第73話 深海の覇者

ドーン! すさまじい轟音が響く。


エアスラン軍は雷魔術を多様しているため、彼らの戦闘時には往々にして激しい音が発生する。


パン! 再び激しい爆音が発生し、目映い閃光が森の中を一瞬だけ照らし出す。


その森の中に、誰かがぼ~っと立っていた。いや、立っているように見えたが、それはどこか不自然であった。


なぜならば、その体には、。首は近くの地面に転がっているようであった。では、なぜその体が立っているのか。それは、体が地面毎氷漬けになっているから。


激しい落雷の音の中、首の無い体が立ち続ける。



◇◇◇


息苦しい。一瞬、とても息苦しかった。


死んだかと思ったが、どうも死んでいない。


いや、待て待て。やっぱり、何かがおかしい。俺は……俺とは、一体何なのだろう。


俺は今まで死んだこと無いから、死後の世界がどうとか分からないけれど、これは、死んだときのそれではないと思うのだ。


今まで、いわゆる幽体離脱かとも思ったが、それとは違う気がする。


今、


体が凍り着いているためか、心臓が先に止まったせいか、血はそれほど吹き出ていない。


普通、首をはねられたら、死ぬはずだ。普通の生き物だったら……


プラナリアなどの特殊な生き物だったらまだしも、大型の生き物は、首を落とされたら、普通は死ぬ。


脊椎動物ならほぼ即死だし、昆虫やそれが例え軟体動物であっても、頭を切り落とされたら、死ぬと思う。


一方の俺は……先ほど首を切り落とされたはずの俺は、死んでいない気がする。


何故ならば、俺は今、首が切り落とされている自分の姿を見ているから。


さて、どこから見ている?


視野的には俺の体の斜め上あたりからだから、それは幽体離脱をした俺の魂が見ているだけなのかもしれないけど、それも違う気がしている。


何故ならば、


あの時、俺は、改造されたらしい。一体何に改造された? 答えは最初から分かっていた。それは軟体動物。


そう、俺は軟体動物に改造さたのだ。


自分の姿形はよく分からない。俺の本体はシラサギの森から遠く深く離れた深海にいて、今の俺は千里眼的な何かで、自分の首的な何かがはねられた映像を見つめている。


この世界には、まだまだ不思議が一杯ある。


魔術、亜神、そして神獣……ならば、俺は何なのだろうか。


まあ、今はただの軟体動物と考えておこう。例えるならば、超巨大なアサリかな? ホタテやハマグリでも良いんだけど。


そう、俺の本体は、貝だった。


イカやタコだったらカッコ良かったかも知れないが、俺はどうも貝に改造されたようだ。何貝なのか分からないけれど、とても巨大な化け貝のようだと思った。


多分、数千数万の年月を生きた化け物……全ての水を操り、無数の目と触手を有する超怪物。それが俺の正体。それは、紛れもなく深海の覇者。


化け物に俺が乗り移ったのか、それとも最初から俺は俺として貝に転生し、意識を取り戻したのが最近なのか、その辺はよく分からない。


ところで、自分の力というものは、自分を認識すると使いやすくなるものらしい。


俺の手……インビシブルハンドと呼ばれる手は、一つや二つでは無かった。


俺は、俺の見えない手は、巨大な手が一組だけだと勘違いしていたようだ。実は、沢山ある。いや、無数にある。


小さい手から、もっと巨大な手まで。


ほら、人の手と同じ大きさの手を出して、自分の首を掴む。そして、自分の胴体の上に持ってくる。もともと自分の首があった所だ。


この体は、特別な体。俺が陸上で活動するために適した擬態。本体から切り離された、俺の触手。地球に居た頃の俺の、完全コピー。


この体が無いと、色々と困る。


首に魔力を通すと、首が元通りになっていく。いや、そもそもコレは、首ではない。単なる触手の一部だ。


凍り着いていた体も、すぐに元通り……

いや、何かがおかしい。引っ付くはずの首が、なかなか引っ付かない。


その理由は、何となく分かる。この傷には、呪いが掛かっている。一度切られると、元に戻らない呪いだと思う。あのエリオンくんが何かやったのだろう。


そんな時は、呪い返しだ。うん、これは出来ると思う。何故ならば、この首の傷は、深海にいるはずの俺の本体にも影響したからだ。俺の擬態……触手の一部を切った呪いは、因果律を辿たどって、俺の本体まで届いた。首を跳ねられた時、ちくりとした本当の痛みがあった。


