箱庭の中で

アアリル

第1話 出会い

「わぁ〜!楽しそう!!」


その日、少年は心を踊らせていた。


木製の窓の外、扉を開け放つ。部屋の隅から踏み台を持ってきて、その下に置く。それを踏み台にして、少年は窓の外に身を乗り出した。


外はたくさんの人々で賑わっている。恋人と手を繋ぐ人、子供を連れている人、友達と一緒に騒いでる人。ワイワイガヤガヤ。あたりを賑やかな雰囲気が満たしている。レンガ造りの街の風景を、色とりどりの飾りが彩っている。あちらこちらに屋台が立ち並び、客を呼び込む声が響いていた。いらっしゃいいらっしゃい!今なら安いよお買い得だよー!景気のいい声が聞こえる。主婦は買い物かごを片手に商品を物色していた。子供はその傍を走り回り思いっきりはしゃぐ。それをを食い入るように眺めながら、少年は目を輝かせていた。


今日は、この街で年に一度許されている娯楽の日、祭りであった。


今、少年がいる街、ネンブルド。象徴である大きな白い噴水を中心に円形に広がる街。全体的に、中世のようなレンガ造りの建物が並ぶ街並み。それらは綺麗に飾り付けがされている。赤青黄色。色とりどりの色彩が街を飾り付ける。それらひとつひとつにワクワクしながら、少年は窓から身を乗り出す。


なんて言ったって今日は年に一度しかないお祭り。普段は娯楽がほとんどないと言ってもいいほどのこの街では、待望の行事であった。普段は何かとクールを気取っている大人も、この時期が来るとそわそわし始める。それをニヤニヤ眺めながら、少年は心を弾ませているのだった。大人も楽しみなのだがら、子供が祭りを楽しみにするのは当たり前のこと。少年は踏み台から飛び降り、一直線に家の奥に入っていく。


「兄さん!姉さん!はやく外行こう!!」


ドタドタドタ。少年は大きな足音を立てながら家の中を駆け回る。お世辞にもあまり広いとは言えないこの家には、その音は大層大きく聞こえた。奥の洗面台から、気だるげな青年がひょっこりと顔を出す。


「おい、レイ。そんなにはしゃぎ回るな。転んで怪我でもしたらどうするんだ?」


黒いボサボサの髪に、濃い緑の瞳。深い森林の色を閉じ込めたそれは、眠たそうに細められている。どうやら寝起きらしい。よく見ると髪にもまだ寝癖がついていた。格好も黒の寝巻きのままである。けれど少年は全く空を意に介さずに、青年に続ける。


「そんなドジなことしないよ!僕もう10歳になるんだから!それよりも兄さん早く準備して!お祭り終わっちゃうよ〜」


「そんな早く祭りは終わんねぇよ。いいから少し落ち着け。今準備するところなんだから」


苦笑しながら青年が告げる。しかしそれでもそわそわと動きながら、少年は足踏みをする。祭りが待ちきれないのである。


そんな様子を遠くから眺めている女がひとり。少年の元に近づくと、ぽんと、少年の頭に手を乗せた。


「こら。そんなに兄さんを怒らせないの。少し落ち着きなさい?そう簡単にお祭りは逃げたりしないわ」


苦笑しながら女は言う。リコリスのような真っ赤な髪に同じく真っ赤な瞳。燃えるようなその瞳は、どこか情熱的な雰囲気を感じさせる。腰まである長い髪をはためかせながら、女は少年をなだめた。しかし少年はそれが不服だったようで。頬をふくらませながら、女が着ているローブの裾を引っ張る。


「そんなこといっても…だって楽しみなんだもん!もう待ちきれないよ!早く行こ!」


「うふふ。相変わらずレイはおてんばねぇ」


ニコニコ笑いながら、女は少年の頭を撫でる。そんな様子を見て、青年ははぁ、とため息をついた。


「ミリア…お前はレイに甘すぎるんだ。もう少し自重しろ」


「あらあらしょうがないじゃない。私たちのかわいい弟なんだから」


ねぇー?少年の顔を覗き込むながら女は言う。その様子に再び青年がため息をついた。それとは対称に、少年はニコニコと笑みを浮かべている。


「まぁそれはそうだけどよ…」


青年は少年の頭に手を置き、わしゃわしゃと撫でる。少年はそれを嬉しそうに甘受していた。


なんでもない、穏やかな日常が流れる。


「俺の準備できたら一緒に行ってやるから。それまで大人しく待ってろ」


青年がぶっきらぼうに言う。少年は目をキラキラと輝かせて身を乗り出した。


「ほんと!?やったぁ!!!」


「ほんとほんと。だから大人しくしとけ」


あ〜あしょうがねぇな。青年はポリポリと頭を掻きながら洗面台の向こうへ消える。気だるげな足取りながら、そこには確かな喜びが滲んでいた。少年は期待に胸を踊らせながら、女に向き直る。


