第22話 神の不在証明

 保健室で診てもらうと「ん〜……鼻がちょっと赤くなってるけど、それくらいですかね〜。でも、ちょっとゆっくりしていってくださいね〜。ベッド、使います〜?」とのことだった。俺は安心した。あうあうと会話ができない状態の伊織に変わって俺が答える。はい、お願いします。ちょっと借りますね。


 シャーッとカーテンを閉めてベッドに寝転ぶ。学校で寝転ぶの気持ちい〜。「さ、斎賀くんが寝転ぶんだ……」優衣が引き気味で言う。うん? 何? 優衣も寝転ぶ?


「い、いやー、私はちょっと……遠慮させてもらおうかなーって」


 ちらちらと伊織を見ながらそう答える。チッ、無理か。天使モードならどんな要求してもイケるかと思ったんだが……まあいい。伊織、ほら、こっち。


 くいくいと手招きすると伊織はこともなげにベッドに乗り込み俺の抱き枕になった。優衣が信じられないものを見るような目をしている。天使天使。仮面ズレてる。ひしと伊織を抱きしめながら俺は思った。


「そ、それで……天羽さんは、わ、わたしの配信を……その」


 あ、そのまま続けるんだ。優衣はそう言いたげにしながらも触れないようにしたらしい。妬いてくれてもいいんだが? 俺は男として見られたかった。なんかしら意識してたらもうちょっと突っ込んでくれてもいいはずだ。できれば俺のことを取り合ってほしい。修羅場ってほしい。求められてられる感を満喫しながら「俺のために争わないで」ってやりたい。男の夢だよな。できればハーレムエンドにしたい。いやちょっと悪く言い過ぎたな。良く言い換えると俺はみんなを幸せにしたいんだよ。ラブコメ漫画とかで負けヒロインが居ると悲しいじゃん。俺は負けヒロインをつくりたくない。色んな女とイチャつきたい。そういうことだ。わかるか?


「う、浮気はだめだと思う……」


「あはは……斎賀くんらしいけど、ちょっとね」


 そうか。しかし俺は諦めない。まずは俺がそういう考えだってことを言っておかなくちゃな。前フリってやつだ。伏線だな。いつか回収してぇ〜。俺はフラグを立てた。伊織と優衣に手作りの旗を手渡す。お子様ランチとかに付いてそうなサイズの旗だ。伊織も優衣も受け取ってくれた。伊織は押しが弱く優衣は天使モードだ。断れないのだろう。かわいそうに。俺は断れないふたりを哀れに思った。俺が守ってあげないと……。


 なんてやってる場合じゃない。伊織と優衣には話したいことがあるはずだ。伊織も話し始めてたし……どうやら邪魔をしてしまったらしい。俺は伊織を撫でながら言った。どうぞ、続けて。


「撫で……」優衣が一瞬だけ羨ましそうな目をする。甘えたい欲だ。しかしすぐに取り繕い、「うん、そうだね! それで、伊織ちゃん。さっきの話だけど……私は、リオの配信を見てるよ。だからびっくりしちゃった! 全然気付かなかったよ〜! 私の目は節穴だったか〜!」


「う、ううん。わ、わたしも、普段とはぜんぜん違うと思うから……」


 ぜんぜん違うってことはないけどな。俺は口を挟んだ。リオは伊織だ。前髪上げて眼鏡を外してるくらいでほとんど伊織そのものだ。まあ話すのに緊張してるかどうかってこともあるが。


「それがおっきいんだよぉ……」


 伊織がヘタれたことを言う。優衣はあははと笑いながら、


「でも、斎賀くんの言う通りだよ。私も顔を見ただけで気付けたし……斎賀くんやアオイくんと同じくらい話してたら、私ももっと早く気付けただろうし。そうじゃなくても、最初に会ったときに比べると伊織ちゃんもずっと話してくれるようになったもん! 思えば、気付けないことはなかったかもなー。リオも伊織ちゃんもどっちもすっごくかわいくて面白いのに……ぇへ、なかなか気付きませんでした。一本取られちゃいましたなぁ〜」