やられたのならば、やり返さないといけない。そうだな……百倍返しとかどうだろう。少しムカついたから、そのくらいで許してやろう。相手の呪いは、首切りと、その傷が治らないというものだから、きっと相手は、体が百片くらいに分離し、しかもその傷が治らないという体になるはずだ。まあ、普通に即死だろう。


俺は、深海から強力な魔力の波動を送り込む。


そうすると、俺の首と本体に届いていた呪いが、因果を更に遡り、術者に返って行く。人を呪わば穴二つ。呪いとは、自分に返ってくることを知るが良い。


さて、これからどうしよう。


ここは、さっさと終わらせよう。俺は、俺を改造してくれた存在は、こんなところで遊んでいる俺を見てどう思っていることだろう。


まあ、それが何かの存在であるのなら、慈悲深い何かであることを祈ろう。


俺の体が目を開ける。


いつもの、俺の目線だ。こうしていると、普通の人間と何も変わらない。普通に生殖能力もあるだろう。


『にゃー(蘇ったか。勇者よ)』


声の主は、俺の足下。一メートルを超えるデブ猫だった。


「相手を舐めてた。次はしくじらない」と返した。


『にゃー(勇者とは、何度も復活るもの。諦めなければ、いずれ何事も達成できるだろう)』と、デブ猫が言った。


「俺はそうは思わない。世の中、タイムリミットと言うものがある」


というか、俺は勇者じゃない。


デブ猫は、ぷいと踵を返し、『にゃー(こっちだ)』と鳴いた。


デブ猫と共に、森を走る。最近、俺はずっと森の中を走ってばかりいると思った。


あれから、時間はそんなに経っていないはずだ。

カッターにさえ乗っていなければ、何とかなるはず。



・・・・


俺が最初にエアスラン軍に来た時、通されたテントがある。

そのテントの直ぐ後ろには、クメール将軍とパイパンの寝室があった。今、デブ猫が向かっている先は、おそらくそこだろう。


所々に走り去るエアスラン軍の兵士がいる。我先にと逃げている。


最早烏合の衆だな……


そして、例のテントの裏地に到着する。


そこには、男三人が一人の女性をカッターの帆に括り付けている姿があった。


その女性はオレンジの髪をしたむっちり体型。両手がぷらぷらと揺れている。あれはおそらく、関節を外されている。彼女の顔は、殴られでもしたのか大きく腫れており、その表情は、まるで死んだ魚のようであった。


その無力な女性を、男三人がロープで縛っている。とても見苦しい姿だと思った。


俺の隣のデブ猫が「にゃー」と鳴いた。意味は解らなかった。おそらく、単にニャーと鳴いただけだろう。


女性に群がる三人の男がこちらを振り向く。


そのうちの二人が、まるで幽霊でも見たかのような表情になる。


彼らの心中は、おそらく驚きと疑念、そして恐怖だろう。無理も無い。先ほどまでの俺は、確かに首と胴体が離れていたのだから。


「ありえない。貴様、何故だ?」と、長身イケメンのエリオンくんが言った。


おや、おかしい。あり得ないのは俺の方だ。なぜならば、俺は先ほど、。それも百倍にして。彼は、すでに体が百片に別れていなければならないはずだ。まさか髪の毛が百本抜けたとか、そういう落ちだろうか。


