第72話 おっさんvs英雄エリオン

俺は、目を瞑り、精神統一してこの付近一帯の空間把握を意識する。


すると、周りの風景が客観的に感じられるようになり、自分の思ったところに視線を向けることができるようになる。


感覚的には幽体離脱。この技を使えば、女子風呂は覗き放題だ。


次に、手を意識する。この手で、この視界のモノを掴むことが出来る。人一人がすっぽりと収まるくらいの巨大な手だ。


この手……ゴンベエ曰く『インビシブルハンド』の正体が謎なのだが、何故か、俺は幽体離脱状態から相手を手で掴むことが出来る。


今回の俺の作戦は、この手でクメール将軍を握り潰すこと。


姿を見せない方が、諸々のリスクが少ない。まあ、一度エアスラン軍を襲撃しておいて今更なんだけど。


そんなことを考えつつ、幽体離脱状態のまま、クメール将軍を探す。


地上のエアスラン軍は、かなり浮き足立っている。隊長クラスが『落ち着け!』などと叫んでいるが、動揺は隠せない。一部はすでにちりぢりになって逃走しているし。


まあ、死者まで出してごり押しした作戦があっけなく破られたし、目の前には謎の騎士。それから、そろそろシラサギに援軍が到着したという情報も入っているだろう。


そりゃ浮き足立つのも分かる。というか、謎の騎士……クロサマの後ろから、スタスタと別の騎兵が城門から出てきている。


騎兵が持っている旗には、グリフォンをモチーフにした柄が描かれている。それはウルカーンの軍、しかもウルカーン最強と言われるジュノンソー公爵家のものであることを示していた。


さて、これはエアスラン軍にとっては、最悪な状態だろう。彼らの後ろは落とし穴地帯。前は敵の援軍。しかも強そうな騎兵がこごろごろいる。


退却すると背中を刺されるし、向かい合っても何の陣地もないところで騎兵と相対することになる。必殺の悪鬼生成も、クロサマのせいで直ぐに無力化されることだろう。


しかも、虎の子のカッターは、先ほどの突撃で相当消耗している。これは万事休すか。


幽体離脱状態の視界に、クメール将軍を捉える。クメール将軍は何かを叫んでいるようだ。この技は音は拾えない。だが、おそらく、クメール将軍は撤退を指示していると思う。


撤退指示……この状況で無茶言うなよと言いたいが、それしかもう策はないのだろう。今のエアスラン軍には、野戦陣地も何もないのだ。


だが、この落とし穴だらけの草ボーボーの泥炭地は、騎兵にとっても不利だろう。馬で走ればたちまち泥に足を取られ、下手すると落とし穴に落ちてしまう。この落とし穴地帯を逃げ延びることが出来れば、エアスラン軍にも活路はあると思う。


そうこうしているうちに、エアスラン軍は、前方に氷の壁を立てる。相手の火魔術を防ぐためだろう。優秀だな、ララヘイム軍の水魔術士は。


その他の兵士は、一気に退却モードになり、我先にと森に逃げ込もうとしている。


さて、俺はこの混乱に乗じて、お仕事をすることにする。人一人を握り潰す簡単なお仕事だ。これで、俺は忍者の里『ヨシノ』と関係を持つことができる。


これは、今後の俺達の身の安全にとって、仕方がないことなのだ。


幽体離脱状態の視線で、クメール将軍に近づく。彼は、部下からカッターを貰い、一気に逃げ出す気のようだ。将軍が一目散に逃げるとは……


俺は、まだスピードが出ていないカッターの動きを読み、カッターをインビシブルハンドで掴む。


いや、掴もうと思ったのだが、何かがバチリとはじけ、掴めなかった。だが、巨大な手ではたく形になり、クメール将軍のカッターをいきなり横スライドさせてしまう。しまったな。自動発動のバリアか何かが作動したのだろう。


