6-5暴発

 爆発したかのような叫びと同時に、背後の家屋から赤光が迸った。

 赤く透き通り、生き物じみてうねる炎。雨雲を炙り舞う真っ赤な火の粉。いや、炎ではない。火よりなお赤く鮮烈な光。十年前、見たそのままの。ならば、中にいるのは。

 乱暴に腕を引かれ、


「得物は持っておろうな!」


 勢いに気圧され、頷いてしまう。嫗は里男らに川慈を任せてできるだけ離れよと命じ、赤光立ち昇る屋内へとかすみを引き込もうとする。

 行くわけがない。けれど足を止めれば、白糸に絡まれるようで恐ろしい。抗えず、開け放たれた戸から屋内へと入り込む。

 たたらを踏み、つんのめりそうになるのを堪えた。てん、てん、と自身から滴った雨だれが土間に染みをつくる。だが奇妙にも染みは土間の先まで落ちていた。まだ足を踏み入れておらず、道先案内のように。その背後で、戸が閉まる音がする。

 赤光は鎮まり、灯明はあるものの薄暗い。前のめりになった身体を引き上げる。そうして見えたのは、佇んだ女の後ろ背だった。

 ちょうど土間の対角線上に女は背を向けて立っていた。小肥りの体躯。川慈の妻、佐和だ。安堵の息が漏れる。立っていられるなら心配なかろう。犬も喰わない夫婦喧嘩でもしたのか、人騒がせな。

 けれど、と奇妙に思う。佐和の頭の位置が高い。もっと小柄な女だったはず。顎をそらし気味にして、四肢と髪をだらりと垂らしている。見たままを信ずるならば、その足が土間を離れていた。

 どうして。咄嗟、梁を見上げ紐か縄でも垂れ下がっていないか確認するが虚空のみ。後ろから――背をこちらに向けているのだから、佐和にしてみれば正面から――何かに支えられている。

 何か、いる。今更ながら、室内に澱む生臭さに気付かされた。

 途方に暮れ、逡巡し、意味なく名を呼んでしまう。


「……佐和?」


 首を括っているのではないかという想像は、ある意味正しかった。佐和は何かに抱え上げられている。でなければ浮いている道理が立たない。

 かすみからは、佐和に隠れて姿が見えない。佐和よりも細身の……誰か。彼女がどこで支えられているのかわからない。けれど揺れる身から、その誰かがむんずと首を掴み、持ち上げている、なんて……

 彼女の背に垂れた長い髪が蠢く。濡れているのか、重たげな髪を掻き分け、白い腕が伸ばされる。

 佐和の腹にはうろが穿たれていた。喩えではなく、言葉そのままに。


  ――腹があいた。


 赤黒い粘液、皮膚にぶらさがった肉片、はみ出た臓物。それらを、暖簾でもひょいとくぐるようにして。


  ――目があった。


 青鈍に輝く一つ眼がのぞく。


  ――わらっていた。 


 そのまなこが、三日月の弧を描いた。

 川慈は間違っていなかった。

 佐和の後ろの何かは、笑っていた。獲物を掲げ、腹に空いた穴から覗き込み、嗤っていた。明瞭に、自分に向けて。

 穴が空いている。その部分を埋めていた血肉は、どこへ消えたのか。生臭さとくっちゃくっちゃ粘質な音が示すのは。

 青鈍のまなこへ隠し持っていた短筒を両手で向ける。歯の根が合わず、指先は震え、気を抜けば失禁しそうな恐怖を押さえ付けて。

 小色には偽物おもちゃだと告げたが、もちろん玩具であるはずがない。玩具は本物の用を為さないが、本物は玩具の用を為す。ならば本物のほうが有用だ。 

 撃鉄を起こし引き金を引いた。そのあまりの爆音に目を閉じ、衝撃に銃口が上向いてしまう。当たったのか、まったくわからず、目を開ければ薄い煙がたなびき、彼岸では変わらず佐和がだらると突っ立っていた。もう一度二度と発砲すれば、佐和の身体が撥ねる。

