第12話 嫉妬

 占ってほしいと言っている。妙に高い特徴ある声はよく通り、別室にいても全て聞こえる。莉蘭らは襖のこちら側で顔を見合わせた。

 彼女はすぐ、付きの侍女らと共に中に通されていた。莉蘭たちがいる賓客が過ごす私的な領域のすぐ横の、謁見の場の上座に入ったようだ。

 挨拶のあと黄綺は、まるで隣室に莉蘭がいるのを察したように声を張り上げた。

「ここに図々しく留まっておる女もおるだろう。そやつも同席させよ」

 莉蘭は襖の向こうを見た。卓に置いていた手が動き、爪があたって微かな音を立てた。

「果たして、どなたでございましょう」

 クロネコは慎重な声で問うた。

「莉蘭とかいう先日下賜された女じゃ」

 すぐに藍連殿の侍女が莉蘭を迎えに来た。莉蘭が侍女に連れられ謁見の場に入ったおり、姉は上座でふんぞり返っていた。

 莉蘭は彼女の妹ではあるがもう皇女ではない。よってわきまえ、クロネコよりさらに後方で叩頭した。

「参上致しました」

 しかし呼んだというのに黄綺はそれ以上莉蘭に口を挟ませず、無視したままクロネコに話しかけた。

「占ってほしいのだ。わたくしはどんな殿方と結ばれるかの」

 莉蘭の姉は浮ついているような不安なような、彼女らしからぬ曖昧な感情で問いかけている。莉蘭は意外に思った。彼女が占いに頼るような人物と思わなかった。しかも将来の伴侶のことを聞くなど。そこでふと、一昨年に嫁いだ一番上の姉のことを思い出した。莉蘭も黄綺も、当時の姉の歳と同じになっている。自分はともかく、黄綺は太い実家があるにも関わらず、嫁ぐ気配さえない。父も無関心らしい。姉なりに焦っていてもおかしくはないと、莉蘭は初めて姉に少し同情した。

「そうですね」

 ややあってクロネコは話し始めた。

「楚より西の方向、礫砂漠を越えた向こうに大国があります。殿下は近いうち、そこから外遊で楚に訪れていた皇子様と運命的な出会いをされるでしょう」

「……まあ!」

「見初められ是非妻にと所望され、嫁がれ、二人の見目麗しい男児と一人の美しい女児を授かるようです」

「まあ、まあ……」

 黄綺の浮かれた声に、莉蘭は苦笑しそうになるのをなんとか堪えた。

「なんてわたくしにぴったりの未来かしら……素敵だわ」

「相応しき生涯を歩まれるでしょう」

「そうでしょう、そうでしょうとも」

 そこで少し沈黙があった。次いで黄綺が鼻で笑ったような呼気があった。

「そなたにもう一人占ってほしい者がおる」

「拙の知っている方でしょうか」

「よく知っておる者じゃ。その後方におる莉蘭とかいう厚顔な女がどうなるのか占ってくれ」

 唐突に己の名が出て、莉蘭はがばりと顔を上げた。黄綺と目が合う。

「無礼者が。誰が顔を上げてよいと言った」

「私のことなど占って下さらずとも結構」

「黙れ、卑しい身分の女がわたくしに直に話しかけるでない!」

 顔を歪ませて莉蘭を怒鳴ったあと、黄綺はうって変わった猫撫で声でクロネコに話しかけた。

「こやつはどうなる。どんな人生を歩む?」

 また沈黙が流れた。

「そうですね」

 また、クロネコはそこから始めた。

「莉蘭様を競り取った青年は、程なくして姫のお側を離れるようです」

 莉蘭の息が詰まった。上座では黄綺がおやおやと楽しそうに相槌している。

「なんと憐れなこと」

「それから日々の糧を得るため遊び女へ身を落とされるようです」

「あらあら、でもそれは今とほとんど変わらないわねえ」

 高らかに笑って、あらこれは秘密だったかしらとわざとらしく付け加えている。

 そのとき藍連殿の侍女が扉の向こうから合図を送ってきた。黄綺がクロネコに許可を示したのち、クロネコがなんでしょうと応答する。

「ソウ様がおいでです」

 莉蘭は弾かれたように扉を、その向こうの人物がまるでそこに立っているかのように凝視した。会いに来てくれたのだろうかと期待をしてしまう。そうして気を取られていたため、上座で黄綺が侍女に何か指示していたことと、指示に従い侍女らが莉蘭のところまでやってきたことに気付かなかった。突然に二の腕を掴まれ、抵抗もできず莉蘭は引き上げられた。そのあいだに黄綺がクロネコに命令する。

