第12話 side:天羽優衣

 優衣の慎一郎に対する印象はあまり良くなかった。

 ただ人相が悪いというだけで孤立していることには同情する。可哀想だとは思うが、それだけだ。彼は何もしていないのに怖がられている。だが、逆に言えば――彼は自分から歩み寄ることもしていない、ということだ。

 もちろん、何もしていないのに自分を恐れるような者たちに自分から歩み寄るということは難しいだろう。それは理解できる。しかし、難しいから何だと言うのだ。自分が誤解されやすい人間だということは彼も理解しているはずだ。なら、誤解されないためにはどうすればいいのかも考えておくべきだろう。

 孤立することを厭わない、と言うのであれば構わないが……そうでないなら、何らかの策を講じるべきだ。優衣はそういう考え方をする。


 しかし、そのようなことはおくびにも出さず、優衣は慎一郎と仲良くなることを決めた。個人的にはあまり好きではないが……孤立することを厭わないにしても、どちらでも、優衣の信条とは合わない。だが、それでも彼女のすることは変わらない。『天羽優衣』であればそうするから。拒絶されたならばその限りではないものの、拒絶されない限り、優衣は必ず手を伸ばす。どんな状況であれ、それが変わることはない。


 そして優衣は慎一郎と仲良くなろうとした。したのだが……慎一郎が、見当たらない。もし見つけたとしても彼に声をかける前に周囲の生徒に声をかけられてしまう。優衣がそれをおざなりにすることができるわけもなく対処しているうちに慎一郎はどこかに消える。


 優衣は思った。アイツいっつもどこに行ってんのよ……! 確かに怖がられているんだったら居心地は悪いでしょうよ。でも、そんなに毎日どこに行くの? 私にも予定があるんだけど? トイレ? トイレなの? 制服ににおいがついても知らないわよ……! 顔だけじゃなく悪臭で避けられるようになったらさすがに私もフォローできないんだから! 


 同時並行で慎一郎についての噂も集める。誰とも話すことがないので情報は少ないものの、どこそこで見かけた、という話は耳にする。誰も居ないと思ったら斎賀くんが居てびっくりした、なんて話も聞いた。そのときに彼がバツの悪そうな顔をしていたことも。その生徒は「怖かったけど、ちょっと、悪いことしたかも。……べつに、何もされてないもんね」なんて言っていたが……何もしていないのに『怖がらせてしまった』というだけで怒ったりすることなく単に『バツの悪そうな顔をする』ということに彼の人柄が見えた。

 恐らく、彼は『怖がらせる』ことが嫌なのだろう。それだからできるだけ生徒の少ない場所に行こうとしている。できるだけ周囲の生徒を怖がらせたくない、怖がられたくないから人を避ける。

 優衣からすれば、それは良い手だとは思わない。ほんとうに怖がらせたくないのであれば誤解を解けばいいのだ。学校で顔を合わせないことなんて不可能に近いのだから、怖がらせないためには誤解を解くしかない。

 しかし、好感は覚えた。優しくも不器用な人……そういうイメージを持ち始めた。創作物の中でこういう人は優しい人だと相場が決まっている。アニメではよく見るパターンだ。勘違いされやすいだけで、強面の男ほど実はめちゃくちゃ良い人だったりする……彼もそうなのかもしれない。優衣はそういうキャラが好きだった。と言うか嫌いな人居る? 居ないでしょ。正直あざといくらいよね。でもそういうあざといキャラに弱いのよ。主人公のことが好きなヒロインとか絶対好きだし……。あざといとわかっていても好きになってしまう。くやしい。


 もちろん、慎一郎のことばかりにかまけてはいられない。と言うかそんな時間があるはずもない。優衣は多忙な少女である。急な案件にも対応できるように余裕を持たせてはいるものの、それはあくまで『余裕』だ。慎一郎のことも空き時間に探しているだけでしかない。もはや慎一郎探しは一種の息抜きのようになっている。


 その最中、優衣は学校でとある場所を見つけた。そう、『見つけた』という表現が適しているような場所に花が植えられていた。位置的に校舎の裏、になるのだろうが……単にぐるりと回ってもこの場所にたどり着くことはできないだろう。日当たりは悪くないようだが、特定のルートを通らなければここには来れない。なんで? 優衣は突っ込んだ。どうして学校にこんなところがあるのよ。構造的におかしいでしょ。と言うか花壇、花壇でしょ? 人に見せるためのものでしょう? そもそも特定のルートを通らなければたどり着けないってところからしておかしいし。え? 私が通ってたこの学校ってダンジョンだった? き、気付きたくなかった……! 


 そう思いながらも、優衣はこの場所を見つけられた幸運をよろこんだ。花は手入れされている。この場所を管理している人は居るのだろうが……私でも、この場所のことは今まで知らなかった。学校の中でひとりになれる貴重な場所だ。それに……本当に、綺麗に咲いている。もったいないと思えるほどに――同時に、誰にも教えたくないと思えるほどに。

 その日から、優衣は疲れたときにはこの場所に来るようになった。ひとりで花と向き合っていると心が落ち着く。天使にも羽を休める時間は必要だ。いつでも来れるわけではないが、ここに居るときだけは仮面を気にせずに居られるから。


 その日もそうだった。優衣は疲れて花壇に来た。慎一郎探しをするのも良かったが、今は人から離れたかった。……誰にも知られていない場所なのだ。少し愚痴を言うくらいならいいかもしれない。そう思ったが――


「……誰か、居る?」


 花壇の前に屈み込んでいる男子生徒。あの後ろ姿は……誰だろうか。背が高い。同学年ならあれだけの身長の生徒は三人くらいか。黒木くんか、ジョンくんか……斎賀くん?


