第56話 クメール将軍の進軍と、トラップ作成


朝、謎の水壁に足止めを喰らっていたクメール将軍が率いる三百人が、キャンプ地を発とうと準備を始める。


だが、街道の先には巨大な水の壁が未だ健在であった。


「ん? おい、何故まだ水の壁がある? 昨日撤去しておけと言っただろう」と、クメール将軍が言った。


「はは! ララヘイムの者どもには伝えていたのですが。もう一度伝えて参ります」と、部下が応じる。


「急がせろ。準備が整い次第出発するぞ」と、クメール将軍が言った。



・・・・


水の壁対策班……彼らは、ララヘイム出身者からなる水魔術士軍団二十人。


この水の壁を作成したと推察されているサイフォンも、ララヘイム出身者であった。彼らは、裏切り者と判断されるサイフォンに負けぬよう、また、ララヘイム全体が裏切り者と言われぬよう、夜を徹して水の壁を解除しようと努力していた。


だが、変態的に魔力をつぎ込まれた水の壁はびくともせず、出発時間になっても解除出来ないでいた。


そこに、高身長でがっしりした体付きの美丈夫が現われ、「ふむ。これは……」と呟いた。


「あなたは、まさかエリオン様!?」と、水魔術士の一人が言った。


彼は、エアスランが誇る英雄級魔術士。対人戦闘の他、トラップ系魔術の専門家でもある。


エリオンは水の壁をペタペタと触りながら、「術式は、ウォーターウォールではなく、ユニオンスキルのウォーターボールと思われる。それに大量の魔力を注ぎ込み、この形で固定している様だな。これに純粋な魔術をぶつけても、魔力を浪費するだけだよ?」と言った。


「は、はい。それは分かってはいるのですが、術を奪い取ることも、強力な魔力のせいで失敗してしまいまして……もはや、我らに魔力は残されておらず……申し分けありません」と、水魔術士が言った。


美丈夫は、「大丈夫だよ。僕がやってみよう」と言って、水の壁で集中する。


その壁は、高さ三メートル、横幅は十五メートルほどあり、街道を完全に塞いでいる。そのは、叩いても剣で切っても魔術的に奪い取ろうとしてもビクともせず、ずっと屹立していた。


すでに迂回できるように周囲の木々は切り倒されているが、壁が無いに越したことはない。


美丈夫はじっと水壁に手をかざし、魔力を操っていく。


そして……水の壁が一瞬、ぐにゃんと変形する。


「おお、さすがエリオン様だ」「我らが一晩中掛かっても何も起きなかったのに」「天才……天才だ」


周りの水魔術士達から賞賛の声が漏れる。


水の壁は、ぐにゃんぐにゃんと不安定に形を変えていく。


そして、透明だったはずの水が、一気に濁り出す。おそらく、沈降していた懸濁物が舞い上がってきたのだろう。


「あ、あの、エリオン殿、コレは……大丈夫……」


その時、ドザァ! という音と共に、水がはじけ飛ぶ。


「う、うわぁあ!」


「しまった。一気に書き換え過ぎたか」と、エリオンが言った。


濁った水は、そのまま三百人が密集するエリアに流れ込んでいく。


「く、臭えぇええええ!」「おぇええ」「ごぼ!」


「どうした! 何があった!」と、クメール将軍が叫ぶ。


「水の壁です。壁が崩壊しました」と、誰かが叫ぶ。


「何だと!?」


時すでに遅し、クメール将軍の目の前には、濁った水が押し寄せていた。



・・・・


その一時間後、悪臭を放つ三百人が、街道をとろとろと進んでいた。


なぜならば、


水の壁は、一旦崩壊して三百人を濡らしたかと思うと、再び集結し、そして、とろとろと壁のまま街道を進み出した。その速度は、人が早歩きする程度。


これが非常に邪魔なようで、少しずつ追い越してはいるが、進み続ける壁を、森を迂回して追い越すのは結構な手間らしく、少数ずつ追い越して行っていた。


ただ、やっと追い越しても、休憩を入れていると壁に追い越されるため、壁を追い越した部隊は、水の壁に追いつかれないように必死に距離を離す必要があった。


逆に、壁を越えていない部隊は、とろとろと進まざるを得ず、大渋滞を起していた。


「クメール将軍、部隊の2割は壁を越えました」と、部下が言った。


「バーンとゴンベエはどうしている?」と、クメール将軍。


「は! 彼らはすでに壁を越えています。我らの進軍路の罠を調べる予定です」と、部下が言った。


「そうか。これで斥候は何とかなるか……しかし、この臭いは何とかならんのか?」と、クメール将軍。


ここにいる全員、微妙にかもされていた。


「クリーンの魔術は水系の魔力を消費します。水魔力は、あの壁を解除するためにほぼ消費しています」と、部下が言った。


「ちっ、確かに、あの壁を解除せよと言ったのは私だ。だが、水魔力を備蓄分含めて全て消費してしまうとは。あいつらは馬鹿か?」


「彼らの言い分としては、いくらサイフォンとはいえ、自分達二十人が負ける訳は無いとの思いから、魔力を逐次投入していって、結果全て使い果たしたそうですな」


「エリオン殿が言うには、アレは相当性悪なトラップだったようだな。私たちの移動を邪魔し、水魔力を枯渇させ、悪臭で戦意を削ぐとともに、進軍速度を落とし、しかも、戦力分散を余儀なくされている」と、クメール将軍。