「姉さん!お外にね!綿菓子の屋台があったの!後でみんなで行こう!」


「あらそう。そうね。あとでシンと一緒に行きましょうね」


女は少年の頭を撫でながらコロコロと笑う。少年は待ちきれないように足踏みしながら、満面の笑みをうかべた。


いつもとは少し違う。けれども暖かい、日常のひとコマ。青年は気だるげながらも、おてんばな弟に世話を焼く。そんな2人を女は幸せそうに見守る。そして少年は、祭りに胸を踊らせながら目を輝かせる。なんてことは無い、幸せな日常がそこにはある。


しかし少年はそこでふと気づく。


それは、小さな違和感。


あれ、姉さんの髪って、こんなに短かったっけ。

兄さんがつけていた、あの耳飾り。どこに行ったんだろう。

何か、何かが違う。


違和感が降り積もっていく。ほんの小さな、些細なものだけれど。塵も積もれば山となる。それはやがて大きな違和感となって、少年の心に影を落とす。

そしてそれは、どんどん少年の心の中に広がっていく。


「……?」


少年が首を傾げる。何かが、何かがおかしい。少年がキョロキョロと不審げにあたりをを見回す。それを不思議に思ったのか。女が声をかけてきた。


「…?あら?どうしたのレイ?何かあった?」


「……いや」


なんか姉さんの髪、いつもより短くない?髪切った?とは聞けなかった。なんだか、言葉が喉につかえてしまって。それでも違和感は留まるところを知らずに、どんどん大きくなっていく。


そんな少年の不可解な様子に、青年も眉をしかめる。


「どうした?レイ。さっきから様子が変だぞ」


「兄さん…いや、ほんとになんでもなくて、」


でも違う。やはり何かが違っている気がする。兄が好んでつけていた耳飾りが、ない。


カラン。何かが揺れる。


「……?」


ふと何かを感じる。耳の、自分の両耳に何か重みを感じる。まるで耳飾りが、ついているような。

そして気づいた。自分の両耳に、それぞれ赤と、緑の透き通った耳飾りがついている。

これは。


「ああ…そうか」


少年は気づいてしまった。


「これは…夢か」


一瞬で世界が闇に飲まれる。視界が真っ黒に染まる。兄と姉の姿が掻き消え、闇の向こうへと消えていく。


「………」


少年はただ1人、闇の中に取り残された。先程とは違う。背丈も伸びて、髪も地面につきそうなほど伸びている。

少年は静かにそこに佇んでいた。ピクリとも動かない。深い絶望が体を苛んで、動くことができなかった。

そして、ふっと、ゆかが抜ける。

どこまでも続く闇の中、少年は真っ逆さまに落ちていく。


「………」


少年は抵抗することも、もがくこともしなかった。ただ重力に従い、落ちていく。体が宙に浮かぶ。風が体にふきつけ、長い髪がたなびいていた。しかし少年は何も動かない。その顔にはなんの表情も浮かんでいなかった。瞳の中には、ただドロっとした絶望が滲んでいる。

永遠に続くかのような闇が、少年を飲み込んでいった。







少年は静かに目を覚ます。


「………」


何度か瞬きを繰り返す。ぼやけた視界が徐々にはっきりしていき、意識が覚醒していく。少年はぼおっと虚空を眺めたあと、表情の灯らない瞳であたりを見回した。


「………やっぱり、夢か。」


少年の周りには、春が広がっていた。

そよ風に草花が揺れる。花弁が舞散り、花々が咲き誇る。緑の草原が広がり、陽光を反射してキラキラと輝いていた。空には透き通った青空が広がり、暖かな太陽の光が瞬いている。綿菓子のような雲がふわふわと浮かび、風に吹かれて少しずつ流れて行った。