「そ、そう……かな」


 つんつんと頬をつつかれて伊織がデレデレした顔をする。そ、そんな顔……っ! 俺はギリッと歯を食いしばった。伊織が俺以外にそんな顔を見せるなんて……! しかし伊織はチョロい。ちょっと褒められるとすぐに調子に乗る。視聴者からも『リオちゃんチョロ過ぎて心配になるよね』と言われているからな。コメントで褒められたりするとホントすぐに調子に乗るから。直前まで怒ったりしててもすぐ機嫌なおすし。この子大丈夫かな……。嫉妬よりも心配が勝った。


「と言うか――リオってことは、伊織ちゃんってコスプレするんだよね。あの写真が伊織ちゃん……ってことは」


 ごくり、と息を飲んで優衣が伊織の胸元を見る。ダボついた体操服を着ている伊織の胸はあまり主張していない。髪が長いこともあって目立ちにくい。しかし、確かにそこにある。


「スタイル良いし、ちょっとえっちな写真もあったよね……すごいなぁ」


「あっ、あれは、その……コスプレと言えば、ちょっと肌の露出あったほうが嬉しいし……」


 テレテレと伊織が言う。伊織は露出狂というわけではないが自分が見る側として考えると露出が多いと嬉しいタイプだ。エロいコスプレが好き、と言うわけではないはずなのだが好きなキャラがエロい格好をしていることも多いので原作を忠実に再現しようとなれば自然とエロいコスプレになってしまう。でも伊織はむっつりだからな。エロいコスプレも好きなのかもしれない。


「えー? 嬉しいんだ? ……伊織ちゃんって、ちょっとえっち?」


「えっ……い、いや、それは……そのぅ……」


 小悪魔っぽく微笑んでみせた優衣に伊織はキョドる。あからさまに目を回している。純情な子なんだからからかうな。と言うかリオの配信を見てるんだから今更だろ……。


「あっ……た、確かにそっか……」


「ぁは。バレたかー。ごめんね? 伊織ちゃんの反応がかわいくて、つい」


「ぁ、いや……天羽さんなら、その……いい、よ?」


 恥じらいながらも『いい、よ?』と首を傾げて上目遣いをかます伊織。あざとい。優衣も「ぅ」と小さく声を出して胸を抑えている。人が恋をした瞬間というものを見てしまったかもしれない。


「……伊織ちゃんって、やっぱりちょっとえっちだよね」


「!? な、なんでぇー……?」


 いや伊織はえっちだろ。めちゃくちゃえっちだよ。ホント心配になる。まだ手を出してない俺を褒めてほしい。誘い受けかよって思うもんな。ここまで来ると。俺の自制心が強すぎて辛い。


「し、慎くんまで……わ、わたしは慎くん以外にそんなことしないし」


 今優衣に対してやってただろうがハァーン!? 俺はキレた。俺以外の人間にえっちな顔を見せた根暗巨乳に危機感を覚えたのだ。俺にNTR趣味はない。それは相手が女子であっても同じだ。百合も良いけど俺のことを挟んでほしい。俺以外の男が百合の間に挟まろうとすると死ねと思うが俺は百合の間に挟まりたい――と言うか俺を好きな女どうしでイチャついてほしい。仲良いことがいちばんだからな。そこに俺も混ぜてほしいってことだ。わかるか?


