第60話 燃える草 溶ける氷  そして、水の壁


泥炭地を進むクメール軍の歩兵、その主力は囚人達で構成された百人隊である。


その百人隊に、ララヘイム派遣組の水魔術士が随伴する。水魔術士達は、備蓄の魔力は使い果たしていたが、自然回復分の魔力は戻って来ていた。


「スパルタカスさん、前方が少しやかましくなっているようですぜ」と、囚人衆の一人が隊長に言った。


スパルタカスと呼ばれた百人隊隊長は、「これは戦争だ。しかもあいつら、逃げ道のない籠城戦だぜ? 死に物狂いでくるから、こちらにも損害は出るだろう。だが、どうにも嫌な予感がしやがる」と言った。


歩兵達は、敵の弓矢や遠距離魔術を警戒し、背の高い草の中を、まるで泳ぐように掻き進んでいた。


兵士の一人が、「怖いこと言わないでくださいや」と言って、沼地を進む。


「痛ってえ!」と、後ろの誰かが叫ぶ。


「どうした!? トラップか!」


「足が、クソ! 尖った何かを踏んでしまって」と、足を負傷した兵士が叫ぶ。


「また足か。敵さん、こちらの足を狙うのが好きらしいな」と、隊長が言った。


そのうち、前を進む歩兵も異変に気付く。


「しかし、冷てぇ、足が冷てぇ。地面が結構濡れてやがる」と、兵士の一人が言った。


「確かに、泥炭というか、これじゃ水田だな」と、さらに別の兵士。


「隊長、さっき足を怪我したヤツ、あれはトラップかも知れませんぜ。切った竹が上に向けて刺してあったようです」


「こんな、深さ十センチ程度しか無い沼地にか。地味な仕掛けだが……」


「しかし、草が邪魔だ。こんな草、燃やしてしまえばいいのに」と、囚人兵の一人が言った。


「ばか、草があるから俺達が身を隠せるんだろうが」と、別の囚人兵が応じる。


「草を燃やす、だと? そして、冷たい地面。おい、うちから裏切ったっていうララヘイムの魔道士は、何人で実力はどれほどだ?」と、隊長が隣にいたララヘイムの水魔術士に言った。


裏切ったと言われて少しムッとした水魔術士は、「裏切ったのはオリフィス家のサイフォンです。他の者はついて行っただけと思います。彼女らはサイフォンの学友たちです。実力は、まあ中の下ですね」と言った。


スパルタカスは、「中の下? そいつらは、地面を凍らせることは出来るのか?」と言った。


水魔術士は、「地面を? 土を凍らせるのは至難の業ですが、水だけなら、可能でしょう。それでも、ほんの一部だけだと思いますね」と答えた。


「そうか、だが、どうにも嫌な予感がしやがるぜ……」と、スパルタカスが言った。


「どうしました隊長。ん? あれは、まさか……」と、兵士がシラサギとは逆方向を見て言った。


「どうした!? な……」


彼らの視線の先、シラサギに向かう街道の森の出口には、があった。追いついたのだ。

その水の壁が、人が早歩きする程度の速さでシラサギの城門に迫る。


「お、おいおいおい。あの壁、まさか街道を突き進むつもりか?」と、スパルタカスが言った。


「隊長、どうされますか?」と、歩兵が言った。


「くっ、総員、前進を止めよ。草の中に身を潜めておけ」と、スパルタカス言った。


歩兵達が見守る中、巨大な水の壁が街道を直進する。


そして……


水の壁がシラサギの城門にぶち当たる。


水の壁は、一旦その場に留まるが、ぐいぐいと先に進もうとする。


しばらく待つと、城門の基礎部分が洗掘され始め、さらに城門の大きな扉がドゴンと弾き飛ばされる。


水は、狭いところを通ろうとすると、流速が大きくなる。おそらくその作用であろう。


水の壁は、シラサギの城門を、その周囲の石積み毎吹き飛ばし、そして何事も無かったように街道を進み続けて行く。


「え? 何あれ……アレって、敵のトラップのはずなんじゃ」と、歩兵の誰かが呟く。


「気を抜くな。相手は籠城してるんだ。焦る必要はない。初撃は様子見でよいとの命令だ」と、スパルタカス。


「しかし、これってチャンスなんじゃ」と、兵士。


各地をランダムで動き、隙あらば肉薄しようと動き回っていたカッター部隊が、『敵は浮き足だっているぞ!』『城門が破られた。あそこが手薄だ』『今の隙だ! 城壁に登ってやる』『落ちたヤツを助けに行くぞ』などと叫んでいる。


