第25話 脈

 カラオケで誰も知らない曲を歌うのはアリだ。知らなかったけれどいい曲だな、なんて出会いはあるものだからな。好きな曲を歌えばいい。そう思う。しかし、それでも歌いにくい曲というものはある。


 例えば『合いの手』が必要なアニメやゲームなんかの曲とか。


「いぇー! 盛り上がってるー!?」


 わあああ、とひとりで歓声を上げる。どこでどういう反応をすればいいのかは予習済だ。いわゆる『コールアンドレスポンス』についても教えられた。と言うか動画を見せられたからな。『これ参考によろしく』じゃねーんだよ。したけど。


 優衣さんははっちゃけていた。小悪魔モードでは基本的にちょっとドライでダウナーな感じもある優衣さんだが、今の優衣は天使モード顔負けのきらきらハイテンションモード。太陽みたいな魅力を存分に発揮していらっしゃる。友人相手でもアイドルソングなんかを歌うこと自体はあるらしいが、ここまで『オタク向け』の曲を歌うことは控えているらしい。そういった曲を他の友人が歌うことはなくはないが『天使』のキャラ付けがあるからな。理解は示していてもあまりにも『オタク』って曲を自分から歌うのは難しい。そういうもんなんだろう。


 コールアンドレスポンスを要求する曲は特に難しい。それコミで曲みたいなところあるからな。誰も知らなかったら変な雰囲気になる。だから予習した俺みたいな人間が必要だったわけですね。


 そして度重なる予習タイムを経てからのカラオケだが……これが楽しい。自分が歌っているわけでもないのにペンライト(※さっき買った。アイドルのライブなんかでファンが振ってる光る棒)を振り回しながら掛け声を叫ぶのは、これが思ったよりも気持ちいいんだよな。優衣の歌も激ウマだし。本当にアイドルかなにかかみたいなパフォーマンスするからな。このステージを俺が独占してもいいのかって不安になるレベル。振り付けとか練習したとしか思えないもんな。優衣は『見たことあるから』なんて言っていたが、それでこんなにできるものかよ。……いや、確かにキレキレっぽく見えるが粗も見えるしカンペキってわけじゃないから練習してはいないのかもしれないが。


 だから俺はもう自分で歌わなくてもいいかなと思ったのだが、優衣に勧められて歌った。優衣も掛け声を叫んだりしてみたかったらしい。優衣の後に歌うのは恥ずかしくもあったが、なるほど、こうしてペンライトを振られて掛け声を上げてもらうというのは気持ちいいものだ。気分がアガる。


 歌うときも歌わないときも声を上げているわけだから、すぐに喉がガラガラになる。そんな声でもまだ歌った。まだ叫んだ。テンションがおかしくなってしまって、ふたりで思い切り騒ぎまくった。


「はー……歌ったわね」


「歌ったな」


 思う存分歌い終わり、カラオケを出る。俺の声を聞いた優衣がくすくすと笑う。


「すごい声。ガラガラじゃない」


「逆に優衣はどうしてほとんど声が変わってないんだよ」


「発声が違うのよ。まあ、ちょっとかすれてるとは思うけれど」


 実際、優衣の声は少しだけかすれていた。……あんだけ歌ってそれだけか。さすがに歌うほうが喉を使うと思うんだけどな。


「あー……楽しかった。いつものカラオケが楽しくないわけじゃないけど……こういうのは、初めてだったから」


 やわらかい、木漏れ日のような微笑み。……そんなに楽しんでいただけたなら幸いですよ。


「今日はありがとう、斎賀くん。……それで、今日のお代なんだけど」


 そして、駅に着く。どうせ伊織のところに持っていくのだから、と荷物は俺が引き取った。リオの配信もある。俺のほうが伊織の家に行く機会は多いだろう。


 しかし、ありがとうと言われたが……今日、俺は何か感謝されるようなことをしただろうか。俺は優衣を甘やかしただろうか。デートではないにしても、単にいっしょに遊んだだけのように思える。