そのことは一旦置いておき、敵に突っ込む。

オレンジ髪の彼女が、死んだ魚の顔から泣き出しそうな顔になる。


顔面が大きく腫れた彼女……きっと、一緒に行くのを嫌がって殴られたのだろう。

彼女の境遇は猫から聞いた。彼女は、五年前の戦火で、戦災孤児らを引き連れて、地獄のようなネオ・カーンを脱出した。文字通り、猫の手を借りて。


そしてエアスランに流れ着き、テイマーとしての才能に開花。軍に見いだされ就職したはいいが、ネオ・カーンの残党であることを理由に、こき使われてきた。そして今は、クメール将軍のセック○・スレイブ兼スキル『身代わり』の生け贄にされている。エアスランに残して来た、戦災孤児らを人質に取られて。


先日は、ずっと一緒に育ってきた巨大猫を、俺がコロコロしてしまった。

これまでの彼女は、はっきりいって不幸だ。

まあ、同情しなくもない。


だが、そんな顔をされても困る。目を潤ませ、必死に下唇を震わせている。

俺が来たのが、泣くほど嬉しいのだろうか。いや、デブ猫か? デブ猫が来たから嬉しいのか?

でも、彼女の目線にいるのは俺。これは吊り橋効果というやつか? 


まあ、しゃあないか。


俺は、小さなインビシブルハンドをいくつか操り、彼女を縛るロープを引きちぎる。そして、男三人に向け、一気に加速する。時間を与えてはいけない。要注意なのはエリオンだ。こいつは魔術戦闘のプロだ。どんな技が飛び出すか分からない。


エリオンが、咄嗟に魔術の盾を出して、応戦の構えを見せる。流石だが……


「ニルヴァーナ!」


相手の顔辺りに、特別な物質を噴霧する。これは俺の能力の一つ。ポケェとなる物質を噴霧するだけの技だ。ネーミングはさっき考えた。


この技は、気付いた時にはもう遅い……


一瞬で、男三人がポケェとした顔になる。


こいつらは、軍隊の一部。別に狂った連中ではなかった。狂気は戦争そのものであり、こいつらは、ただの軍人だ。せめてもの情け、夢心地の中で死んで行くがいい。


俺は、ポケェとする男三人の中を猛ダッシュし、まずはパイパンをかっ攫う。パイパンもポケェとしている。こいつもアレを吸い込んだのか? 


まあいいや。クメールは、ここで仕留める。


俺は、自分が何者であるか、おぼろげにであるが、理解している。


海底、それも深い深い深海に潜む軟体動物の超巨大生物……その能力は、無数のインビシブルハンドと、毒の霧、それから毒のトゲ的なやつと毒噛みつきが使えるはずだ。その他、もちろん水中呼吸もできるし、食べ物が無くても、泥水をすすれば栄養が取れるという特殊能力も持っている。本当はあらゆる水魔術を扱える超怪物なのだと思うのだが、今の俺は魔術を扱う知識も魔術回路も無いため、その辺りはどうしようもない。今度研究しよう。


「毒のポイズン・ハープーン!」と言って、右手から細いもりを出す。


長さ120センチくらいの白い一本の銛だ。俺の本体が長年ため込んでおいた貝殻の成分を使って生成したものだ。先っぽに返しが付いている鋭い棘のようなものである。


その銛を、思いっきり、夢心地のクメール将軍の後頭部に、力任せで突き刺した。


銛が、クメール将軍の頭部にぶち当たる。すると、パン! という音を立て、頭の反対側が、吹き飛んだ。

銛の運動エネルギーと、その先から射出された毒の運動エネルギーで、ブツが吹き飛んでしまったようだ。


死んだかな? 俺だったら死なないと思うけど。


クメール将軍は、ドサリと倒れたまま全く動かない。というか、顔が吹き飛んだから本人確認できない。


ただ一つ言えることは、俺が肩に担いでいるのは、女体だ。俺の顔の横には、むっちりとしたお尻がある。パイパンとクメール将軍は、入れ替わっていないということだ。

ひとまず、スキル『身代わり』は発動しなかったとみて良いだろう。


それから、『ポイズン・パープーン』は言いにくいので別のにしようと思った。


『にゃー(よくやった。やつは死んだよ。だけど、毒の意味がないな)』と、デブ猫が言った。本来は超強力な神経毒を発射したはずなのだが、発射の威力が強すぎて、物理的に相手の頭を吹き飛ばしていた。