「好きな人どうしの間に割り込むのはだめだよ」


 正論を言われてしまった。ぐうの音も出ない。ぐう。


「出てる……」


 伊織が呆れるような声を出す。優衣はあははと笑っている。天使の擬態がうますぎて実際は何を考えているのか読めない。彼女はひとしきり笑ってから口を開いた。


「リオはコスプレイヤーさんだけど、イベントとかに参加したりはしてないよね。写真を上げてるだけで……ROM? の販売とか。そういうのってしてない気がする」


 ……なんか優衣さん詳しくない? いや、優衣のことだからそういうことに関しても詳しくてもおかしくはないか。今はCD-ROMを読み取るための機材を持っていない人も多いからコスプレイヤーの例としてROMの販売を挙げるのは微妙なセンだが、レイヤーと言えばってイメージもあるからな。みんながみんなそっちに手を出すわけじゃないだろうが、そういうイメージは確かにある。伊織が好きなレイヤーもそうだし。

 もちろんリアルイベントにはこの巨乳陰キャちゃんは行ったことがない。ダテに引きこもり予備軍だったわけじゃないってことだ。

 だが――


「う、うん。……だから、それが、目標」


 いつまでも、行けないわけじゃない。


 伊織は『変わりたい』と望んでいる。自分を変えたい。もっと前向きに、もっと『普通』に……引っ込み思案な自分を変えたいと思っている。緊張せずに話せるようになりたい、人の顔を見れるようになりたい。……人と、まともに関われるようになりたい。


 まともになりたい。少しでも。


 そのために伊織は配信している。伊織はコスプレが好きだ。変装が趣味だ。それは『自分じゃない誰かになれるから』であり、始まりはあくまでも『自己否定』だった。今の自分が嫌いで、だから『誰か』になりたかった。おそらく、それは今でも変わっていない。そして同時に、本当に『それだけ』なんてことはない。


 伊織はコスプレが好きだ。始まりは自己否定だったのかもしれない。自分の殻に閉じこもって、その瞬間だけは自分じゃない誰かになれる。誰でもいいわけじゃない。ずっと好きだった、憧れのキャラクターになることができる。……それが、楽しくないわけがない。


 インターネット上に写真を上げるのはこわかった。それなのに写真を上げたのは、誰かに見てもらいたかったからだ。今まで何人かにしか見せていなかった写真を他の誰かにも見てもらいたいと思ったのは――なんてことはない。結局のところ、チヤホヤされたかったからだ。


 承認欲求は誰にでもあるものだ。誰かに自分を見てほしい。自分の存在を認めてほしい。『承認されたい』という欲求は、とどのつまり、『許されたい』という欲求に近い。『自分はここに居てもいいんだ』と思える。自己を肯定するために他者を必要としている。自己完結できればそれがいいのかもしれないが、みんながみんな独りでやっていけるわけじゃない。少なくとも伊織はそうだ。承認欲求が強く、チヤホヤされたいと思っている。


 チヤホヤされたい。それは言い換えるのであれば――おそらくは『人と関わりたい』というものになるのだろう。


 純粋にチヤホヤされたいとも思っているのだろうが、伊織の場合は単に『それくらいしか自分が大勢の人と関わる手段が想像できない』なんてのも含まれているように思える。


 だから、自分を変えたい。変わりたい。


 引っ込み思案で、内気で、緊張しいで、恥ずかしがり屋で、暗くて、人の目を見れなくて……そんな自分を、変えたくて――だから。


 今までの自分ならできなかったことに挑戦しなくちゃいけない。


 その象徴としてそれがある。伊月リオはコスプレイヤーだ。視聴者も――ファンだって言ってくれる人たちも、イベントには参加しないのかと聞いてくれることもある。

 まだ、自信はない。自分にできるとは思っていない。だから、まだ配信を見てくれている人たちには言えていない。変な期待をさせたくないから。その期待に応えられると、胸を張っては言えないから。