 だから。


「今日はもらえない。俺も楽しかったし――もらったら、デートじゃなくなるだろ?」


 今日は『仕事』じゃない。仕事だとは思えなかった。だから、対価はもらえない。


「……だから、デートじゃないって」


「じゃあそれでいい。……でも、俺も楽しかったのは本当だ。友達と遊びに行って金をもらったら、それも嘘になっちゃいそうだろ?」


 う、と優衣が苦い顔をする。わざとそういう言葉を選んだのだから当たり前だろう。『ここでお金を渡してしまえば、俺が今言った言葉は嘘になりますよ』と言っているのだ。

『〇〇すれば✕✕ということを示す』と宣言する話法は、もちろん品が良いものとは言えない。だいたいの場合において『そうはならんやろ』と詰めることで潰すことが可能だ。『それはあなたの感想ですよね』って話だな。

 ただ、それが『気持ちの問題』であるならば違う。なんたって『それが感想』なことは事実だから。実際はそういうことにはならなくとも――俺はそう解釈する。そう宣言された上でそれでも押し通すということは『その宣言を受け入れた』と解釈されても仕方ない。


 もちろん詭弁だ。優衣もそんなことはわかっているだろう。だが、俺がほんとうにそう思ってることは詭弁でもなんでもなく、ただの事実だ。


 だから優衣は違う方向から攻める。


「……じゃあ、最後にひとつだけ、お願い」


 今日を『仕事』にするために――そんなに『仕事』にしたいのか、と思う。脈があると少しでも思われたくないからだろうか。勘違いさせることを防ぐために。その気持ち自体はわからなくもない。ないが……警戒されて、何も感じないことはない。


 一度目を閉じる。警戒されやすい目付きの悪さを隠してみせる。そんなことには意味がない。理解している。優衣もそれを気にしているわけではないんだろう。だが、俺の中では繋がっている。


 ――斎賀くんは、優しい人だね。


 いつだったか、目の前の天使がそう言ってくれたことを思い出して。俺が前を向くきっかけとなった言葉をくれたことを、思い出して。


「さ、斎賀くん」


 目を開けると、彼女はこちらを見上げていた。……真っ赤な顔で、両手を広げて。


 彼女は言った。


「私のことを、抱きしめてほしいの」


 一瞬、喧騒が遠くに消えた。しかしすぐに戻ってくる。夕暮れの駅前、人通りは多い。話している内容は聞こえなくても、立ち止まる俺たちは目立つだろう。


「……ここで?」


「き、決まってるじゃない。誰も居ないところで、とか……逆に、頼めないから」


 それは……そうだろう。誰も居ない密室で『抱きしめてほしい』だなんて言われたら俺じゃなくても勘違いする。

 そう、だから、わざわざここで言ったのは『脈ナシ』だって宣言だ。防衛意識の発露。あくまでも『甘やかし』のためだから、と。そのためのことだと理解している。


 でも。


「……そんなに照れるか」


「てっ、照れるに決まってるでしょ。でも……異性に抱きしめられると、いい、って聞くし」


 だから、あくまでもそれを体験してみたいだけで――他意はない、と優衣は言う。見てるこっちが恥ずかしくなりそうなくらい赤い顔で。


「ず、ずっと、興味はあったの。甘やかされると言えば、そりゃ、言葉もあるけど、身体的な接触が基本と言うか、斎賀くんの伊織ちゃんに対する接し方を見て『いいなぁ』って感じちゃったと言うか――と、とにかく!」


 一気にまくしたてて、優衣は睨むように俺を見上げる。その顔の朱は、怒っているからではない。


「……ん。はやく、抱きしめなさいよ」


 両手を広げたままそう言って、子どもみたいにせがんでみせた。


 不機嫌そうに、不本意そうに――それは、いつも天使の仮面を被っているにしては、あまりにもお粗末な演技で。


 あるいは、いつも天使を演じているからこそ『不機嫌そう』な顔をするのは苦手だったのかもしれない。


「……くくっ」


 思わず、そんなふうに笑ってしまう。すると優衣の唇がむっと上がった。ああ、いや――よくなかったな。俺らしくもない。ここで恥ずかしがらせたら優衣が言葉を撤回してしまうかもしれない。だから、笑うなんてことは悪手なはすで。