「うるさい。よし、逃げる」と言って、この場を離れる。俺の仕事は終わった。これで、俺は忍者の里、『ヨシノ』に恩を売ることが出来る。この娘の事はサービスだ。


猫の依頼は、あくまでこの子と一度セック○して欲しいということと、クメールを排除して欲しいということだけだ。なので、俺がこの子をここから助け出すと言うことは、サービスなのだ。

だから、後でもう一回、お相手してもらおうかな……


「ま、待て!」と、後ろで声が聞した。


あらら、鳴かなければ、殺されなかったのに。彼の排除は、俺の依頼には含まれていないのだ。


声の主、エリオンくんは、「ぐ、くそ。お前は一体何なのだ。本当に人間か?」と言った。


彼の足には、ナイフが刺さっていた。自分で刺したようだ。痛みで俺のニルヴァーナを封じたとは……大したヤツだ。今度は、もう少し濃度を上げようと思った。


だけど、失礼なヤツだ。俺は軟体動物だけど、人間は人間だと思うのだ。


「俺は人間だ」と言って、彼の周りにインビシブルハンドを忍ばせる。今度はしくじらない。そういえば、クメール将軍には、人間じゃないと名乗った気がするが、そんなこと、どうでもいいか。


「う、うぐ? なに? 何だ? うごごごご……」


エリオンくんが、いきなり苦しみ出した。決して俺のインビシブルハンドのせいではない。


エリオンは、「ぐご、ああああ。お、お前何をした? そうだ、あの呪いだ。お前にかけたあの……」などと言って、顔を異常に引きつらせる。


その顔、それから彼の手の甲が、一気に干からびていく。


こりゃあ、ただ事ではないな。俺の毒霧にこんな効果は無い。おそらく、彼の魔術の反作用ではないか。


エリオンくんは、干からびながらひとしきり変顔を披露した後、


その顔は、気持ち悪いのだが、相当な美貌だと思った。そして、その女性の顔と目が合ってしまう。


「お前か……我の呪いを返して来たのは……」と、その顔が言った。


「いいえ違います」


俺は、その場から立ち去るため、踵を返す。

ピンときた。こいつはまずい。擬態とは言え、俺の首を跳ね、しかも本体にまで攻撃を加えるだけの能力を持った存在だと思う。


おそらく、エリオンくんは、その何かと契約かなにかを交し、力の一部を分け与えられていたのだろう。


で、俺の呪い返しは、エリオンくんではなく、力を分け与えていた存在に向かったようだ。

首切りの呪いの百杯返しだから、さぞかし痛かったのだろう。というか、俺の呪い百倍返しでも死ななかったようだ。


この世界には、高次の存在がごろごろいると思う。俺が存在しているくらいだからな。


人の世と関わりを持っている連中はほんの一部だろうが、彼らが住んでいる深淵は、必ずある。

俺は、そいつらとは関わり合いを持ちたくない。


そう思って逃げようと試みると、俺の目の前には、どこかで出会った一団がいた。


「お、お前は……」と、その人物が言った。ぼろぼろの鎧を纏った、よく日に焼けたイケメンオジ……


「スパルタカスか」


できれば、会いたくないと思っていた人物が、そこにいた。彼とは、一緒に酒を飲んだ間柄だ。敵とは思っていない。というか、裏切っているのは俺なのだ。


「許さん……お前だけは許さんぞ!」と、俺の後ろで、女顔のエリオンくんが吠える。


それを言わせているのは別の誰かだと思うのだが、本人も同じ事を思っていそうで困る。


エリオンくんは、そのまましわくちゃの顔になり、腰が抜けたようにその場に崩れ落ちる。隣の副官は未だにポケェとしている。さらにその隣には、頭部が吹き飛んだクメール将軍の死体……


そして、クメール将軍のオンナを肩に担ぐ俺。


最悪なまでの悪役だ。将軍様の女を攫う間男みたいな。


「剣を抜け千尋藻ちろも」と、スパルタカスが言った。


まったくこいつは……この戦場において、彼は任侠を通すようだ。


俺は、何となく、逃げる足を止めてしまった。

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