第21話 バイオレーション

 球技大会が近い。親睦を深めるためなんて名目で行われる球技大会だが、そのためにガチで練習をするなんてことはない。一応するって程度だな。体育の授業なんかはだいたいそれ関連だ。最初に目標を明確に定めることでモチベーションを確保している。


 と言ってもみんながみんな球技大会に向けて頑張ろうってなってるわけじゃない。ウチの巨乳コミュ障配信者さんがそうだ。


「学校でね……球技大会があるんだけど……なんでそんなのがあるんだろうね……運動音痴には辛いよ……」


 リオとしての顔で伊織が言う。今は配信中だ。コメントでは賛同の声が多く上がっている。


「迷惑になるんだよね。邪魔になる。無能な働き者がいちばん厄介って言うけどそれになっちゃう。かと言って何もしなかったらそれはそれで無能な怠け者なんだよね。どっちにしろ悪いの。もうどうしろって話だよぉ……。持久走とかも嫌いだけどまだ他の人に迷惑かけたりしないぶんマシかも……。団体競技なんかさせないでよぉ……」


『わかる』『それな』なんてコメントが流れる。運動ができるやつへのヘイトが高まっていく。……マズいな。このままだと過激化する。こういうのは呪詛大喜利が始まるって相場が決まってるからな。どんだけ悪く言えるかの勝負になってくる。炎上のリスクが高まる。単に視聴者を増やすってことなら炎上は手段の一つとして上がってくるが伊織が配信をしているのはあくまでも『自分を変えるため』だ。自信を持つために配信をしている。いつかは炎上への対処を学んでもいいかもしれないがまだ早い。俺は親衛隊を使って工作した。コメントの流れを変える。


「学生の本分は勉強……うんうん。そうだよ。そのとーり。だからわたしは――」


『リオちゃんって勉強できるの?』


『実は割りとアホだよね』


『難しい漢字とか読めないし』


『ゲームで謎みたいなの出てきたら躊躇なく「指示厨さーん! リモコン! リモコンになって! 私その通りに動くからぁー!」って頼るし』


『本分もだめじゃんw」


「みんなひどくない!?」


 まったくもぉー、リオはぷんぷんと怒ってみせる。よし、流れ変わったな。これで球技大会や運動の話題になればみんな『でもリオちゃんは勉強も……』って反応する流れになる。そうすればリオはぷんぷんとわかりやすく怒ってくれるから。ダウナーに落ち込む姿よりも明るく怒っている姿のほうが見ていて楽しい。好きな女子にちょっかいかける男子の心理だな。


 しかし運動音痴の体育嫌いは勉強が苦手なやつの勉強嫌いよりも激しいイメージがある。まあ体育の時間なんて限られているが勉強の時間は体育以外ほとんどぜんぶってくらいだからな。慣れの問題もあるのかもしれない。

 でも逆を言えばほとんどが勉強できるやつのが有利な世界なんだから体育苦手なくらいでそんなに文句言うなよな〜って俺は思う。伊織は勉強もできないけどな。むしろ伊織はアレで運動のほうができるまである。ん? ってことはコミュ障が体育嫌いなの? 今までの話ぜんぶナシだな。


「慎くんはいつもテキトーなこと言うよね……」


 配信が終わった後の反省会でコミュ障さんが言った。


 伊織は俺のことをよく理解している。そのくせ俺がテキトーなこと言うだけで機嫌良くなったりするからな。都合の良い女過ぎる。


「そ、そう? ぇへへ……」


 今なんで褒められたみたいな反応した?