そんな穏やかな陽気のした、少年は佇んでいた。ムクリと上体を起こし、あたりを見回す。視界いっぱいに、どこまでも続く暖かい景色が広がっていた。それに少し霹靂しながら、少年は嘆息する。


「………」


光の灯らない、くらい瞳で景色を見つける。その目には生気が宿っていなかった。どこまでも暗い、血のように赤い瞳が景色を反射する。


そんな少年の様子を不憫に思ったのか。一匹の狼が少年の元によってきた。白い毛並みに、金色の瞳。少年の背丈ぐらい大型のそれは、彼を囲むようにぐるっと横になり、頬に顔を寄せる。鼻先を頬にくっつけて、くぅんと小さく鳴いた。


そんな狼の可愛らしい仕草にクスリと笑い声を漏らして。少年は笑う。


「ごめんね、イヴ。心配させちゃったね」


狼を安心させるように、少年が白い毛並みを撫でる。


「昔の夢を見たんだ。兄さんと、姉さんと一緒にお祭りに行った夢」


狼は何も返さない。少年は白い毛並みに顔を埋めて、ぽつりぽつりと続ける。


「すごく懐かしくて、ほんとに現実かと思っちゃった。バカだよね、そんな事ありえるわけないのに」


自嘲気味に少年は笑う。クゥン。狼が悲しそうに鳴いた。


「ごめん、暗い話になっちゃった。」


ふわり、そよ風が少年の頬を撫でる。


少年は立ち上がる。紫紺の瞳に、透き通った白肌。すっと通った鼻筋に、桜色の鮮やかなくちびる。地面につきそうなほど長い白髪が、春風に揺られた。長い白銀のまつ毛に縁どられた瞳を瞬かせ、少年は遠くを見つめる。その姿は、童話の中に出てくる妖精のように、美しかった。


しかし、それにそぐわないものがひとつ。


ジャラリ。


「………」


少年は己の首のそれに触れる。そこには、銀色に鈍く光る首輪が着いていた。そしてそこに三本の同じく銀色の鎖が繋がれている。


「お散歩でも行く?イヴ。ずっとここにいると、少し退屈だもんね」


「わふっ」


少年は歩き出す。毎回に咲き誇る草原に向かって。

ジャラリ。首につながっている鎖が、鈍い音を立てた。








「母さーん、外遊びに行ってきていい?」


閑静な田舎町。その隅に建てられた一軒家の中。はつらつで、元気そうな少年が母親に声をかける。すると直ぐに奥の部屋から返事が返ってくる。


「いいわよ〜。けど気をつけていくのよ。最近何かと物騒なことが多いから」


「分かってる!!」


少年は家の外へ飛び出す。この田舎町は山奥に存在しており、遊び場が極端に少ない。公園も、遊園地も、何も無い。あるとすれば山か湖くらいだ。そういうわけで少年は今日も元気に外に遊びに行く。家の中でじっとしててもつまらない。勉強はもっとつまらない。どうせなら新しい発見がしたいものだ。そう思って少年は今日も外へ繰り出す。

昨日は湖に遊びに行ったから、今日は山の方に遊びに行こうかな。この間見つけた秘密基地みたいな場所、まだあるといいけど。虫かごを方からかけ、虫取り網を片手に持ち、少年は田舎道を歩いていく。


体感でと10分ほど。トコトコと足を動かしていくと、鬱蒼と木が生い茂る森に到着した。時間はまだお昼をすぎた頃。暖かい木漏れ日が葉の隙間からこぼれ落ちている。少年はフッ、と微笑んでから、歩を進めた。


「さて、今日はどんな発見があるかな〜!」


期待に胸を踊らせながら、少年は森の中に足を踏み入れる。



そして数分後



「うわぁ…ここどこ〜?」


少年は物の見事に迷子になっていた。周囲には生い茂る木々しか見えない。ところどころ気の隙間から陽光が差し込んでいる。それでも全体的に鬱蒼とした雰囲気を醸し出していた。少年は半べそかきながらとぼとぼと歩を進める。


歩いても歩いても、周囲には木しか見えない。地面には落ち葉が降り積もり、ガサガサと音を立てる。それがまた不気味な雰囲気を駆り立てていて、少年はたまらなく家に帰りたくなった。しかし完璧に迷ってしまった今、どの道を行けば帰れるのか、全く見当がつかない。ボロボロと涙を流しながら、少年は鬱蒼とした道を進む。恐怖に駆られながらも、そこでふと、あるものに気づいた。


