第28話 side:天羽優衣

 バチが当たったんだろう。


 ずっと人を騙し続けていたバチが当たったんだ。


 友人だけじゃない。自分を愛してくれている親までもを、ずっとずっと騙してきた。


 だから、こうなるのは当然の報いで――


 だと言うのに、私はそれにさえ耐えることができなかった。




      *




「うん。それじゃ、また来週!」


 挨拶をして、学校を出る。そうすると、気持ちがいくらか楽になる。


 球技大会から数日、優衣はいつも通りの毎日を過ごしている。


 特に変わったことはない。周囲の対応も変わったわけじゃない。ただ、変わったことがあるとするなら――何かを頼まれることが、少なくなったかもしれない。


 球技大会のあの日、優衣は旧友と再会した。……いや、友人だと思っていたのは優衣だけで、実際のところは恨まれていたみたいだけれど――小学生の頃からの付き合いの少女と、再会した。


 雲井キリ。気が強く、刺々しい態度が特徴的な少女だった。つり目がちで、いつも怒っているように見える。勘違いされやすい容姿。優衣は自分から率先して話しかけていたが……今になって思えば、ありがた迷惑でしかなかったのかもしれない。


 ただ、それほど仲が悪かったとは思っていない。あちらから話しかけてくることはそれほど多くはなかったが、なくはなかった。……ほんとうになかったのは。


(……キリちゃんは、私に頼み事なんて一回もしたことなかったっけ)


 そんなことを思い出した。それは、私の本性を見抜いていたからなのだろうか。私が天使なんかじゃないって、どこかで知って――それだから、連絡も取れなくなってしまったのだろうか。


 あのとき、斎賀くんは色んなことを言っていた。たぶん、私のために、なんだろうけれど……僻みだとかなんとか、そんなことを言って。

 でも、そうじゃないことは私がいちばんよくわかってる。だって、ほんとうの私はキリちゃんが言った通りの人間で――バカにしていたって。そう思われても、仕方なくて。


(……それも、みんなに)


 クラスメイトの前で、そう言われてしまった。優衣は聡い。慎一郎が何を狙っていたのかは理解している。あの少女、雲井キリが言っていたことはあくまで『難癖』で『逆恨み』だとクラスメイトに思わせようとしてくれた。それは、成功していたのかもしれない。


 でも、だとしても――きっと、疑念は生まれたんだ。


 もしかしたらそう思われているのかもしれない。あれだけ言うんだ。何か根拠があるのかもしれない。もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら――ほんとうに、何か隠しているのかもしれない。


 そう思われることは避けられない。避けられるわけがない。実際、学校でのみんなの様子はおかしくなっていた。どこかよそよそしくて、私に頼み事をするのが少なくなって……。


 今、自分はどう思われているのだろうか。優衣はずっと天使だった。天使じゃないとバレてしまえば、いったいどう思われるか。

 ずっと私たちを騙してきたのか。ずっとバカにしていたのか。ずっと笑っていたのか。裏で何を言っていたの? 仮面の向こうでは、私たちのことを下に見てたの? ずっと、ずっと、ずっと――


 クラスメイトの目が怖かった。何を考えているのかわからない。表面上はいつも通りに接してくれている。でも、私だってそうなんだ。何を考えているのかなんてわからない。


 失望されているかもしれない。失望されてしまったかもしれない。今まで築き上げてきたものすべてが台無しになって。


 ……それでも、両親にだけはバレてほしくない。


 もしも、両親にバレてしまったら。


(……私が『いいこ』なんかじゃないって、知られてしまったら)


 ずっと自分たちを騙してきた『悪い子』だって、知られてしまえば。


 そのとき、どんな目で見られるだろうか。


 クラスメイトと同じように、表面上は取り繕ってくれるかもしれない。でも、裏では何を考えているのかわからない。失望するだろう。悲しむだろう。だって、今までずっと愛を注いできた子どもがずっと自分たちを騙してきていて――今まで見ていたものは、偽物で。


