第30話 side:天羽優衣
お、繋がった。もしもし。もしもーし。……無言か。何を話せばいいのかわからないってところか。不安なのか? 電話越しだからな。俺以外の誰かも居るだなんて考えているのかもしれないな。まあ、話したくないなら話さなくてもいい。勝手に話す。
優衣。今、優衣が何を考えているのか、俺にはわからない。予想することはできるが、それだけだ。
だから、今から話すことはただの妄想に近い。違うなら違うって言ってくれよ? 恥ずかしいからな。
優衣は『ぜんぶバレてしまったかもしれない』なんて、本気で思ってるか?
あんな難癖みたいな言葉だけで、みんながみんな今まで自分を助けてくれた優衣じゃなくて、初めて会った喧嘩腰の女子のほうを信じるって?
ああ、わかる。わかるよ。その言葉が今まで内に秘めていたような言葉、疑念と一致すれば……一気にそっちに流れることもある。そういったことはよくあることだ。優衣の疑念は正しいだろう。
だが……そもそも、だ。
ああいうふうに思われることがあるだなんて、優衣が予想していなかったわけがないだろう?
実際にそういった言葉を向けられたことは初めてだったのかもしれない。でも、まったく欠点のない人間でも嫌う人は嫌うものだ。当たり前だよな。俺だってそうだ。なんの落ち度もないやつに『いけすかない』って思うことはある。優衣は……もしかしたら、そういう理不尽な嫌い方は、したことがなかったのかもしれないが。
でも、優衣はアニメとかドラマとか、そういうのも見るだろう? ……実際に経験したことがなかったにしても、そういったものの中で描かれているものは知っているはずだ。理不尽な逆恨みなんて、どこにだって存在している。
優衣がそれを予想してないはずがないよな?
それでも、実際に直面すると……なんてことはあるんだろう。搦手なら、あるいは優衣も対応することができたのかもしれない。ただ、あそこまで真正面から来ることは……優衣も、予想外だったのかもな。
俺としても、あそこまで真正面に来るのは好感が持てるくらいだ。だが、だからこそ厄介だった。対応のしようがない。
俺がやったみたいに『難癖』だってことを強調するのも、そこまで良い手ってわけじゃないからな……。
もっとも、じゃあどうすればよかったのかもわからないんだけどな。
優衣のあの反応は良くなかったかもしれないが、それ以外にどんな反応があるかって言うと……。『天羽優衣』としてはあの反応以外ないような気もするからなぁ。
そう考えるとどうしようもなかったよな。防ぐ手立てがないこともある。なら、重要なことは『それからどうするか』だろう。
俺としては振られない限り『なかったこと』にしていつも通りに振る舞うだけでも良かったとは思うんだよ。周囲からの目は、そりゃ、多少は変わるかもしれないが……いつも通りに振る舞っているだけで優衣の好感度は上がる。天使だからな。あんな難癖めいたことをいつまでも気にすることはない。クラスメイトだってそうだろう。
何の根拠もないことだからな。もしかしたら愚痴を言ったりしたところを見たことはあるのかもしれないが――それにしたって、だからなんだって話だからな。
「なんだ、ってことはないでしょう」
お、やっと話したか。意外だな。そこに引っかかるか。しかし……そうか。そうだったな。優衣は自信がないタイプだったか。自分の素顔を嫌っている。だから天使の仮面を被っている。自分の性格が悪いだなんて思いこんでいるんだったな。
なら、はっきりと言っておこう。
優衣。それは、間違っている。優衣の性格が悪いだのみんなをバカにしているだの……そういった話は、何の根拠もないどころじゃない。はっきりと『間違っている』話なんだよ。
だって、優衣は愚痴を言うことはあるが――それでも、天使みたいな性格をしてるのは変わりないだろう?
なぁ、優衣。……優衣は、確かに保身で天使を演じているのかもしれない。純粋に『したい』からしているってわけじゃないんだろう。周囲の人に良く思われたいからやっている。天使だと思われたいからやっている。『いい子』と思われたいからしていることで、それは純粋な善意や優しさから来るものじゃない――そんなことを考えているのかもしれない。
だが、だからなんなんだ?
それがどうしたって話なんだよ、優衣。裏がある? 不満がある? それが? 無理のあることを頼まれたり、嫌なことを頼まれたり……そういうときに、不満を抱いてしまうことがある。そうなると『天使じゃない』ってことになるのか?