「……?なにあれ…?」


少年はそれに駆け寄る。それは、四角く彫られた石であった。ツルツルとした、大理石の白い石でできている。純白のそれは、どこか高貴さを感じさせた。その上には金色に光る、魔法陣のようなものが刻まれている。まるで漫画の中に出てくるもののようだ。なんだこれ?不思議に思いながらも、少年はその石にぺたぺたと触れる。こんな山奥にこんなものを作るなんて、一体何の目的で作ったのだろうか?人通りもないだろうに。少年は首を傾げる。


そして、その刹那。


それは起こった。


「!?」


金色の魔法陣がチカチカと発光する。その間隔が短くなったかと思うと、急激に一際眩しく輝いた。


「うわっ!?」


少年は眩しさのあまり両手で目を覆う。それでも魔法陣の輝きは止まらない。まるで太陽のように、激しく瞬いている。

そして次の瞬間。


少年は、不思議な空間に飛ばされていた。



















「……どこ、ここ…?」


少年は事態が上手く呑み込めず、キョロキョロとあたりを見回す。視界一面に広がるのは、息を飲むほど美しい景色だった。

綿菓子のような雲がふわふわと浮かぶ。その上に、暖かい光を発する太陽が浮かんでいた。その光が、柔らかく地上を照らしている。辺りには、新緑を芽吹かせたような芝生が広がっていた。太陽の陽光を反射して、キラキラと輝いている。所々に白い小さな花。青い花。赤い花。色とりどりのそれが芝生を彩る。野生動物や虫がそこら中に散らばらり、生を謳歌していた。少年の隣をうさぎがぴょんぴょんとはなていく。少年はそれを唖然とした様子で見ながら、ゆっくりと立ち上がった。


一体、何が起きたのだ?少年は思う。確か、魔法陣のような不思議な紋様が刻まれている石に触れて。それが急に光ったと思ったら、視界が真っ白になって。気づいた時には、ここにいた。さっきの鬱蒼とした森の中とは違う。まるで桜花の春を詰め込んだような、美しい景色が、眼前に広がっていた。あまりにも壮大な光景に、少年は息を飲む。


とりあえず、ここにいても何も始まらない。一歩、二歩。戸惑いながらも足を踏み出した。ふかりと、柔らかい芝生が足を受け止める。すごい、スポンジみたいにふかふかだ。初めて味わう感触に驚きながら、少年は歩を進める。何がなんだかよく分からないまま。


少年がたどり着いたのは、摩訶不思議な空間であった。キョロキョロと辺りをゆっくり見回す。春を詰め込んだ美しい景色が、円状に広がっている。縁の方には銀色の格子が縦につけられていた。上を仰ぎみる。天井はない。恐ろしいほど美しい青空がどこまでも広がっている。しかし、それを遮るものがひとつ。端に連なっていた銀の格子が、少年のいる真上に重なるように連なっていた。さながら、この不思議な空間そのものが、鳥籠の中であるように。現実離れしたその景色に唖然としながらも、少年はゆっくりと歩を進めていく。


不思議な空間だった。鳥籠のの中のはずなのに、あちらこちらに鳥のさえずりがひびき、花弁が舞い散る。あまりにも幻想的で、美しい景色だった。格子の隙間から暖かい太陽の光が差し込んでくる。ここが天国と言われたら、信じてしまいそうなくらいには、浮世離れした光景だった。


サクリ、サクリ、芝生を踏んで歩いていく。しばらくそうしていると、遠くの方に大きな木を見つけた。


「……なんだ?あれ…?」


少年は目をこらす。それは大きいだけでは到底言い表せない、とてつもなく巨大な木だった。太い、普通の木の何百倍もの太さのどっしりとした幹に、大量の葉があちらこちらに生い茂っている。まるで本物の緑のカーテンか。少年は目を丸くする。木のてっぺんの葉は鳥籠の格子につくぐらいの高さまで生い茂っている。どうやらあの木のちょうど上に端にある銀の格子が集っているようだ。なるほど。あの木がここの空間の中心になっているようだ。少年は予想をたてた。


