私はとてもいいと思うわ」と、母と呼ばれた女性が言った。
「母上……まさかとは思うのですが」と、ナイル伯爵がジト目で言った。
「うふっ。だって冒険よ? 私はね、生まれた時から王族だった。それはとても
「ご冗談を。お転婆も、少しお歳をお考えください」と、ナイル伯爵が言った。
だが、母上は、「あら。でも、私は子供の頃からずっと魔術は磨いてきましたのよ? きっと役に立ててみせましょう」と言って、どこ吹く風。
ナイル伯爵は、「母上……」と言って、自分の母親を睨み付ける。
「あら怖い。でもねぇ……ずっと磨いてきた攻撃魔術なのに、一度も使う機会が無かったのよ。それは、とても不幸なのですよ?」
「いやいや母上。使わない方がよかった力もありますって」
親子団らんの
ナイル伯爵が「入れ」と言うと、扉がゆっくりと開けられる。
流石の母上も、このタイミングでは無駄口を叩かない。
そして、扉が開ききった先、そこには、綺麗な水色の髪をした清楚な女性が立っていた。
すらりとしつつも、綺麗な形をした胸部と殿部を持った人物である。
「まあ、あなたがサイフォンね」と、母上が最初に口を開く。
サイフォンは、綺麗にお辞儀をして、「お初にお目に掛かりますファンデルメーヤ様。オリフィス辺境伯が娘、サイフォンにございます」と言った。
「かしこまらないでサイフォン。あなたは旅の一座で、私達はそんなあなたを呼んだのだから」
「しかし、ファンデルメーヤ様。貴方様はララヘイムの王族で、この国では伯爵家に……」
「貴族の権力を考えたら、無理もないというのは承知していますわ。だけど、あえてお願い。私のことは、ファンデル、もしくはファンと呼んで欲しいの」
サイフォンは、いきなりそんなことを言われても困ると言いたげな顔をしながら、かしこまっている。
「おほん。久しぶりだな、サイフォン・オリフィスよ。よくいらっしゃった。私がラインハルト・ナイル。こちらが私の母、ファンデルメーヤ・ナイルだ」
「はい。お久しゅうございます。再びお会いできて光栄にございます。して、此度はどのような御用向きでしょうか」と、サイフォンが言った。
ナイル伯爵は、サイフォンの質問は後回しにし、「それなんだがな、まあ、まずは椅子に掛けられよ。今日はエルヴィン産のお茶を用意している」と言った。
「まあ、あなた、素敵な指輪をしているわ」と、母上が関係無い話をぶち込む。
ナイル伯爵は、「母上……」と言って、目頭を押える。
だが、確かにサイフォンの指にはめられた指輪は、純白に輝き、不思議な存在感があることは、ナイル伯爵も感じ取っていた。
母上は、「サイフォン。私とね、孫のハルキウをパーティに加えて欲しいの」と、嬉しそうに言った。その隣では、ナイル伯爵が頭を抱えている。
サイフォンは、自分の右手薬指にはめている純白の指輪を撫でながら、「私に、そういったことを判断する権限はありません」と言った。
「うんうん。分かるわ。ではこうしましょう。その方を、ここに連れていらっしゃいな」と、母上が言った。
「彼は……貴族ではありません」と、サイフォンが絞り出すような声で言った。いつもはギャルモード全開のサイフォンが、もっとギャルっぽい中年女性に押されている。
「そんなこと分かっているわ」
「その……礼儀作法その他も全くない人物なのです」
「私は、あなたのお父上、オリフィス辺境伯もよく知っているわ。彼は、粗暴だけどどこか安心出来る不思議な人。その娘があなた。あなたが家を捨てる覚悟をしてまでついていったという人には、とても興味が湧くわ」
「いや……その」
「その方は、どういった方? 何か好みがあるの? 何でも用意させますわよ?」
「母上! サイフォン殿がお困りではないですか。そもそも色々と飛躍しすぎです」
「あなたはお黙り。もうね、私決めたわ。ララヘイム随一の才女が惚れ込んだ相手。絶対に会う。どんなことをしてでも会う。ねえ、ライン、お金を準備なさい。金を積んだら大概の事は何とかなるわ」
「あ、あの、お金の問題ではなく……」
「いいえサイフォン。それは嘘。お金は何でも解決してくれる。それにここだけの話、今、ここで資産を持っていても、全て没収されてしまうかもしれない。ならば、今使うのが有効な資産の使い方なのよ」
サイフォンはずいぶん迷った。ここに、自分の主はいないからだ。なので、何も決定できない。
決定権は無いのだが……それでも、サイフォンはこれまでの旅で、自分の主の考えはある程度把握していた。いちいちお伺いを立てていては、何事にも時間が掛かってしまう。なので、これまである程度は自分で判断してきた。例えば、水ギルドでの仕事の受注や報酬の交渉などである。
しかし、今回は仲間全体を巻き込むような話だ。
だが、サイフォンは、知っていた。この屋敷にある至宝を。それは、ファンデルメーヤ元王女が輿入りするときに持ち込んだもの。
それは、水魔力の備蓄装置。しかも、超大容量のものだ。
この世界、実は魔力は魔道具で備蓄できる。
