ひまわりとの約束

大枝 岳志

ひまわりとの約束 

 恒子はその夏、ささやかな楽しみを夏の庭に見出していた。卓球婦人会の仲間に勧められて育て始めた「ミニひまわり」の花壇に芽吹く小さな息吹が並ぶのを見て、夏の下で喜びの笑みをたまらずに漏らした。


「どの子も夏に負けないで、可愛く育ってねぇ」


 愛しさを込め、ジョウロで水をやっていると、小学生達が小走りになってこちらへ向かう音が聞こえて来る。

 恒子の家には夏の暑い日にると庭先に小学生の列が出来るのが恒例であった。

 小学生達は学校の帰り道、通り傍に建つ恒子の家に水を求めて押し寄せるのだ。

 庭先にある蛇口から延々と水が流れ、早く、早くと急かす声があちこちから漏れ聞こえて来る。

 その様子を恒子は微笑ましく眺めるのが日常で、小学生達が蛇口から一生懸命に水を飲む光景は最早夏の風物詩といっても過言ではなかった。


 坊主頭の健介が蛇口から顔をあげ、先に水を飲み終えた仲間に声を掛ける。


「ここのおばちゃん超優しくてラッキーだよな。この前さぁ、駅のところに住んでるジジイに水下さいって言ったら怒られたんだぜ。マジ、最悪」

「あんな変なジジイはどうせ長生きしないよ。本当性格悪いよなぁ〜」


 そんな会話に恒子は小さく肩をすくめてみせる。確かに、駅前に住む変わり者の老人は子供嫌いで有名だった。杖で子供達を本気で追い掛け回す奇行の噂も耳にしていた。

 そう、この世の中にはどうしようもない人がうんざりするほどいるのよ。

 そう言葉に仕掛けた矢先、少年達の太陽のように輝かしい笑顔を見て言葉にするのは止めた。

 世の中をまだ知らぬ子供達にわざわざそんなことを伝える必要はなし。毎日元気に楽しく過ごしてくれたらそれで良いと自分に言い聞かせ、ジョウロでミニひまわりに水をやりながら夏の光景を眺めていたのであった。


 ミニひまわりがすくすくと首を伸ばし、満開の花を咲かせるとそれは嫌でも小学生達の興味をそそった。

 ひまわりなのに「小さい」という点が彼らの目を驚かせた。夏盛りの空の下、小さく揺れるひまわりを前に腰を下ろした子供達がはしゃいだ声を響かせている。


「すっげぇー、ひまわりなのにちっちぇの!」

「これっておばちゃんが育てたんだよね!?」


 その質問に恒子は満面の笑みを浮かべ、首を縦に振る。すると子供達はさらに盛り上がり、「魔法使いみたい」「おばちゃんスモールライト持ってる?」と愉しげな声を向け始める。

 手塩を掛けて育てたミニひまわりが褒められたことで恒子は浮足だった気分になり、台所にあった菓子などを気前よく子供達に配り始めた。

 ありがとう、と礼を言って去って行く子供達を見送り家の中へ戻ると、今は亡き夫の遺影に「褒められちゃった」と語り掛けた。

 その日、恒子はひまわり乗って夏の空を飛び回る夢を見た。とても楽しく、愉快な気分で目が覚めた。

 そして、事件が起きていた。


 昨日の夕方まで愉しげに咲いていたミニひまわり達は踏み荒らされ、見るも無惨な姿となって辺りに散らばっていたのであった。

 満開の花は首ごと千切られ、庭の隅へ放り捨てられていた。庭先を見ると所々小さな足跡が出来ており、小学生達の仕業だとすぐに勘付いた。

 恒子は小学生達に裏切られたこと、そして手塩を掛けて育てたひまわり達の死に涙を流した。

 その場に項垂れ、おいおいメソメソと、疲労困憊、狼狽した老婆は枯れ果てたはずの涙汁を流し続けた。

 そこへ、杖をついた一人の老人が声を掛けて来た。

 恒子が振り返ると、そこに立っていたのは駅前に住む「変人」として有名なあの老人であった。

 如何にも人嫌い、といった細い目を恒子へ向けていた。


「クソガキ共にやられたんだろう。そら、見たことか。しばらく前からここでガキ共が行列を作ってるから、気にしていたんだがな」

「こんな……こんなひどいこと、誰が……」

「あのガキ共に決まってる。いいか? ガキは雑草と同じだ。何年経っても、駆除しても、代を替えて次から次へと悪さをする連中がやって来る」

「そんな、そんなの一部の子供だけでしょう!?」

「違う! ガキは周りに悪意を感染させるんだ! だから治安が悪くなる。ふざけてやっていいこと、悪いことの見境がなくなる。あれはサル病だ。人が人でなくなり、言葉も通じなくなる。人の悪意の根幹だ」

