第11話 side:天羽優衣

『いいこ』にしてるとよろこんでくれた。


 だから、ずっと『いいこ』でいたの。




      *




 天羽優衣は天使のような少女だった。


 アパレル会社を経営する父とそこでデザイナー/モデルを務める母、優しい両親に愛されて育った彼女は天使のように愛らしい容姿を持っていた。

 あまりの愛らしさから彼女の母は「優衣のために」と様々なデザインを生み出した。ブランド『エンジェル』。自慢の愛娘のために、彼女と同じ年代向けのファッションを展開するブランドだ。

 親バカとしか言えないような話だが……これが成功した。純粋にデザインが優れていたこともあるが、何より、ブランド専属モデルである優衣が天使のような容姿をしていたからだろう。モデルとして以外での露出は一切なかったが、それでも彼女は同世代の少女たちにとって憧れの存在だった。


 優衣は優しい子どもだった。周りをよく見て、相手がよろこんでくれると自分も嬉しくなるような子どもだ。彼女は聡い子どもでもあり、自分が『いいこ』にしていると両親や周囲の大人たちがよろこぶことを知っていた。小さい頃から、彼女はわがままを言わない『いいこ』だった。


 同世代の子どもたちの前でも同じだ。優衣は同世代の子どもたちより先に『大人たち』と接していた――それだから、彼女にとっての『ふつう』は『いいこ』でいることだった。

 優衣が普通の少女であれば、それを『へんなの』なんて言われたかもしれない。だが、優衣は天使のような少女であり……既にモデルとして知られていた。子どもたちにとっての憧れだった。そう、だから――天羽優衣は『自分たちと違って当たり前』の存在だった。

 周囲の大人たちにとっても同じだ。『しっかりした子だ』。それが優衣への評価だった。あまりにもしっかりしている彼女に対して、誰も違和感は持たなかった。両親ですら。


 ただ、それはおかしいことではない。優衣も無理をしていたわけではないのだ。純粋によろこんでほしいと思っていただけ。両親がよろこべば自分も嬉しい。周りの人がよろこんでくれると自分も嬉しい。幸せだ。心の底からそう思っていたからこそ、誰もその歪みには気付かない。


 優衣があまりにも『完璧』だった、ということも一因かもしれない。彼女は優秀な子どもだった。どんなことでも人よりも容易にこなすことができる。努力せずとも、とは言わない。だが、平均的な人々と比べるとどんなことでも圧倒的に早く習熟することができた。それは『いいこ』でいることも同じだ。どんなことでも、どんなときでも――天羽優衣は『天使』だった。


 優衣自身、幼い頃はそれを何とも思わなかった。自分も周りも幸せで満足している。不満なんてない。わがままなんて言わず――そもそも、親バカの両親は優衣に何不自由ない生活をさせていたし、優衣が何か要求する前に色々なものを買い与えていたが――だからこそ、優衣は『不満』なんてなかったのだ。ある意味で優衣は『あるがまま』に生きてきた、と言ってもいい。不自由なく、したいように……当時はまさしく天衣無縫な少女だった。


 それが破綻し始めたのは中学生の頃だろうか。小学生の高学年の頃から、少しずつ兆しはあったのだが……決定的なものは、きっと、中学生の頃だ。

 

 優衣はなんでもできた。だが、そのキャパシティは無限ではない。時間的なものだけではない。精神的にも、無理があるものには無理がある。


 同年代の少年少女たちが成長するにつれて、色んなことが複雑化していった。求められるものも高くなる。子どもたちだけではない。大人との関係も変わっていく。勉強などのレベルも上がる。

 優衣は才能ある少女だ。他人よりも圧倒的に少ない量の努力で非常に優れた成績を収めることができる。だが、いくら少ないとは言え努力は必要だ。通常百の努力が必要なことを十の努力で可能にするとして――同じことが十あれば? それは結局、他の努力している者たちと同じだけ努力していることになる。


 それまでは、本当に無理がなかったのだ。疲れを感じることはあった。しかし、無理というわけではなかった。……聡い彼女は気付いていた。小学生の頃から、天使のような彼女は知っていた。このままではいつか破綻することになるだろう、と。自分のキャパシティは限界を迎える。抱えられるものには限りがある。

 天衣無縫、天真爛漫な外面に『演技』が混じるようになったのはいつからだったか。初めて自然じゃない笑顔をつくったのは何歳のとき? 同時に色んなことを要求されて、初めて不満を覚えたのは……?