「馬鹿な。城門は偶然破壊されただけだ。敵兵はほぼ無傷だ。そんなところに飛び込んだら……」と、スパルタカスが言った。


だが、勢いに乗っているカッター部隊は、次々に城壁に肉薄し、城門付近に殺到する。


「隊長、どうしましょう」と歩兵の兵士が言った。


「城門突撃は歩兵がいないと意味が無い。各個撃破されるだけだ。仕方が無い。俺達も突撃だ。弓がカッター部隊に向いている今がチャンスだ」と、スパルタカスが言った。


「分かりました。みんな! 進むぞ。元貴族のぼんぼんなんかに負けるな!」と、檄を飛ばす。


そして、歩兵約百名が、泥炭地を突き進む。



◇◇◇


どこかで見た記憶のある水の壁が、眼下の城門をぶち壊し、そのまま街の中を進んでいく。


砦の中からその様子を見下ろしていた目付きの悪い美人が、柄にも無く口を開けて絶句していた。


「な、な、何あれ何あれ……まさか、あの人のあの壁? なんと迷惑な……」と、ナナセ子爵が言った。


「こ、このまま行くと、北門も壊されてしまいます」と、白おじさん。


「北門は、水の壁の到着直前に門を開けさせて。南門は、敵が一気に群がってる。ある意味、コレは敵兵を一気に減らすチャンスよ。城門の内側をキルゾーンにして。弓兵を配置!」と、ナナセ子爵が叫ぶ。


