九、妹

9-1攻防

 ──尾ける者がいる。


 寄り添うようなさりげなさで、燈吾は耳元に囁いた。

〈白木の屋形〉の門をくぐったすぐ後だった。里人が見張りに立っているかと身構えていたが、焼け落ちたり、打ち壊されたりした屋形は閑散としていた。勢いのわりに、火は早く消し止められたのか、被害は思ったよりも少ない。

 安是人が襲撃を目論んでいるのか──目で問えば、燈吾は首を横に振った。


「只人にしては、達者に過ぎる。ずっと気配は感じていた。気のせいかとも思ったが、お前の話を聞いて合点がいった。多分、俺の同郷、兄弟たちだ」

「……兄弟?」


 咄嗟、思い浮かんだのは、水飴を等分したという燈吾の昔語りだった。こちらの思考を読んだのか、燈吾は苦笑含みに続ける。そちらではない、と。

 思い当たり、息を呑む。同郷、同胞はらから、兄弟――〈寒田の兄〉。 

 本当に〈寒田の兄〉かどうかはわからない。だが、後を尾けているなら、こちらに含むところがある。

 〈白木の屋形〉の広い庭を駆け抜ける中、燈吾に具合は良いのかと訊ねれば、まあまあだと軽くいなしてくる。その強がりが信じられるわけではないが、何かしてやれるわけでもない。

 何故、〈寒田の兄〉が自分たちを追うのか。その理由にはすぐ思い至る。〈妹の力〉の支配を受けながら、燈吾が、寒田が憎むべき安是女と共にいるから。

 だとしたら、妹姫の意に反する行動をとっているからこそ、支配を受けた燈吾は不調に陥っているのかもしれない。

 暗紫紅の炎に呑まれ、灼き尽くされた黄金の稲田――刹那、脳裏に結ばれた画に、立ち竦みそうになった。自分の手を引いて前を走る夫に、そっちに行っては駄目だと叫びそうになる。否、本当に切り離すべきは……


 心の声が漏れ出たわけではないだろうが。突如、燈吾は腕をぐいり引き、かすみを横抱きにして地面へと倒れ込んだ。湿った草と土、そして焦げた匂いが奇妙に入り交じって鼻を突く。

 倒される瞬間、天に白尾を曳く流星が目に灼き付いた。だが、木々が梢を伸ばし、葉を茂らせ、空は覆い隠されている。そもそも雲が出てきていたはず。ならば。

 燈吾は振り返りもせず、山刀をくうへと突き立て、金属が擦れ打つ音が鳴り響く。間髪置かず身を起こし、山刀を掬い上げ、再び金音が吼えた。そこで燈吾がかすみを襲ってきた誰かと打ち合ったのだと気付く。

 燈吾は〈白木の屋形〉にかすみを迎えに来た二度、いずれも鬼神のごとき強さを奮った。だが、今は本調子ではなく、相対するのが同じく〈寒田の兄〉ならば。


「燈吾!」


 夫の背に白い奔流が襲い来る。なれど、叫びは凶刃を押し止めるにはあまりに無力だった。

 燈吾は地面を転がり、刃を避ける。

 襲ってきたのは、男――一見して、ただの大柄な里男であったが、尋常ではない力だ。かすみにまで刃の風圧が届き、地面に落ちていた大ぶりな石をも割り砕く。巨人の力に、疾風の身のこなし、そして体躯に纏い付かせた蛍火が男の出自を語る――〈寒田の兄〉。

 大男は自身の打ち下ろす勢いにより、屈み込む姿勢となる。それは隙であり好機だった。燈吾が立ち上がって回り込み、斬り伏せば、雌雄を決する。だが燈吾は動かない。何故──