「はい。ララヘイムのやつらが言うには、サイフォンでは不可能な術式だと言っています」


クメール将軍は、「ふん。貴族の女に、糞尿をトラップに使うという発想は出てこないだろう。コレは貴族の発想ではない。おそらくは冒険者……」と言って、濁った水の壁を睨む。


「冒険者が敵にいるとお思いで?」


「そうだ。ネオカーンを占領したあの日、我々に喧嘩を売ってきた相手も冒険者とみられている。ネオ・カーンの冒険者ギルドで仕入れた情報によると、ナナセ子爵は、最近、ペットの世話と称して男性三人の冒険者パーティにちょくちょく依頼を出していたらしい。『三匹のおっさん』という謎の冒険者だ。貴族専門でやっていたパーティらしいが、資料が少なく、全貌は明らかになっていない。おそらく、こいつらがナナセ子爵に付いている」


「我らのゲリラ戦は、上品な軍隊には強いですがね……ですが、冒険者は軍人ではありません。まあ、やつら、こざかしい罠は得意かもしれませんが、格の違いを見せつけてやりましょうぞ」と、副官ポジの兵士が言った。


「ふっ、任せたぞ。シラサギの防衛隊は、50人もいないだろうと予測されている。ハンターや農民を臨時で集めても百人程度だろう。舐めて掛かってはいかんが、あそこは水が豊富で食料も豊かな所だ。軍の本体に食い荒らされる前に、我らで抑えておきたい場所だ」と、クメール将軍。


「分かりました。必ずや、あなたに温泉の街を献上してみせましょう」と、部下が応じる。



◇◇◇


荘園『シラサギ』の前には、幅五百メートルくらいの未利用地の泥炭地帯が広がっている。


その泥炭地帯のド真ん中に、口の周りを布で覆った奇妙な集団がいた。


「よし、お前ら、この竹槍にコレを塗れ」と、口の周りを布で覆ったおっさんが言った。


「うへぇ。旦那、本当にこれを塗るのか? 一体どんな効果があるんだよ」と、別の冒険者のおっさんが言った。


「ウン○は猛毒なんだぞ? これを塗った竹槍で出来た傷は、下手すると致命傷になるんだぞ?」と、最初のおっさんが言った。


「ぎゃあ、サイフォン様のウン○混じり汚物が武器に?」と、目隠れ属性の女子が言った。どこか嬉しそうだ。


「うっせぇ。これは皆のブツが混ざったもんだろうが! ほら、せっせと塗れ」と、清楚な感じの女性が、桶に入ったブツを棒でぐりぐりとかき混ぜながら言った。


「はぁ~い」と、十人ばかりの鼻と口を布で隠した女性らが、一斉に汚物を竹槍に塗っていく。


「まあ、俺らバイトだからやりますがねぇ。しっかし、あんたらだけは敵に回したくねぇな」と、冒険者のおっさんが、竹槍に汚物を塗りながら言った。


荘園『シラサギ』の前、ネオ・カーンからの道が続く山から出てきて、街に至るまでには、草ボーボーの平野がある。その平野は泥炭地で、今は未利用地となっている。


その平野には、すでに無数の落とし穴や、竹を使ったブービートラップが仕掛けられていた。


もちろん、周囲の山や街道にも、大量のトラップが仕掛けられている。


そのトラップの一つには、ウルカーン謹製の手榴弾的な魔道具も多数使用されていた。


紐を引っ張ったら爆発するタイプの使い捨て魔道具だ。


その魔道具を使用し、紐を踏んだら糞尿混じりの鉄片が飛び散るような仕掛けや、対人地雷が大量に仕掛けられていた。


もちろん、トラップの大多数は、竹のしなりや、丸太の重量を利用した単純なブービートラップである。


「でもさ、こんなの効くの?」と、水色髪の清楚な女性が言った。


「これは小田原さんの知識だけど……まあ、効くと思うよ。実戦証明は、されている。まあ、ここに、どんな魔術があるか分からんけど……いや、魔術に頼る世界だからこそ、こういう竹のしなりや丸太の重さを利用した単純なトラップや、落とし穴なんかが効く可能性はあるな」と、おっさんが言った。


おっさんの足下には、先っぽにとげとげが付けられた竹がぐにゃんと曲げられ、紐で固定されているトラップがあった。これは、この近くを誰かが通って紐が外れたら、竹が元通りになって、敵の足にぶつかるようなトラップだ。


さらに、細い竹を背の高い草に隠し、そこを何かが通ったら、瞬時に木のツタが舞い上がるような仕掛けもあった。これは、ウインドカッターと呼ばれる敵の移動手段に対応したものだ。意地が悪いことに、この仕掛けは街の近くにしか仕掛けていない。トラップ地帯の奥底まで進まないと、そこがトラップ地帯だと気付かない仕様だ。


「街道の落とし穴と地雷は最後だ。今日は、この桶の中のブツを全部塗ったら帰るぞ」と、おっさんが言った。


「急ぎましょう。もう臭いで限界。早く温泉入りたい」と、清楚な女性が言った。


「同意だ。ささっと終わらせるぞ」と、おっさんが応じる。


「はぁ~い」


十人ばかりの女性と数名の男性らが、一斉に作業を再開する。


自分達の仕掛けた罠を、自分達で作動させないよう、細心の注意を払って。


周囲には、10人程度のユニットに別れた作業グループが、20班ほど展開しており、広大な泥炭の草原とその周囲の山林を、地獄のトラップ地帯と変えていく。

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