とりあえず。いつまでもここにいる訳には行かない。出口を、出口を探さなければ。少年は思う。しかし、どうやってここから出ればいいのか、皆目見当もつかない。一番出る手がかりを得られそうなのは、やはりあの巨大な木だ。それ以外に特にめぼしいものはない。どこまで芝生が拡がっているだけだ。格子も太陽の光を鈍く反射しているだけで、非力な自分には到底壊せそうになかった。少年は考える。まずは、あの木に向かってみよう。じっと目をこらす。かすかに、幹の部分に扉が見えるような気がするのだ。幹の中を切りとって作られたような、木の扉。あの中に、何かここから出るためのヒントがあるかもしれない。よし。やってみる価値はありそうだ。

少年は巨大樹に向かって勢いよく走り出す。


少年がいた場所から巨大樹のところまで、かなりの距離があった。思わぬ運動量にゼェハァと息を吐きながら、少年は呼吸を整える。思ったよりも走った。体感では20分ぐらいだろうか。まだ小さい体にとってはかなりの距離があった。

少年は両膝に手を当てながら、巨大樹をみあげる。遠くから見ても大きかったがら、近くから見るとさらに大きい。あまりの大きさに圧倒され、少年はゴクリと唾を飲み込む。どこか神聖な雰囲気を感じさせるそれは、まるで御伽噺に出てくる神樹のようであった。

少年は少し緊張しながらも、巨大樹の幹に設えられた扉に手をかける。両開きの巨大樹に設えられたそれは、少年の何十倍もの高さがあった。なんだか少し緊張する。手の汗を太ももで拭いてから、少年は扉に手をかける。


「……!」


ゆっくりと力をかけて押すと、見かけによらずそれは簡単に動いた。ギギギギ…蝶番が軋む音がして、ゆっくりと扉が開いていく。扉の向こうから暖かい光が差し込んでくる。目の前に飛び込んできた景色に、少年は息を飲む。



















「……え、」




そこは、あまりにも幻想的な場所だった。


円状に広がる部屋。床には金色の刺繍が入れられた真っ赤な絨毯が敷かれていた。円状の端、壁際にはぐりると一面本棚になっている。所狭しと本が敷き詰められていた。色とりどりの背表紙が見える。その上部には嵌め殺しの窓。暖かい陽の光が、木漏れ日のように柔らかく降り注いでいた。天井には宗教画のような、美しく荘厳な絵が描かれている。所々に宝石をちりばめられているようだ。太陽の光を反射し、美しく瞬いている。金色の光がまい踊り、あたりを照らしていた。まるでファンタジーの世界に飛び込んでしまったようだ。


しかし少年が息を飲んだのはそこではない。


本棚に囲まれた、図書館のような不思議な空間。その中心に佇む、その姿。


少年は唖然とした。開いた口が塞がらない。1ミリたりとも体を動かせないまま、少年は静止していた。それぐらい、目の前の光景に飲まれてしまって。


その人は、静かにそこに佇んでいた。男なのか、女なのかは分からない。ただ、太陽の光を反射して輝く、銀色の、絹のような、髪。一本一本の毛がサラサラと流れ、肩口に垂れる。まるで絹を編んでできたようなそれは、床につくほどに長い。床にふわりと散らばった髪が、まるで花の花弁のように広がっていた。両の瞳は、透き通るような紫紺。煌めくそれはまるで夜空に輝く星星を閉じ込めたよう。しかし、奥には隠しきれない憂いが浮かんでいる。それらの対比がなんとも美しく、荘厳で、神秘的な雰囲気を醸し出していて。その人はまるで熟練の職人が一生をかけて作ったような、素晴らしいギリシア彫刻のようだ。まるで白雪のように白く儚い肌、すっと通った鼻筋。桜色の唇。そのどれもが言葉に表せないほどの美しさを孕んでいた。

仲がいいのだろうか。そばに寄り添う狼の毛並みを静かに、愛おしむように撫でている。狼はその人をぐるっと囲むように居座りながら、鼻先をその人の頬に寄せていた。そこに窓から木漏れ日のように日が差し込んでいる。まるで宗教画のように、美しく、幻想的な光景がそこにはあった。


「わぁ…すごい、キレイ…」


ぽそりと、声がこぼれる。それが聞こえたのだろう。狼を撫でていたその人がこちらを振り返った。ゆっくりと銀色のまつ毛に縁どりた瞼が動く。パチパチとしばらく瞬きを繰り返したから。その人は驚いたように目を丸くした。