 自分だ。間に倒れたままの自分がいるから。大男が打つが速いか、燈吾が斬るが速いか、迷ったから。

 大男は再び刃を振り下ろし、燈吾は山刀で迎え打ち、交わる。

 だが、体格の差もあり、振り下ろされる力の方が重い。燈吾はわずかに押されていた。

 どうすれば――かすみは懐の硬い塊に手を当てる。

 二人の〈寒田の兄〉らの動きは神速、加勢できるものではなく、下手に手を出せば燈吾の邪魔となる。

 今更思い当たるが、安是人の警護が不在なのもこの大男のわざか。たった一人で、安是人を無力化したのか。ふいに浮かんだ可能性に身を強張らせた。そも、自分たちを尾け狙う〈寒田の兄〉は一人だけなのか。燈吾は〝兄弟たち〟と言ってはなかったか。

 大男の頭上、遥か木立の向こうで仄白い火影が揺らいだような。

 燈吾が大男の刃を逸らしたのはその時だった。体格は違うが、力の差が明確にあるわけではなく、加えて燈吾は身が軽い。正面切れば、夫が負けるはずない――背後に守るものが無くば。


 闇をつんざく銃声に、さしもの〈寒田の兄〉らも、刹那動きを止めた。


 握り締めた黒金から煙が棚引く。両の腕を天へ突き、身は無防備に反り返る。戦場いくさばではありえない間抜けな姿であろう、まして女だ。けれどかすみは夫の無事に安堵すると同時に、寒田男二人の気を引いたことに満足を覚えた。

 戸惑いの色を浮かべる燈吾と視線を結ぶ。許された交情は短い。風に乱された赤黒の蓬髪が邪魔をするが、それでも心中、語りかける。傍にいると誓ったのはつい先刻。夫の泣き顔が過ぎる。


 ――だけど、愛している。全身全霊、思いの丈を込め、ただ一言。


「……、紅葉の大木」


 告げて、湿った地面を蹴り、駆け出した。

 比翼連理。常に一体で飛ぶ鳥となり、空を自由に謳歌する〝比翼〟でありたいと夫は言った。だが実情は異なり、互いが互いを雁字搦めにして喰い合っている。

 二度と離れたくない、傍にいて、別れるならば死んだ方がまし。

 それは甘い誘惑だった。縋ったなら、追いかけられたなら、こんな楽なことはない。なれど、佐合に組み敷かれ、青白の蛍火が遠ざかり、絶望したあの時、悟ったのだ。かすのみでありながら、極上の夫と添い遂げようとするなら強さがいると。独りで生き抜く強さは最低限、燈吾の呪いを解放するというのなら二人分のつよさ、他を出し抜く狡知、時に切り捨てる非情さも。

 へばってはならない。取り戻す。これ以上侵されてたまるか。

 燈吾は手練れだ。だが、相手が安是人ならいざ知らず、自分を庇いながら〈寒田の兄〉と討ち合うのは手に余ろう。だったら、一度は離れ、なおかつ他の〈寒田の兄〉を引きつけておく。その間に燈吾には大男を倒させ、自分を追うであろう別の〈寒田の兄〉も仕留めてもらう。

 もちろん、燈吾が三度の不調に陥る可能性もある。調子が良くとも、一対一ならば勝てるという保証はない。畢竟、己の望みを都合良く並べ立てたまで。


 でも、燈吾。斬り伏してやる、と。お前の幸いを邪魔立てする一切を、俺が、と。言ってくれたでしょう。なら、実現してみせて、私に見せて、暗紫紅の炎にも勝るとも劣らぬ証を。


 小狡い言質の取り方だ。とんでもないことを約束したと、今頃、苦笑しているかもしれない。でも為し遂げて、迎えに来て、紅葉の巨樹で待っている。宴の晩、あんたが安是人の腕を斬り落とし、下界を見下ろしていたあの巨木で。それまでは何があっても生き抜いてみせる。死んでも生きる。

 巨大な暗紫紅の火球となり、〈白木の屋形〉の木立を走り抜ける。短筒を握り締めているのはこちらだが、まとはむしろかすみ自身だ。

 愚かな、愚かな、愚かな、木々のざわめきがこだまする。そう、出自からして愚か、堂に入っているでしょう、とくと見ればいい、嗤えばいい、今は未だ。

 振り返れば、木々の影の間を縫い、青白と紅色の蛍火が競うように明滅していた。生木を割かれる思いで前を向く。走って走って走って――


 喰われた、と思った。

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