第13話 不可抗力

「ふぅ……慎くん、今日はありがとう! おかげさまで、明日からも頑張れそう! それじゃあ、また明日――あ、明日じゃないか。二時間後? 学校でね!」


 心なしかツヤツヤした顔で伊織が言った。俺は乱れた服を整えてげっそりとした顔で「あい……」と返した。


 ぜ、ぜんぜん寝かせてくれなかった……。もう俺、お嫁に行けない。


 しくしくと泣きながら、俺はいったん自宅に帰ることにした。姉さんとバズ子が心配だったからである。




      *




 伊織みたいな美少女と一夜を過ごしたって書くとめちゃくちゃ良いことのように思えるし実際めちゃくちゃ良いんだけど完全に生殺し状態なんだよな。伊織は対人恐怖症の気があり俺やアオイ以外とはろくに話すこともできないが、そのぶん親しい人間に対しては危ういほどに警戒心が薄い。距離も近いし。俺が何をしても受け入れてくれそうな感じもある。ヤバいよな。そんなのとふたりきりってヤバい。いや厳密にはふたりきりじゃないんだけどね。伊織の親御さんは居るわけだし。しかし伊織の部屋には入ってこないので実質ふたりきりなんだよ。でも親御さんがすぐ近くに居るのに手を出せるか? 無理だろ。ご両親にもめちゃくちゃ信頼されちゃってるし……。まあね? ちょっとね? ちょっとは際どいところ触ったりしちゃってもいいんじゃないかーとかは思うよ? でもな……それやっちゃうと、もう止まれそうにないんだよな……。ハグくらいならいいんだけど、エロいことやっちゃうとね。あと伊織にそういうことするのって罪悪感がすごい。ここまでまっすぐ信頼されると裏切りにくい。いやそれはそれとしてエロいことはしたいんだが……それはそれ、これはこれだ。付き合いてぇ~。俺は正直にそう思った。


 そんなこんなでまた学校だ。眠い。結局徹夜だからなぁ……。そうやって目をこすっていると「お、おはよう」と声をかけられた。伊織だ。まだなんかツヤツヤしてる。伊織は眠くないのか?


「ぇへ……なんか、一周回って? 眠くないよ」


 それ授業中に落ちるやつじゃない? 授業はちゃんと受けろよな。成績良いってわけでもないんだから。

 ちなみに俺はそこそこ良い。成績が悪かったら教師からの評価が下がるからな。部活なんかをやってないぶん、こっちである程度は評価を確保しておかなければ動きにくい。


「慎一郎はこれで勉強できるからなぁ。ボクより良いし。ムカつくよ」


 伊織といっしょに居たアオイがていっと腹を突っつく。結構痛い。俺はお返しだとばかりにスパァンとアオイのケツを叩いた。顔がぼこぼこになった。ま、前が見えねぇ……。


「今のはセクハラだよ慎一郎」


「そ、そうだよ、慎くん」


 えぇ……先にやったのアオイじゃん。ケツ叩くのも腹突っつくのも同じようなものじゃね?


「違うよ」


「違うよっ」


 違うらしい。やれやれ。俺は鷹揚に肩をすくめた。


 ボコボコに腫れ上がった俺の顔を見て、通りすがりの新入生たちが「特殊メイク……?」とコソコソ話す。


 俺はぐにぐにと顔を整形して元に戻した。アオイと肩を組んで新入生たちに向かってピースする。ドッキリ大成功。どこからともなく看板を取り出して笑いかける。


「な、何が……?」


 何がだろうね。

 

 ドッキリ大成功の看板を処分して、俺はうなずく。アオイが「もういいの?」とピースした指をカニみたいにチョキチョキ動かす。


 ひたすら戸惑う新入生たちを前に、俺は「演劇部をどうぞよろしく!」と適当なことを言った。騙された新入生たちが納得したような顔をしている。


「演劇部に迷惑がかかりそう……」


 伊織がつぶやく。しかしコミュ障根暗地味女の小さな声は、新入生たちの耳に届くことはなかった……。




      *




 昼休み、演劇部の生徒から「テメェなんかやりやがったな!?」と難癖をつけられた。言いがかりだ。俺は憮然として答える。何か証拠でもあるのか? ないだろ? と言うか俺が何をしたって言うんだよ。ん? 演劇部を騙った? いや、どうして俺がそんなことするんだ? そんな必要ないだろ? 俺にメリットがない。その新入生たちが騙されて俺に何か得でもあるのか? まあもしかしたらあるのかもしれないな。どういうシチュで騙ったのかにもよるだろう。……いきなりドッキリ大成功って看板を? それで『演劇部をよろしく』って言っただけ? なんだよそれ。意味わからんな。犯人の動機が読めないな……。本当に演劇部の中に心当たりはないのか? いや、ないから俺に言ってるのか。わかった。俺も協力しよう。疑われるだけってのも気分が良くないからな。容疑を否定するために捜査に参加するってやつだ。いいだろ? よし、それじゃあ話を聞くところからだな。


 そして新入生に会ったら一瞬で「この人です」って言われてバレた。「斎賀お前ホントになんなの!?」と演劇部の生徒からは怒られた。なんだろうね。ノリで適当なこと言っただけだからなぁ。しかし宣伝に協力したようなものなのだから感謝してもらいたいものだ。ほら、ありがとうは? ん?