 慎一郎の可能性は高い。先輩の誰かという可能性もあるが……彼はひとりになれる場所を探している。この場所を見つけられるなら――


「――あっ!」


 声を出す。驚くような声。今まさに気付いたと思われるように。

 声に驚いたように彼の肩が跳ねる。……男の子だからかな。花を愛でているようなところを見つかりたくはなかったのかもしれない。近付くと後ろ姿でも誰かわかる。やっぱり、斎賀くんね。確信を持ってから声に出す。


「……斎賀くん?」


 そう呼ぶとゆっくりと振り返ってくれる。驚いたような表情、確かに強面ではあるけれど……こういう顔は、怖いというよりは間抜けかもしれない。


「やっぱり! 斎賀くんと、ずっといっしょに話したかったの。まさか、こんなところで会うなんて……斎賀くんも、お花、好きなの?」


 手を合わせて顔を近づける。うーん……まあ、普通の高校生なら怖がってもおかしくはないわね。顔立ちは悪くはないんだけど……やっぱり、目ね。目つきが悪い。ここを改善できるなら――


「かわいい」


「……へ?」


 いきなりそう言われて、思わずそんな声が出た。かわいい? 私が? そう口にした彼を見る。彼は目を丸くしてこちらを見ていた。自分でも意図したことではなかったのだろう。うっすらと頬が紅潮している。……それを、見ていると。


「ありがとう」


 優衣は微笑み、そう応えた。自分の容姿は自覚している。かわいいと言われることは少なくない。今更動揺することはない。普段なら動揺してみせることもある。だが、今はそんな気分じゃなかった。だって、この場所に居るときは。


 ……なんて。


「あー!」と思い出したように声を上げる。今のは私らしくなかった。だから、ちゃんと塗り替える。


「まだ名乗ってなかったね! はじめまして、斎賀くんっ。私の名前は天羽優衣! 学年のみんなと友達になることが目標の一年生です! ……よかったら、私の友達になってくれないかな?」


「……はい?」


 


      *




「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」なんて慌てる慎一郎を見て『思ったよりも普通の人だな』と思った優衣は、慎一郎と話をした。しかし、そう時間があるわけではない。寄り道をしている暇はないわね。


「それで、斎賀くんは……お花、好きなの?」


「い、いや、そういうわけじゃ……」


「そうなの? それじゃあ……ここに来たのは、たまたま? 斎賀くん、こんなところがあるって知ってた? 私も見つけたのは最近で……隠れスポットだよね!」


「いや……俺も、たまたま見つけただけだよ。ひとりになれる場所を探していて……」


「ひとりに?」ここね。優衣は胸中で目を細める。「あー、ひとりになりたいときってあるもんね。私は……あんまりないけど、そ、それでも、ないわけじゃないしっ」


 慎一郎の反応を観察する。視線がわずかにズレる。後ろめたさを感じているのか。言い淀んでいる。悩んでいる。何に後ろめたさを感じているのか――私にか。『天使』を前にしてこんなことを言っていいものかと悩んでいる。つまり『周囲に怖がられているから』なんてことを伝えていいものか、と考えているのだろう。私のことを純真無垢な天使だと認識しているからか。できるだけ汚いもの、醜いものからは離したいと気遣っている。


 そんなこと気にしていられる状況じゃないでしょうに。他人のことよりもまず自分のことを気にしなさいよ。そう思いながらも、優衣は慎一郎に好感を抱いていた。気遣われて悪い気はしない。


 優衣がそんなことを考えているうちに彼の中で決心がついたらしい。彼は『自分がひとりになれる場所を探していた理由』を話してくれた。これで私が彼の事情を知っていてもおかしくないわね。


「そうなんだ。……それは、辛かったね」


「まあ辛いっちゃ辛い」


 あ、肯定するんだ。優衣は思った。寄り添って好感度を稼ごうとしたがすんなり肯定されるとは思わなかった。一度は『いや、そんなことは……』と濁されると思っていたんだけれど……。


「何もしてないのに怖がられているわけだからな。まあ辛い。でも俺も誤解を解こうとしているわけじゃないし、文句ばっか言える立場でもないよ。俺が悪いとは思わないけど。それに、俺なんてただ『誰とも話さない』ってだけだし……俺からすれば、天羽さんのほうが気になるところだ」


「私?」そう言われるとは思わなかったので素直に驚く。あとめっちゃ喋るな……。寡黙なタイプかと思ってたけど違うのかもしれない。


「俺は、天羽さんのこともよく知らないけど……『みんなと友達に』なんて、大変そうだからな」


 私のことをよく知らない? 優衣は考える。慎一郎は誰とも話さないと言う。であれば、自分のことを知らなくてもおかしくはないか。……念のため自己紹介として名乗っておいたが、もしかすると私の名前も知らなかったのかもしれない。


「大変? そんなことないけどなぁ……みんな優しいよ?」


「優しくても、だよ。だからこそ起こる問題もある。……天羽さんも、あんまり頑張りすぎないようにね」


 って、俺が言えることじゃないんだけど。そう言って笑う彼を見て、優衣は。


「……斎賀くんは、優しい人だね」


 優しくても、だからこそ起こる問題もある。


 それは自分もわかっている。……わかってるのよ。


 それでも――


「みんなも斎賀くんのことを知れば、きっと好きになると思うな」


 それでも、自分は変われない。


『天使』じゃない自分に価値はないから。


 ありのままの自分になんて――だから、そう。


 彼のことを周囲の人が知ったところで、好きになるとは限らない。


 第一印象が悪ければ挽回するのは難しい。より怖がられてしまう可能性もあるだろう。




      *




 慎一郎のことが好きではなかった。


 でも、誰よりも――そんなことを考えてしまう自分のことが、嫌いだった。

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