 でも。


「ごめん、優衣。……俺としたことが、ちょっと、色々考えてたみたいだ」


「斎賀くんはいつも余計なことを考えてそうだけど」


 優衣が言う。否定できない。そう思ってまた笑う。


「……それより、早くしてくれない? この体勢のまま、って、恥ずかしいんだけど」


 ん、と優衣がハグをせがむ。はいはい、わかりましたよ、お姫様。


「……っ」


 求められるまま、優衣のことを抱きしめる。安心させるように、やさしく、そっと。包むように抱きしめる。


 そうするべきだと思ったし、それを求められているんだと思っていた。だが、優衣は言う。俺の腕の中で、不安そうな声で囁く。


「……もっと、強く、抱きしめなさいよ」


 そう言われて、戸惑う。あまり強く抱きしめると苦しいだろう。痛いだろう。そう思ってのことだったのだが……優衣が、求めていることは。


「痛いくらいに、抱きしめて」


 エロすぎだろ。


 俺のつぶやきに優衣は「はぁ!?」と声を上げる。そのまま何事か文句を続けるつもりだったのだろう。すぅ、と息継ぎの音が一瞬聞こえる。

 しかし、言葉は続かない。続けさせない。


 そんなことができないくらい、強く、強く抱きしめたから。


「っ……」


 驚くように身体が跳ねる。身体が緊張にかたまる。もう少し弱めたほうがいいだろうか。しかし……そう迷っているうちに、優衣の身体が脱力する。力が抜けて、受け入れられる。


 そっと、俺の背中に手が回った。


 そのまま、ぎゅ、と締めつける。


 そうして、しばらくそのままで居る。


 ……と言うか、これはどうやって終わるんだろうか。どうすれば終わりなんだろう。わからない。このまま抱きしめていてもいいのか? いや、正直俺からすれば役得だが……このまま、ずっと? こんな天国みたいな状態で、俺は自分を抑えることができるだろうか。


 やわらかい。腕だけじゃない。密着しているのは胸も腹も。胸板のあたりに優衣の頭があり、腹のあたりに優衣の胸が当たっている。いや位置が危ない。胸が大きすぎる。しかし胸が大きいからこそ腰のあたりは密着せずに空洞ができている。もしも腰の下まで密着していたなら大変なことになっていただろう。間一髪だ。間一髪か?

 甘いにおいがする。太陽のにおいとはまた違う。伊織のものともまた異なる甘いにおいが鼻をくすぐる。髪が近いからだろうか。落ち着くにおいだ。そのはずなのに。


「……ドキドキしてる」


 優衣がつぶやく。からかうような調子が混ざった――でも、優衣自身も緊張しているような声。


「心臓の音、すごいわよ? ……斎賀くんでも、ドキドキするのね」


 俺を何だと思っているんだ。純情純朴な好青年だぞ。こんなにかわいい女の子と密着して……ドキドキしないわけ、ないだろ。


「ふぅん……」優衣が探るような声を出す。「ほんとうにそうなのね。純情純朴な好青年、ね。……伊織ちゃんに、手を出してないわけだ」


 ……言っておくが、優衣の体温は俺にも伝わってるからな? 心臓の音はさすがに聞こえないが、今も熱くなってるのはわかってる。


「それはあなたも、でしょ?」


 そうだが? ……痛くは、ないのか?


「え? ああ……大丈夫よ。これくらい、強く抱きしめられたかったの。どんなものかな、と思ったけれど」


 思っていたより、ずっと良いわね。


 ふっ、と優衣が微笑みを浮かべる。その表情は見えない。でも、どんな表情を浮かべているのかは想像できた。


「……安心する」


 これが? そう言おうとした。でも、俺はそう言える口を持ち合わせてなかった。


 だって、俺も。


 こんなに顔が熱いのに、こんなに心臓がうるさいのに――どうしてか、落ち着くとも感じていた。


 心の奥にある何かがほどけるみたいに。


「うん。……うん、さすがに、そろそろよね」


 そうだな。優衣の言葉に同調する。いつまでもこうしていたいと思った。思ってしまった。だからこそ、離れなければいけない。戻れなくなる前に。


「……」


「……」


「……は、離れなさいよ」


「いや、優衣こそ」


 言っとくが俺は離れたくないからな? 優衣のことを抱きしめられるならいつまででも抱きしめていたい。やわらかいしいいにおいするしおっぱいも当たってるし。そう考えると優衣から離れるべきだろう。