「こ、こいつ……どんな面の皮してやがる……!」


 俺はベロンと分厚い面の皮を剥いた。こ、これが……俺の面の皮……!? 俺と演劇部の生徒はふたりして驚いた。新入生は引いていた。どこからともなくドッキリ大成功の看板を取り出し掲げる。テッテレー。


「こ、この学校の演劇部って……コントできないといけないんですか……!?」


 演劇部志望っぽい新入生が驚く。いや、そんなことないよ。コイツがなんかノリ良いだけ。意味わかんないよね。あと俺は演劇部じゃないから。斎賀慎一郎、名前の通り慎み深いことだけが取り柄の二年生だ。顔はちょっと怖いが勘違いされやすいだけでどこにでも居る平凡で善良な少年だな。困ったことがあれば言ってくれ。報酬によるがなんでもするぞ。


 俺はキラッと歯を白く輝かせた。爽やかな俺の微笑みに新入生は引いていた。


 引きすぎだろ。俺は思った。




      *

  



 放課後、天羽さんが「せっかくみんないっしょのクラスになったんだし、みんなで遊びに行ったりしない?」と提案した。

 効率的にクラス単位の仲を深めることができるからな。悪い提案ではない。参加できない生徒のフォローは必要だろうが……天羽さんのことだ、そこまで考えてのことだろう。


 その頃、俺は睡魔と争っていた。

 俺はマジメな生徒だからな。授業中に寝ることはない。伊織は完全に寝ていたが……特に起こされることはなかった。不登校がちだった生徒だから、どうしても腫れ物を触るような対応になる。志島先生は特殊な例だ。

 そもそも伊織でなくとも寝ている生徒を起こそうだなんて教師は少ない。明らかにいびきをかいていたり突っ伏してたりしてなければ基本的には無視される。居ないわけじゃないが、今日の授業では居なかった。それだけの話だ。


 天羽さんの提案にアオイや伊織は乗らなかった。伊織は大勢の中に飛び込むなんてマネはできない。当然だ。アオイは伊織が行かないから。付き合いが悪いわけじゃないが、アオイはもともと大勢で何かするってことを好んでいない。基本的にはソロで動く。個人行動型だな。

 それ以外の参加者は多い。運動部は一年中練習してるイメージだが、予定しているのは球技大会の日だ。毎年行われる『親睦を深める』って名目のイベントだが、この日はだいたいどこの部活も休みになっている。

『親睦を深める』ってことなら遊びに出かける必要なんてないんじゃないか――なんて、もちろんそんなことはない。球技がヘタなやつにとっては楽しいイベントじゃないからな。ひっそりと息を殺して目立たないようにするイベントだ。親睦を深めるなんてできるはずがない。ミスすることを恐れてとにかく『やり過ごそう』だなんて思ってるのに親睦なんて深まるか? 深まるわけがない。まったくってわけじゃないだろうが……。


 要するに天羽さんは一日でクラスメイトに『天使』ぶりをアピールするつもりってわけだ。

 常にみんなと公平に接するなんてことができるわけもないから、少しでも不公平感を減らそうって試みだな。


 今日は『そういう提案がある』って話をしたかっただけらしく、詳しいことは後日またってことになった。球技大会について話し合う時間もあるからな。そのときに時間が余ればってことだろう。

 さすがに新学期が始まって間もなく、誰も彼も忙しい。そろそろ新入生向けの部活紹介なんかもある。部活に所属している生徒は特に時間がないだろう。

 逆に部活に所属していない生徒……俺や天羽さんには時間がある。


 解散した後、天羽さんは一直線に俺のほうに向かってきた。


「斎賀くんっ、ちょっといいかな? 話があるの!」


 まさかそっちから来るとは思わなかったので俺は驚いた。動揺したと言ってもいい。端的に言えばあからさまにキョドった。……何のつもりだ? 俺は目を細めて天羽さんを観察した。しかしそんなことで何かわかるわけもなくなんか意味深げにふふっと微笑まれた。かわいい〜。俺はアホみたいなことを思った。


「それじゃあ、今日はいっしょに帰ろっ。じゃあみんな、また明日ね〜!」


 ぎゅっと俺の腕に抱きついて天羽さんが言った。な……!? 俺は彼女の真意を探ろうとしおっぱいおっぱいおっぱい。腕にめっちゃ当たってますがな。性欲を刺激して判断能力を奪うだと? 姑息なマネを……! もっとしてください! 俺は性欲に負けた。でへへと表情筋をゆるゆるにとかして天羽さんに引かれるがままになる。


「……え?」


 伊織の声が聞こえた。


 その声は捨てられた子どもみたいに寂しげで――放っておいてはいけないと思った。何を置いても、今だけは伊織を優先しなければいけない。心からそう思った。


 しかし俺が性欲に勝てるはずもなくそのままずるずると天羽さんに引かれて教室を出た。


 不可抗力である。

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