魔力には性質があり、それぞれ七曜、すなわち火、水、風、土、木、天、闇に分れている。本来、魔力は万能とされるが、その魔力が人体に取り込まれた時に、何かしらの属性がついてしまう。それぞれの性質の魔力を、人体は収集して備蓄することができるのだが、その備蓄に関しては、魔道具でもできる。
ただし、その備蓄量は並の魔道具では微妙なものであり、市中で手に入るものは、50万ストーンほどのものでも、人一人分にも満たない。今、サイフォン達は、稼ぎのほぼ全てをこの備蓄用の魔道具につぎ込んでいる。何故ならば、サイフォン達の主は、無駄に魔力が多いから。しかも、回復速度が異常に早い。
人の魔力は、備蓄出来る量が限られている。要は、いわゆる最大MPがある。その最大MPは、人によって異なるが、概ね一晩睡眠を取ればマックスまで回復する。
だが、眠っていなくても、魔力というものは徐々に回復していくのである。
サイフォンの主は、最大MPが異常に多い。どれだけの量なのかは、計っていないから謎であるが。そして、この普段活動している間に回復する量も相当多いようである。魔力を使っても全然底が尽きないし、ずいぶん魔力を使ったはずと思っても、直ぐに回復してしまうのである。
ララヘイムの国立学校で水魔術を学んだサイフォンにとって、自分の主の魔力は規格外であった。サイフォンは、自分の主が人間ではないのは聞いているし、そもそもこの世界の人物ではないことも知っている。彼の正体が万年を生きた化け貝というのは知らされていないが、薄々深海系の化け物だということは気付いている。
サイフォンは学者ではないため、その辺りの探求にあまり興味が無かったが、オーバーフローする魔力の分がとても勿体なく感じ、魔力を溜めておける魔道具を買いあさっているのである。
今、戦時体制のこの国にあって、水魔力はいくらあっても困らないからだ。
備蓄した魔力が水ギルドでお金に変り、そしてそれがまた備蓄の魔道具に変わる。その繰り返しで加速度的にお金が手に入っている。
そして、ナイル伯爵の手にあると思われるララヘイムの至宝、その強力な水魔力の備蓄装置は、サイフォンが噂で聞いた限りでは、およそ三千人分の魔力が備蓄できるとか。
この世界において、魔力は万能である。こういった、高出力の魔力備蓄装置は、富の象徴で、概ね国家、貴族、企業など、権力者達が所有している。
もし、もしも三千人分の魔力備蓄装置を入手でき、それを自分と自分の主が有効活用したとしたら……それは、計り知れない富をもたらすかもしれない。そうなれば、自分の主は、この無理な依頼にも耳を傾けるだろうと、サイフォンは考えた。サイフォンは、自分の主が、自分達の組織を強くしたいと思っていることを知っている。
「例えばですが……」
しばらく思案していたサイフォンが口を開く。
「なに? 何でも言って?」と、ファンデルメーヤ。
「水魔力の備蓄装置。確か名前は……」
「まさか、『パラス・アクア』か? それは駄目だ」と、ナイル伯爵が言った。
「そうですか。ですが私も、主に伺いを立てる際に、ある程度の材料が欲しいのです」と、サイフォンが返した。
現役の伯爵を前に、サイフォンは怖じ気づかず、毅然とした態度を貫いている。
数秒の沈黙が続く。
「ねえ、ライン。家宝が大事なことは分かります。ですが、没収されてしまっては、結局ナイル家から、あの至宝はなくなります。そもそも、あれは魔道具なのです。道具は使ってこそのもの。もう一度考えて?」
「しかし、オリフィス辺境伯に渡すならまだしも、冒険者にだと?」
「私達は、そこまで生活には困っていません。ウルカーンに愛着もありませんから、いつでも旅立てます。本音を申し上げれば、厄介ごとは避けたいのです」と、サイフォンが言った。
「しかし、信頼の問題もあるが……」と、ナイル伯爵が呟く。
「例えば、『パラス・アクア』は、私の所有物として、私が所持しておきます。ですが、私と孫のハルキウが同行している時とその後の一定期間、魔道具を使用する権利を与えるというのはどうかしら。所有権は私達に残るし、家宝を一緒に避難させることもできる」と、ファンデルメーヤが言った。
「そ、それなら、ううむ」と、ナイル伯爵が唸る。
サイフォンは目線を下げ、「少し、過ぎたことを申しました。確かに、高価過ぎる魔道具を所持していると、それはそれで厄介ごとが起きかねません。魔道具を使用してよい期間をどれだけの長さにするか、それ以外の現金での報酬をどうするか。その辺りの細かな調整はありますが、魔道具の件、前向きに考えていただけるようでしたら、主に話を通してみましょう」と言った。
ファンデルメーヤは、「現金は大丈夫。支度金も必要でしょう? 支度金だけで一千万ストーン以上は出せます。それに、水魔力の備蓄魔道具が欲しいのなら、うちには他にも一杯あるでしょう? 直ぐに目録を準備しますわ。彼を説得する材料にしちゃって」と言って締めた。
もはや、ナイル伯爵は何も口を挟めなかった。
「お話は、してみます」と、サイフォンが応じた。
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