「……なら、いつまでも抱きしめてなさいよ」


 ぎり、と背中の肉を抓まれる。痛い痛い痛い。と言うか何そのセリフ。ぼそっと言ったつもりかもしれないけど完全に聞こえてるからな? 恋するぞ? もうしてるが。


「心臓うるさすぎ。……茶化してるけど、効果抜群じゃない」


 う、うるさいやい。『かわいい』ってことで好感度上げとけ!


「うん、かわいい」


 お前のがかわいいよ!!!!!


 くそっ……調子を乱されている。どうせ優衣もめちゃくちゃ恥ずかしがってるくせに、どうしてこうなるんだ。


「……ね、斎賀くん」


 優衣が囁く。いつの間にか、その手は背中から首に移動している。フックにひっかけるみたいにして、その手を首に引っ掛けて――俺の耳元に口を寄せて、優衣が囁く。


「今日も、今までも……ほんとうに、ありがとう。これでも、本気で感謝してるのよ?」


 甘い声。やさしい声。天使のときのそれとも違う。穏やかでやさしい、落ち着いた声。


「だから……今日、お金を受け取ってくれないなら、代わりに」


 代わりに? ……代わりに、何をくれると言うのか。


 このシチュエーション、この流れ――否が応でも期待してしまう。ごくり、と息を呑む。俺はチョロい。すべてヒューマンのオスがそうであるように簡単に女に絆される。


 そして、優衣の息遣いが耳元にさらに近づいてきて――


「ふうっ」


 と息を吹きかけられた。


 思わず、びくりと肩を震わせる。力も抜ける。その隙に優衣はするりと俺の腕の中から逃げ出し、改札の方へと駆けていく。


「ふふっ」


 改札を抜けて、くるりと反転した優衣がこちらを見る。その顔には悪戯めいた笑みが浮かんで、恥じらいなんて欠片も見えない。


 そこで優衣はぽんぽんと自らの太ももを叩いた。何を……? そう思っていると、ジャラ、と自分のポケットから音が響いた。ポケットの中に手を入れる。取り出してみると、そこには千円札と小銭が数枚。同時に優衣が言った言葉を思い出す。


 ――今日、お金を受け取ってくれないなら。


 つまり、受け取っているのであれば。


「ばーか」


 小悪魔のように微笑んで、優衣はタッタッとホームに向かって駆けていく。


 取り残された俺はひとり、それを見送ることしかできない。


 完全に優衣が見えなくなってから、もう一度手元の金を見る。……時給2000円換算で考えるなら明らかに少ない。どこからこの金額が来たのか。それは少し考えればすぐにわかった。


 今日、俺が出した金のちょうど半分。


 それが、ハグの間、いつの間にかポケットにねじ込まれていた金額の合計。


「……どう解釈しろっつーんだよ」


 俺はその場に座り込み、大きく溜め息をつく。


 今はまだ脈はない。そう思っていた。これがデートだなんて、優衣はこれっぽっちも思ってなくて――そのはず、だったのに。


「あー……もう」


 顔が熱い。優衣の顔は赤くなかった。なら、やっぱりからかわれただけか? でも、それにしたって……。


 ぐるぐると思考が回る。優衣のことを考える。どんなつもりだったのか。俺のことをどう思っているのか。やわらかかった。楽しかった。優衣も楽しんでくれたのだろうか。ハグにはほんとうに安心しただけ? やっぱり脈はないのか。それとも――


 答えは出ない。ただ、ひとつ確実なことがあるとすれば。


 俺の心は、天羽優衣に奪われてしまった。


 そういうことになるだろう。

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