「あっ、えっ、えっ…。にんげん?!こ、こんなところに!?!」


少し高いテノールの声。心地のいい声が少年の耳を通り抜ける。


その人は驚いたように目を丸くする。後退りしようとして、腰が抜けたのか。その場にぼすんと座り込んだ。反動で白銀の髪が一筋垂れる。


「えっ、えっ、えっ…な、なんでこんなところに…」


怯えたように、狼の白い毛並みに顔を埋めながら、その人はつぶやく。かき消されてしまいそうなほどか細い声であった。

狼はそんな主人の姿を心配したのか。気遣わしげに鼻先を寄せている。


少年は圧倒されながらも、すぐに我を取り戻した。言葉につまりながらも、声を発する。


「あ、あの…」


「わ、わぁ!しゃ、喋ったよイヴ!あのこしゃ、喋った!」


「そりゃ喋りますよ!僕だって人間ですから!」


「あ、う、うん。そうだよね、ごめん…」


その人がしゅん…と縮こまる。なんだかか弱い女の子をいじめている気分だ。コホン、と咳払いをしてから、少年は尋ねる。


「えっと…聞きたいことは色々あるんですけど…あの、まず。あなた、誰?」


「だ、誰って言われても…。と、とりあえず名前かな?な、名前、は」


ところどころ吃りながらもその人は言う。やがておもむろに口を開いた。


「僕の名前は…レイ。レイ・ハーヴェスト。フルネームだと長いから…。レ、レイでいいよ。えっと、よ、よろしく?」


「あ、はい。よ、よろしくお願いします?」


勢いで挨拶を交わす。二人の間に気まずい沈黙が流れた。にしても、レイ・ハーヴェストか。ファミリーネームがある。ということは、貴族かそれに近しい上流階級の出か。少年は心中で考える。しかし…何だこの謎な状況?少年は内心ややげんなりしながら思う。

森の奥に迷い込んだら変な魔法陣に飛ばされて、ここに来て。木の幹にある巨大な扉を開いたら、その先にこの少年がいた。ファミリーネームがあるはずだから、そこそこいいとこの出であるはずだが。その割には少しキョドりすぎなような気がする。…この人一体何者だ?

そうこう考えているうちに、その人、(一人称が僕だから、おそらく男だろう)がオドオドと声をかけてきた。


「あ、あの…その。失礼でなければ、あなたの、お名前…。聞いても、いいですか?」


「あ、うん。そう、だね」


少年は不思議な気分になった。普段街の同年代や年下の子と遊ぶ時はこんなにも緊張しない。でもこの少年と対峙するとどうだろう。妙な胸騒ぎを覚えるというか。落ち着かないというか。なんというか、ソワソワするのだ。それが少年は不思議で仕方なかった。

もしかしたら、この少年が放つ神秘的な雰囲気ゆえか。少年は思った。


「俺の名前はキースヴィアラ。ファミリーネームはないんだ。平民の出だから。…キースヴィアラだと長いし、ヴィアラでいいよ。年は今年で16。普段は親の呉服店の仕事、手伝ってる。」


「あ、そ、そうなんだ。えっと…す、すごいね、お仕事、してるんだ」


「い、いやぁ…。そんな大したことないよ。親の仕事少し手伝ってるだけだし。」


「そ、そうなの?それでも立派だと思うよ…?まだ子供なのに、す、すごいね」


僕も見習わないとなぁ…。少年が狼を撫でながらぽそりとつぶやく。

その間に少年は目の前の少年(?)を観察する。


全体的に、女のような、儚く華奢な雰囲気を持つ少年だった。白銀の髪が床にふわりと広がっている。それがまるで芸術作品のように美しかった。若干タレ目のせいであろうか。気弱そうに見える。座り込んでいるので正確な背丈は分からないが、自分よりも少し小さいぐらいだろうか。年は自分より少ししたくらい…15、6ぐらいだろう。それにしても細い。白いワンピースを纏っているせいもあってか、本当に女性のように見える。袖から見える手足も、女性のように華奢で細い。触れたら折れてしまいそうだ。


そして。


その少年の首元には。


一際目を引く銀色の首輪がつけられていた。太い金属で作られたようなそれは、数本の銀色の鎖で繋がれていた。それがこの円状の空間の四方に広がっている。


「………」


少年は戸惑いながらも、勇気を振り絞って尋ねてみることにした。


「えっと、その、レイ、さん?ひとつ聞いてもいいですか?」


「え、あ、うん。な、なに?」


レイが戸惑いながらも返事をする。

ヴィアラはおずおずと尋ねた。


「その、首についてる首輪って言うのかな。それは…なに?」


「あ、…こ、これ?」


レイが自分の首元に触れる。ジャラジャラの耳障りな鎖の音が響いた。


「えっと…僕、ここに閉じ込められて…いる、のかな。うん。多分、そうだと思うんだけど。…ここにね、連れてこられた日に、つけられたんだ。取ろうとしたけど…。これ頑丈で、取れなくて。」