その衝撃で、将軍が泥炭地に投げ出され、ごろごろと泥の上を転げ回る。運良く落とし穴には入らなかったようだが、上等な服が泥まみれになってしまっている。


このインビシブルハンドの操作は、意外と難しい。自分の手足のようにはいかない。使えるようになってまだ間もないし、今は致し方ない。


城門前では、ウォール・アイスが切れたのか、援軍のウルカーン騎兵達が火炎放射的な魔術で、エアスラン軍をなぎ払い出す。


たまらず水魔術兵も逃げ出すが、城門から次々に出てくる騎兵の槍に突き刺されている。


陣形や陣地の無い軍隊というのは、かくも脆いものなのか……


などと思っていたら、クメール将軍がいなくなっている。しまった。


急いで幽体離脱状態で探すが、どこにもいない。まずい。ここまできて暗殺失敗してしまったら、目も当てられない。


だが、ヤツの行き先は見当が付いている。おそらくアイツは、パイパンを拾って逃げるはずだ。ならば、ヤツの行き先は、パイパンのいる寝室。


俺は、いまいち使いづらい幽体離脱状態を中止し、木から飛び降り、パイパンがいると思しき場所の方に向けて走り出した。


・・・・


『ニャー』


俺が木から降りると、猫がいた。あの神獣種デブ猫ではない。普通の家猫だ。


生意気にも、その鳴き声は俺を責めているように聞こえる。


その普通の猫は、もう一度俺を見てニャーと鳴くと、一目散に駆けて行く。


ついて来いということだろう。


そのまま猫に導かれて森の中を走ると、シラサギとは逆側に走って逃げる集団に出会う。


間違い無いな……あれはクメールだ。パイパンはいない。まだ合流できていないのだろう。しかしパイパンね……あの子と俺は、男女の仲になった。いや、違うか……ヤッたけれども、心は通っていない。ネコの依頼でセック○しただけだからな……


心は通じていない。いないはずなんだけどぉ……俺は、咄嗟とっさにクメール将軍の一団の前に出てしまう。


なんでだろう。さっきまで完全犯罪の暗殺を企てていたのだが、正面からやり合おうとするとは……


俺らしくない。失敗を取り戻そうとしたのか、あるいは無意識にパイパンを守ろうとしたのか、その辺はよくわからない。とにもかくにもクメール将軍の一団は急停止し、俺と相対する。


俺も大胆になったもんだ。いや、チートな体だから、気持ちに余裕があるのだろう。そう思うことにした。


クメール将軍の副官が、黙ったまま剣をすらりと引き抜く。俺が、行く手を遮るように出てきた理由を察したらしい。


「お前は……ゴンベエの術が解けたのか?」と、クメール将軍が言った。


クメール将軍は、腰に下げていた綺麗な剣を、すらりと抜く。太く丈夫そうな上等な直剣だ。彼は、あの時のネオ・カーン防衛戦で、小田原さんと互角に戦っていた猛者だ。個人の技量も相当なものだろう。


だが、彼らの後ろからは、ウルカーン軍が迫っている。粘るだけで俺の勝ちは確定しているようなものだ。別に俺がクメール将軍を手に掛ける必要はない。目的はスキル『悪鬼生成』の排除なのだから、足止めでも十分なはずだ。


「クメール様……こやつはおそらく、最初からあなたを狙っていたのかもしれませぬ」と、副官が言った。するどい。


「なに? ゴンベエが裏切ったと?」と、クメール将軍が言った。


「……『ヨシノ』一派は、悪鬼生成に反対しておりました。おそらく暗殺かと」と、副官。とてもするどい。


「あははは。俺を殺すか冒険者よ。お前などにエア様の崇高な意思は理解できん。そこを退け。お前はなにで雇われた? カネか女か名誉か。忍者の口車に乗せられよって。あいつらは、そんな甘い連中ではないぞ」と、クメール将軍が言った。


俺が騙されている可能性か。それも無い訳ではないだろう。俺は、少しゴンベエにほだされているところがある。アイツのチャームは反転したとはいえ、実の所功を奏していたのだと思う。