 腹穴から青眼が覗く。佐和の髪を掻き分けている腕とは反対の手が、涙袋のあたりを軽く叩いた。ここを狙えと誘うように。

 自ら銃口を導くなど、道理に合わない話だった。


「……阿古?」


 返答の代わりに、ねっちゃねっちゃという音が聞こえてきた。

 人が人を喰らう。そんなことあるのか。いや、最早人ではないオクルイ。

 もう一度短筒を構え、阿古が喰い漁った空洞へと狙いを定める。穴は小さくなく、距離は隔たっているわけでもない。だが緊張と恐怖で銃口がぶれる。

 と、佐和の身体が向かって右へと動いた。偶然か、ずっと狙いやすくなる。

 引き金を引けば当たる。楔が抜ける。呪いが解ける。ケリがつく。そう予感した。同時に逡巡したのは、身勝手さへの怒りでも、母娘の情でもない。違和感、つまりは嗅覚だった。

 ふいに視線の先、土間の奥、つまりは居間に繊月が昇るのが見えた。それはどんどん膨らみ、満ちる。

 裏戸から入ったのだろう、芳野嫗が驚くべき疾走を見せる。老女の身体にあまりに不釣り合いな手斧を振り上げて。

 と、かすみに向かって佐和が飛び掛かってきた。否、阿古が佐和を投げつけてきたのだ。避けきれず足をとられてしまう。けれど瞬間、背後の二人に何が起きたかは見て取れた。阿古の頭蓋に手斧を撃ち下ろそうとした芳野嫗の懐に阿古が入り込み、首の根元に喰らい付いたのだ。

 飛び散る血に、喰い千切られた肉に苦悶の声をあげながらも、なれど嫗は叫んだ。


「撃てぇ、かすのみ!」


 反応できたのは、お膳立てがされていたからか。佐和が投げつけられたものの依然として銃把は手放さなかった。

 四発目にして、阿古を撃ち抜く。奇しくも、右肩上、嫗の傷とほとんど同じ箇所を。


「とどめをさせ、早く、疾く!」


 だが、とどめというには、あまりに阿古は平然としていた。撃たれ、血を流し、あの異様な縞着物を鮮血に染めていたものの、傷を押さえることもなく、蚊に刺されたぐらいの様相だった。

 喚く嫗に阿古はにたり嗤い、咥えていた肉片をべっと嫗の顔に吐き出す。そのあまりの返礼に、一気に血が昇り下がったのか、嫗はくっと一声漏らすと気を失った。


 ――嫗、どうした、無事か!


 里男の声と足音が聞こえてくる。銃声に驚き、一人が戻ってきたのだろう。

 こちらを見下ろす阿古と視線が絡む。佐合の家でかすみを助けた。そして今度はかすみに撃たせた・・・・


「……あんたは、狂女オクルイなの?」


 保身のため山姫をくだらせようとして、山姫の不興を買い、〝オクルイ〟となった。嫗はそう言っていた。

 狂女が、狂女であると認識しているわけがない。それでも問わずにいられなかった。

 意味がある行動だったのかわからない。だが、問い掛けに阿古はふらりと手を上げた。そして長い爪で、かすみの胸元を指差す。


「……私、?」


 我が意を得たり――そんな意図があったかわからねど。女は限界まで笑みを深めたように思われた。そして、爆発したかのように笑い出す。呆気にとられた。


「芳野嫗!」 


 土間を開けて飛び込んできた里男は、惨状に悲鳴をあげた。その脇を猫がするり戸の隙間を抜け出るように、阿古は嵐の夜へ踏み出す。

 山へ還る。引き止められない。引き止めたくもなかった。でも。

 里男は佐和と嫗の脇に屈み込み、かすみは湿った土間にへたり込んだまま夜闇を見つめる。

 風切り音か、狂女の哄笑か、甲高く不快な音が耳奥にこびりつき、いつまでも剥がれなかった。

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