「…………」

「これをやる。好きに使え」


 そう言って、老人は一本の瓶を恒子に手渡して去って行った。


 その晩、恒子は夢の中でバラバラになったひまわりを掻き集め、糸と針で紡ぐ夢を見た。つぎはぎだらけのひまわり達が頭を下げ、恒子に「ありがとう」と礼を言うと、恒子の目から涙が溢れ出た。

 ひまわり達は恒子に顔が割れた満開の花弁を寄せ、最期の頼み事を託した。その直後に再びバラバラになり、闇の中へと消えて行った。


 起きたら、泣いていた。悲しみと憎しみと共に目覚めた恒子は、夢の中でつぎはぎだらけのひまわり達とある約束を交わしていた。

 テレビも点けずに味のない朝食を終えた恒子は、老人から手渡された瓶を手にして外へ出た。

 カンカンに照った陽射しが恒子の肌を灼いたが、自分の怒りの熱と比べれば夏の陽射しなど屁みたいなものだと心の中で毒吐き、唇の片端を上げ、炎天下に一人で笑みを浮かべていた


 その日の午後も、小学生達はいつもと変わらぬ様子で恒子の家に水を求めてやって来た。

 いつもならば「水、下さーい!」と言われたら笑顔で頷く恒子であったが、その日は違った。

 先頭を切って「水、下さーい!」と叫んだ坊主頭の健介をジッと見下ろすと、こう尋ねた。


「いいけど、靴の裏を見せなさい」


 真顔の恒子に健介は若干の恐怖を感じたが、意味が分からぬまま靴の裏を見せると、恒子はまじまじと顔を近付けて健介の足の裏を舐め回すように眺め始めた。散々見た挙句、汚い舌打ちを漏らすと、蛇口を指差して「次」と後ろに並んでいた小学生に声を掛けた。

 そうやって列に並ぶ小学生達全員の足の裏を眺め終えた恒子は、忌々しげに大きな溜息を吐いた。

 その姿を見た健介が少し怯えた様子で、恒子の方を向いて上目遣いになる。


「おばちゃん、何か……あったの?」


 そう尋ねられた恒子はエプロンから二十数年ぶりに再開した紙煙草を取り出し、火を点けると同時に咥え煙草で吐き捨てた。


「最近のガキは嘘まで吐くようになったのかい! まーったく……いっつも水、水、水! 水だってねぇ、タダじゃないんだよ! あんたらの貧乏ったらしいツラ見てると吐気を催して反吐が出るよ! 一体誰なんだい、靴を履き替えて登校してるヤツは。え? おまえか? それとも、おまえか? おい、ガキ。答えろ!」


 突然指を差された小学生達は互いに目配せをし合い、蜘蛛の子を散らすようにして去って行った。恒子の変わりようも、指を差される理由もまるで心当たりがなく、ただただ恒子が不気味で恐ろしかったのである。小学生達が去った後も、その場に残った恒子は一人で毒吐き続けていた。


 その晩、家に帰った小学生達は複数人が腹痛を訴え、救急車で運ばれる事態になった。

 幸い大した症状には至らず、学校側は給食が当たったのだろうとの見解を示した。結局、真相は藪の中から顔を現すことは決してなかった。


 次の年の夏も、何も知らない小学生達が恒子の家の前で蛇口を見つけ、立ち止まった。

 せーの、と声を揃え、


「水、下さーい!」


 と叫ぶや否や、ざんばら髪の老婆が勢いよく軒先から姿を現した。老婆はまるでこの世の全てを怨んでいるような真っ赤な目を見開きながら、小学生達を見下ろしてこう尋ねた。


「いいけど、靴の裏見せなさい」


 小学生達は互いに目配せし合いながら、ゆっくり静かに頷いた。

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