 でも……できることなら、応えたい。配信を見てくれている人たちに会いたいし――他のレイヤーさんとも会ってみたい。あわよくば、友達にもなってみたい。


 色んな人と、関わることができる自分になりたい。


 だから、いつか。


「いつか……コミケに、行ってみたいと思ってる」


 最も人が多く集まり、最も有名なそのイベントに。


 伊織の瞳に光が灯る。夜を落とし込んだような瞳、きらきらと星が瞬くその瞳に――煌々として、灯るものがあった。


 星が光るのは燃えているからだ。この世界で、この宇宙で、最も熱く燃え盛る光。


 星の炎を瞳に宿して、伊織はそう言い切った。


「それが、今の、わたしの目標……です」


 最後だけ、そう言ってへんにょりとした笑みを見せる。自分なんかがこんなこと言って、恥ずかしい。そう思っているかのような笑いだった。恥ずかしい失敗をしたときに取り繕うような……そんなに重いものじゃなくて、ずっと軽いものだから気にしないで。そんなことを言ってみせるような笑み。


 でも、そんなことで受け手の解釈は変えられない。


「……そっか」


 優衣がつぶやく。その顔にはいつも浮かべている天使のような微笑みはない。優しさもなく、明るさもなく……ただ、真剣な瞳で伊織を見ている。


「それが、伊織ちゃんの夢なんだね。……うん、うん」


 一瞬だけ、優衣は眩いものを見たときのように目を細める。しかし、すぐにその瞳を大きく開いた。


 どこまでも透き通る青空を落とし込んだような瞳。そこには当たり前のように太陽がある。爛々と輝くその瞳は、見るものすべての心を掴む。


「私は、その夢を応援するよ。リオの夢を、伊織ちゃんの夢を……それと、なんだけど」


 そして、少しだけ躊躇いを見せて……しかし、照れ隠しの笑みなんて浮かべることはなく、真剣な表情でこう続けた。


「……私も、その夢に付き合わせてもらっちゃ、ダメかな」


 ――天羽優衣は天使である。


 それは自然な素顔ではない。ありのままの顔ではない。


 彼女は天使の仮面を被っている。努めて天使で在ろうとしている。


 それは自己否定から来るものだ。素の自分を否定しているからこそのものであり……そういう意味なら、折月伊織の変身願望にも近い。


 すなわち。


「私も……コスプレ、してみたいの」


 学園の天使は『自分じゃない誰か』になってみたかった。


 それを話すわけにはいかない。理由は話せない。だから『してみたい』としか言えなかった。


 ……それは、伊織の夢をバカにするようなことだろうか。伊織が懸命に語ってみせた夢に『付き合わせてほしい』などと。そんなことを気軽に言われてしまったならば、伊織はどう思うだろうか。


 優衣もそれはわかっているのだろう。表情に不安の陰が見える。天使のときにそんな顔を見せるのは珍しい。それだけの覚悟を持った言葉だとわかるのは俺だけだろう。伊織に伝わるとは思えない。


 伝わるとすれば。


「っ……ほ、ほんとう?」


 伊織の瞳が、優衣を映す。夜の中に優衣が浮かぶ。きらきらと輝く星の光が優衣を包む。


 伊織にとって『コスプレ』とは何か。


 彼女が配信者として成功したのは、元はと言えばコスプレの写真を上げたところから始まっている。視聴者との繋がりを得られたのはコスプレのおかげだ。少なくとも伊織はそう認識している。


 つまり、だ。


「ぜ、ぜひっ! あ、天羽さんとコスプレできるなら……わたし、すっごく嬉しいよ」


 伊織にとって、コスプレはコミュニケーションの手段の一つでもある。


 人と関わるための象徴だ。


 コミケに行くという夢に付き合わせてほしいと言われても……失礼なんてことはなく、むしろ、彼女にとっては夢に近づくことだから。


 伊織はやわらかい微笑みを浮かべた。月の光を思わせるような、優しくて、あたたかい……穏やかな微笑み。


「……天使?」


 優衣がつぶやく。


 まさしく、今の伊織は天使のような微笑みを浮かべていた。


 天使がふたりになっちゃったよ。俺は自分が場違いなんじゃないかと不安になった。なんで俺はここに居るんだろう……。


 空気が読めないみたいになった俺は小さくなって布団に隠れた。


 ここに居なかったことにならないかな……。

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