 それに、何も感じないわけがない。


「……どうしよう」


 いつの間にか、駅に着いている。答えは出ない。これから自分はどうすればいいのか。どうすれば、隠すことができるだろうか。クラスメイトにはもうバレてしまった。傷を広げないためには……。


 そうやって優衣が思い詰めながら歩いていると、


「――大丈夫?」


 そう、声をかけられた。顔を上げると、そこにはひとりの老女が居る。こちらを心配そうに見つめる彼女の顔には、どこか見覚えがあった。……この時間、たまに駅で見かける、ような。


「覚えてないかしら。数ヶ月前、困っているところをあなたに助けられて……」


 そう言われても思い出すのには時間を要した。優衣は天使を演じている。天使は困っている人を見過ごさない。今までに何度も困っている人に手を差し伸べてきた。道がわからない、荷物が重い、気分が悪い、エトセトラ、エトセトラ。優衣にとってそれは何ら特別なことではなく、当たり前の日常だ。しかし優衣は話したことがある人のことを忘れない。時間は要したが、目の前の女性のことも思い出すことができた。


「あのときはありがとう。おかげさまで、なんとか帰ることができて……娘には怒られちゃったけどね」


 フフ、と上品に笑う。しかしその顔はすぐにこちらを案じるものへと変化して、


「さっきも言ったけれど……大丈夫? あなた、ひどい顔してるわよ? 少し休んだほうがいいんじゃないかしら」


「……そんな顔、してますか?」


 ええ、と真剣な顔でうなずかれる。よっぽどひどい顔をしていたらしい。


(……つまり、学校でも)


 優衣は思う。いつも通りにしていたつもりだったが、それはできていなかったらしい。ずっとみんなを騙してきたくせに、こんなこともできないなんて。


 私に心配してもらう資格なんてない。だって、ずっと人を騙してきたのだ。それがバレただけなのに、勝手に落ち込んで、心配されて――そんな資格、あるわけがない。


「ありがとうございます! でも、家までもうちょっとなので! 帰ってから休もうって思います!」


 優衣の表情に血色が戻る。顔色を変える程度のことは造作もない。……造作もないはずのことが、今までできていなかった。そんな自分が恥ずかしい。


「そう? それなら、いいんだけれど……」


 老女は心配そうな顔をしていたが、優衣の表情を見て騙されてくれた。……また、騙した。胸の奥がズキリと痛む。

 心配してくれた人を騙してしまった。いや、ずっと騙しているのだ。今回だけじゃない。今までも。彼女が感謝してくれていることも『天使』だからやったに過ぎない。善意からの行動ではない。自分のための行動だ。そのことを知られたなら、


(……この人にも、失望されるんだろうな)


 偽善だ。自分がやってきたことは、すべて『天使』として振る舞った結果に過ぎない。決して善行と呼べるものではない。


 老女と別れて、ホームに向かう。夕暮れ時、人が多い。ちらちらと視線を感じる。注目されている。いつもは気にならないそれが、今日はやけに気になってしまう。意識すれば意識するほどに気になって、いつもよりも見られているような気がしてしまう。


 みんな優しくしてくれる。みんな好意を向けてくれる。それはぜんぶ私が『天使』だからであって、『天使』じゃない自分にそんな価値はない。


 じゃあ、今の私は?


「……っ」


 優衣は下を向いた。視線がこわい。どう思われているのかわからない。どんな目を向けられているのか、見るのがこわい。そんな自分も見られている。視線を感じる。


 ずっと『天使』として振る舞ってきた。


 ずっと『いいこ』として振る舞ってきた。


 そうするとみんな喜んでくれるから。みんな好きでいてくれるから。


 ――じゃあ、私が『天使』じゃなかったら?


『いいこ』じゃない、だめな私はどう思われるか。


 喜ぶの反対、好きの反対は。


「……だれか」


 薄い唇が微かに開いた。ひゅうと小さく息を吸って、か細い声が抜け出していく。


 祈るように、顔を上げる。


 その前を電車が走り抜けた。


 声も視線も、紛れて消えた。


 

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