 人は理解できないものに恐怖を覚える。にへへとだらしなく笑う隠れ美少女さんを前に、俺は恐怖を覚えていた……。




      *




 体育の授業でペアを組まされることは多い。伊織が言っていた通りだな。そこが嫌だって話だ。

 しかし今年は優衣が同じクラスだ。天使である彼女は伊織ともペアを組んでくれる。優衣とペアを組みたいって生徒は多いが、だからこそ伊織を選ぶと角が立たない。元不登校児だからな。「優衣はやっぱり優しいね」なんて思われるくらいだろう。もっとも、そのままだと伊織があまりにも『ケアが必要な子』になるからな。対等じゃない。優衣のことだからそのままでいいとは思っていないだろうし、今ペアを組んでいるのは応急処置でしかないんだろう。……実際、他の生徒とも交流しようとしてるからな。伊織もビクつきながら頑張っている。


「伊織……頑張ってるね……」


 アオイが腕を組んでうんうんとうなずいている。保護者ヅラしてる……。

 俺はペアを組むならアオイだ。と言うか男子でアオイと組もうとするのが俺しか居ない。あいつらアオイのことチラチラ見ながらも誘わないからな。意識しすぎでキモい。だから俺が組む。まあそうじゃなくてもアオイと組むけどな。アオイは誰にも渡さない。俺だけのものだ。


「はいはい。ボクは慎一郎だけのものですよー」


 そうやってパスを投げ合う。球技大会の練習だ。今回はバスケだな。バレーやらフットサルなんかもするし誰がどの競技に出場するかは決まっているが授業では一通り練習する。


 ある程度パスの練習をしたらチームを組んで練習試合だ。どういうチーム分けにするかでわちゃわちゃ悩んでいる。仕切るやつが居ないのかよこのクラスはよぉ〜。苛ついたので俺が仕切った。球技大会でバスケに出場するメンバーとそれ以外で分ければいいだろ。余ってんならテキトーに組め! 悩むな! 時間の無駄だから俺が決める。ひょいひょいと俺はメンバーを決めた。もちろん俺のチームにはアオイが居る。


「ナイッシュー」


 アオイがスリーポイントシュートを決めた。ディープスリー……。これで何度目だろうか。身長がそれほど高くないアオイにゴール前の攻防は厳しい。遠くからシュートを狙うのは不思議じゃない。


 やっぱアイツ運動神経良いな。ジョンもそう思うだろ?


「斎賀……テメェはもっと動けや……」


 チームメイトに話しかけると怒られてしまった。動いてる動いてる。でも俺がゴール前に行くとどさくさに紛れてラフプレーされるからな……。


「日頃の行いだろ」


「日頃の行いでしょうね」


「日頃の行いでござるよ」


「慎一郎だからなぁ」


 四人全員にそう言われてしまった。


 暴力反対。どんな理由があったとしても、暴力を手段に選ぶことは間違ってる……!


 俺は目薬をさしてキラキラと涙を流してそう訴えた。


 無視された。


 俺のチームメイトにはどうやら赤い血が流れていないらしい。

 



      *




 女子も試合形式で練習している。優衣は運動部顔負け……どころか『バスケ部のエースですか?』みたいな動きをしている。よく助っ人に駆り出されているだけある。これがバスケに限らずだいたいどんなスポーツでもそうだってんだからおかしいよな。あまりにも『別世界』の人間過ぎて嫉妬さえ覚えない。ずっとそうだったのだろうと思えるくらいに。

 優衣は小さい頃からモデルとして活動している。そういう意味でも『別世界』の住人だ。あくまでも憧れの対象であって自分たちと同じ土俵には立っていない。異国の血が流れた彼女は容姿も大きく異なる。黒髪黒目の中に金髪碧眼の天使が混ざればそりゃ目立つし自分たちとは『違う』と思う。それでいて誰よりも勉強ができて誰よりも運動ができて誰よりも優しいんだ。普通なら嫉妬すら覚えられない。自分と比較しようとさえ思えない。ただ『そういうもの』だとして理解してしまう。


 そんなやつの目的が『みんなと友達になりたい』ねぇ……。俺は邪推した。それは本心から来るものなのかもしれない。天使の仮面なんて関係なく――優衣自身が望んでいるものなのかもしれない。