そんなわけがない。
天使であれば負の感情を抱かないのか。『いい子』は不満なんて抱くことがないのか。ネガティブな感情を抱くことが一切ない? 少しでもマイナスなことを思えば、それですべては裏返って――『性格の悪い』人間になる? 極端過ぎるだろ。機械じゃないんだ。不満を覚えることくらいはあるだろう。
確かに、小悪魔モードの優衣は露悪的に振る舞う傾向があるよな。だが、アレもあからさまなんだよ。『露悪的』でしかない。口調もガラッと変えてはいるが……べつに、アレも『素顔』ってわけじゃないだろう。人間に演技していない時間なんて存在しない。多かれ少なかれ演技している。優衣に自覚があったのかどうかはわからないが、家族に見せる顔だって、ぜんぶが『素』だってことがないように……自分自身に見せる顔だって『素顔』なんてことはない。
そもそも『素』なんてものは明確なものじゃないんだよ。はっきりとあるものじゃない。形なんてない。不定形だ。固体ってよりは気体、もやみたいなもんだな。少なくとも俺はそうだ。その時その時で気分は変わる。性格も、傾向こそあれ変わるだろう。その時は本気でそう思っていることでもちょっと時間が経てばコロリと変わる。俺はそういう人間だ。
だが……それ以前の問題として、だ。
優衣は――小悪魔モードの優衣だって、『性格が悪い』わけじゃないだろう?
優衣が他人をバカにしてるか? 下に見てるか? 他人を利用したり貶めようとしたりしてるか? 不満は聞いた。山のように。だが――そのときだって、優衣が言っていたのはあくまで『不満』だ。誰それが嫌いだとか、誰それにわからないように意地悪をしただとか……そういった話は聞いていない。
自分への要求が高いこと。理不尽な要求をされること。
そういったことに対して不満を抱いている。憤りを感じている。
それを露悪的に口にしているだけ。愚痴をこぼしているだけだ。
なぁ、優衣。……優衣は、それを『性格が悪い』って思うか? 自分じゃない。他人がそうだとして、優衣はその人のことを『性格が悪い』って思うのか? アニメのキャラでもいい。天使のように性格が良いって感じのキャラが無理な要求をして、それに困っていたとすれば……その時点で『性格が悪い』のか? 表に出すこともなく、裏で少しでもそう思っていたらその時点でダメなのか? いつだって、どんなことにだって――心から受け入れているようなキャラクターこそが『天使』なのか?
……優衣。俺は、優衣のことを優しいって思ってるよ。そう、思ってしまう。小悪魔モードのときを知っていても同じだ。だって、小悪魔モードのときだって、優衣が『優しくない』なんてことはないんだから。
優衣。優衣が自分のことを嫌いなことはわかってる。自分のことを、天使じゃない自分のことを……あるいは、天使の自分のことも。
優衣は優衣のことが嫌いなのかもしれない。だから、他の誰かに知られれば、みんな自分のことが嫌いになるって……そんなふうに思っているのかもしれない。
だが、それは簡単に反証できる。
俺が居る。
優衣が優衣を嫌いでも、俺は優衣が好きだよ。異性としてもそうだし――もちろん、人間としても。
だって、優衣は、俺のことも。
「違うの」
……優衣?
「違うの、斎賀くん。……やっぱり、あなたも勘違いしてる。私は、天使なんかじゃないの」
「私は、優しくなんかない。……他人のことを悪く言わないなんて、貶めるようなことがないなんて……そんなことは、ないの」
「斎賀くん。……あなたが周囲から距離を置かれているとき、私がなんて言ったか覚えてる?」
……ああ、もちろん。
「『みんなも斎賀くんのことを知れば』……って。そう、言ったよね」
……そうだな。だから、俺は積極的に人と関わろうと思えるようになった。
「そう。……でも、私は違うの」
「優しくても、それでも……第一印象が悪いのなら、知られたところで好かれるとは限らないって思ってた」
「私は、あなたの言う通り……ありのままの自分になんて、価値がないと思ってる」
「だから、あなたも。……ありのままのあなたを出したところで、好かれるどころか、嫌われるんじゃないかって。そんなことを、思っていて」
「それどころか、結果的に周囲と距離を縮めたあなたに対して……私は、嫉妬していて」
「……私は、天使じゃない」
「あなたに好かれるような……好かれてもいい人間じゃ、ないの」
「…………ごめん、なさい」
「今まで、騙して……今まで、隠して」
「ごめん、なさい……」
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