少年の紫紺の瞳に仄暗いあかりが灯る。そのままレイは、まっすぐにヴィオラを見つめた。


「これね…自分じゃ取れないけど。ひょっとしたら君なら、取れたりしない?」


「ぼ、僕ですか?」


ヴィアラは驚いて自分を指さす。目を丸くしながらも、じっとレイの首元の首輪を見つめた。金属のような頑丈なものでできているのだろう。鈍い輝きを放っている。鎖がレイの動きに合わせて、ジャラジャラと音をたてた。レイが鎖のひとつを引っ張る。


「これがあるせいでね、ぼく…ここの中から出られないんだ。こ、このね、部屋の外の木のまわりくらいまでなら行けるんだけど。それ以上は進めないんだ…こ、この鎖が邪魔して…。これ、すごく重いし、取ってくれたら、た、助かるなぁなんて思うんだけど、ど、どうかな?」


「それは…できるか分かりませんけど…」


でもこんなところで閉じ込められているなんて、この少年、いかにも怪しい。得体の知れない不気味さを感じる。だいたい会ったばかりの初対面の人間をいきなり解放するなんて。もしかしたらとんでもない大罪人なんて可能性もある。気弱そうな見た目とは裏腹に。人は見た目では判断できないと、母さんが口酸っぱく言っているのだ。

ヴィアラは意を決して尋ねる。


「あの…レイさん、は。もしかして悪い人なんですか?」


「は、はへぇ…?」


キョトンと。レイは不思議そうに子首を傾げる。そして問われたその意味を理解したのか。勢いよくブンブンと、首を横に降った。


「ち、違うよ!その、悪いことなんてしたこともないし、まっとうに生きてきたよ…。あ、でも……そうかな…」


言葉につまり、悲しげに目を伏せる。


「うん、そうだね…悪い人、かもしれない。ぼく。呪いの子って言われたから。だから…。うん。僕、悪い人だよ。たぶん…。」


「それなら…あなたの拘束、とく訳にはいきませんけど……」


「だ、だよね…。う、うん。急に変なこと頼んじゃってご、ごめん…。えっと、うん。ぼ、僕はこのままで、全然、大丈夫だから」


狼の白い毛並みに頬を寄せて、うずくまる。タレ目の目がそっと伏せられ、紫紺の宝石を隠した。首に繋がる鎖にそっと触れる。それがなんだから、たまらなく悲しく思えて。気づいたらヴィアラは口を開いていた。


「でも…たまにここに来て、あなたとお話するくらいなら、できますよ。それで…あなたがいい人だって、僕が判断したら、その鎖、といてあげます。…だから、そんな悲しい顔しないで」


「ほ、ほんとにいいの?」


「は、はい…。約束しますよ」


レイは顔を上げる。曇った瞳に、一筋の光が宿っていた。その瞳を見つめ返し、ヴィアラは彼に約束する。意志のこもったひとみで。

自分が何も言ったのか、ヴィアラにはよく分からなかった。普段は割と理性的な考えの元行動している自負があったが、今回は違った。こんな得体のしれない少年と関わるなんて、間違っている。頭では分かっていた。このまま放って、帰ってしまえばいいと。きっと家族も自分のことを心配している。だから、こんな少年、見捨ててしまえばいいのに。

そうわかっていたのに。ヴィアラはその少年を放って置くことが出来なかった。胸に何か、取っ掛りがある。まるで喉に刺さった小骨のようにヴィアラの心に刺さっているのだ。それが気になってしまって。ヴィアラにはこのか細い少年を放っておくことは出来なかった。

理論では説明できない、強い感情と言うものを、ヴィアラはこの時初めて感じた。


「…とりあえず。また来るよ。レイ。これから…よろしくね。」


「あ、う、うん。よろしく。」


手を差し伸べる。レイはおずおずとその手をとった。2人はかたい握手をする。


こうしてふたりの少年は、不思議な出会いを交わしたのだった。

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