「ソウとやらをここに来させよ」

 莉蘭はさらに戸惑う。引っ張られて上座へ連れられ、姉が腰掛けている椅子の横に放られた。

「その女を押さえておけ。お前は御簾を下げよ。占者殿、ソウを連れて参れ」

 クロネコは無言のままゆっくり頭を下げた。

 上座で御簾が降ろされ、莉蘭は黄綺のすぐ横の床で膝を突かされている。動きたくても黄綺の侍女二人に押さえつけられて、身動きができない。

 ソウが部屋へ入ってきた。クロネコの後方に正座して深々頭を下げた。まず黄綺付きの侍女が、主人の第四皇女がソウに参じるよう命じたと挨拶がてら告げた。ソウは叩頭したまま、彼特有の通る声で口上を述べた。

「この度は、拝謁の機会を賜り恐悦至極に存じます。このような身なりで拝することをまずお詫び申し上げる」

 黄綺は眉を上げ、ほほと声を出して笑った。

「構わぬ。急であったのは承知しておる。それよりもっと粗野な男かと思っておったが、実に美しい御仁で驚いておるところじゃ。しかもきちんと礼儀も弁えておるとは。なるほど、直接の応答を許す」

 黄綺はソウに聞こえるように大きな声でそう告げ、莉蘭に視線を送り嘲笑った。

「会いたいと思っておったのじゃ。演武会では見事な戦いであった。楽しませてもらった。そこでじゃ」

 姉は悦に入り声音を浮かせている。

「そなた、わたくし付きの護衛にならぬか。父に推挙してやるゆえ」

 莉蘭は身を強ばらせた。びくりと震えたのを、莉蘭を抱えている侍女たちは莉蘭が逃げようとしていると勘違いしたのか、さらに力を込めて肩を押さえつけてきた。だが肩の痛みなどに構っていられない。莉蘭は固唾を飲んでことの次第を待った。

「そなたにとって悪い話ではなかろう」

「すぐに殿下のお側に侍るにはこの身は穢れが多すぎる故、まず禊ぎを。百日僧院に籠もり水垢離にて俗断ちを行わせて頂きたい」

 黄綺は、莉蘭が衝撃を受けた顔を見て哄笑した。

「おお。そなたの言うとおりじゃ。わたくしとしたことがうっかりしておった。なんとも目端の利く有能な男じゃ」

 項垂れた莉蘭の隣で黄綺は口角を上げた。

「待っておる。百日後に再度わたくしを訪ねるがよい。話をつけておこう。なんなら僧院も紹介してやるゆえ、遠慮なく申すがよい」

「恐れながら別の義にてお願いが」

 黄綺は笑うのをやめ、鼻白んだように体を反った。

「なんじゃ、必ず叶えてやるとは言えぬがまず言うてみよ」

 ソウは頭を下げたままで、ではと前置いた。

「殿下はとても美しいお声をしておられる。御身を拝見する前に私はすでにそのひよどりのような美声に魅了されました。叶うのであればずっと耳にし続けたい」

「……おや、まあなんと」

 黄綺は一気に警戒の表情を消し、好色そうに笑みながら肘掛けにゆっくりもたれる。

「殿下の推挙も、この穢れの身ではそれも出来ず、身が焦がれる思いです。長い百日を耐えるためお情けを頂けるのであれば、今御身に付けておられるかんざしを賜りたい。最も近くで殿下のお声を受けたその簪、それを抱き殿下を想いながら身を清めることをどうかお許し下さい」

 黄綺はまたも声高らかに笑った。髪に刺していた豪奢な簪を抜き、侍女に手渡す。

「なるほどのう。相分かった。そなたにわたくしのこの簪を与える」

 簪を持った侍女が御簾から、外に待機していた別の侍女にそれを渡した。さらにそれがソウの前に置かれる。ソウは深く叩頭した。

「身に余る光栄です。感謝致します」

「うむ」

 黄綺は満足げに鼻を鳴らし、ソウに下がってよいと退出を促した。ソウは懐から懐紙を出し、それで簪を包み、一度頭上に掲げてからそれを懐にしまった。再度深く礼をして挨拶口上のあと退出した。