あの、チャーム反転などの一連の出来事が無ければ、俺はゴンベエを信じていなかったと思う。

ロケットおっぱいは偉大だ。


さて、連中が会話している間に、インビシブルハンドに集中する。まだ覚えたての技なので、自由自在というわけにはいかない。


意識を集中する……まずは巨大なインビシブルハンドで握り潰し、それでも死ななければ、頭を思いっきりブン殴ってやる。


「お待ちください。ヤツからは、妙な魔力の波動を感じます。ここは私が」と、長身イケメンが前に出る。彼は初日、俺とゴンベエの見せつけセック○を見物していた人物だ。ゴンベエの話によると、確か英雄級……


「エリオン殿済まない、私は、ここで死ぬわけには行かぬのだ」と、クメール将軍が言った。


行かせるか!


俺はエリオンくんを無視し、逃げだそうとしていたクメール将軍の周りに、インビシブルハンドを発動させる。


俺のインビシブルハンドは、人一人を握り潰せるだけの大きさと握力がある。


俺は、あの時のアイリーンを思い出す。裸にされ、後ろ手に縛られ、犬に犯されて……


目の前の男は、その状態のアイリーンの頭を踏みつけていたのだ。


心の奥に、ふつふつと怒りが沸き起こる。情けは無用。一気に殺す。


巨大な見えない手で、ひと思いに握り潰す……


バチィと何かがはじける。握り絞めるインビシブルハンドが、途中で止まっている。


まさか、このバリア、堅い?


次の瞬間猛ダッシュ。足止めはしている。ならば、殴る。


だが、俺の進行方向に、長身の美丈夫。


邪魔。代わりにこいつを殴ってやる。俺を邪魔する美丈夫に、思いっきり右フックを放つ。


パン!


凄い音がするが、ヤツの顔面に拳が届く前に、弾かれる。


うぬう!? こいつにもバリアがある。俺の必殺パンチが効かない。地味に悔しい。少し、相手を舐めていたか……


目の前に立ちはだかるエリオンくんは、「将軍は急いで」と言って、俺を睨み付ける。


俺は、エリオンくんを無視し、全速力で逃げるクメール将軍を追いかける。こいつさえれれば、俺の任務は終了だ。俺は、そのために猫の依頼を受けて、嫌がる女とやったのだ。

目の前の強うそうなエリオンくんを相手にする必要はない。


「クメール様!」と、将軍と併走していた副官が俺の前に立ち塞がる。


俺を体で止めるように。


情けは無用か……


相手は、将軍と俺の間に体を入れるのに必死で、剣を構えていない。


そのまま走り続け、相手の鼻辺りをおでこでぶちかます。

要は頭突き攻撃だ。


そのまま強引に副官のおっさんを払いのけ、クメール将軍の背中に迫る。


手を伸ばす……だが……


くそ、届かん。俺は、武器を持っていない自分を悔いた。手ぶらが楽とはいえ、何か射程が長い武器は持っておくべきだ。


パン! 空気を切り裂く衝撃音と振動。その瞬間、体が痺れ、足の動きが止まってしまう。


そのままバランスを崩し、地面にヘッドスライディング。


俺の体というやつは、物理攻撃に対しては丈夫だが、電撃は一瞬体が硬直してしまうようだ。しかも、電撃系は攻撃速度が速いから厄介だ。


クメール将軍が、この場から遠ざかって行く。


マズいな……だが、まずは英雄級の相手が先かもしれない。


急いで後ろの状態を確認すると、エリオンくんが両手にキラキラと輝く粒を出しながら、こちらに走って来る。


「死ね、アイス・サイクロン!」


キラキラと輝く強風が吹き荒れる。


これは、冷たい!? 冷気の風で一気に体温が奪われていく。

俺を冷凍させる気か?