 そういう意味では伊織に近いところもあるのかね。俺は運動も勉強もできないがかわいさだけなら天使にも負けていないウチの子に目を向けた。気配を消している。幻のシックスマン……? しかしその能力を活かすことはできずに完全に蚊帳の外だ。試合に参加しているみんなから離れた場所であうあうと小動物めいた動きをしている。かわいそ……。でもかわいい。この後絶対にべそをかくだろうから慰めてあげたい。俺は邪な考えを抱いた。


「……お」


 そんなことを思っていると伊織が意を決してボールに向かって走っていった。速度は速くもないが遅くもない。そこそこだ。い、伊織が……頑張ってる……! 俺は泣きそうになった。あの伊織が……立派になって……。


「母さんや、泣くところじゃないよ」


 アオイパパが言う。でも……あなた……! ウチの子の成長に俺は涙していたが、そんな俺にアオイパパはふるふると首を振って伊織を指差す。


「あの子のことを見てあげるんだ。それはボクたちにしかできないだろう?」


 あなた……! 俺はひしとアオイに抱かれながら伊織を見守る。ああ、親というものは最後の最後でどこまで無力なのだろうか。こうやって見守ることしかできないなんて……! 俺たちは保護者ヅラをした。がんばれ……伊織……! がんばれ……! 俺たちの隣ではぽけーっとした顔で男子たちが「ナイッシュー」と棒読みしている。温度差ァ!


 今ボールを持っているのは優衣だ。優衣の視野は広い。コートの中で伊織が上がってきていることに気付いているのは優衣くらいだろう。視線を向けずとも誰がどこに居るかは把握している。優衣の身体能力は周知のことだ。女子バスケ部所属の二人が優衣をマークしている。さすがの優衣でも厳しいだろう。そんな中で上がってきている選手が居る。敵だけじゃない。味方でも気付いていない。彼女をずっと気にしていなければ観客でさえも見逃すだろう。


 ドリブルしながらも前に進めない。プレッシャーをかけられている。ボールを保持している時間が長い。優衣に意識が集中している。優衣の視線がチームメイトに向かう。マークから外れようとしているが難しい。キュッ、キュッと体育館の床とシューズが擦れて軋むような音が響く。誰にもパスは出せそうにない。なら……。

 ふっ――と。優衣の身体から力が抜ける。脱力……ドリブルしているボールが手に吸い付いて離れない。まるで力を溜めているように――


「――ディフェンス!」


 ハッとした女バスの次期エースが身体を沈ませる。最大限の警戒。同時に優衣の身体が沈み込み、ドライブを仕掛ける。ゼロから一気にトップスピードへ――しかし相手が一枚上手か、沈み込んだ優衣の動線は塞がれている。唇が微かに上がる。二人とも。


「ごめんね!」


 優衣が笑う。ノールックパス。視線を向けることなく、誰も居ないはずの場所にボールを投げる。ドリブルしようとしていたその手で、まるですっぽ抜けてしまったかのように、ひょいとボールが飛んでいく。

 その場に居る全員が騙されただろう。天羽優衣ならば本当に抜きにかかってもおかしくない。そう思っていた。敵も味方もその前提で動いていた。だから対処が遅れた。パススピードはそれほどではない。しかし、完全に『意識の外』のパス……誰も反応できなかった。もちろん伊織も。


「へぶ!」


 ウチの子は顔面で優衣のパスを受けた。あっ……。時間が止まる。動いていたのは二人。俺とアオイだけだ。ワンテンポ遅れて優衣の顔色が青く染まり、慌てて伊織のほうへと駆け寄っていく。伊織さんは顔面で受けて一度宙に浮き落ちてきたボールをきっちりキャッチしていた。五秒ルール。パスもドリブルもしないでボールを五秒以上保持することはできない。バイオレーション。スローイン。審判役の女子が冷静に笛を鳴らす。血も涙もない。