 しかし、優衣は今更『いいこ』の仮面を外すことはできなかった。物心ついた頃からそうだったのだ。ずっと、彼女は『いいこ』だった。そうでない瞬間なんて、赤ん坊の頃くらいのものだろう。

 端的に言うのであれば、彼女は恐れていた。『いいこ』でない自分に、存在価値なんてあるのだろうか? 期待を裏切ることになるんじゃないか? 失望されることになるんじゃないか? 私が天使じゃないってバレたら――私に対するすべてが、裏返ってしまうんじゃないか。


 そう思うと、どうしようもなかった。『いいこ』でない自分の価値を信じることができなかった。だってそうでしょう? 『いいこ』でないときなんて今までに一時ですらなかったのだから。両親ですら、そんな顔は知らないのだ。今でも自分を天使だと愛してくれる大好きな両親に、どうしてそんな顔が見せられるだろうか。もしも失望されたら? 少しでも残念そうな顔をされたなら? ほんの少しでも――自分の素顔を、否定されたら?


 そう思うと、優衣は誰にも素顔を見せることができなかった。両親にだって見せられないものをどうして他の人に見せられるだろう。


 そう、だから……優衣は、自分のことが嫌いだった。


『いいこ』じゃない自分、天使じゃない自分のことが、嫌いで嫌いで仕方なかった。


 常に天使の仮面を被り続けて、自分のことを傷つける。そのことを自覚してからは、ずっとそうだった。ずっと苦しくて仕方なかった。天使の仮面は顔に張り付いている。息苦しくて、息苦しくて……。


 もちろん、まったく息抜きできないわけじゃない。好きなものと向き合っている時間だけは、優衣は天使の仮面を忘れられた。彼女にとってアニメがそれだ。純真無垢な天使で居たあの頃に戻れるような気がしたから。その時間だけは楽になれた。息ができた。


 だから、耐えられた。耐えられてしまった。我慢できた。天使で、居られた。


 高校生になってからもそうだ。彼女は変わらず天使のように振る舞っていた。天真爛漫、みんなに優しいみんなの天使。万人を愛し万人に愛される天使として振る舞っていた。


 天使は誰かを特別扱いなんてしない。みんなと仲良くならなければいけない。優衣はすぐにクラスメイトと仲良くなった。男女の垣根なく、自分から近づいて仲良くなった。そうでなければ自分の周囲に集まるのは相対的にスクールカーストの高い生徒になるだろうことは間違いない。だが、それではいけないのだ。天羽優衣は天使なのだから。そんなふうに扱いに差をつけるのは天使じゃない。天使は誰にでも優しくなければいけない。『天羽優衣』なら――そう思って、優衣はみんなと仲良くなることにしていた。


 先輩ともそうだが、まずは同学年の生徒からだ。同じクラス全員と仲良くなった彼女は、他のクラスに手を出した。不登校の生徒も居たが、それを除けばほとんど問題なく仲良くなることができた。優衣は天使のような少女である。そんな美少女に『仲良くなろう』と言われて嫌な気持ちをするような人間は少ないだろう。


 そうして順調に人脈を広げる中で、優衣はひとつの噂を聞いた。


 なんでも、凶悪な人相をした男子生徒が居るとのこと。


 その男子生徒を周囲の生徒が恐れていること。


 彼のことを遠巻きにして近寄らず……特に何をしたというわけでもないのに、孤立してしまっていること。


 それを聞いた瞬間、天使がそれを見過ごすはずがないと思った。そんなことは見過ごせない。許せない。『天羽優衣』の居るところでそのようなことを起こしてはいけない。


 その男子生徒の名前は斎賀慎一郎。


 勘違いされやすそうな悪人ヅラをした少年だった……。

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