この場を離れようと一歩踏み出すと、足から一気に電気が走ったように体が痺れる。


相手の攻撃モーションは無かった。まさか、トラップ系の魔術? しかも、苦手の電気系……


まずいまずいまずいまずい。


正直相手を舐めてた。英雄級と言われるゴンベエと互角に戦えていたと思っていた。

倒せなかったのは、相性が悪いだけだと思っていた。だが、それは俺の認識違いだったのか?


この世界には、体が丈夫で力が強いだけなやつなど、いかようにも出来る魔道技術があったのだ。

おそらくゴンベエは、俺と戦う際、手を抜いていたのだろう。


思えば、彼女にとって俺という存在は、仲間になってくれたらラッキー、途中で死んでしまっても何も損しないような存在だ。


痺れる体で、もう一度足を動かしてみる。逃げるためだ。


バシ! と音がして、大量の電気が体に流れ込む。


逃げられない。ならば、もう一度アレを使う。


俺は、逃げる事を諦め、この周辺の空間を感じ取る。インビシブルハンドで握り潰してやる。


「スパーク!」


エリオンが握っている短剣から、爆音と強烈な光が発生し、電撃が俺を襲う。


この魔術は何度か見た気がした。だが、炸裂する いなずまの量が別格だ。こ、これが英雄級の実力……


だが、まだだ……握り潰す! その時、俺の見えないはずの手を、短剣で切りつけられる。チクリとした痛みがある。思わず手を引っ込める。


「無駄です。そんな制御じゃバレバレだ。馬鹿の一つ覚えのようですね……」と、エリオンが言った。


俺は、感覚が無い体と薄れる意識の中、彼の輪郭がおぼろげに見えていた。


彼の右手には、漆黒の長い槍が握られていたように見えた。



◇◇◇


「エリオン殿、かたじけない」と、鼻からぼたぼたと血を流しているおじさんが言った。彼は、クメール将軍の副官。先ほど変なおっさんに頭突きを喰らい、脳震盪で少しの間倒れていた。


エリオンは副官が起き上がるのを助け、「いえ。ここは危ない。我らも急ぎましょう」と言った。


クメール将軍は、すでに森の奥、おそらくパイパンが待つ陣地に向かっている。


「しかし、ゴンベエ殿が連れてきた冒険者ですか……よくぞお一人で仕留められましたな」と、副官が言った。


「彼、魔道技術は素人でした。私の敵ではありません。今はほら、私の暗黒槍で魔力を吸わせていただいております。魔力だけは潤沢にお持ちだ」と、エリオンが言った。


そこには、胸を黒い槍が貫いた、立ったままの凍り漬けのおっさんがいた。その黒い槍から、エリオンの持つ赤く綺麗な短剣にキラキラと何かが入り込んでいる。


「死んではおらぬのですか?」と、副官が自分の顔に回復魔術を掛けながら言った。


エリオンは、「まだ死んではいないようですね。彼との戦闘で消費した魔力分は吸い取りたいのですが、時間がありません。勿体ないですが、死んで貰いましょうか」と言って、暗黒槍を持つ手とは逆側の手に持っていた赤い短剣をかざす。

すると、赤い短剣が伸びて美しいサーベルのような形になる。血のような、深いワインレッドの曲刀だ。


「ブラッド・ブレード……吸血鬼との契約により召喚できる、私の最強の武器です。。美しいでしょう?」と、エリオンが言った。


「おお、これが……闇の眷属、吸血鬼の至宝」


「はい。これは、彼の丈夫な体も両断できるでしょう。しかも、これで傷つけられた傷は、治ることがありません。そういう呪いです。ですが、彼はひと思いに殺してあげましょう」


エリオンは、その赤く美しい剣を、おっさんの首に向けて、振り抜いた。


どさり、と質量のある物体が地面に落ちる。


「さ、エリオン殿行きましょう」と、副官が言った。


エリオンは「ふむ。丈夫な首だ。切るのにも、相当の魔力を持って行かれた」と言って、赤い剣を元に戻し、副官と一緒に走り出した。


その場には、頭部を切り落とされたおっさんの体が、氷漬けの状態で立っていた。

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