その時、城壁の上に敵のカッターが颯爽と跳び乗ってくる。カッターの上級者は、高さ5m程の壁などは、飛び越えることができる。


「わんわん!」


その時、一陣の銀に輝く巨大な球が敵に激突する。銀の球が止まった先には、敵兵を巨大な顎で咥えたフェンリル狼がいた。


フェンリル狼は、敵兵を城壁の下にペッと吐き出す。


周りの兵士達は、フェンリル狼に感謝の意を述べつつ、城門の先をキルゾーンにするべく、バリケードと弓矢を運び込んでいく。


「ナナセ子爵、敵歩兵も前進を始めました」と、白おじさんが言った。


「やっと動いたわね。一瞬、感づかれたかと思ったとこだったのよ。よし、火炎弾を打ち込んで」と、ナナセ子爵が言った。


「お任せを」と、白おじさんが言った。



・・・・


そして、城壁の上から、多数の火炎弾が放物線を描き、草むらに降り注ぐ。


炎は各地で枯れ草に燃え移り、辺り一面を煙で覆い尽くす。



◇◇◇


草の中を泳ぐように進む、スパルタカス率いる罪人部隊は、上空から降り注ぐ火炎弾に見舞われていた。


「ウォール・アイス! みなさん、ここに非難を!」と、水魔術士が叫ぶ。


周囲の歩兵が、急いで冷気が巻き上がる障壁の後ろに逃げ込んでくる。


「敵さん、やっと火魔術を投入か。さてと、予定では、これで一旦逃げる手はずだが」と、スパルタカスが言った。


「隊長、あいつらが、城門に殺到しています」と、部下が言った。


「馬鹿か。歩兵の援護が無いのに、カッターだけで突っ込んでも意味が無い。むしろ、城壁を潜った瞬間にやられるだけだ」と、スパルタカスが言った。


「ウォール・アイス、もうすぐ消滅。ご指示を」と、水魔術士が言った。


スパルタカスは、「退却だ。これはそういう作戦だった。敵が火魔術を撃って来たから退却だ。全軍退却せよ。今回は様子見だ」と言った。


「分かりました。退却だ! 退却せよ!」と、分隊長達が指示を徹底させる。


総勢百名近くの罪人部隊が、一斉に引いていく。


「うわ! ぎゃああ!」


真っ先に退却していた兵士の一人が叫び声を上げる。


「どうした!」と、スパルタカスが足を止めて言った。


「仲間が、体が半分、地面に……」


「底なし沼か?」


「いえ……これは……」


「ぎゃあ!」「うわぁ!」「痛ぇ! 罠だ。下に、竹槍が」「抜けねえ。これは、穴の中に、竹槍が付いた丸太が……」


その時、空から再び火炎弾が降り注ぐ。


「ウォール・アイス!」


即座に水魔術士が氷の壁を出現させる。


スパルタカスが、ウォール・アイスの壁に隠れながら、「どうなった。何が起こった!」と叫ぶ。


「罠です。地面に穴が。そこに多数の竹槍です」と、同じく逃げ込んできた兵士が言った。


「クソっ、やはり罠か。氷か何かで落とし穴を隠していたな? 狙いは歩兵か。カッター部隊は、結局のところ、歩兵を安全に前進させる補助兵科でしかないんだ。これは、敵が一枚上手か」と、スパルタカスが言った。


「隊長、どうしましょう」と、兵士が言った。


「落とし穴に落ちたヤツは、どんな状態だ?」


「足に怪我をした者が殆どですが、中には深い穴もあって、それの中には丸太に竹槍が刺してあるものがあって、それに巻き込まれたヤツは、腹まで竹が刺さっています」と、兵士が言った。


「くっ、足を怪我したヤツは背負って逃げる。腹を刺されたヤツは、助からん。放置だ。今のウォール・アイスが切れたら走るぞ」と、スパルタカスが言った。


スパルタカス率いる百人部隊は、最早城門を確認する余裕すらなく、ただ逃げることだけを考えた。



◇◇◇


南門で激闘が繰り広げられている最中、北門では、バーン率いる約50名の斥候兼包囲部隊と、エアスランの英雄級魔道士ゴンベエが、森の中で監視任務についていた。


南で怒声や爆発音などの戦闘音が聞こえ始め、しばらく経ったのち、目の前の北門が急いで開け放たれる様子を目の当たりにする。


「お? 城門が開いたぞ!」と、少年兵が言った。彼ら少年兵達は、若者らしい怖い物知らずと飲み込みの速さで、大多数が地獄のトラップ地帯を生き抜いていた。


「待て、まだ出るな。様子を……あ、あれは……」


バーン達の目の前に現われたのは、水の壁。


その迷惑な水の壁は、開け放たれた北門を器用に通り過ぎると、そのまま街道を北に進んでいく。


城門の方は、何事も無かったかの如く、再び閉じられた。


「おいおいおい。あの水の壁、シラサギを通り超して北に進むつもりのようだぜ」と、バーンが言った。


「あの水の壁、一体どこに向かうんだろうね」と、ゴンベエが言った。


「そういえばそうだな。あの水の壁は、どこに向かっていると思う?」と、バーンが応じた。


「例えば、術者のところとか?」と、ゴンベエ。


「術者……か。アレを造ったのがサイフォンだとすると、あいつらがこの先にいるということか。ひょっとすると、サイフォンとあのクソ冒険者は一緒にいるのかもな」と、バーンが言った。


「う~ん、斥候としては、あの水の壁の行き先が気になるね」と、ゴンベエが言った。


「よっしゃ。どうせこの街はうちの大将が攻め落とす。俺らは、俺らの仕事をするか」と、バーンが言った。


「あんた、その冒険者を殺したいだけでしょ? でも、斥候の判断としては正解。こんな迷惑な謎は、謎のままにしておかない方がいい。私も行こう」と、ゴンベエ。


バーンは部下の方を見て、「よし、ここには二十を残す。残りの三十は、俺達に続け」と行って、立ち上がった。


ここで、バーンとゴンベエ、そして少年兵含む斥候部隊三十名は、水の壁を追って北上することとなった。

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