 黄綺は心の底からおかしそうに長く笑った。すでに脱力し、拘束がなくなっても座り込んでいる莉蘭を上からめ付ける。

「罰が当たったのだ。聞いたか売女よ」

 黄綺は莉蘭の前に立った。莉蘭の、突いている手を踏む。

「猿女が調子付きおって。いつまでもちやほやされると思うな。お前のいっときの美しさなど蜃気楼のようなものだ。男は一瞬騙されるかも知れぬがすぐに紛い物と気付くわ」

 莉蘭は手を踏まれたままで顔を上げた。

「頭を下げろ」

 扇で頭を押さえつけられたが、莉蘭は抗い姉を睨んだ。

「何故そこまで私を憎む。半分血が繋がっておるのがそんなにおぞましいか。だがそれは私のせいではない」

 黄綺は顔を歪ませた。莉蘭が凍る程、醜い顔になった。莉蘭に顔を寄せ、半血の妹に呪いを吐いた。

「お前は兄様をそそのかした……わたくしの、大切な兄様を」

 呼吸も忘れ驚愕する莉蘭に対し、黄綺は扇の端で妹の頬を張った。

「夜毎兄様をどこかに連れだし逢瀬を重ねておったと聞いた、兄様はだから……!」

 苦々しい物言いの中、それと分かる醜い嫉妬、莉蘭は理解したくなかったものを無理矢理に飲まされた。

 彼女がやたら莉蘭を敵視するようになったのは、第二皇子が莉蘭の寝所に忍び込もうとしたあの日以降だと、今になって気が付いた。

 そんな理由で。

「第二夫人にも伝えてやったわ。忌々しい猿の子がと怒っておった。民に第五皇女は夜な夜な衛兵を相手にする下劣な姫だと噂を流したのは我々じゃ」

 ふふ、と黄綺は扇を口元に置き可笑しそうに嗤っている。

「お前の夫もお前を見放した。いい気味よ。蒔いた種がきちんと芽吹いたわ」

 なんとも芳しい春じゃ、姉はそう結んだ。


 目前には完璧に磨き上げられた板間が続いている。だが見てはいない。莉蘭はただ呆然として上座の脇で、魂が抜けたように腰を落としていた。我に返ったとき、莉蘭は奈瑠に肩を抱かれていた。辺りを見渡したが謁見の場にはもう誰もいなかった。莉蘭は、黄綺たちとクロネコが出て行ったことにも気付いていなかった。

「お気を確かに」

「……大丈夫だ」

「嘘です、あんなもの嘘に違いありません」

 背中を撫でられながら熱心にそう否定される。小さな摩擦のあたたかさと侍女の思いやりが、今の莉蘭にはありがたい。

「聞いていたのか」

「申し訳ありません」

「いや、咎めているのではない」

 失礼しますと静かな声のあと、クロネコが入ってきた。奈瑠が口を開く前に莉蘭は彼女を制し、立ってクロネコに向かい合う。

「お伺いしたいことがある」

「なんなりと」

「占いというのは、必ず当たるものなのか」

 莉蘭の声は強かった。クロネコは少し目を見開き、何故か嬉しそうな顔をして首を振る。

「占いとはそういう類のものではありません。単なる導きです」

 それだけ言うと莉蘭の部屋の方向を指さした。

「ここは寒いでしょう。お部屋へお戻りなさい」

 静かだが有無を言わさぬ物言いに、二人は黙って従った。部屋に戻った直後に藍連殿の侍女があたたかいお茶を二人分持ってきてくれた。二人は無言のままでそれを飲んだのだが、終えたときに莉蘭が改まって奈瑠に向かい合った。

「奈瑠に頼みたいことがある」

「はい」

 突然の主人の願いに奈瑠は居住まいを正す。莉蘭は奥から包みを出してきた。先日ソウが莉蘭に贈った表着うわぎだった。

「猶予が出来たので依頼の着物も出来上がったのはよかった。それと共に、本日下がるおりこれも持っていってほしい。これを売りたい」

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