「だ、大丈夫!?」


 距離の問題もあって俺とアオイよりも優衣が先に伊織のもとへと辿り着く。伊織はその場に倒れ込み、メガネも近くに落ちている。


「け、怪我してない? 顔、ちょっと見せてね――」


 そして、優衣は伊織の前髪を上げる。


 ……伊織は普段眼鏡を外すことはない。野暮ったいほどに長い前髪とデカい眼鏡。それらによって伊織の素顔は隠されている。学校で眼鏡を外したり前髪を上げたりするシチュエーションと言えばプールくらいだろうか? しかし伊織はプールの授業に出席することがない。だから去年同じクラスだったとしても伊織が前髪を上げたり眼鏡を外したりといった姿を見た者は居ない。


 伊織は『伊月リオ』という名義で配信を行っている。リオは素材本来の味を活かしたメイクだ。眼鏡をコンタクトに変えて前髪を上げて……カメラ映りを考えての調整くらいはするが、その程度。決して『別人』にはしない。


 伊織がリオであることを知る者は少ない。親衛隊の中でも一握り。ウチのクラスにも居るには居るが、前髪や眼鏡があっても伊織をリオだと判別できるのは普通ではない。声? 伊織さんは俺やアオイ以外と話すときはめちゃくちゃにキョドるのでリオと結びつけるのは難しいだろう。「アッ……」しか言わないもんな。たまになんかやけに低い声出るし。誰? コワ……。


 しかし、前髪や眼鏡があったとしてもわかる者にはわかってしまう。それもまた事実だ。


 では、前髪や眼鏡がなかったら?


 伊織の顔を隠すものが何もない、そんな状態であれば――伊織の顔はリオのものとほとんど一致している。同一人物なのだから当たり前だ。


 伊月リオは配信者だ。人気のある配信者。とは言っても誰も彼も見ているような配信者ではない。コスプレイヤーを名乗り、主にゲーム配信を行う彼女の配信の主な視聴者層はオタクだ。リオの顔なんて知らない人がほとんどだ。もし伊織の顔を見たとしても大抵の場合は『伊織ちゃん、こんなに美人だったんだ……!?』と驚くだけだろう。配信をしているなどと気付くほうが珍しい。


 ただ、もしもリオの配信を見ている者であれば――


「……リオ?」


 優衣がつぶやく。その声は響かない。俺とアオイでギリギリ聞こえた程度の小さな声だ。俺たち以外には聞かれていないだろう。


 だが、手は打っておくべきだ。


「伊織! 大丈夫か!? 怪我は? してない? あ〜、ちょっと赤くなってるな。鼻の奥が熱かったりしないか? ん? 痛みは? ヒリヒリする? 念のためだ。保健室行くか。志島先生! いいですか? ちょっと付き添いに行ってきますね!」


 そうして俺は伊織と優衣を連れて保健室に向かうことになった。ゆるい勢いのパスだ。寝転びながらスマホ触ってたら寝落ちしかけて顔にスマホを落としたときくらいの衝撃だろう。まあまあ痛いが大事になるほどではない。それは他の生徒もわかっているだろうが、俺とアオイが伊織に対して過保護なことは周知のことだ。不自然には思われないだろう。優衣が付き添うのも不思議じゃない。天使だからな。なんなら自分が関係なくても付き添ってそうだ。問題はない。


 しかし……俺は伊織と優衣の様子を観察する。勢いで押し切ったが、どうするか。


 優衣の顔に浮かぶのは心配と反省、そして驚き、興味の色。伊織のことを気にしている。


 そして、伊織の顔色は――


「ぇへ……ぁ……ぁばばばばばば」


 1680万色に変色して福笑いみたいなツラになっている。憧れの人に配信を見られていたことに嬉し恥ずかし――だけではなくなんかもうよくわからない。何? どういう感情? どういう感情なの……?


 俺はゲーミングカラー配信者さんのことが怖くなった。


 そんな俺たちのことを、体操着にも関わらずやっぱり美少女にしか見えない悪友が愉しそうな笑顔で見つめていた……。

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